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第6話 訃報の作法

門の閉じる音を、背中で聞いた。私の足元から影がほどけて、糸になり、壁を這い、窓という窓を内側から塞いでいく。閂は要らない。今夜、この館の戸はすべて夜で出来ている。


広間に、灯りと剣が並ぶ。塀の内の命は、四十七と数えてある。犬が十三、飼い主がひとり、飼われている暮らしが三十三。昼の騒ぎを金で仕込み、あの子へ刃を向けさせて、まだ寝床で眠れているのだから、丈夫な神経ですこと。筆の順番は決めてある。まず、番犬から。


最初のひとりが斬りかかってくる。威勢のいいこと。刃は私の輪郭をなぞって、空だけを切る。会釈ほどに顎を引けば、それで足りる。応える代わりに影が鎌になり、その喉を横に薙いだ。血が石床に落ちる。ひとつ。続いた槍は二本、柄ごと断って持ち主も断つ。三つ。


矢が来る。四本、どれも当たらない。夜が刃になって吹き抜けを駆け上がり、回廊の射手を端から胸ごと仕舞っていく。七つ。私は走らない。裾も乱さない。歩幅は検分のそれ、運びは舞踏会のそれでいい。帳面の消し込みに、駆け足は行儀が悪いの。


誰かが窓に取りついて、助けを喚いた。硝子ひとつ向こうの通りを、夜回りの角灯がゆっくり過ぎていく。灯は揺れもしない。悲鳴も剣戟も、外の耳には届かない。別のひとりが椅子を投げても、硝子は鳴るだけで、夜は破れない。外は、もう無い。


喚いた男と、投げた男と、もうひとり。腹を決めた三人が私を囲み、三方から同時に来る。数で足りると思っているのだろう。健気なこと。刃はどれも空を切り、影が糸になって足首を縫いとめ、まとめてひと薙ぎで刈った。十。


あの子に、刃。その一行を思い返すたび、影が私より先に動く。階段の上で剣を構えた男は、構え終わる前に落ちた。十一。怒りは私を熱くしない。ただ速くする。楽しくもない。帳面は、躍らないものだろう。


壁の向こう、奥の棟で、息を殺す気配がいくつも縮こまっている。食器の割れる音、小さい泣き声を塞ぐ手。三十三。後の行だから、順番どおりに待たせておく。


残りのふたりが奥へ走る。裏口を叩き、開かないと知って、ようやく今夜の戸締まりを理解したらしい。振り向いた方から、仕舞う。十二。


最後のひとりは、若かった。壁を背にして、震える手で短剣の先を自分の喉へ向ける。切っ先が皮膚に届くより早く、私の手がその手首を掴んでいた。止めた。影が、仕舞う。男は声もなく崩れて、それきりだった。十三。


数えるものは、数えた。犬の付けは、これで仕舞い。裾に、飛沫《しぶき》はひとつも無い。階上の灯りがひとつ、細く揺れている。名前が幾つ並んでも、行はひとつで足りる。

——訃報の頁は、残り一枚。


***


灯りは、机の上のひとつだけにする。戻ったばかりの部屋は、しんとしていて、すこし広い。


抽斗《ひきだし》の奥から、黒い書物を出す。表紙には、爪で刻んだような文字。鎖を外してひらけば、中身は、ペンで書いた、まるい字。

表の字も、中の字も、おなじ言葉。この世界で読めるのは、書いた私と、あの子だけ。

ひらいた頁は、書きかけの一枚。これまでの線で、なかば黒い。白の残りに、ペンを下ろす。まるい字の書きかたは、手のほうが覚えている。


ここから先は、昼の字ではなく、私の字でいい。付けが、まだある。


鈴蘭の月、十六日、夜半。糧薬の館。

仕舞った命、四十と七人。館の主を、ふくむ。

目は、すべて閉じてある。ローズマリー、各一枝。

死人は——ひとりも、ない。


線を四十七本、足す。最初の頁に戻って、旧い数を塗り潰し、その下に書く。


一四九万二〇四一


インクが乾くまで、待つ。それから頁を閉じ、鎖を、掛けなおす。抽斗の奥へ、戻す。


指さきに、ローズマリーの匂いが残っている。洗えば、落ちるだろう。

付けは、済んだ。


***


机を離れる前に、もうひとつ。

持ち越した答え合わせの、続き。あの頁の記載と、今日の顛末とを、突き合わせておく。


頁に書かれていた結果は、こうだ。

赤毛があの子を庇って、死の際の深手を負う。あの子は自分のせいだと気に病んで、想いを深くする。積み上がった想いが光をひと段引き上げて、死の際から彼を引き戻す。目の前の奇跡に、この街があの子を本物と知る。

よっつで、ひと繋がり。想いが光を呼び、光が命を拾う順だ。

……ただし。早すぎる火では、想いの積み上げが、まだ足りない。足りない想いでは、光は、そこまで届かない。だから、あの頁で、彼は死ぬ。あそこが、死に場所の頁だった。


赤毛の深手は、ない。かすり傷が、ひとつ。二の太刀は、私のほうが先だった。

……あとから、気づく。あの一手は、死の頁を塞いでいた。

頁は、書かれたとおりに起きる。それを、私の手が、変えてしまえた……?


頁に取られれば、あの帳の大口は、それきり。記せない終わりは、二度と拾えない。だから、塞いだことは、正しい。

正しい。……正しいまま、どこかが、落ち着かない。

……あとまわし。先に、片づく検分から。


***


まだ日のあるうちのことを、思い返す。渦の引いた通りを、屋根の上から見ていた。

赤毛が、治ったばかりの左腕を、風車のように回してみせる。いちばん重い屋台は、その腕を下へ差し込んで、ひとりで起こす。散らばった石を、人の通る筋から先に拾う。脱げた靴は左右を揃え、つま先を外へ向けて、屋台の縁《ふち》に並べる。水を汲んでは走り、水筒を満たして、祈るあの子の膝元に、黙って置いて離れる。

男の倒れていた場所では、あの子の目が拾うより先に、地面の赤い染みへ靴先で砂をかけ、均していた。

そして、どの仕事のあとも、おなじ場所へ戻る。あの子と、通りのあいだ。背中は一度も、通りへ向けない。


騒ぎは、とうに終わっている。それでも警戒は、畳まないらしい。屋根の線を、端から端まで見ていく。……素通りしたなにかを、まだ探しているのだろう。


検分表。位置、可。勘、可。腕、可。

……行が、足りない。

私のやりかたは、試して、それから認める。なのにこの男は、試しを出すより先に、受かってしまった。

……癪なこと。癪だけれど、検分表は正直につけるものだ。


呼び名から、書き直す。赤毛では、もう釣り合わない。

——騎士団長の息子。

……長い。書くたびに、行の幅を取る名前。

私の出られない日なたに、あの子を守るものが、育っている。妬心と安堵の相席も、居座ったまま。


***


検分表の側は、済んだ。頁の側が、まだ残っている。


気に病む種は、浅すぎた。想いの上乗せは、不発と読む。……それは、いいこと。

あの子の想いが、彼へ積み上がる筋合いは、ない。あの子の想いの行き先は、私。全部、私。

……醜い、と余白に書いておく。消す気は、ないけれど。


いいことばかりでは、ない。

光は、ひと段も上がっていない。薄いまま。

本物の名も、来ていない。かわりに、紛い物の噂が路地に残った。学園の絹の席は、いまごろ貧民街通いへの白い目を研いでいるだろう。……両側から、あの子の立つ瀬が削れていく。放っておけない行になる。


並べて、全部、外れ。

……外れかたが、妙に、揃っている。


寝支度の手を動かしながら、外れの並びを、なぞりなおす。

頁の騒ぎが、日付より先に来て、書かれたより小さく燃えて、尽きた。

根を張った火は、書かれたところまで、必ず燃える。はず、だった。今日の火は、その手前で尽きている。

なら、書き足すしかない。


——私の風が、結果ごと、変えたのだ。

石ころひとつ、逸らした。二の太刀は、私のほうが先だった。それだけの風を、今日の私は起こしている。そう書けば、帳尻は合う。

合う。……合ってしまう。


頁の火は、書かれた日付の外からでも、点けられる。

……それを、私は知っている。この世界の、誰よりもよく。

早く点いた火が、書かれたより小さく燃えて、早く尽きる。今日からは、それも、知っている。


なら、あの頁は、済んだ。

書かれていた深手も、そのさきの、いちばん黒いところも。燃えた薪ごと、済んだ。

騎士団長の息子は——まだ、殺さなくていい。


……延びただけ。並びは、変わらない。あの帳から、名前がひとつ減ったわけでも、ない。ただ、今日でなくていい。明日でも、なくていい。

締切の消えた帳面が、こんなに軽いものだとは、知らなかった。


灯りを、落とす。

ああいう日の翌朝ほど、あの子は、よく笑う。よく笑って、よく食べて、よく走る。

それを明日も、気づかれない高さから見ている。今夜の分は、それでお釣りが来るの。


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