第63話『修行の始まり』
「ケイタ、さっきから何見てるの?」
シルフィが覗き込むと、啓太は掲示板の依頼書を指差した。周囲の依頼書の中でも、その一枚だけ妙に古びた紙質で、目を引く紋章が押されていた。
「これだ。『竜の穴、最深部の異変について』……募集条件はBランク以上、または相応の実力を有するパーティ」
「Bランク……? あたしたち、まだCランクだよ」
「ああ。だが、内容が気になる」
啓太は依頼書を丁寧に読み進めた。
『近頃、竜の穴の最深部付近で、魔物の活動が異常に活発化している。原因究明のため、実力のある冒険者パーティを求む。危険度・特Aランク相当』
「特Aランク……あの時のドラゴン、もしかして関係あるんじゃねぇか?」
ルナが眉をひそめる。
「可能性は高いな。俺たちが遭遇したのは幼体だった。もしかすると、親個体か、群れの縄張り争いが起きているのかもしれない」
「なんだか、嫌な予感がしますぅ……」
リーネが不安げに杖を握りしめた。長い耳が心なしか垂れ下がっている。
啓太はしばらく考え込んだ後、依頼書をそっと元の位置に戻した。ちょうどその時、掲示板の前を通りかかったギルド職員が声をかけてきた。
「その依頼、気になりますか? 正直、指名依頼として出してはいるものの、まだ誰も受注していない厄介な代物なんですよ」
「今の俺たちには、まだ手が出せそうにありません。ただ、いずれ関わることになる気がして」
「賢明な判断だと思いますよ。焦って命を落とす冒険者を、私たちは何人も見てきましたから」
職員は静かにそう言い残し、他の依頼者の対応へと去っていった。
「今の俺たちじゃ、この依頼は受けられない。だが、逃げるわけにもいかない話だ」
「どういうこと?」
「竜の穴で商売もしている以上、あのダンジョンの異変は他人事じゃない。屋台の客足に影響が出るかもしれないし、何より、放っておけば街全体が危険に晒される可能性もある。それに――」
啓太はメンバーの顔を一人ずつ見渡した。
「いつかあのドラゴンにリベンジするなら、遅かれ早かれ向き合うことになる相手だ」
その言葉に、四人はしばらく沈黙した。ルナが真っ先に口を開く。
「なら、今のうちに徹底的に鍛えておくしかねぇな。あたい、あの時の悔しさ、まだ忘れてねぇぞ」
「うん! Bランクを目指して、みんなでレベルアップしよう! 屋台の合間でもできることはあるはずだよ」
「わたしも、もっと強い魔法を覚えますぅ! 次こそは、絶対に足を引っ張りませんから!」
三人の言葉に、啓太は頼もしさを感じながら頷いた。
「よし、方針は決まりだ。今日から本格的な修行に入るぞ」
翌日から、『クローバー』の生活リズムは大きく変わった。
午前中は屋台の仕込みと営業、午後はギルドで受けられる範囲の依頼をこなしながら実戦経験を積み、夜は個々の技術向上に充てる。忙しい毎日だったが、誰の顔にも充実感が滲んでいた。
「シルフィ、その姿勢だと矢がぶれる。もう少し肘を絞れ」
「こう?」
「そうだ。それと、呼吸を止めずに、吐きながら放つ意識を持ってみてくれ」
啓太は前衛としての経験を活かし、シルフィの弓の構えを細かく指導していった。的を何度も外していたシルフィの矢が、次第に真ん中付近へと集まり始める。
「リーネは詠唱の短縮を意識してみよう。今のままだと、大技を放つ前に隙が生まれる」
「はいですぅ! 頑張って練習しますぅ! ……ふぅ、ふぅ、なんか集中力使いますぅ」
「ルナは、ダイスに頼りすぎず、通常の回復魔法の精度も上げていこう。運が悪い時のための保険だ」
「厳しいこと言うじゃねぇか、店長。……いいだろう、望むところだ」
夜遅くまで続く鍛錬に、四人は汗を流し続けた。時折、疲れ果てて宿の廊下で寝落ちしてしまうこともあったが、誰一人として弱音を吐くことはなかった。
その中心にいる啓太自身も、剣術の型を見直し、【強運】に頼りすぎない立ち回りを模索していた。日中は屋台の仕込みをしながら短剣の素振りを重ね、夜は宿の裏庭で一人、型の確認を繰り返す。
(運は、あくまで最後の一押しだ。土台となる実力がなければ、あのドラゴンには通用しない)
窓の外に浮かぶ月を見上げながら、啓太は静かに決意を新たにした。
ふと、剣を振る手を止めて振り返ると、シルフィが夜遅くまで弓の手入れをしている姿が見えた。リーネも、寝る間際まで小さく呪文の詠唱を繰り返している。ルナは自室で、ダイスを何度も転がしながら真剣な表情をしていた。
(みんな、それぞれのやり方で、あの日の悔しさと向き合っているんだな)
その姿を見て、啓太の胸に温かいものがこみ上げてきた。
竜の穴の異変。そして、あの日見たドラゴンの紅い瞳。
いつかまた向き合うその日のために、『クローバー』の挑戦は、新たな段階へと進んでいくのだった。




