第12話 ラウルの慢心と暴走
朝日に照らされた迷宮都市バロールの中央広場。
大地を丸ごと穿ったような巨大な大穴――『深淵の迷宮』の入り口前に、三人の男たちが立っていた。
磨き上げられた鋼鉄の胸当てを着け、背中に両手持ちの大剣を背負った男――Dランクパーティ『銀翼の剣』のリーダー、ラウルである。
大穴の周囲には屈強な鎧を着込んだ手練れの冒険者たちが行き交い、冷たく重い風が穴の底から吹き上がっていた。
先行する腕利きのパーティたちがすでに大階段を降りて潜行を開始しているなか、ラウルたちの背後で、後衛支援役の男がおずおずと口を開いた。
「リーダー、本当にいきなり深淵の上層に行くんですかい? 初心者の迷宮より格段に危ねえって聞きますが……」
不安そうに大穴の底を見下ろす支援役に対し、ラウルは金褐色の短髪を荒々しく揺らし、灰褐色の瞳を吊り上げて怒鳴りつけた。
「あんな呪い持ちのインチキ野郎がDランクになれるなら、Dランクの俺たちが深淵で成果を出せねえわけがねえだろ!」
ラウルの脳裏に、昨日のギルド酒場での屈辱が蘇っていた。
必要経験値百倍の呪い持ちとして追い出したはずの元雑用係――エルン。あいつが巨鬼の魔石を持ち込み、即日でDランクへ昇格したという噂。
何かの間違いか、インチキな魔道具を使ってギルドを騙したに決まっている。
自分たちと同じDランクにあの無能が並び立つなど、ラウルの肥大化したプライドが到底受け入れられるはずもなかった。
「おい、ぐずぐずすんな! さっさと行くぞ!」
「くそっ、荷物が重え……。あの雑用がいねえと探索の準備だけでも一苦労だぜ」
隣で重い背負い袋を担ぎ直した前衛戦士が、額の汗を拭いながらぼやいた。
予備のポーションや野営物資、解毒草の束まで詰め込まれた荷物は、合わせれば三十キロ近い重さになる。
かつてはエルン一人にすべて押し付けていた荷物を今は二人で分担して背負っているが、それでも歩くだけで体力を削られていた。
その泣き言を聞いたラウルは、左頬の傷跡を歪めて吐き捨てた。
「チッ、あんな寄生虫の代わりなんざいくらでもいるんだよ。グダグダ言ってねえで足を動かしやがれ!」
ラウルは大剣の柄を乱暴に叩き、大穴の縁から続く幅広の石造り大階段へと大股で足を踏み入れた。
取り巻きの二人も顔を見合わせ、重い荷物を揺らしながら慌ててその背中を追った。
階段を降りきった先にある第一階層は、黒く硬質な岩壁がどこまでも続く広大な立体回廊だった。
ラウルたちは足音を響かせながら、迷宮の奥へと突き進んでいった。
第二階層を抜け、黒光りする岩壁が続く第三階層へと足を踏み入れたときのことだった。
グルルル……ッ!
前方の通路の闇から、低く濁った唸り声が響いてきた。
黒い岩肌の影から、ズシリと重い地響きを立てて巨影が姿を現す。
体長二メートルを超える巨躯。全身を青黒い鉱石質の頑丈な甲殻に包んだ、Dランクの重装魔物――「甲殻蜥蜴」だ。
「出やがったな……!」
ラウルは背中から両手持ちの大剣を一気に引き抜き、獰猛な笑みを浮かべた。
甲殻蜥蜴は凶悪な牙を剥き出しにし、分厚い装甲をきしませながら猛然と突進してくる。
「支援役、注意を引け! 前衛、横から抑え込め!」
「へ、へいっ!」
後衛支援役が牽制して、甲殻蜥蜴の注意を引きつける。
突進の軌道がわずかに逸れた瞬間、前衛戦士が盾を構えて魔物の側面へと飛び込んだ。
ガガァッ!!
激しい衝突音が響き、前衛戦士が歯を食いしばって甲殻蜥蜴の巨体を押し留める。
魔物が暴れて太い尾を叩きつけ、前衛戦士の盾を強打した。
「ぐあっ……! くそっ、腕が痺れる……! リーダー、今です! 首の継ぎ目を!」
「任せろ――【豪腕】ッ!!」
ラウルは天賦スキル【豪腕】を発動し、全身の筋力を一気に爆発させた。
鋼鉄の大剣に通常スキル【剛撃】の魔力を乗せ、青白い光を帯びた刀身を頭上高くから振り下ろす。
ガキィィィンッ!!
鈍く重い金属音が回廊に轟いた。
甲殻蜥蜴の首元の装甲がひび割れ、鮮血が飛び散る。
「ギャァァッ!?」
「死にやがれぇぇっ!!」
ラウルは叫び声を上げながら、力任せに大剣を何度も叩きつけた。
甲殻蜥蜴が暴れ回るたびに岩壁が削れ、前衛戦士が必死に牽制を重ねる。
手練れパーティとしての総力戦の末、ようやく甲殻蜥蜴の巨体がドサリと石畳の上へ崩れ落ちた。
倒れた甲殻蜥蜴は、冷たい血だまりを作って横たわっている。
戦闘が終わると、三人はその場にへたり込みそうになりながら、肩を大きく上下させて荒い息を吐き出した。
「ハァ……ハァ……っ! 腕の骨にヒビが入ったかと思ったぜ……」
前衛戦士は痛む左腕を押さえ、腰の革袋から貴重な回復ポーションを一本取り出すと、惜しそうに喉へと流し込んだ。
青白い薬効が巡り、ようやく痛みが引いていく。
必死に牽制を繰り返した支援役も、冷や汗を拭いながら荒い息を整えていた。
だが、ラウルは肩で息をしながらも、大剣の血糊を払い、歪んだ笑みを浮かべた。
三人がかりで時間をかけて削り、ポーションまで消費した事実を都合よく無視し、最後の一撃だけを胸の中で誇らしげに切り取る。
「ハッ、深淵の魔物なんざこんなもんか! 俺の【豪腕】にかかれば一撃よ!」
尊大に言い放つラウルを見て、後衛支援役は内心で冷や汗を流しつつも、慌てて調子を合わせて愛想笑いを浮かべた。
「さ、さすがリーダー! これならもっと奥でも大儲けできますぜ!」
三人は倒れた甲殻蜥蜴の硬い腹部をナイフで切り開き、体内から青黒く輝く魔石をえぐり取って回収した。
上層初挑戦の成果としては、Dランク魔物の魔石が一つ手に入っただけでも十分すぎる収穫だ。
腕の痛みをポーションで抑えた前衛戦士が、慎重な面持ちでラウルに進言した。
「リーダー、魔石も取れましたし、俺もポーションを使っちまいました。そろそろ戻って換金しませんか……?」
消耗品を使い、メンバーが疲労している以上、一度地上へ引き返すのが冒険者の定石である。
だが、その言葉を聞いた瞬間、ラウルの顔が激しい怒りに染まった。
「ふざけんな! ここで戻れるかよ! エルンの野郎を黙らせるようなデカい大物を狩って、格の違いを見せつけてやるんだよ!」
ラウルは大剣の柄を握り締め、取り巻きの二人を睨みつけた。
「魔石一個ぽっち持って帰って、ギルドの連中が驚くかよ! 上層の魔物の強さはもう見切った。俺たちの実力なら、第五階層まで潜っても余裕で対処できるんだよ!」
エルンへの嫉妬と対抗心、そして自尊心に目を曇らせたラウルに、冷静な引き際など見えていなかった。
前衛戦士はそれ以上逆らうこともできず、不安を押し殺して押し黙った。
支援役もラウルの気迫に気圧され、ただ頷くしかなかった。
「行くぞ! もっと奥の獲物を狩り尽くす!」
ラウルを先頭に、『銀翼の剣』は第四階層を通り抜け、さらに奥の第五階層へと突き進んでいった。
辿り着いた第五階層は、巨大な縦穴空間にいくつもの頑丈な石橋が立体的に交差する、壮大な大空間だった。
吹き抜ける風が黒い石橋を冷たく撫で、底知れぬ闇が遥か足下に広がっている。
大物を求めて石橋を進むラウルたちだったが、すぐに奇妙な違和感を覚えた。
「おい……魔物が一匹もいねえぞ?」
前衛戦士が周囲を見回しながら首を傾げた。
石橋の上にも、交差する通路の奥にも、蠢く魔物の気配がまったく感じられないのだ。
石橋から通路の奥を見やると、そこには無残に切り裂かれた魔物の死骸がいくつも転がっていた。
魔石は綺麗にえぐり取られ、周囲の岩壁には凄まじい斬撃の痕跡が深く刻み込まれている。
まるで、腕利きの先行者が根こそぎ狩り尽くしていったかのような光景だった。
「誰かが先に狩ったのか……?」
支援役が怯えたように呟く。
それを見たラウルは、獲物を横取りされたと思い込み、顔を真っ赤にして舌打ちした。
「チッ、誰かが先回りしてやがるのか。せっかく俺様が狩りに来てやったってのによ……! もっと奥を探すぞ、どこかに獲物が残って――」
ラウルが苛立ちまぎれに歩き出そうとした、まさにそのときだった。
ズズズ……ゴゴゴゴゴ……!
不意に、足元の頑丈な石橋が小刻みに震え始めた。
「な、なんだ……!?」
前衛戦士が足を止めてたじろぐ。
振動は一瞬で激しさを増し、迷宮の遥か深部から、大地そのものを揺るがすような重苦しい地鳴りがせり上がってきた。
ゴゴゴゴゴゴッ!!
縦穴空間全体が激しく軋み、頭上の岩肌からパラパラと小石が降ってくる。
ただの地震ではない。空間の空気が一気に凍りつき、肌を刺すような禍々しい重圧が満ちていく。
直後――。
ズガァァァァンッ!!
巨大な岩石同士が擦れ合い、大地が粉々に砕けるような、凄まじい破壊音が迷宮全体に轟き渡った。
ギシャァァァァッ……グオオオオオオオンッ!!
空間を震わせ、鼓膜が破れそうなほどの強大な咆哮が縦穴に響き渡る。
上層の魔物とは次元の違う圧倒的な威圧感と殺気が、津波のように押し寄せてきた。
「ひ、ヒィッ……! な、何の鳴き声ですかい、これ……!?」
後衛支援役が悲鳴を上げ、腰を抜かして石橋の上にへたり込んだ。
前衛戦士も盾を構えたまま全身を激しく震わせ、恐怖で顔面を蒼白に染めている。
「な、なんだこの音は……!? 上層にこんな魔物がいるわけねえだろ……!?」
大剣を構えたラウルの額から、冷たい脂汗が滝のように流れ落ちた。
尊大な慢心は一瞬で吹き飛び、底知れぬ闇の奥から響いてくる未知の怪物の咆哮に、ラウルはただ戦慄して立ち尽くすしかなかった。




