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第13話『市場のパン屋と、素朴な味わい』


 ポプラの木の木陰を後にした啓太とシルフィは、市場の露店街から少し奥に入った小路へと足を進めた。

 大通りの賑やかな喧騒が少しやわらぎ、香ばしい小麦の焦げた匂いと、甘い蜜のような香りがほのかに鼻腔をくすぐる。匂いを辿った先にあったのは、石造りの立派な釜を店内に備えた、古びた佇まいのパン屋だった。

「ここ、ここ! 『ボルドのパン屋』さん! 街で一番おいしい焼き立てのパンが買えるんだよ!」

 シルフィが嬉しそうに指さす店内には、様々な種類のパンが木の棚にズラリと並べられていた。

 前世のコンビニやベーカリーで見かけるような、ふわふわとした白いパンや複雑な惣菜パンはない。中世ヨーロッパを思わせるこの世界では、小麦を精製する技術にも限りがあるのだろう。並んでいるのは、固く焼き固められたライ麦の黒パンや、素朴な丸パン、ハーブが練り込まれた平焼きのパンなどが中心だった。

「いらっしゃい。おや、シルフィちゃん。今日も元気に狩りかい?」

 奥の大きな石窯から、長い木へらを使ってパンを取り出していた頑固そうなおじさんが、顔を上げて声をかけてきた。店主のボルドさんらしい。額には汗が光り、腕には職人らしい太い筋肉がついていた。

「ボルドさん、こんにちは! 今日は買い出し! 蜂蜜と干しぶどうの丸パン、ふたつちょうだい!」

「毎度あり。ちょうど窯から上げたばかりで温かいよ。お隣のお兄さんは見かけない顔だね?」

「俺はケイタといいます。昨日この街に着いたばかりで、シルフィに案内してもらってるんです」

 啓太が丁寧にあいさつすると、ボルドさんは「そうかい」と不器用そうに髭を撫でた。

「旅の人かい。まあ、うちのパンは固くて素朴だが、腹持ちと味だけは保証するよ。焼き立てを食べていきな」

 啓太は銅貨を払い、紙代わりに大きめの葉っぱで包まれた温かい丸パンを受け取った。手に持っただけで、ずっしりとした重みと、香ばしい小麦の香りが伝わってくる。

「ささ、冷めないうちに食べよ! 向こうのベンチ行こ!」

 シルフィに促され、ふたりは店脇にある木製のベンチに腰を下ろした。

 啓太は両手で丸パンを半分に割ってみた。

外側の皮はカリッと固く香ばしいが、中はもっちりとしており、中に練り込まれた干しぶどうの甘酸っぱい香りと、蜂蜜の優しい甘みがふわりと立ち上る。

「いただきます」

 一口かじり、ゆっくりと噛み締める。

「……うん、うまいな。素朴だけど、小麦の旨味がすごく濃い」

「でしょー! 精製された白いパンもたまに高級店で売ってるけど、あたしはこのぶどうと蜂蜜のパンが一番大好きなんだよね。噛めば噛むほど甘味が出てくるでしょ?」

 シルフィは口いっぱいにパンをほおばり、満足そうに頬を緩ませている。

 前世のコンビニで売られていたような、工場で大量生産された柔らかく整ったパンとはまるで違う。だが、薪の火と石窯で丁寧に焼かれたこの素朴なパンには、手作りならではの深い味わいがあった。

(こういう食事を、追われることもなくゆっくり味わえる……。それだけで、この世界に来て良かったと思えるな)

 前世の啓太は、毎日深夜までコンビニのバックヤードでシフト表とにらめっこをし、昼食といえば賞味期限の切れそうな廃棄のおにぎりを5分で流し込むような生活を送っていた。時間を気にする必要もなく、日差しを浴びながら美味しいパンをかみ締める時間は、何物にも代えがたい贅沢に思えた。

(【不老】の体をもらって、手元には当面の金貨もある。急いで何かを成し遂げる必要も、商売を始める必要もない。まずはこの世界を自分の目で見て、色んな場所を巡って……もっとこの世界を楽しみたい)

 啓太は自分の手を見つめた。

いつか、何年も何十年も先、この広い世界を存分に旅して、自分の居場所を完全に確立したその時には――自分が一番慣れ親しんだ「あの場所」を、この世界に再現してみるのも面白いかもしれない。

 いつでも誰もが立ち寄れて、あたたかい明かりが灯っている、小さな店。

(まあ、それはずっとずっと先……物語の最後にでも考えることだな)

 自身の遠い未来にふっと思いを巡らせつつ、啓太は目の前でパンのクズを落としながら美味しそうに食べているシルフィへ視線を戻した。

「口の端に干しぶどうがついてるぞ、シルフィ」

「へ? 嘘、どこどこ!?」

 慌てて手で口元をぬぐうシルフィを見て、啓太はくすりと笑った。

「あはは、ケイタ笑ったなー! もー!」

「ごめんごめん。……さて、パンも食べたし、午後からはどうしようか? 街の外の雰囲気でも見に行ってみるか?」

「本当!? 街道の近くなら安全だし、あたしがおすすめの景色が良い丘を教えてあげる!」

 ふたりは残りのパンを綺麗に平らげると、秋の澄んだ空の下、ゆったりとした足取りで街の城門へと向かって歩き出すのだった。

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