傾国王子after〜従者ガーシュによるネタバレその3〜
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「ガーシュ、世界を壊したくなる」
比翼の翼を失うと、彼は本来の役割に戻ろうとしてしまうのかとガーシュは思った。
ガーシュには言わないことがある。先読みができるのはまだ誰も知らない。調子には波があるし見たいものが見られるとも限らない。
ツェーレンが亡くなった。四十三歳、ガーシュが思ったよりは長生きだった。
だって繰り返しの死で、ツェーレン自身は元気でも魂がかなりすり減っていたから、天寿は全うできないと解っていた。
ツェーレン自身も感じ取っていた。
「ガーシュ、アレスを頼むよ。あいつ大丈夫かな」
ツェーレンが笑っている。青年期を過ぎてなお美しい彼こそ、本当は吸血鬼ではないかとガーシュは錯覚する。
助からないと知るのはガーシュと当人だけ。アレスターは寝食を忘れて治療法を探していたし、カズサは界渡りであちらの医療に光明を見出そうと必死だった。
二人が心身共に疲れ果てていると知り、見かねたツェーレンが打ち明けた。
縮められた命、その責任が誰にあるかは明らかだ。
ツェーレンの病の理由を聞いたアレスターは、心は壊したがまだ生きているヴィーダにささやかな幸福を与えた。
可愛いペットや気に入りの小物、優しい付き人。
そしてそれを完膚なきまでに奪う。時には自ら手を下して。
そういう時、すこしだけアレスに生気が戻るのがガーシュは嬉しい。
ガーシュには分かった事がある。ツェーレンの死をもって読めるようになった正ルート、今となればifの世界のこと。
本来のルートはこうだ。
アレスは五回目の夫だった。ツェーレンを深く愛するのも解呪するのも全く同じ。
実際よりずっと早く、出産時にツェーレンの命は失われる。享年二十歳。
子は助からず全ては悲劇で終わる。
おそらくは出産で心臓が止まった時、ツェーレンは亡くなる運命だった。
ツェーレンの死を覚悟させられた時、アレスターは自らの裡に灯るちいさな魔の炎を自覚した。
だが本来のルートより多い巻き戻りがなんらかの影響を与えたのか、ツェーレンはずっと強い心を持ち、気力と神気で死の運命を克服してみせた。
ifルートも現実でも、根本的死因は母の呪術による魂の摩耗。だが魂は弱ったが心は鍛えられ、皮肉にも魔を跳ね除ける結果となる。いや、正確には違う。魔と───、未来の魔王と番ったのだから。
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グラスが倒れ、ワインが溢れるが誰も気にはしない。それどころではないのだ。
「………まさか」
時に極端に苛烈な思考に走る姿。殺人までは犯していないが、それを躊躇う様子はなかった。
こんな奴は知らない。身内であるかれに対してそう思ったのを思い出す。
卓上を拭いた従者の手のなか、赤く染まった布から目が離せない。
視界が紅に染まっていくような錯覚を覚えた。
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ガーシュはツェーレンを、その稀有な魂を魔からずっと守って来たというのに。
蓋を開けてみれば、仕える主人がその魔王の幼生だったなんて。聖女は既に魔王のものだったなんて。
人生の皮肉の全てをガーシュは愛する。隠された聖女と覚醒前の魔王が結ばれ、たくさんの命を次代へと繋いだこと。
それ故に、世界は滅ぼされないこと。
ツェーレンの葬儀を終えて、アレスターはガーシュが所有する城にいる。城主の心臓が止まれば崩れ落ちる仕掛けが施されている。
「疲れましたね、アレスター」
ベッドに横たわる主人の背中にクッションをあて、半身を起こさせると果実水を渡す。
「うん。目覚めるとツェリがいない、夢で逢えても、もういないんだ。なのに世界は普通にある。耐えられないよ。子や孫も赦してくれるだろう。僕が、ツェリ無しでは生きられないって知ってるから。だからガーシュ、もう行くよ」
「仰せのままに」
歳を重ね人生の深みを纏うあるじと変わらない自分。何もしなければまだ長い生は続くだろう。
「そうだ、幸せ過ぎてツェリに言い忘れてたよ、一番目の友達が僕だって。次に会ったら言わなきゃ」
ガーシュには子供はいない。爵位は親戚に譲ったが、王国にまた押し付けられた。欲しくもないが、吸血公爵の響きが良いとアレスターが言うのでそのままだ。
「おまえにも世話になったね百葉。自由になっていいんだよ」
だが黒いキツネは九本の尾を否定するように振り回し、ちいさくなってアレスターに添い寝する。
「百葉は最期までいたいんですよ。眠ってください。私もすぐに行きます」
「無理しないでいいよガーシュ、自分を大事に」
「あなたとツェーレン様が私の全てです。さあ、ツェーレン様を探しに行きますよ」
ツェーレンからアレスターへの最初の贈り物、黒真珠のブローチを握らせる。ガーシュの耳にも、もらった時からずっと着けている黒真珠のピアス。
ふたりを愛している。多分これは我が子に対する愛情に似ている。
世にも珍しい聖魔の夫婦。その結婚生活は少しの波乱と多くの幸せに満ちたものだった。だからガーシュも幸せだったが、今は欠けてしまっている。抜け落ちたしあわせはツェーレンの形をしていたから。
その子らももちろん可愛い。けれどガーシュが誰かにつくのかと言えば、そうではない気がした。
とても歪で不安定な主人と、かれに空いている穴を自らのかたちで埋めていた妻と。
今なら分かる。ガーシュにふたりが必要だった。
聖女と魔王、ふたりの傍がガーシュの居場所だ。
アレスターは魔王の因子を持って産まれた。
ツェーレンの出産時に因子が迷い込んだかと考えていたが、どうやら違う。
普通の子どもが、一目惚れをしたからと躊躇いなく拉致を試みるだろうか。
幻かもしれないその子に会うため、後の人生を不可能と言われる魔術の発明に捧げるだろうか。
全ての妖精を捕らえ一匹ずつ尋問すると真顔で言い放つのはまともな人間と言えるのか。人体実験に躊躇いも見せないのは。
アレスターの関心が全てツェーレン関連に向いたのは人間にとって僥倖だ。
アレスターを看取るために旅立つ前、ガーシュは馴染みの司祭だけに全てを打ち明けた。聖女はその存在で世界を護ったと誰かに知らせたかった。
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「神よ……」と微かに聖句を唱える声がする。
「人体、実験───、魔王………、」
震える呟きが漏れた。
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「また秘密が増えた、絶対に漏らせない秘密が。この国を名付けていたらアレスターが魔王になっていたのか……」
頭を抱える彼には全てを手記に残すのを薦める。あまりにとんでもないので、信じる者は少ないだろう。
だが後年、知らせたい誰かには伝わるのをガーシュは夢想する。
少し気の毒だったので、資産の一部を司祭に宛て遺した。莫大なかれの遺産は隠しておく。いつか生まれ変わった時の楽しみだ。
百葉に別れを告げ、アレスターは目を瞑る。百葉も長い眠りに就き始め、段々と存在が薄くなっていった。しばらくは誰にも仕えない気でいるのだ。
ガーシュはそっと主人の心臓を操りその鼓動を弱めていく。苦しくないよう調整して意識レベルを下げながら。
「おやすみ、ガーシュ。今までありがとう。君は僕にとって二人目の父で三人目の兄だった。大好きだったよ。君とツェリが、僕の人生を……こんなにも───、」
アレスターの唇がゆっくりと閉じ、呼吸の回数が少なくなりやがて途絶える。
魔王らしからぬ、穏やかさに満ちた最期だった。
「おやすみなさい、アレス様。あなたとツェーレン様に仕えられて幸せでした」
忠誠を誓った二人目の主人を見送り、今回は共に旅立つ。
城がゆっくりと崩れ落ちていった。
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