679話 魔神白竜④
島の異変はシュウも気付いていた。
煌々と輝く聖なる光が島全体を覆い、あらゆる魔を退けていた。しかしそれが突如として溶け始めたのだ。それらは小さな粒となって雪のように降り注いでいる。
「これは……」
「何か、変化が起こった、のかな?」
「ああ。天蓋が壊れた。それよりも痛みはどうだ?」
「かなり収まってきたよ。まだ痛むけれどね」
ファイは左目を押さえつつ、起き上がる。しかし腰は下ろしたまま、周囲の状況に耳を澄ませようとしていた。両目ともに見えなくなったので、今は音だけが頼りだ。
「天蓋が壊れたなら、聖守が動く合図だよ」
「どうなる」
「僕が見た未来でアルネを聖守が討つといっただろう? それが始まるんだ」
そう言う間に聖なる光が白竜のもとに集まり、シンクとミルディを覆った。小さな天蓋となって《秩序星廟》を防ぎきる。そればかりか聖なる光は空で幾つも凝集していく。魔を滅する光は細長く、槍のようになって葬列を為した。
鋭い切先が向くのは白竜、そしてシュウである。
「こっちもかッ!」
シュウは急ぎファイを含めて死魔法の結界を張った。冥界の第一階層、凍獄術式を壁のように展開したのである。
聖なる槍は殺到し、凍獄術式の表面で蒸発しつつ消えた。エネルギーを奪う凍獄術式は魔力を強制的に減衰させる。魔力だろうと反魔力だろうと変わらない。
「ファイ・ラ・ピテル。俺も狙われているのはどういうことだ?」
「僕も詳しい理由までは分からない。でも、意図したものじゃないはずだよ。聖守が狙って攻撃しているわけじゃないからね。自動迎撃みたいなものなのさ」
「魔神も俺も魔の存在だからか。だが厄介だな。聖守にアルネを殺させてはいけない、だったよな?」
「うん。でもだからといって聖守を邪魔して、シンクたちは彼女に勝てそうかな?」
「……難しいように見えるな」
その先は言葉にする必要もない。
この自動迎撃らしき聖なる槍を利用しつつ、しかしこの槍によって白竜が倒されぬよう立ち回らなければならないということだ。
「想定より面倒なことになったか」
白竜は強い。
歴代最強の魔神に相違ない強さだ。それでいて、倒し方にも縛りが付いている。実に厄介だ。
「いっそ聖守を先に確保して説得するか。だが『聖女』は『剣聖』と懇意にしていたな。余計に話がこじれると面倒な気もする」
「……そうかもね」
「おい。御大層な未来視で解答は見えてないのか」
「今の僕は未来視を持っていない……って言いたいところだけどね。記憶には残っているよ。そろそろ連絡が来るんじゃないかな」
「連絡?」
問い返すと同時にシュウのデバイスから仮想ディスプレイが立ち上がった。それも二つ同時である。どちらもが通話の要請であった。
「アイリスに、『黒猫』?」
どちらに対応しようか、と一瞬悩む。だがすぐにそのどちらもへと応答した。
『シュウさん、私なのです』
『僕だよ』
二人の声が重なった。
お互いの声が聞こえたのだろう。アイリスも『黒猫』も驚いて間をあける。
「悪いが同時の着信だったんでな。まずアイリスは何だ?」
『びっくりしたのですよ。アリアドネの糸の改修が完了したのです。それと術式も完成しました』
「わかった。こっちに来てくれ。それで『黒猫』はどうした? 悪いが手を離せない。そちらを手伝うのは無理だ。必要なら妖精郷から何人か送る」
『いいや。僕も君を手伝おうと思ってね』
「何? そっちはいいのか?」
『もう諦めたよ。これは無理。しばらく放置だね』
酷く疲れた、諦観がひしひしと伝わってくる。
統一アスラン王国や封魔首長国連邦のまわりは相当ようだ。特にアスランからヴェリト王国にかけては大陸が砕けていることも観測魔術で分かっている。あれではどうしようもない。
『それにアスモデウス様から頼まれてね。君たちを手伝ってあげて欲しいって』
「なるほどな」
『アスモデウス様には幾つか借りもあるからね。返しておかないとってことで僕も手伝うよ。大体の話は聞いている』
空間が歪み、波紋が生じる。
その中から猫耳のフードを被った少女が現れた。『黒猫』あるいはレイ。それも傀儡ではなく本体で出てきたらしい。
「ロカの末裔も今回の件に絡んでいるって聞いたからね。僕にとっても他人事じゃないのさ」
「超古代文明仲間だったか」
「そういうこと。僕と同じように、ロカもパンドラ博士から第三の眼の開発を受けた身だからね」
『黒猫』は己の額にある眼のような紋様を指差しながらそう語る。
また彼女の傍にアイリスも現れた。妖精郷から転移してきたのだろう。オリハルコン製の箱を抱えている。中身はアスモデウスに改造されたアリアドネの糸で間違いない。
「どういう状況なのです?」
「シンクとミルディでは白竜を倒しきれない。それに天蓋を作っていた聖なる光が解けて、あの通りだ」
「『聖女』さんが参戦しているのです?」
「姿は見えないがな。ファイが言うには自動の攻撃らしい。お陰で俺も狙われている」
「あ、こっちにも降ってきますねー」
現在進行形で聖なる槍はシュウの頭上にも降り注ぎ、冥界に呑まれている。勿論、白竜の方にもだ。流石に魔力特攻だけあり、かなり効いているらしい。
白竜は背に無数の槍を突き立てられ、苦しんでいるように見える。
「二人が来てくれたなら話は早い。白竜をシンクに殺させる。その手伝いをしてくれ」
「分かったのですよ」
「うん。僕に任せてよ。戦いなんて久しぶりだなぁ」
時を操るアイリス、空間を操る『黒猫』の二人ならば戦力として最上だ。二人とも覚醒魔装士なので魔力切れの心配もない。
二人は能力でその場から掻き消え、白竜の元へと向かう。
それを確認したシュウは呟いた。
「あと一人、念のため呼ぶか」
ファイに目を向けると、頷いている。
どうやら選択は間違いないようだ。シュウは目的の人物に呼びかけるべく、意識を集中させた。
◆◆◆
死を覚悟して、生き延びた。
シンクはこの奇跡を噛み締めつつ前を見遣る。聖なる光が押し固められ、槍となって降り注ぎ白竜を傷つけている様をだ。
「セルア様……」
探し求めた人の姿が過る。
だが気配もなく、その姿も見えない。しかしどこからか、援護をしてくれたのは確かだった。
「セルア様、白竜を倒してはいけません。俺がやらなければ」
右の眼に埋まった予言の力が教えてくれた。聖守に選ばれたセルアが魔神白竜を倒せば、世界は滅びへと向かっていく。そしてセルアは決して救われない終わりを迎える。
何より、過去へと戻ることもできなくなる。
「ごめんなさいね。治癒の魔術はあまり得意じゃないの」
「いや、助かった。深い傷は止血もされている。充分だ。それよりもアルネを」
「ええ」
白竜は黒い嵐や樹木の力を使って降り注ぐ聖なる槍を防ごうとしている。しかしどれだけ対応しても、聖なる槍は虚空より現れて白竜を狙うのだ。
よほど効いているらしく、シンクやミルディには構う暇もない。
(裏を返せばセルア様の光が効きすぎるということ。俺が倒さねばならないというのに)
聖守に魔神を倒させてはならない。
それがシンクにとって最大の懸念である。
「クァアアアア! アアアアアアアアアアッ!」
しかしそれは杞憂だったようだ。さらに言えば、まだ白竜の底力を見抜けていなかったということでもある。突如として聖なる槍は砕けて消失する。白竜の頭上に輝く天秤が現れ、傾いたからだ。
「あれは聖杯の力……」
「神器との同化か。アルネが白竜化するときに取り込んでいた。厄介だな」
「聖杯は万能の力と言われています。代価を支払えばどのような願いも具現化されると。今のアルネなら魔力だけでどのような理想も形にしてしまうに違いありません」
再び天秤が傾き、白竜の傷は一瞬にして回復する。奪われていた翼も、砕かれていた鱗も、全てが元通りであった。
つまりそれは厄介な破壊の羽が復活したということである。
早速、白竜は翼を広げる。
「振り出しか」
シンクは前に出て聖なる刃を構える。
神器同化した聖杯の力によって、セルアの聖なる光は消失している。もはや二人を守る小さな天蓋も存在しない。舞い落ちる羽を、己の手で払いのけるしかない。
だが迎え撃つ必要はなかった。
不規則に散っていく羽が、突如として停止したのだ。まるで固定されているかのように、ピクリとも動かなくなる。
「相変わらず君は反則だね」
「『黒猫』さんも大差ないと思うのですよ」
シンクですら、その声を聞くまで気配に気付けなかった。
背後を振り返れば二人の少女が立つ。アイリスと『黒猫』であった。アイリスの姿は知っているが、もう一人については面識がなかった。
「ああ、僕のことは気にしないで。君たちのお手伝いさ」
猫耳を模したフードを被り、『黒猫』は笑う。そして払いのけるように右手を動かした。すると中空に固定された羽は一様に切断され、消失してしまう。
「それから前衛も少し増やすよ。僕たち後衛に偏り過ぎだからね」
指を鳴らすと空中に波紋が生じた。その数は八つ。それらから一人ずつ、武装した男たちが降りてくる。剣や槍などを携え、白竜へと走り出した。
傀儡の魔装を使い生み出した人形の兵士である。
だが人形兵たちは白竜に近づくこともできず、石化で殺されてしまった。
「あらら。強いね」
「あの手の特殊能力は覚醒していれば無効化できますからね。私たちは気にしなくてよさそうなのですよ」
「なるほど。俺も避ける必要はなかったか。ミルディだけは効く。注意しろ」
「私は不死の呪いを受けましたのでお気になさらず」
『黒猫』は再び人形を呼び出し、白竜に向かって突撃させる。
「それらは僕が操る傀儡だよ。気にせず巻き込んでいいからね」
「言われたとて気が引けるのですよ」
「うーん。一理あるね。もっと人形っぽいのにしようか」
突撃させた人形兵が黒い嵐で粉砕されたのを確認し、今度はその場で人形を生成する。たった一人で軍団を作り出す驚異的な魔装である。だが真に恐ろしいところは、そうして生み出された人形兵が恐れも損耗も知らぬ、感情なき兵器である点だ。
どんな精強さを備える軍団でも、小さな恐れで瓦解することもある。
それがないというだけでこの魔装は強い。『黒猫』が生み出したのは見た目からして人形と分かる兵隊だった。顔はなく、衣服もなく、無機質な色合いの人形。巻き込んだところで良心が苛まれることもない見た目となっていた。
「どういうことよ、これ」
ミルディは状況を理解できないながらも、味方であると一時納得する。またアイリスが人形兵を巻き込む大規模な風魔術を使い始めたので、同じように炎魔術で攻撃し始める。
白竜の羽はアイリスが時を止めて防ぎ、『黒猫』が空間断絶で破壊する方法で阻止し続けた。
そしてシンクは気配を消し、ここぞという瞬間に宙へと躍り出る。
「まずはその天秤を砕く」
奇跡によって一発逆転すら叶う聖杯の同化は真っ先に壊さなければならない。シンクはそれを未来視で知っていた。故に魔術の飛び交う危険地帯に踏み込み、聖なる刃を水平に振るう。
光の天秤は真っ二つに切り裂かれ、同化は強制的に解除されてしまった。動揺したのか白竜は動きを止めてしまう。
「翼は僕がやるよ」
「では私とミルディさんで一斉攻撃ですねー」
「巻き込んでいい、のよね?」
「勿論だよ」
空間切断により白竜の翼は切り落とされる。その際、『黒猫』はほんの少し眉を顰めた。思ったよりも切断に魔力を必要としたからだ。迷宮魔法を宿していることもあり、魔神は時空系の能力が効きづらい。それを実感させられた。
ただこれでまた空を飛べず、破壊の羽も使えない。
アイリスとミルディによる魔術攻撃が殺到し、人形兵も巻き込んで爆発が起こった。
「クァアアアアッ!」
爆炎の中から悲鳴にも聞こえる絶叫が響いた。
効いているという実感と共に、ミルディは心苦しくもある。そこから目を逸らそうとして、彼女は見た。
「あ……光の槍」
聖杯の同化が強制終了させられたからだろう。再び虚空より聖なる光が集まり、槍となって無数に並んでいた。それらの切先は白竜へと向き、今にも射出されようとしている。
止める間もなく、聖なる槍は降り注ぎ始めた。
「クアアアアア! アアアアアアアッ!?」
「またセルア様の力が復活したか! このままあの方に魔神を討たせるわけには!」
槍は白竜の背に突き刺さり、反魔力で鱗を対消滅させる。無防備な瞬間を狙われたことで、特大のダメージを叩き出していた。苦痛で悶える白竜はそのまま地に伏し、このままでは討伐も時間の問題だ。
シンクはすぐに降り注ぐ槍を弾き飛ばそうとするが、その必要性はなかった。
赤い霧が周囲を覆い始め、聖なる槍をも打ち消し始めたのである。
「事情はシュウ様より聞きました。あの光の槍に邪魔されぬよう、魔神を討つのですね」
霧の奥より現れたのは、またも少女だった。
レースを重ねた布で両目を覆い隠す、まるで貴族のような風貌の少女である。とてもこの場に見合わぬ姿であったが、漂う赤い霧が彼女の正体を示していた。
「まさか……『赤い夜』!? どうして厄災がこんなところに!?」
この中ではミルディが最も困惑し、理解を拒む。
六聖の第一席ミルディ、過去より来た剣聖シンク、秩序の魔女アイリス、裏社会のボス『黒猫』、そして『赤い夜』カーミラ=ノスフェラトゥ。
冥王を中心とした因果で結ばれ、五人の勇士がここに集まった。




