第94話『極寒の死地』
王都グランドールの賑わいが遠い過去の幻であったかのように、眼前に広がる光景はただひたすらに冷たく、そして過酷だった。
王都の北方にそびえ立つ『黒鉄の連峰』。
年中を通じて猛吹雪が吹き荒れ、黒ずんだ岩肌と鋭い氷柱がまるで世界を拒絶する牙のように突き出している死の領域である。
「くっ……ひどい吹雪……! 前が全然見えないよ……!」
シルフィが毛皮のフードを目深に被り、白く染まる視界に眉をひそめた。寒さで精霊の気配すら少しばかり弱まっているのか、いつもの伸びやかな動きにわずかな硬さが見える。
「ふぁぁぁ……っ! 寒いですぅ……! 耳がカチコチになっちゃいますぅ〜〜っ!」
リーネは両手で長耳を頭に押し付け、小さく身体を丸めて震えていた。魔法使いの薄着では、この極寒の環境は身に染みる。
「おいおい、シャキっとしろリーネ! 震えてたら魔法の詠唱も噛んじまうぞ! ほら、あたいの肩に捕まってな!」
「ルナさん……っ! あったかいですぅ……!」
前衛のルナは、持ち前の勝負師らしい度胸と鍛え上げられた体躯で吹雪を押し返しつつ、リーネの手を引いた。その隣では、巨大な大盾を風上に掲げたダグラスが頼もしい壁となって全員を守っている。
「みんな、無理をするな。俺の風下を歩け。この程度の吹雪、俺の盾で遮ってやる!」
「助かるよ、ダグラスさん。……だが、気を緩めるなよ。ここはすでに敵の領域だ」
啓太は視界を遮る吹雪の奥を見据えながら、警戒の速度を落とさずに言った。
元コンビニ店長として培われた空間把握能力と危機管理意識、そして【強運】の勘が、この吹雪の裏に潜む「何か」の気配を激しく告げている。
「啓太、そろそろ目標の未踏洞窟の入り口付近のはずだけど……」
「ああ。『鑑定』で地形の歪みを探る……『鑑定』発動!」
啓太の眼光が青い光を帯び、真っ白な吹雪の景色の中に埋もれていた建造物の残骸と、巨大な洞穴の輪郭が浮き彫りになった。
「あったぞ! あの巨大な黒岩の割れ目だ! あそこが『黒鉄の連峰』地下未踏区域への入り口だ!」
「よし! 入口に滑り込むぞ! 急げ!」
ダグラスの合図とともに、五人は雪を蹴って洞窟の裂け目へと雪崩れ込んだ。
ヒュゥゥゥ……という不気味な風切り音を残し、激しい吹雪の音が遠ざかっていく。
洞窟の内部は外の極寒とは一転して静まり返っていたが、代わりにまとわりつくような重苦しい冷気と、特有の嫌な臭いが充満していた。
「……うっ。これ、血の匂い……?」
シルフィが鼻をすぼめ、精霊弓をキュッと握り直す。
「ああ。それも、かなり新しいものだ。……油断するな」
啓太は足元を照らす魔導ライトの光を低く構え、慎重に進み出た。
洞窟の壁面は、まるで巨物の爪で鋭く抉られたかのような深い傷跡が何本も刻まれている。岩肌が溶けて凍りついた痕跡もあり、通常の魔物の仕業ではないことが一目瞭然だった。
「啓太……あそこ、何か落ちてるぞ」
ダグラスがライトの光を指し示した先には、半ば氷漬けになった破られた金属の胸当てと、折れた大剣が転がっていた。
「これは……ギルドの刻印だ。先行したBランクパーティー『銀翼の騎士団』の装備だな……」
啓太が膝をつき、胸当てを『鑑定』する。
「装備の破損状況から見て、攻撃は一瞬だ。防御の姿勢をとる間もなく、圧倒的な質量と熱線……あるいは高密度の衝撃波で吹き飛ばされている。逃げる間すら与えられなかったみたいだ」
「Bランクのベテランが、反撃もできずに……!?」
ルナの顔から冗談めかした笑みが消え、手に握ったメイスの力が入る。
「ふぁぁ……っ。ケイタさん、生存者の方は……?」
「血痕は奥へと続いている。全滅したとは限らない。洞窟の奥にまだ生体反応が残っている可能性はあるぞ」
「なら、急がなきゃ! 生きてる人がいるかもしれないなら、立ち止まってる暇はないよ!」
シルフィの言葉に全員が深く頷いた。
五人は陣形を組み直した。
前衛に大盾のダグラスと、メイスを構えたルナ。
中衛に『鑑定』で周囲を探る啓太。
後衛に精霊弓のシルフィと、広域魔法を準備するリーネ。
一歩踏み出すごとに、足下の凍りついた石畳がシャリ、シャリと音を立てる。
洞窟の奥へと進むにつれ、壁面に付着した氷が紫色に不気味な光を放ち始めていた。
「おい、店長……なんかこの辺の空気、ピリピリしてねぇか? あたいの勝負師の勘が、ヤバいって叫んでるんだが」
「ああ。魔力濃度が急速に上がっている。この奥に、先行部隊を壊滅させた『何か』がいる」
啓太は意識を集中させ、全方位に向けて『鑑定』を張り巡らせた。
(来る……! 上か、奥か、それとも――)
その瞬間、啓太の【強運】が脳裏にけたたましい警告音を鳴らした。
「全員、伏せろッ!!!!」
啓太の絶叫とほぼ同時だった。
ズバァァァァァンッ!!!!
頭上の闇から、まるで巨大な城門が崩落してきたかのような凄まじい衝撃波と紫色の光線が飛び出してきた。
「ぐおぁっ!?」
ダグラスが間一髪で掲げた大盾に絶大な衝撃が激突し、激しい火花と氷屑が洞窟内に吹き荒れる。重圧に押し潰されそうになりながら、ダグラスは歯を食いしばって踏み止まった。
「くっ……重ぇぇぇっ! なんだこの一撃は!?」
「ダグラスさん! 今、回復を――! あたいのダイスよ、出ろッ!」
ルナがすかさずダイスを投げつける。
カアァァァッ!と光が放たれ、ゾロ目の『6』が成立。確定クリティカルの聖光がダグラスの体を包み込み、削られかけた体力を瞬時に全回復させ、さらに物理・魔法双方の絶対防御障壁を展開させた。
「助かったぜ、ルナ! おかげで足が残った!」
「みんな、無事か!?」
啓太がライトを上空へと向けた。
そこに揺らめいていたのは、これまでのいかなる魔物とも異なる、異質で凶暴な存在だった。
全長十メートルを超える巨大な躯体。
全身を覆うのは、金属のように鈍い光を放つ黒紫色の甲殻。
そしてその背中からは、無数の紫色の魔導結晶が不気味に蠢き、熱線のような魔力を放っていた。
「……っ! こいつが……失踪事件の元凶か……!」
啓太は息を呑み、視界を固定して叫んだ。
「『鑑定』!!!」
青いステータス情報が、洞窟の暗闇の中に鮮明に浮かび上がる。
【個体名】:フロスト・ペイン・ドラゴン(変異種)
【ランク】:A級危険種
【特性】:高密度魔力熱線、極寒外殻、広域衝撃波
【弱点】:背部結晶群の根元(過熱時の冷却器官)
「A級危険種……!? 竜の変異体だと!?」
ダグラスが慄き、シルフィとリーネもその圧倒的な威圧感に一瞬息を詰めた。
「Bランクパーティーが手も足も出なかった理由が分かった……! 普通の打撃や魔法じゃ、あの黒紫色の甲殻は破れない!」
啓太は大剣を固く握り直し、前線の仲間たちへ向けて鋭い指示を飛ばした。
「だが、勝ち目がないわけじゃない! 弱点は奴の背中、紫色に光る魔導結晶の根元だ! あそこが体内の過熱を防ぐ冷却器官になっている!」
「背中の結晶の根元だな! 了解だ!」
ダグラスが大盾を構え直し、地面を蹴った。
「来いよ、デカブツ! 俺たちのパーティ『クローバー』の壁を破れるもんなら破ってみろ!」
『ルオオオオオオオオオオンッ!!』
フロスト・ペイン・ドラゴンが激昂し、洞窟全体を揺るがすほどの雄叫びを上げた。
口から吐き出される極寒のブレスと、背中から放たれる紫色の魔力熱線が、容赦なく五人へと襲いかかる!
「シルフィ、リーネ! 後衛は足止めと牽制! ダグラスさんとルナで前線を維持して隙を作れ!」
「「「了解っ!!」」」
「行くぞみんな! 『クローバー』の本当の力を見せてやる!」
極寒の死地『黒鉄の連峰』。
Bランクすら飲み込んだ凶悪なA級変異種を相手に、『クローバー』五人の命懸けの死闘が、今まさに幕を開けたのだった――!




