第9話『木漏れ日亭の夕食と、黄金色のエール』
暗闇の中で、小さな二つの光がじっとこちらを見つめ返している。
啓太は息を潜めたまま、ゆっくりと目を凝らした。
(獣の目にしては、位置が低すぎる……それに、この気配……)
「……もしかして、市場にいた子か?」
小声で尋ねると、木箱の陰でビクッと肩が跳ねる音がした。ガサリと物音を立てて、見覚えのあるフードの少年が、観念したように顔を出した。
「……げ。あんた、あん時の」
「やっぱりお前か。こんなところで何してるんだ?」
少年は気まずそうに視線を逸らしながら、抱え込んでいた小さな麻袋をぎゅっと握りしめた。中には、パンの欠片らしきものが覗いている。
「べ、別に……ちょっと雨風しのげる場所を探してただけだよ」
「腹、減ってるのか」
ズバリと聞かれ、少年はしばらく黙り込んだあと、ぷいと顔を背けたまま小さく頷いた。
(……そういうことか)
昼間、市場で見逃してやった時と同じ目だった。悪びれてはいるが、根っからの悪党の目ではない。
「ちょっと待ってろ」
「え、ちょ、通報しに行くのかよ!」
「んなわけあるか。お前、ここで大人しく待ってられるか?」
少年が戸惑ったように頷くのを確認し、啓太は一度母屋の食堂へと向かった。
――そして少しあとの話。少年に温かいパンとスープを差し入れてから、啓太はようやく落ち着いて食堂の席に着いていた。
「ケイター! こっちこっち!」
奥の角のテーブル席から、シルフィが元気に手を振っていた。お風呂上がりだからか、彼女の淡い金髪はしっとりと落ち着いており、白い肌の頬がほんのり桜色に染まっている。
「待たせたな、シルフィ。……悪い、ちょっと裏でトラブってて」
「トラブル!? 大丈夫だったの?」
「ああ、大したことじゃない。それより、腹減った。マルタさーん、お願いしまーす!」
厨房に声をかけると、「はいはい、すぐ持っていくよー!」と威勢の良い返事が返ってきた。
間もなくして、木製の大きなトレーを持ったマルタさんがやってきた。テーブルの上に手際よく並べられていく料理を見て、啓太は思わず生唾を呑み込んだ。
「うわ……美味そうだ……!」
香ばしい匂いを漂わせる厚切り肉のステーキには、ハーブとコクのあるソースがたっぷりかかっている。横にはゴロッとした野菜が煮込まれた温かいシチュー、焼き立てで香ばしい大きめのパン。
そして何より目を引いたのは――重厚な木製のジョッキになみなみと注がれた、黄金色のエールだった。
「はい召し上がれ。うち特製のボア肉ステーキと根菜シチューだよ」
「ありがとうございます、マルタさん!」
マルタさんが厨房へ戻ると、シルフィが嬉しそうに自分の木製ジョッキを掲げた。
「それじゃケイタ、無事に街に着いたことと、冒険者登録のお祝い! かんぱーい!」
「乾杯!」
カチン、と木製ジョッキ特有の重厚な音が響く。啓太はエールを口に含み、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
「〜〜〜〜っ!!……うまいっ!」
思わず声が出た。喉越しで飲むタイプではなく、麦の芳醇な香りとコク、秩序ある旨味と心地よい苦味が口いっぱいに広がる。風呂上がりの五臓六腑に染み渡るような旨さだった。
「ふふん、美味しいでしょ! 木漏れ日亭のエールはね、仕込み水がいいから街でも評判なんだよ!」
「ああ、本当にうまい……」
啓太は焼き立てのパンをちぎり、シチューにつけて口に運びながら、ふと裏庭の少年のことを思い出していた。
(あの子、ああやって食い繋いでるのか……。物が消える、ってマルタさんが言ってたのも、あの子の仕業なのかもな)
「ねぇケイタ、明日からはどうするの? 冒険者ギルドで簡単な依頼でも受ける?」
「そうだな……。まずは明日、真っ先に服屋を探そうと思ってるんだ」
「あはは、確かにその服、すっごく目立つもんね!」
軽口を叩き合いながらも、啓太の頭の片隅には、あの少年の気まずそうな目が、小さく残り続けていた。
(明日、もう一回話してみるか……)
黄金色のエールを飲み干しながら、啓太はそっとそう決めていた。




