第7話『離れの部屋と一番風呂』
ずっしりと重みのある金属製の鍵をポケットに収め、啓太はマルタさんに案内されるまま、母屋の裏手にある小さな離れへと向かった。
きしむ渡り廊下すらも、どこか懐かしく温かみを感じさせる。
「ここが離れの部屋だよ。普段は物置代わりにしてるから、狭いのは勘弁ね」
マルタさんが扉を開けると、思っていたよりもこぢんまりとした空間が広がっていた。
決して広い部屋ではない。だが、清潔なベッドと小さな木製デスク、壁際に古い行季がひとつ置かれているだけの、簡素だが手入れの行き届いた部屋だった。
窓からは柔らかい夕暮れの光が差し込んでおり、母屋とは少し離れているぶん、静けさが際立っている。
「おお……悪くないな」
(前世の出張で泊まった安ビジネスホテルより、よっぽど居心地がいいかもしれない)
啓太はデスクに近づき、そっと表面を指でなぞってみた。埃一つついていない。物置にしてはずいぶんと丁寧に手入れされている。
「自分の……拠点、か」
ベッドの端に腰を下ろすと、ふかふかのマットレスが沈み込んだ。
前世では、深夜に疲れ果てて帰り、ただ泥のように眠るだけの四畳半アパートだった。シフトのやりくりや本部のノルマに怯えることもない、本当の意味で『羽を休められる場所』を手に入れたのだと、じわじわと実感が湧いてくる。
(アイテムボックスの中身は……金貨の山と神様の手紙、それだけか)
啓太は自分の格好を見下ろした。
日本で刺された時に着ていた、緑色と白のコンビニの店長制服。
(着替え……持ってないんだよな。明日にでも真っ先に服屋を探さないと)
そんな生活設計に思いを巡らせていると――
コン、コンッ。
離れの木製ドアが、軽やかなリズムで叩かれた。
「ケイタ―? 入っていいー?」
「あ、シルフィか。どうぞ」
ドアを開けると、そこには自分のリュックを預け終えてすっきりした様子のシルフィが立っていた。
「離れの部屋、どう? ちゃんと使えそう?」
「ああ、思ったより快適だよ。静かだしな」
「本当に良かったの? 折角の一番良い部屋、あっさり譲っちゃってさ」
シルフィが少し心配そうに眉を下げる。
「困ってる人がいたら助けるのが当たり前だろ。それに、こういう静かな場所も嫌いじゃない」
啓太が笑うと、シルフィは「変な人」と言いながらも、どこか嬉しそうに口元を緩めた。
「それでね、マルタさんが『お風呂のお湯が沸いたよー』って! 母屋の1階の奥にあるから、ケイタが一番に入ってきなよ!」
「本当か! 助かるよ。……あ、ちなみにタオルとかって借りられるのかな?」
「うん、脱衣所に大きなかごがあって、そこに清潔な洗い立ての布がいっぱい置いてあるよ!」
(リネンサービスまで行き届いてるのか……! 木漏れ日亭、サービスの質が高すぎるだろ)
元店長としてのチェック項目が次々と満点をつけていく。
「教えてくれてありがとう、シルフィ。じゃあ、お言葉に甘えて一番風呂もらってくるよ」
「はーい、長湯してのぼせないようにね! あたしは食堂で冷たいエールでも飲んで待ってるから!」
シルフィはひらひらと手を振りながら、一足先に母屋へと戻っていった。
一人になった啓太は、離れの窓からふと外の様子を見やった。
裏庭の向こうには、宿の物置小屋がひっそりと立っている。
(……あれ?)
物置小屋の扉が、わずかに開いていることに気づいた。マルタさんの几帳面な性格からして、閉め忘れとは考えにくい。
(気のせいか……? いや、待てよ。昼間、マルタさんが「物が消える」って言ってたよな……)
一瞬だけ頭をよぎった違和感を、啓太は小さく首を振って追い払った。
(考えすぎか。今日は色々あって疲れてるんだろうな。まずは風呂だ、風呂)
そう自分に言い聞かせ、啓太は期待に胸を膨らませながら、母屋のお風呂場へと向かうのだった。
――だが、その小さな違和感は、この宿でこれから起こることの、ほんの小さな前触れに過ぎなかった。




