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27.優しさに触れる

 

「……座りなさい」


 クロエに心配されながらクロエの父親の部屋に案内された詩音。今から土下座をする覚悟なのでそれは見られるわけにはいかないとクロエを先に部屋へ戻らせた。

 部屋に入れば椅子へと促されクロエの父親自らが紅茶を注いで詩音の前に置いてくれた。周りに使用人は一人もいない。詩音と二人だけの空間だった。自分の分の紅茶を注ぎ終えるとクロエの父親は詩音の目の前に座り指を組む。いったいいくら請求されるのか、何と怒られるのか詩音は緊張した面持ちで姿勢を正す。

 しかし、クロエの父親から出た言葉は詩音が思ったものと大きく違っていた。


「お前はいったい何者だ」


「……え?私はナタリア…」


 自己紹介したはずでは…?と思いながらもう一度名乗ろうと思ったがクロエの父親の目を見ればそういうことではないとすぐに気づいた。クロエの父親は気づいたのだ。自分がナタリアではないと言うことに。


「私は……」


 声を発しようとすれば掠れた音。詩音は俯いた。


「お前が初めに名乗った時、それが嘘だとすぐに気が付いた」


 少し驚いていたのはそのせいだったのか。


「しかし同時にその言葉が真実であるとも私に告げていた」


「え?」


 詩音は驚いた。だってそんなつもりは一度だってなかった。何度ナタリアの名を口にしようとも私は■■詩音なのだから。


「……」


「私は曖昧な答えを好まない。だからこそお前の口から事実を聞く為にここへ呼んだ。もし、ここで虚偽を申告したりクロエに害をなす存在であれば即刻騎士を呼ぶ」


 そう言うと紅茶を飲み黙った。沈黙に支配される。詩音が自ら説明するのを待っているのだろう。


「私は……」


 一体何を話せばいいと言うのだろう。話したら自分はどうなってしまうのだろう。クロエに偽っていることをこの父親はどう思うのだろう。

 胸にはいくつもの不安があった。


 だけど、詩音は同時に喜んでいた。

 ナタリアでは無いということに気づいてくれたという事実。それはまだ自分がここにいるという証明だ。

 だからこそ答えなければならない。誠実であらねばならないと詩音はそう思った。


「クロエ様のお父様が言うことに間違いはありません。でも、詳しいことは言えない…いえ…言えなくなっているんです」


 声を奪われないように相手に伝わるように言葉を選ぶ。


「だからこそ今こうしてクロエ様のお父様が気づいてくれたことが奇跡みたいで…。でも……忘れていくと思います。私も今、そうです」


「……どこまで覚えている」


「家族や大切なことはまだ覚えていますがそれ以外は少し朧気です」


「……」


 詩音は膝の上で手を握った。


「……ここまで話を聞いて思うことはあると思います。危険であると判断するのなら……クロエ様にも近づきません。ですが…私は決してクロエ様や他の人に害をなすつもりはありません。それだけはどうか分かっていて欲しい」


  頭を深く下げればクロエの父親は目を閉じて何かを思案する。

 

 なるべく答えるようにはしたが私自身も分からないことが多すぎる。そんなよく分からない人間に自分を娘を任せるのは……。


「……魔法を使うのをやめなさい」


「え……?」


 どういうこと…?


 疑問に思う詩音に憶測は好まないが…とクロエの父親は続ける。


「少なからず魂はお前のものであることは間違いない。しかし何らかの理由でナタリア・ミストラルという器にお前の魂が入り、そのまま魂は元の人間の器と魔法に影響されて変化起こしている」


「変化って…?」


 これ以上聞きたくないと思う。だけどそれは出来ない。聞かなければならないのだ。これは唯一の情報なのだから。

 たとえどんなに希望がなくても。


「魂が上塗りされているのだ。お前の記憶も人格もやがて全て消える。……いまの嘘も実になる」


「……止めることは出来ますか…?」


「……それを止める手段は現時点で存在しない。ただ……先程、お前が魔法を使うところを見た。その時、更にお前の存在は薄らいだように感じられる。魔法は魂の上塗りを進行させる要因のようだ。お前がお前のままでまだいたいと言うのなら使わないことをお勧めしよう」


 淡々と告げたクロエの父親は俯いたまま話を聞いている詩音を見ていた。

 詩音はゆっくりと息を吐いてから顔を上げ、ぎこちなく笑った。


「……ありがとう……ございます……。…そうします」


「………」


「……と、ところで呼ばれたのって壁を壊したことも思うんですけど…」


 正直これ以上何か言われれば泣き出してしまいそうだった。だけど今日初めて会ったクロエの父親に迷惑かけたくなくて早く終わらせてしまいたくて詩音はここに呼ばれたもう一つの理由であろう件を告げる。が、クロエの父親は少しだけ眉を動かし、


「違うが」


「違うんですか!?弁償代は!?」


「……それは先程終わったことだろう。ただの子供の戯れだ」


 弁償代がなし……!?もしかしてさっきの「そうか……」のところでクロエのお父様の中では全てが終わっていたってこと……!?分かりにく過ぎるよ…。


「そ、そうですか……」


「……」


「……」


「………娘は…」


「え?クロエ様…?」


「娘は……母親が病気で早くに亡くなり私だけが家族なのだ」


 急にクロエについて話し出したクロエの父親に詩音は不思議そうに目を瞬かせた。


「そ、そうなんですか…?」


「そうだ。……しかし子育てと国民を背負う仕事の両立は私には難しかった。だから私は宰相としての仕事を優先し娘を乳母や使用人に任せきりにしていた。……それが一番悪かったのだろう」


  クロエ様の父親の表情は変わっていないように見えた。


「親の愛情を知らないまま、周りへの接し方が分からないまま成長していった娘はいつしか自分の立場を誤った認識をしていた。我儘に振る舞い、いつしか人を傷つけていた。娘の暴挙や噂を聞いてきたが今まで何もしてこなかった私に叱る資格もないと我が子に何も出来なかった」


「クロエ様のお父様……それは……」


「わかっている。そうしてきた私が誰よりも罪深い……。……しかしそんな我が子が少し前から笑顔が増えてきた。誰かを傷つけるような振る舞いも減った」


  クロエの父親は詩音を見た。


「変わったのはお前のおかげだろう」


「……!」


   詩音にはなんだかうっすらとだけ微笑んでいるように見えて視界がじわりと滲む。


「……お前の存在は曖昧だ……。だが、クロエと会話しているお前の言葉に嘘偽りはなかった。ナタリアという人間ではないにしろクロエに影響を与えた人間であることには間違いはない。そんな人間を無下になどしない。忘れるとしても可能な限りこちらでも調べよう。……これからも娘と仲良くしてほしい」


「────」



 ◇


「あ~あ、マノンちゃんに介抱してもろたのは助かったけどもえらい目におうたわぁ」


「ちょっとした挨拶だよ」


「そんな挨拶あってたまるかいなぁ」

 

  悪びれもしないシエルをじとりとした目で見るダグラス。しかしクロエからしてみたら二人などどうでもいいのだ。


「それよりもっと酷い目にあってるのはナタリアの方よ!今頃お父様叱られて…」


「ナタリアちゃんならうまくやりそうな気ぃするけどなぁ……と噂をすればナタリアちゃ…!?」


「……」

 

「ナ、ナタリアどうしたの!?な、泣いてる…!?」


 帰ってきた詩音はボタボタ流れる大粒の涙を拭いながら皆の元へ戻って来た。

 挙動不審になる周囲、何故かいの一番で飛んできたバージルは青い顔をしながら詩音にハンカチを押し付けた。


「シエル今すぐ謝れー!!!」


「まぁ、待ってよバージル。話を聞こう。まだ早い」


「どうしたのよナタリア…?」


  ハンカチで涙を拭う詩音に問いかければ詩音は鼻をすすりながらクロエを見つめて、


「クロエ様……。お父様とちゃんと会話してあげてね……」


「は?」


 口下手なだけで滅茶苦茶良いお父様だから……。


 しかし詩音の言葉に珍しくクロエは頷きはしなかった。今までまともに顔も合わせてこなかった分色々複雑な気持ちがあるのだろう。それでも嫌だとは言わなかったクロエに出来ることはしてあげたいと詩音は思った。


 今日はこのままお開きになったお茶会。本当にバージル様にお世話になってしまった。そう思い、お礼を言えば「頼まれたからな」と一言だけ。いったいどういう意味なんだろう。

  このハンカチはしっかり洗っていつか返そう。



 家にたどり着けばミラに笑顔で出迎えられる。がすぐにその表情を驚きに変え、鏡を出して詩音に渡した。


「お帰りなさいませお嬢様~!ってなんか目赤くありません!?もしやクロエ様に何か…!?……処しますか……?」


「何を言ってんの!?そういうんじゃないから!」


「なんだ……」


「なんでちょっとがっかりしてるの?それより紙を一枚もらってもいい?」


  クロエ様のお父様の言葉に従い魔法を使うのはしばらくやめようと思った詩音はミラにそう頼む。


 大きな字で魔法厳禁って書いておこう…。油断するとすぐ使っちゃう癖出てるから…。


 お風呂上りに、涼みたいときに風魔法を使っていることを思い出す。便利使いしてるなぁ……と自分の振る舞いを反省する。

  しかしそんな詩音の頼みを聞いたミラは不思議そうに首を傾げた。


「え?この前手帳を差し上げたばかりじゃないですか」


「え?」


 今度は詩音が首を傾げる。本当になんの事か分からないと言いたげな顔で


「……手帳…?なんのこと…?」


  ミラは目を丸くした。手帳を渡したのはつい最近のことだ。


「……え?……あ、私の気のせいでした!てへっ」


「変なミラ」


  そう言いながらもあまり気にはしていない詩音は明日に授業に備えて支度を始めた。

  ミラはその後ろ姿をじっと見ていた。


 ◇


「今日のナタリアちゃんとクロエ様とのお茶会大変やったわぁ。でも振り返ってみたら楽しかったと思うんよぉナタリアちゃんとクロエ様とのお茶会」


「……なんですかダグ兄さん。大きな独り言ですね」


  冷たい眼差しを向けられダグラスは肩を竦める。


「そんな怒らんといて欲しいわぁ。クラージュがおらんかったから今日は本当に大変やったんよぉ?」


「怒ってませんしナタリア様が何とかしたんじゃないですか?」


「それはそうやけどぉ。ナタリアちゃんも万能やないしぃ?今日なんてナタリアちゃんも泣いて戻ってくるから僕びっくりしたわぁ」


「は?」


  初耳ですがと言いたげなクラージュにダグラスは楽しげに手を叩き煽る。


「イライラしとるイライラしとるぅ」


「本当に怒りますよ」


「そんな心配せんでも大丈夫よぉ。クロエ様のお父様が良い人過ぎて泣いとっただけみたいやわぁ」


「情緒不安定になってるんじゃないんですかそれ」


「やっぱりクラージュが傍におらんからなぁ」


「……」


「何を悩んでるのかは兄さんわからんけどやっぱりナタリアちゃんと話してみたらどうなん?直接会ったほうが──」


「面白そう」


「あら!クラージュにはお見通しやねぇ」


「貴方の性格を弟の僕が知らないわけないでしょうよ」


「ナタリアちゃんがまさかあんなに面白い子やとは思わんかったわぁ。ずっと兄さんとして見てたいわぁ」


「……ダグ兄さんの思い通りになるのは癪に障ります」


「そうかぁ…。ナタリアちゃんは引く手数多やからなぁ。今日もよう分からん男に好かれとったなぁ。あれは殿下の従者で王宮専属魔術師の息子さんやったかなぁ」


「……」


「ふはっ!!その顔!クラージュも随分面白ぉなったなぁ」


「本当に性格が悪いですよねダグ兄さんって」


「そう言いながら僕の言う通りナタリアちゃんに会いに行くんやろぉ?クラージュは偉いなぁ」

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