第13話 異変発生! 岩石巨人の脅威
『深淵の迷宮』第五階層――巨大な縦穴空間にいくつもの石橋が立体的に交差する大空間で、Dランクパーティ『銀翼の剣』のリーダー・ラウルは、底知れぬ闇の奥を睨みつけていた。
突如として迷宮深部からせり上がってきた激震と、空間を揺るがす未知の怪物の咆哮に、全身から冷たい脂汗が吹き出している。
背後で腰を抜かした取り巻きの後衛支援役と、顔面蒼白で大盾を構える前衛戦士――二人の荒い息遣いが、重苦しく耳に届いていた。
ゴゴゴゴゴゴッ!!
足元の頑丈な黒い石橋が、きしむような音を立てて激しく震える。
頭上の岩肌からパラパラと小石が降り注ぎ、肌をチクチクと刺すような禍々しい重圧が空間を満たしていった。
ただの魔物ではない。上層に出現するような相手とは、放っている殺気の桁がまるで違っていた。
「ひ、ヒィッ……! な、何が来るんですかい……!?」
後衛支援役が震える声で悲鳴を上げた、まさにそのときだった。
ズガァァァァンッ!!
縦穴空間の岩壁を粉々に粉砕しながら、闇の奥から巨大な影が飛び出してきた。
凄まじい地響きとともに、石橋の正面へと着地する。
ドサドサと大量の瓦礫が崩れ落ち、ラウルたちがやってきた側の通路が完全に塞がれてしまった。
退路が断たれたのだ。
もうもうと立ち込める土煙の奥から姿を現した怪物の全貌を見て、ラウルは息を呑んだ。
体長は優に五メートルを超えている。
全身を硬質な花崗岩と黒光りする鉱石の装甲で固め、胸部の中央と両の眼窩に不気味な赤黒い魔力の光を宿していた。
圧倒的な質量を誇り、凄まじい威圧感を放つ鉱石質の巨躯――「岩石巨人」だ。
「な、なんでこんな怪物が上層にいるんですかい!? こいつは中層のボス級……Cランクの魔物ですぜ!」
後衛支援役が絶望に染まった悲鳴を上げた。
中層のボス級。本来なら上層になど絶対に現れるはずのない、格上の強敵。
背後は崩落した瓦礫の山、足下は底知れぬ縦穴の闇。逃げ場はどこにもなかった。
ラウルの額から、冷たい脂汗が顎をつたってポタポタと滴り落ちる。
だが、ここで腰を抜かすわけにはいかなかった。
肥大化した自尊心と功名心が、本能的な恐怖を強引に塗りつぶしていく。
あんな無能の呪い持ちですらDランクに上がったのだ。Dランクのリーダーである自分が、ここで無様に逃げ出すなど許されるはずがない。
ラウルは大剣の柄を力任せに握り締め、ギラついた瞳で怒鳴りつけた。
「ひ、怯むな! Cランクだろうが魔物には違いねえ! 俺の【豪腕】を叩き込めば倒せる! こいつを倒せば俺たちは一躍英雄だ!」
恐怖をかき消すような尊大な虚勢を張り、ラウルは迎撃を命じた。
『銀翼の剣』の三人は、生き残りを懸けて総力戦を仕掛けた。
「や、やってやる……! 喰らいやがれっ!」
後衛支援役が震える手で牽制の攻撃を放つ。
だが、放たれた攻撃は岩石巨人の分厚い鉱石装甲に当たると、小石が跳ね返るような乾いた音を立てて弾け飛んだ。
傷一つどころか、擦り傷すらついていない。放った攻撃は完全に無力化されていた。
グオオオオオンッ!
岩石巨人は赤黒い眼光を冷酷に輝かせると、大木のように太い岩の腕を一閃させた。
ゴォッ!!
腕が空気を薙ぎ払っただけで、凄まじい衝撃波と猛烈な風圧が巻き起こる。
「ぎゃあああっ!?」
直撃ですらない暴風に巻き込まれ、後衛支援役の身体が木の葉のように石橋の上を吹き飛んだ。
そのまま硬い石壁へと派手に激突し、血を吐いてぐったりと崩れ落ちる。
ピクリとも動かない。一瞬で気絶し、戦闘不能へと追い込まれた。
「くそっ……うわあああっ! 止まれぇぇっ!」
前衛戦士が決死の形相で叫び、両手で頑丈な金属の大盾を構えて前へ飛び出した。
振り下ろされる一撃を受け止めようと必死に足を踏ん張る。
だが、岩石巨人は何の手加減もなく、巨大な岩拳を真上から無慈悲に振り下ろした。
ドガァァァンッ!!
耳を劈く破壊音が響き渡る。
頑丈な金属盾は紙屑のようにひしゃげて砕け散り、前衛戦士の左腕が嫌な音を立ててへし折られた。
「がはっ……!?」
大量の鮮血を吐き出しながら、前衛戦士が石畳の上へと無残に転がった。
折れた腕を押さえて苦悶の呻き声を上げるが、立ち上がることすらできない重傷だった。
わずか十数秒足らず。
頼りにしていた二人の取り巻きが一瞬で壊滅し、石橋の上にはラウル一人だけが取り残された。
「ひ……っ、あ……」
ラウルは歯をガチガチと鳴らし、膝を小刻みに震わせた。
眼前で繰り広げられた圧倒的な蹂躙。
だが、目の前の怪物は立ち止まることなく、重い足音を響かせてラウルへと迫ってくる。
(死ぬ……? 俺が……こんなところで……!?)
思考が真っ白になりかけた瞬間、ラウルの中でプライドが狂乱のように暴れ狂った。
認められるはずがない。俺はDランクの選ばれた冒険者だ。天賦スキルを持つ強者だ。
こんなところで死んでたまるか。
「死ねぇぇっ!!」
ラウルは絶叫しながら、天賦スキル【豪腕】を限界まで発動した。
全身の筋肉が軋むほどの力を鋼鉄の大剣へと注ぎ込み、通常スキル【剛撃】の青白い魔力を刀身にまとわせる。
持てるすべての魔力と筋力を込めた、渾身の唐竹割り。
青白い光を帯びた刃が、岩石巨人の脚部へと真っ向から叩きつけられた。
ガキィィィィンッ!!
縦穴空間全体に、甲高い金属破壊音が響き渡った。
「…………え?」
ラウルは呆然と目を見開いた。
手元に返ってきたのは、両腕の骨が折れそうなほどの強烈な反動だけだった。
大剣の鋼鉄の刃先は無残に刃こぼれを起こし、激しく弾き返されていた。
だが、岩石巨人は脚部の鉱石装甲に白い擦り傷一つついていない。
巨躯を揺らすことすらなく、微動だにしていなかった。
「な……っ!? 傷一つ……つかねえだと……!? 俺の【剛撃】が……!」
Dランクの攻撃では、文字通り掠り傷すら与えられない。
絶対的な実力差という現実を突きつけられ、ラウルは痺れて感覚のなくなった両腕を震わせ、言葉を失った。
ガランッ……。
弾かれた衝撃に耐えきれず、ラウルは大剣を取り落とした。
鋼鉄の大剣が虚しく石畳を転がり、ラウルは腰を抜かしてその場に無様に尻餅をついた。
目の前には、見上げるような巨躯を誇る岩石巨人が立ち塞がっていた。
ゴゴゴ……。
岩石巨人は感情の宿らない赤黒い眼光をギラつかせ、這いつくばるラウルを見下ろした。
そして、太い丸太のような岩の巨腕を、無慈悲に頭上高く振り上げる。
振り上げられた巨大な拳から圧倒的な風圧が吹きつけ、死の重圧がのしかかる。
頭上を覆い尽くす巨大な岩の影。
それが振り下ろされれば、自分の身体など一瞬で肉片と骨屑に変わり、石畳にこびりつくことだろう。
その光景を前にして、ラウルの心は完全に音を立ててへし折れた。
Dランクの誇りも、天賦スキルへの慢心も、肥大化したプライドも、すべてが綺麗に吹き飛んでいた。
残ったのは、剥き出しの純粋な死の恐怖だけだった。
「う、嘘だろ……やめろ……来ないでくれ……!」
ラウルは顔を涙と鼻水、そして冷たい脂汗でぐしゃぐしゃに歪ませた。
かつてエルンを見下し、嘲笑しながら追放したときの尊大な面影など、どこにも残っていなかった。
「誰か……誰か助けてくれぇぇっ!」
惨めに叫び声を上げながら、ラウルは濡れた石畳の上を後ずさりし、無様に這いつくばって命乞いを繰り返した。
だが、岩石巨人が情けをかけるはずもない。
無慈悲な岩の拳が、ラウルを押し潰すべく振り下ろされようとした――。
その瞬間だった。
ダンッ!
空気を切り裂く鋭い踏み込み音が、縦穴空間に響き渡った。
頭上の闇から、一筋の疾風のように何者かが飛び込んできた。
高い位置で交差する別の石橋から足場を蹴り渡り、信じられない跳躍力で空間を跳び越えてきた影が、風を巻き上げて石橋の上へと鮮やかに着地する。
それは、這いつくばるラウルと、振り下ろされようとする岩石巨人の間だった。
「エルンさん! あれは中層の――岩石巨人ですわ!」
頭上の別石橋の接続部から、凛とした少女の鋭い警告の声が響き渡る。
だが、這いつくばるラウルの目は、目の前に割り込んできた人影の背中に釘付けになっていた。
岩石巨人が放つ猛烈な風圧と重圧のなかで、その背中は微動だにしていなかった。
引き締まった体躯に、使い古された革鎧。
かつて自分が「必要経験値百倍の呪い持ち」「一生レベルの上がらない寄生虫」と見下し、荷物を押し付けて嘲笑し、無一文で追い出したはずの少年の姿。
ラウルは信じられないものを見る目で絶句し、裏返った声を絞り出した。
「え……? て、てめえは……エルン……!?」
頭上の石橋から届くクラリスの警告と、背後から聞こえた裏返った情けない声を、俺は研ぎ澄まされた意識の隅で冷静に受け止めていた。
復讐するつもりも過去の因縁に付き合う気もなく、俺にとってあの男はとっくに見限った過去の存在だ。
問題は、目の前で赤黒い魔力を脈動させているこの巨躯だ。
(中層の魔物が、なぜ第五階層に……深部からの異変の影響か)
俺は迷うことなく、腰の新調した鉄の剣の柄へと右手を添えた。
Lv30へと到達し、全ステータスが百二十前後に達した肉体に、心地よい魔力が滑らかに巡る。連戦の疲労など微塵もない。
グオオオオオンッ!!
突如として割り込んできた俺を新たな排除対象と捉えたのか、岩石巨人の赤黒い眼光が標的を背後の男から俺へと切り替えた。
振り下ろされようとしていた巨大な岩拳が軌道を修正し、空気を爆ぜさせながら俺の頭上へと猛烈な勢いで振り下ろされてくる。
視界を埋め尽くすほどの質量と、凄まじい風圧。
だが、極限まで研ぎ澄まされた俺の視界の中では、その凶撃の軌道が驚くほどはっきりと見えていた。
俺は腰を低く落とし、鉄の剣の鯉口を静かに切った。




