第19話 王都への旅路と街道の強襲
ガタゴトと規則正しく揺れながら、四頭立ての大型幌馬車は平原の街道を北へとひた走っていた。
迷宮都市バロールを出発して半日。窓の外には見渡す限りの緑の平原と、どこまでも澄み渡る青空が広がっている。
ルミナス王国の中心たる王都ルミナスまでは、途中で野営を挟んで三日の旅路だ。
木製の長い座席が並ぶ広々とした車内には、俺とクラリスのほかにも、王都へ向かう商人や数人の旅人が乗り合わせていた。
そして通路を挟んだ向かい側の席には、馬車会社が雇った正規の護衛冒険者である男二人組が腰を下ろしている。
鋼鉄の鎧を着込み、大剣や槍を携えたベテラン風の二人組だ。
やがて、槍を持った髭面の護衛が、俺たちの若さに目を留めて気さくに話しかけてきた。
「若い兄ちゃんに、綺麗な魔導士の嬢ちゃんかい。見かけねえ顔だが、王都へ行くのは初めてか?」
「はい。バロールから王都へ向かうところです」
俺が飾り気のない口調で答えると、髭面の護衛は頼もしそうに胸板を叩いて豪快に笑った。
「そうかい! まあ安心しな。王都までの街道は比較的安全だが、万が一魔物が出ても俺たち二人がきっちり護衛してやるからよ」
「ありがとうございます」
親切な言葉に礼を言ったとき、大剣を抱えたもう一人の護衛が、俺の腰元をじっと凝視して目を見開いた。
「……おい、相棒。ちょっと待て」
「ん? どうしたよ」
「あの兄ちゃんの腰……差してる冒険者カードを見ろ」
「カード? ……って、おい! そいつはCランクの刻印じゃねえか!?」
髭面の護衛が立ち上がりかけ、目を丸くして叫んだ。
車内の商人や旅人たちも、何事かと驚いてこちらを一斉に見つめてくる。
俺の腰のベルトには、先日ギルドマスターから更新してもらったばかりの、鈍い青銅色に輝く冒険者カードが差してあった。
「その若さでCランクだと……!? てっきり駆け出しの新人だと思ってたぜ……!」
「いえ、最近昇格したばかりですから」
俺が少し恐縮して答えると、二人は顔を見合わせ、驚きと感心の混ざった溜め息を漏らしていた。
かつて所属していたパーティでは、荷物持ちとして理不尽に怒鳴られ、顎で使われる毎日だった。
だが今は、こうして対等な一人の冒険者として認められ、自由な風を感じながら旅をしている。
心地よい揺れに身を任せながら、俺は胸の奥に静かな充足感を覚えていた。
日が傾き、西の空が茜色に染まる頃、馬車は街道沿いに整備された指定の野営地へと到着した。
御者が馬を休ませ、護衛冒険者たちが周囲を警戒する。
パチパチと薪が爆ぜる焚き火を囲み、乗客一同で携帯食を分け合って夕食をとった。
食事が一段落したところで、クラリスが手際よく魔導コンロでお湯を沸かし、温かいお茶を淹れてくれた。
「エルンさん、温かいお茶をどうぞ」
「ありがとう、クラリス」
木製のカップを受け取ると、爽やかな薬草の香りが漂い、心地よい温もりが両手に伝わってきた。
夜の冷気が降りてきた平原を見つめながら、クラリスがサファイアのような碧眼を細めて微笑む。
「穏やかな夜ですわね。夜風がとても心地よいです」
「ああ。順調に進んでいるみたいだし、明日もこの調子で行けるといいな」
「ええ。油断は禁物ですわ。明日も気を引き締めて参りましょう」
満天の星空の下、俺たちは交代で見張りをしながら静かに夜を明かした。
翌日、旅の二日目。
午前中の穏やかな平原を抜け、正午を過ぎた頃、馬車の周囲の景色が一変した。
街道の両脇には切り立った険しい岩壁が迫り、その先には鬱蒼とした深い樹林が広がっている。
道幅が狭く、見通しが極めて悪い隘路だ。
御者も手綱を握り直し、車内の護衛冒険者たちも武器に手をかけて警戒を強めていた。
そのときだった。
「――っ!」
隣に座っていたクラリスが、鋭く目を見開いて立ち上がった。
先端に風の宝珠を嵌め込んだ魔導杖を構え、【魔力感知】で周囲の気配を捉えている。
「エルンさん、来ますわ! 岩陰と森から五体……強い殺気を持った魔物の反応です!」
「何だと!?」
護衛冒険者たちが色めき立った瞬間――。
グルルルルァッ!!
空気を震わせる凶悪な咆哮とともに、切り立った岩山の上と深い茂みの奥から、漆黒の毛並みを持つ巨大な獣たちが姿を現した。
体長は二メートルを優に超えている。筋骨隆々の四肢と、血のように赤く輝く目を持った凶悪な姿だ。
五頭の巨大な黒狼が、獲物を逃すまいと馬車の行く手を塞ぎ、完全に取り囲んでいた。
「嘘だろ……Cランクの迅影狼が群れで!? 街道にこんな群れが出るなんて聞いてねえぞ! だ、駄目だ、全滅する……!」
護衛冒険者は抜剣したものの、顔面を蒼白にして戦慄していた。
通常の狼とは比較にならない俊敏さと膂力を誇り、一頭だけでも熟練の冒険者を屠る凶獣だ。それが五頭の群れを成している。
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
「助けてくれぇっ!」
御者が悲鳴を上げ、車内の商人や旅人たちからも絶望の叫びが上がった。
護衛の足は完全に竦み、絶体絶命の空気が場を支配する。
先頭の巨大な迅影狼が、馬車の馬たちを喰い千切ろうと牙を剥き出しにし、地面を蹴り上げた。
その瞬間――。
「クラリス、行ってくる!」
「はい、エルンさん!」
俺は幌馬車の窓から、疾風のように外へと飛び出した。
Lv35に達した俺の基礎能力値は敏捷141、腕力140。
着地と同時に、【身体強化】と【瞬歩】を全開にする。
ドォンッ!!
足元の地面を力強く蹴り抜くと、空気を爆ぜさせる炸裂音が轟いた。
視界の景色が一瞬で後ろへと流れ、俺の身体は弾丸のような速度で先頭の迅影狼の懐へと肉薄していた。
黒狼が驚愕に目を剥く。だが、反応することすら許さない。
鞘から抜き放った鉄の剣が、銀色の閃光となって一閃した。
ズバッ!!
抵抗らしい抵抗もなく、先頭の迅影狼の太い首が一刀両断された。
巨大な胴体が血煙を噴き上げて地面に転がる。
グオォッ!?
散開して馬車へ襲いかかろうとしていた残りの四頭が、異様な事態に気づいて俺へ標的を変えた。
頭上から二頭目が鋭い爪を振り下ろして飛びかかってくる。
俺は地面を擦るような超低空のステップで踏み込み、振り下ろされた爪の軌道を紙一重でかわしながら、下からの斬り上げで二頭目の喉元を切り裂いた。
休む間もなく、背後から三頭目が突進してくる。
俺は半身を引いてその突進をすれ違いざまにかわし、横薙ぎの一閃で胴体を両断した。
ガァッ!
グルルッ!
最後に残った二頭が、左右から同時に死角を突く挟み撃ちを仕掛けてきた。
左右から迫る黒い影。
だが、今の俺の目には、その素早い動きすら緩慢に見えていた。
俺は軸足を鋭く踏み込み、身体を独楽のように高速回転させながら、神速の円弧を描いて剣を振り抜いた。
ギィンッ――ザンッ!!
青白い魔力をまとった刀身が二頭の首元を同時に捉え、一瞬のうちに両方の魔獣を地面へと叩き伏せた。
ドサリ、ドサリ。
重い肉塊が転がる音が重なり、辺りに静寂が戻った。
飛び出してから、わずか数秒。瞬きする間に、凶悪なCランク魔獣五頭がすべて息絶えていた。
ドクンッ!
五頭の魔獣が絶命した直後、天賦スキル【経験値×100】が発動した。
倒れた狼たちの骸から、膨大な霊質が立ち上る。
青白い光の奔流となって渦を巻き、昼下がりの薄暗い隘路を白昼のように照らし出しながら、俺の胸元へと一気に吸い込まれていった。
身体の奥を心地よい熱量が通り抜けていく。
今回はレベルアップには届かなかったものの、経験値が確実に蓄積された手応えがあった。
俺は鉄の剣を軽く振って血糊を払い、静かに鞘へと納めた。
そして、停まっている馬車へと歩み寄り、淡々と声をかけた。
「全員、怪我はありませんか? もう大丈夫です」
俺の声が響いた瞬間、固まっていた車内から、弾かれたように声が漏れ出した。
「な、なんだ今の動きは……!?」
「それにあの異常な光の量は一体……!?」
「嘘だろ……Cランクの魔物五頭を、たった一人で……一瞬で全滅させただと……!?」
護衛冒険者たちは尻餅をついたまま開いた口が塞がらず、御者や商人たちも信じられないものを見るように目を丸くしていた。
やがて、我に返った乗客たちから、嵐のような歓声と感謝の言葉が沸き起こった。
「す、助かった……! 俺たちは助かったんだ!」
「ありがとうございます、冒険者様!」
「あんた、一体何者なんだ……!? こんな規格外の強さ、見たことがねえ!」
車内へ戻ると、護衛冒険者たちから深々と頭を下げられ、商人たちからは握手を求められた。
隣の席へ戻ると、クラリスが誇らしげにサファイアの瞳を輝かせ、くすりと微笑みかけてきた。
「見事な立ち回りでしたわ、エルンさん」
「クラリスの索敵のおかげだよ。先手を取れたから、誰も怪我をせずに済んだ」
俺が微笑み返すと、クラリスは嬉しそうに頷いた。
強襲を退けた馬車は、その後は何の障害もなく順調に北上を続けた。
そして旅の三日目、昼過ぎのことだった。
「――おい! 見ろ、王国の中心、王都ルミナスだ!」
御者台から弾んだ声が上がり、車内の乗客たちが一斉に窓の外へと身を乗り出した。
街道の先、果てしなく広がる平原の向こうに、太陽の光を浴びて白銀に輝く巨大な白亜の城壁がそびえ立っていた。
バロールの城壁を遥かに凌駕する規模で、その奥には天を突くような尖塔や白亜の宮殿群が幾重にも立ち並んでいる。
「すげえ……あんなに大きいのか……」
俺は思わず息を呑み、車窓からその壮大な景色に見惚れていた。
ふと隣を見ると、クラリスが窓枠に手をかけ、白亜の都をじっと見つめていた。
プラチナブロンドの髪を風に揺らし、胸元をぎゅっと握りしめている。
「クラリスの生まれた街だな」
俺が静かに声をかけると、クラリスはゆっくりと振り返り、凛とした笑みを浮かべた。
「ええ……私の大切な故郷であり、誇りを取り戻すべき場所ですわ」
バロールの祝勝会の夜、俺は誓ったのだ。クラリスが背負っているものがあるなら、王都でも相棒として隣で戦い、理不尽に奪われたものを一緒に取り戻すと。
パカラン、パカランと蹄の音を響かせ、馬車は堂々たる王都の南門前へと滑り込み、静かに停車した。
馬車を降り、目の前にそびえ立つ白亜の巨門を見上げながら、俺は隣に立つ最高の相棒へ向けて、力強く告げた。
「行こう、クラリス。ここが、俺たちの新しい始まりだ」
「はい、エルンさん!」
俺たちは白亜の南門へ向けて、力強く足を踏み出した。




