第75話『発生源への布石』
竜の穴を後にした四人は、その足でギルドの研究室へと向かった。夕暮れの街並みを歩く道中、リーネは何度も後ろを振り返るような仕草を見せていた。
「リーネ、大丈夫か? さっきから落ち着かないみたいだが」
「な、なんでもないですぅ……ただ、あの影のこと、まだ頭から離れなくて」
「無理もないな。俺だって、正直まだ心臓がバクバクしてる」
啓太が苦笑しながら答えると、シルフィが横から口を挟んだ。
「でも、逃げずにちゃんと報告しに行くんだから、それでいいと思う」
研究室に着くと、エルザは相変わらず資料の山に埋もれるようにして作業をしていた。四人の姿を見ると、驚いたように顔を上げる。
「今日はもう戻ってきたんですか。まだ日が高いのに」
「エルザさん、報告したいことがあります」
啓太の表情から何かを察したのか、エルザはすぐに手にしていたペンを置いた。
「……聞かせてください」
啓太は今日の出来事を、順を追って説明した。試薬の効果、瘴気を帯びた魔物との戦闘、そして通路の奥で目撃した、濃い靄の中に蠢く巨大な影について。
エルザは黙って耳を傾けていたが、話が進むにつれ、その表情が徐々に強張っていった。
「巨大な影、ですか……。大きさや形状は、何か覚えていますか?」
「はっきりとは……ただ、俺たちがこれまで見た魔物とは、明らかに違う気配がしました。重い、というか……」
「圧、でしょうね。強大な魔物ほど、その存在感だけで周囲に影響を及ぼすことがあります。おそらく、あなた方が見たのは――」
エルザは一度言葉を切り、机の上の資料をめくった。目的のページを見つけると、それを四人の前に広げる。そこには、以前見せてもらった古い調査記録の続きが記されていた。
「過去の事例でも、発生源となる魔物が近づく者に強い圧を発していた、という証言が複数残っています。あなた方が目撃したものは、十中八九、発生源本体か、それに極めて近い個体だと考えられます」
「やっぱり、そうですか……」
ルナが低く呟く。腕を組んだまま、真剣な表情で資料に目を通していた。
「距離はどれくらいでしたか? 今の実力で、危険なく調査を続けられる範囲かどうかが重要です」
「かなり奥でした。今日のルートなら、あと数層は間に挟んでいると思います」
「それなら、すぐに直接遭遇する危険は低いでしょう。ですが……」
エルザは眼鏡を押し上げながら、真剣な眼差しを啓太に向けた。
「今後、瘴気持ちの魔物はさらに強力になっていく可能性があります。発生源に近づくほど、周辺の魔物も影響を強く受けるはずですから」
「つまり、これまで通りの調査を続けるだけでも、リスクが上がっていくということですね」
「その通りです。ですから、ここからは慎重に進める必要があります。パーティの強化、装備の見直し、そして――」
エルザは一拍置いて、静かに続けた。
「いつ、どのタイミングで発生源に挑むか。その計画を、真剣に考え始める時期に来ていると思います」
研究室に、重い沈黙が満ちた。リーネが小さく息を呑む音が聞こえる。
「今すぐという話じゃありません。ですが、いずれ向き合わなければならない相手です。準備は、早いに越したことはない」
「分かりました。……エルザさん、率直に聞きたいんですが、俺たちの今の実力で、いつか本当に勝てると思いますか?」
啓太の問いに、エルザは少し考えるような間を置いてから答えた。
「正直に言えば、今のままでは厳しいでしょう。ですが、皆さんはこの短期間でBランクまで駆け上がった。それに、今日のように危険を冒してまで情報収集に協力してくれる姿勢は、決して軽く見るべきではないと思います」
その言葉に、四人は互いに顔を見合わせた。
「時間をかけて、着実に力をつけていけば、道は開けるはずです。私も、できる限りの支援をします」
「ありがとうございます、エルザさん」
啓太が頭を下げると、エルザは小さく微笑んだ。
「今日採取した検体も、貴重なデータになります。次回の調査計画について、もう少し詳しく詰めておきましょう。しばらく街での準備期間を挟みつつ、装備の強化や新しい戦術を考えていくのはどうですか」
「賛成です。今のまま突っ込むのは、さすがに無謀ですもんね」
シルフィの言葉に、ルナも頷いた。
「装備の強化なら、あたいも協力できることがありそうだ。鍛冶ギルドに、腕のいい奴を知ってる」
「わたしも、魔法の訓練、もっと頑張りますぅ……! 発生源に、みんなでちゃんと立ち向かえるように」
リーネが両手を握りしめながら、決意のこもった声で言う。その様子に、啓太は柔らかく笑った。
「よし。それじゃあ、しばらくは街での準備期間だ。装備の見直し、戦術の確認、そして――」
啓太はメンバーの顔を見渡しながら、静かに続けた。
「いつかあのドラゴンと向き合うための、本当の意味での第一歩を、ここから踏み出そう」
研究室の窓から差し込む夕陽が、四人の決意を静かに照らしていた。
『クローバー』の物語は、新たな局面――発生源討伐という大きな目標に向けて、着実に動き始めていた。




