47 その感情の名を知るにはあまりにも遠く
馬車を質素なものに一度乗り換え人気のない道を進み、辿り着いたのは静寂に包まれた場所に佇む建物だった。周囲の自然に溶け込むように設計されておりぱっと見、人の目につきにくい外観をしている。
公爵がドアノブに鍵を差し込んで回し、更に呪文を唱えると重厚な扉が開く。
中へ足を踏み入れると、数人の研究者が作業に没頭している姿が目に入った。その周囲には古書や魔術書が敷き詰められた棚、壁には研究資料や精緻な地図が掲示され実験用の高級そうな道具や宝石のようなものまで揃えられていた。
「ここは……」
クラージュがこのような場所が存在することに驚いている一方、詩音は後ろからいて付いてきているミラに視線を向け、自身へ視線を向ける公爵の隣を歩いていた。
「……彼女が例の魔物になったという子供か」
「今日はあの子の力が必須なので連れて来ました」
「害はないのか?」
ミラの姿は一目見ただけでも普通の人間とは大きく異なることがわかる。鋭い牙や爪は人を傷つけるには十分な威力を持っているだろう。
「ないです」
ほんの少しだが空気が張り詰める。少女の瞳が青く輝きを放つ。
「その時は私がちゃんと始末をつけます」
「……そうか」
詩音の即答には迷いの欠片もなく、確固たる意志の前に追及は無意味だと公爵は悟った。
その返事に詩音の薄らい雰囲気がパッと明るいものに戻る。
「そういえばクロエ様を連れてこないのはわかるんですけどバージル殿下は?」
バージル殿下も加護の持ち主だしいてくれたらとても助かるんだけどな。
「彼はいい」
どこか突き放すような言い方に詩音は公爵の表情を伺う。変化はない。
「……怪我をさせたら上司に……陛下に怒られちゃうからですか?」
「そういうわけではない」
「じゃあどうして?」
そう尋ねれば公爵は一瞬、困ったように眉を下げたように詩音は見えた。
「彼は……優しすぎるからだ」
……どういうこと?
「包み隠さず全てを話してしまうだろう」
「いまから起こることをバージル殿下がガレオ様たちに話してしまったら良くない……と」
「いや、彼らならまだいい」
「?」
じゃあ誰に?
公爵から返ってくる言葉は短く、足りない。
詩音は自身が察しが良いとは言えない人間であることはクラージュに散々言われて理解しているのでわからなければ問うしかない。
公爵とこうして話すこともない。これは良い機会かもしれないと詩音は公爵に対して一番気になっていたことを問いかけてみた。
「そもそもクロエ様のお父様はバージル殿下のことを……ううん……あの二人の婚約のことをどう思ってるんですか?」
二人は仲が悪いみたいだけど、それも知ってるのかな?
「…………」
一瞬の沈黙ののち公爵は口を開こうとした。その時、
「アッ、公爵サマ〜!」
後ろから聞こえた声に詩音は思わず振り返ると目の前には白衣の胸元が。
え、近っ。
ゆっくりと顔を上げればそこにはレトロなクマの着ぐるみの頭部が無機質な青い瞳でじっと詩音を見下ろしていた。
「ッ──」
詩音が息を呑むと、ツギハギだらけのクマの頭部が突然不自然な角度でカクカクと傾く。
「ぎゃっ!?」
「うわっっ!?」
その不意打ちに、思わず詩音は悲鳴をあげながら後ろへ飛び退きすぐ後ろにあったものにしがみつけばそこから素っ頓狂な声が聞こえた気がした。
着ぐるみはその反応に満足したように不気味な笑みを浮かべると、
「準備は出来てるヨー」
そう言うと先頭に立って歩き始めた。その後に続く公爵に詩音もはっとしてしがみついていたものを手放し後に続く。
びっくりした…!なんであんな格好してるんだろう。
着ぐるみに意識が向いてしまい詩音はさっきした質問のことも今離れたもの────固まったままのクラージュにも気づいていなかった。
それを見ていたフードルは笑みを浮かべながらクラージュへと近寄った。
「いつまで突っ立ってるつもりかい?それとも彼女の余韻にまだ浸ってるつもりかい?」
「ッッレヴィン殿下!?」
「フードルだよ。こっちはお前達のせいで散々だっていうのに相変わらず仲が良さそうなことで」
やれやれとわざとらしくため息を吐かれた挙句なんだか理不尽な言われようだが同時に前と変わらぬ親しみやすい態度で接してくるフードルにクラージュは肩の力を抜く。
「というか、あのくらいのふれあいは日常茶飯事だろうお前ってば初なのかい?」
「違いますけど」
返事をしながら、クラージュは自分の動揺を抑えようと深く息を吐く。
確かに接触は珍しいことじゃない。むしろ日常的と言っていいほどだ。なのに、最近はどうも胸が騒ぐ。理由なんて、自分でもよく分からない。それを悟られまいと平静を装おうとするがその反応をフードルは意地の悪い笑みで見透かしているようだった。
「君たちが急にやってきた時はどうしたものかと思ったけど。こうも面白いものが見れたからよかったよ」
「良い性格されてますよね」
「お前が子供達に面倒なこと吹き込んだことは忘れてないからね」
「ほんの些細な冗談のつもりでしたがあんなに素直に信じてくれるとは思わず……貴方の教育の賜物じゃないですか」
両者は黙ってニコリと笑い合う。食えない顔だ。
「まぁ、いいさ。あの二人を逃がしてもらったと聞いた以上お前達だろうと恩を返さないわけにはいかない」
「僕たちのせいで捕まったところはありますけどね……」
クラージュのその呟きにフードルは困ったように笑い、首を振った。
「いや……元々、いつ沈むか分からない泥舟に乗っていたんだ僕達は。それがこうなるなんて天にまだ見放されてないらしいね」
アルゴルは自分達のリーダーが魔物になりかけていた時に自分達がやっていることはいつか破綻し終わりがくることを理解していた。きっとそれは彼もそうだろう。それでも彼がそこから離れず傍にいたのは、
「そもそもあの二人とはどういう関係だったのですが?」
その問いかけに詩音の後ろに控えていた少女の手元がピクリと動いた気がした。
「そうだね……。……命の恩人で……血の繋がりはないけれど……あれに名をつけるのなら家族だと僕は呼びたい」
優しげな声色に慈しむような眼差し。その言葉には偽りのない温かさが滲んでいた。どれほど大切な存在だったのか、その表情だけで十分に伝わってくる。
「まぁ、だからといってここまで付き合うつもりはなかったんだけどね。僕もヤキが回ったな。ほら、こんな落ちぶれた僕の話をしても面白くないよ。もっと他の話を……あ!た、た、とえばさ!」
急に早口で話し出したと思えば不自然に声がひっくり返ったりとフードルの挙動不審な様子にクラージュはほんの少しの同情の眼差しを怪しいものを見る目に変える。
「…………ごほん、」
言葉を選ぶように間を置いた思えば
「クロエはどうしてる?」
突然出てきた名前にクラージュは目を瞬かせた。
「え、クロエ様?」
意外な人物の名に声を上げればフードルはむっと顔を顰める。
「もちろん置いてきた子供達も気になるよ。でもあの子達のその後のことをきっとお前は知らないだろう?」
「それは知りませんけど……そこまでクロエ様のことまで気にかけているとは思わず……まだ何か企んでいるんですか?」
「違うよ!」
やけに強く否定している気がするがクラージュだってそこまで疑っていない。
「ほら!ナタリアがさっきから呼んでるあの人ってクロエの父親なんだろう。もしかしたらクロエって僕のことを気に掛けてくれてるのかもしれない」
「別にそんなことはなかったですけど」
「お前……!」
なぜそんなに歯を噛みしめ苦々しい顔で見てくるのかクラージュにはさっぱりわからなかったが事実なのだから仕方ない。
「あの方は最近多忙ですからね。そこまでの余裕はないですよ。昨日も会って少しくらいしか会話しませんでしたし」
聞かれたのでドタバタと落ち着きのなさそうだった彼女の様子を素直に伝えれば、
「へぇ……会話したんだ。……ふぅん、キミが、クロエとね」
次は自分を親の仇かのように睨みを利かせるものだからクラージュからしてみればなんなんだ、である。
「僕じゃなくてナタリア様が!」
「そっか」
途端に晴れやかな声に戻るフードルに、クラージュは心底うんざりした表情を見せた。
「自分から聞いておいてそのような態度を取られる覚えはないんですが……」
「いや、確かにそれはごめん」
「……思えば初めからクロエ様の事は気に掛けていましたよね。何か思うところでも?」
「……そういうわけじゃないよ」
「なるほど、なら僕達に逃げられた時も特に理由はないけれど執拗にクロエ様だけを追いかけたと。とんでもない方ですね」
「違うから!」
フードルは初めは言いにくそうにしていたが、
「…………クロエはさ、似てるんだよね。亡くなった母親にさ」
ぽつりと呟く。その声はどこか切なさが滲んでいた。
「……へぇ」
が、途端にクラージュはどうでも良さげに自身の爪を眺め始めた。自分から聞き出しておいてこの態度である。
「母親は側室でね、クロエと同じ赤髪で気が強くて────」
フードルが語り始めた昔話にクラージュは上の空で相槌を打つ。
その話は自身の傍にいる親というものにはあまりにもかけ離れており、興味がないわけではないわけではないが現実味がないのでどうしても適当な返事になってしまう。
「だからさ心配ってか、気になるってか確認ってだけなの。わかる?」
「あー、はいはい」
なんやかんやと言われていた気はするがそれでもやはりフードルはクロエに対して興味以外の何か別の感情が含んでいる気がしてクラージュは──考えることをやめた。
ちらりと先を歩く銀を見つめる。
それはきっと自分も彼女に同じようなものを抱いている。でもそれを認めるには、理解しようとするにはあまりにも────
「クラージュ?聞いてるのかい?」
「聞いてます聞いてますよ」
これ以上関わっていると面倒なことになりそうだと思ったクラージュは適当に相槌を打ちながらも逃げるようにして詩音の後を足早に追った。




