夫婦間の些細な行き違い
「そういうのって憧れるよなあ」
部屋から聞こえてきた愛する妻の言葉に、アレスターはぴくりとしてドアノブから手を離した。
「そうなの?」カズサの声だ。
兄のカズサとツェーレンは仲が良い。妻は家族にも使用人にもたいそう好かれており、あり得ないがアレスターたちが夫婦喧嘩をすればこちらの味方はいないだろうと自分でも思う。
今日も夫を差し置きツェーレンとお茶をしているカズサにムカついた。しかも私室。
だが今はそれよりツェーレンの発言だ。
「昔から好きだよ、強くてクールで俺様な感じ。黙って従えみたいな。俺と正反対だろ」
「厨二っぽい趣味してるな」
「放っといてくれ。好きなもんは好きなんだよ。ずーっと変わらない。ちょっと粗野でもいいかも」
「俺様ヤンキー?」
「また解らない単語を」
「ツェーレンの好みは偏ってるってよーく分かった」
続きを聴かずにアレスターは立ち去った。自分以外に好き好き言うのをこれ以上聴いていたら心が折れてしまう。
最後まで聴いていればあんな騒ぎにはならなかったはずだ。
「一度でいいからそうなってみたいよ」
「グレたツェーレンかぁ。アレスが泣きそう」
「だから不良じゃないって」
「……僕はツェリの好みから外れまくってるんだ……」
「今までそうじゃないと思ってたんですか」
ナメクジあるじには慣れた従者が傷口に塩を擦り込む。
「強いはクリアしてますが〝クールで俺様〟、まあ僕様ではありますが俺様というよりただの我儘っ子ですね」
「ガーシュ、少しは労われ」
愛されているのは知っている。しかし人は欲張りなもの。どうせなら愛妻の好みでありたい。ツェーレンの好きは全部自分に向けられたい。
「傲慢、嫉妬、怠惰、憤怒、色欲、暴食、強欲───、一人に向ける色欲はセーフ? 暴食は無し、ツェーレン様には強欲……7大罪をコレクションしてるので?」
「あっちの世界の概念だろ、関係ない」
この件を鼻で笑って終わらせたのをガーシュは後から後悔する事となる。アレスターの内に落ちた影は染みのようにへばり付き、かれを思いもよらぬ方向へ導いていく。
この不発弾に着火したのは、ここから遠く離れた帝国から来た皇子と皇女だった。
「なんて珍しい。グレイシア家が揃い踏みなんて」
「情報の早い貴族は挙って参加しているわね」
「不必要に話しかければ不興を買うわ」
王宮で催された舞踏会にグレイシアが勢揃いしていた。
身重のツェーレンだけは留守番だが、アレスターの参加は珍事と言える。とても下らない理由での出席なのを誰も知らない。
そんなアレスターの元へ来賓の帝国皇太子と妹姫がやって来た。
普通の貴族なら最上級の敬意を持って挨拶をするが、グレイシアは普通ではない。
おまけに家族揃って王とか帝とかが苦手である。周りの貴族は恐ろしいものを見る目でふたりを見つめ緊張が漂った。
「初めまして。わたしはルレイリア。帝国第一皇女よ」
優雅に微笑み手を差し出す。普通はそれを恭しく取り口づけるものだ。繰り返すが普通は。
「そう。どうぞ楽しんで行って下さい」
手は無視して素っ気ないアレスターの態度にキレたのは皇女の護衛。
「貴様、皇女様に何という無礼!」
「話しかけてくれなんて頼んでない。みんな空気読んで挨拶なんか来てないの分かんない? どうせなら兄のノエルに。あいつは跡継ぎだから社交もするんで」
周囲が青くなる。不敬の心配ではなく皇女たちの安否を気遣っているのだ。
だが帝国の人間は井の中の蛙。世界で一番偉いのは自分たちだと驕っている。更に激昂した護衛が剣を抜く。
「貴様、斬って捨ててくれ、、、ゔ、!?」
「エラディオ!?」
急に苦しみ出した護衛に皇女が動揺する。
「皇帝に確認しなよ。グレイシアはあらゆる国において不敬から免除されてる。ていうかこっちからは絶対話しかけないのにわざわざ絡んで難癖つけるとかチンピラかよ」
「───、、」
はくはくと酸素を求めているが息はできていない。
「犬の躾も出来ないなら国を出なけりゃいいんじゃないですか、皇女殿下」
「お、お願い、エラディオを許して」
今にも死にそうに床でのたうつ護衛に皇女が焦り懇願する。傍らの皇太子はちらりと目をやっただけだ。
護衛の気管支に餅を詰めるイメージを展開していたアレスターが指を鳴らし魔術を解く。
「───げほっ、」
「不愉快だからそれ追い出してね。ああ、利き手の指の骨は粉砕させてもらおうか。夜会で抜剣するとか失礼極まりないから」
間髪入れずに護衛の絶叫が響き渡る。
「───やり過ぎではないか?」
名もなき国の王太子が割って入る。仲裁は帝国向けの単なるパフォーマンスに過ぎない。自分は言ったから! と。グレイシアには極力関わるな、自己責任でと父から口うるさく言われている。
以前、アホな側妃のバカな息子がやらかした時に相当絞られたらしい。
無論かれも絶対に不興を買いたくない。
「なら元に戻してもいい。代わりに僕が権利を持つ特許に関わる製品全てを帝国から引き上げよう。どちらにしますか、皇太子殿下」
団長が暴走している。いや通常運転か。
バレルは見て見ぬふりを貫いた。今日は警邏に駆り出されている。
あの骨折、治癒を阻害する術式でやったなあ。そこらの治癒師には───ああ、呆れたマリア様が治している。
今日のアレスターは朝からずっと不機嫌な様子だった。素直に書類を捌いているのが逆に不気味で仕方なかった。
だがやっと発された一言に脱力した。
「今日のぼ、おれはクールだよね、な? 冷徹だろ、話し方も粗野で、だぜ」
冷酷なのは身を持って知っている。共感性に乏しいのだ、ツェーレン相手以外。だが多分アレスターの目指す路線とは違う。
この奇行は絶対にツェーレン様関連だ。
「ええあなたは最高に冷酷で氷河の如しですよ。(私たち部下に対して)野蛮ですし」
「! そうか、よし!」
単語がひとつも合ってないのは気にならないらしい。
バレルは考えるのをやめた。仕事してくれるならもうなんでもいい。
アレスターはわざと皇女にヤンキームーブをかました訳ではない。本当に不機嫌だったのだ。落ち込み期から嫉妬の塊期へ移行していた。
それでも自分の冷徹クールを広く知らしめなければと、超苦手なパーティーに参加した。
また変な思考に取りつかれてんなとカズサは察したが、触らぬ魔王に祟りなしと放置した。かれも今夜は久々の出席だが、目当ての貴族と商談をしてすぐに帰途につく。
『カズサ、良くない事が起こるぞ』
帰り際に馬車のなかでハヤテが語りかけてきた。
「また?」
『うむ。ツェーレンが美しすぎアレスが強大すぎる故に。カズサの美と異なりツェーレンは人を狂わせるものがある』
「……あのふたりが巻き込まれるなら放ってはおけないよ」
『吸血鬼と百葉には言わない方がいい。先んじて相手を殺りにいくだろう』
「そんな大ごと!? 大変だ、フォックス邸に行こう。ツェーレンを守らないと」
『お主は明日から出張だろ』
「そんなもんはずらせる。ノエルにも知らせて───」
『あれは譲位に向け死ぬほど忙しい。マリアも手伝いに追われてる』
「使えねえな長男!!」
ガルムを派遣しようとするカズサをハヤテが止める。
『禍福は糾える縄の如しと言う』
「何が言いたい」
『そう苛つくな。あの夫婦の、もといアレスの歪つさを多少矯正することになろう』
「……なんもするなって? なら何故教えたし───」
「しかし生意気な奴だった」
豪奢な来賓室で兄と妹が寛ぐ。
「まあ後々私の奴隷となると考えればあれも余興のうちだ」
「お兄様、奴隷はやめて。わたしかれが欲しいわ。あの高飛車な天才がわたしだけに愛を捧げるなんて最高よ」
「私はその妻が欲しい。以前イェルレヒトで会った時から目をつけていたんだ。あの極上の美しさ、帝妃に相応しい。身分も申し分ない」
「お腹の子は?」
「要らんと言いたいが優秀な子が確実に手に入るのだ。私に隷属させ使ってやろう。王子に似ていたら育てて妾にしてもいい」
「うーん、始末したいけど有効活用ね。でもツェーレン似の女だったら殺してよ。じゃあ決まり。初めて意見が合ったからやっと使えるわね」
帝国に伝わる神器は皇帝直系の人間ふたり分の魔力で起動する。
一人目は〝対象の最も愛する者への想いの封印〟を担い、二人目は〝その想いを他者に転換〟させる。
偶然にもツェーレンが受けた呪術と部分的に被っていた。
「一度にふたり、大丈夫かしら」
「我々の魔力は帝国随一。容易いだろう」
愚かな兄妹は自身が引き起こす事態を全く想像もしなかった。




