678話 魔神白竜③
湖の孤島を覆う天蓋の中は、二千年ぶりとなる騒乱に包まれた。魔神白竜のこともそうだが、外より現れた人間もまた大きな原因となる。
「進め進め! 聖守様を見つけよ!」
飛行船から降りた北征部隊は隊列を組み、遺跡に向かって進みゆく。そこには歴史ある遺跡への敬意もなく、原住民に対する配慮もない。
「中央だ。聖守様がおわすとすれば中央に違いない! 見よ、これみよがしに城があるではないか!」
「ハンス将軍、白竜の戦いがこちら側にも迫っています。将軍も早く中央へ」
「うむ」
天蓋の内側に存在する遺跡は奇妙なものだった。
朽ちているものの、かつては聖都シュリッタットより遥かに発展していたように思える。それこそ迷宮で発掘される古代文明の跡とも近い。
そして古代文明の遺産は価値あるものばかりだ。
(私は運がいい。まさに歴史に名を遺す男となるだろう)
聖守を保護し、古代文明の遺跡を発見し、そしてこのまま白竜を討つ機会があるかもしれない。もしも為せばと皮算用してしまう。
舗装されている大通りを進み、城にまで辿り着くと多くの原住民たちがいた。
彼らは大門の前に立ち中へと招き入れるような態度を取っている。ハンスとしては拍子抜けだったが、好都合ではある。誘われるままに大門を潜り、城内へと踏み入れた。
「これは……」
大広間というべき吹き抜けの空間がハンスたちを出迎えた。
原住民たちは身を寄せ、怪我人たちの世話をしている。更には外の人間であるハンスたちにも声をかけ、治療の道具を差し出していた。
「警戒心がないのか。だが好都合よ。して、これは興味深い」
緊急の事態とはいえ歓迎され、毒気を抜かれてしまった。しかしそれはそれとして、彼はこの大広間をゆっくりと見渡す。壁一面に布がかけられ、神話のような絵が描かれていた。
その中の一つに、覚えのある一枚が存在する。
燦然と輝くよう描かれた、空に浮かぶ黄金の城の存在だ。しかし同じ布に燃える街並みと苦しむ人々が描かれており、神々しさと禍々しさが混然一体となっていた。
「将軍、まるでロマノ閣下が見せてくださった……」
「黄金要塞のようだな」
「ということは古代文明と関係がありそうです。学者が歓喜しますね」
「絵は続きがありそうだ。光の天蓋に……女神か?」
「独自の宗教に思えます。思った通り異教徒ということですか」
「ますます聖守様を保護せねばな」
ハンスは軍人だ。
聖石寮の術師たちの中には布の絵に興味を示す者もいる。だがハンスにとって歴史の遺物は重要ではない。聖守を探し出し、保護すること。そのためならば布切れなど燃やしてしまっても構わないとすら考えていた。
(聖守様のお名前は預言で分かっている。いっそ聞くのが正解か)
原住民とは言葉が通じない。
しかしながら固有名詞ならば通じる。ハンスはそう考え、そして話しかけるべき人物を見定める。手当をする者、水を配っている者、外の様子を窺っている者、状況を話し合っている者など、原住民は各々動いている。しかしよくよく観察すれば、彼らの上位者が誰なのか分かってくる。
(あの奥に立っている女。あの女が長か)
その見立ては正しい。
ハンスが長だと仮定した原住民の女性は、初めシュウたちが接触したラーヤだった。彼女は大広間の奥に立ち、指示出しをしている。
幾つか話をした後、後ろを向いてさらに奥へ向かおうとしていた。
そこでハンスは部下を伴い、慌てて彼女を追う。またその途中、こう叫んだ。
「セルア! セルア・ノアール・ハイレン!」
すると原住民たちは驚いた様子で注目する。当然、ラーヤという人物も振り返った。彼女が立ち止まったことでハンスは己の考えが正しかったことを確信する。
「セルア! セルア! 我々は会いたい。魔神を倒せるのは聖守様だけなのだ!」
声を大きく、威圧的に迫るハンスにラーヤは驚いてしまう。反射的に身を震わせ、一歩引いた。しかしすぐに彼女は困ったような表情を見せる。そして柔らかな声音で、子供に言い聞かせるように彼女らの言葉を紡ぐ。
「Ouaman neria Fleasmel. Flea Selua Fleasmel sali. Muyala melua」
「ぬぅ……分からん」
「Nalia Conniene ve Laya」
「なり……らーや?」
「Laya! Muyala?」
「将軍、おそらく彼女の名です。ラーヤという方なのかと」
「なるほど。私はハンス。ハンス・レヴォルコンディスという」
ラーヤは笑顔になり、両の手を差し出した。
その仕草にハンスが困惑していると、彼女は手を取って握る。丁度、両手で行う握手のようであった。その手を離すことなく、彼女はまた意味の理解できない言葉を使う。
「Hgraal. Doria Selua. Varia doria vela Luia」
そのまま彼女は握る手をハンスの胸にまで押し戻し、離す。言葉が通じないなりに、伝えようとしているのだろう。意味合いも、何となく理解できる。
ラーヤは踵を返し、今度こそ城内の奥へと行ってしまった。
また道を塞ぐようにして原住民たちが彼女の背を隠す。
「どうやら会わせてはくれないようです」
「忌々しい……異教徒の原住民が。今は一刻を争っている。押し通る」
「将軍、しかし問題を起こせば聖守様の不興を買う可能性が」
「その通りです。せめてもう少し交渉を」
「彼らの親切を仇で返せば、部下たちの士気も下がります」
ハンスの部下たちは慌てて己の上官を諫めるも、彼は本気だった。そして軍人であるならば、上官の決定には従わなければならない。意見を具申することはできても、下された決を覆す権限を兵士は持たない。
たとえ道徳に反するとしても、両親が苛まれるとしても、兵士であるならば実行しなければならない。
「隊列を組め! 武器を持て! 最優先は聖守様を我らの手で保護し、祖国へと連れ帰ることだ。原住民などに構うな。私たちには星盤祖が示された大義があるのだぞ!」
特に敬虔でもなく、定例の礼拝にも出席せず、食前の祈りすらまともしない男だ。しかしながら聖戦の理由として掲げるには丁度良い。
ハンスと同じ意見の兵士は嬉々として従い、そうでないものも渋々ながら命令を了承した。
「Neria. Lua muyala」
強引に奥へ進もうとするハンスたちに対し、原住民たちは立ち塞がって語りかけた。そこには怒りもなく、厳しさも含まれていない。ただ心を尽くして納得を求める態度だった。
だがハンスはそんな彼らの一人に銃を向け、引き金を引く。
冷たい金属の玉が原住民の衣服を赤く染めた。
「言葉が通じぬなら、力で分からせるまで」
悲鳴が上がる。
原住民たちは斃れた仲間を必死に治療しようとするが、それを北征部隊の兵士たちが取り押さえる。術師たちも心を痛めながら、聖守を保護するためと己に言い聞かせて命令に従う。
「征くぞ。聖守様を異民族より保護する。それが私たちの正義だ!」
言葉が通じず、信仰の異なる民族を征服者として調教する。力と恐怖で抑えつけ、思うがままに振舞う。転がり込むはずの英雄という名声と、魔神白竜への畏怖が人道を狂わせていた。
◆◆◆
白竜にとって人間など、容易く潰せる存在のはずだった。それは彼女が摘まみ食いした都市で実感したことだ。しかし白竜へと挑む二人の男女は違う。
男の方は猛攻を凌ぎ、上手く隠れ、隙を突いて攻撃を当ててくる。しかもそれなりに痛い攻撃だ。嫌な相手だと認識していた。しかしより厄介なのは女の方である。
「ある、ね……ェエエエエエエッ!」
ミルディは白竜によって下半身を圧し潰され、死に体となる。全身の骨が砕け、内臓は潰れた。当然、彼女には死が訪れる。
肉片が消し飛び、その魂は冥界へ落ちた。
だが冥王の呪いがミルディを強制的に蘇らせ、戦場に立たせる。
「まだまだよ! こんな程度じゃ止まらないわ!」
「よせミルディ。不死といえど無茶が過ぎる」
「これくらいしなきゃ止められないの!」
死んで、生き返って、また死んで、また生き返って。
骨が砕けても、四肢が千切れても、内臓が飛び散っても、脳漿をぶちまけても、ミルディは死ぬたびに万全の姿で蘇る。
だから彼女はそれを最大限に活かし、白竜に対して挑発的な行動を取り続けた。張り付くように動き回り、高度な魔術を連発する。何度殺されても、必ず蘇って再び張り付く。
「捕まえたわ!」
白竜の首にしがみつき、自爆覚悟で大魔術を行使する。激しい炎が爆発と共に解き放たれ、頑丈な鱗を焼き焦がした。当然ながらミルディの肉体は灰となって消え去る。
そんな状態でも彼女は黄泉より戻り、新たな肉体を得て再び白竜へと飛び掛かる。
「何度死ぬつもりだ! そんな戦いを続ければ人から外れるぞ。落ち着け!」
シンクが警告してもミルディは止まらない。
そして事実、彼女が死を受け入れて白竜の気を引かなければ勝機は見いだせない。
(ああ、本当に惨めね。私って)
天才ミルディ。
万能の女傑。
最強の術師。
様々な栄誉を受けてきたが、そのどれもが打ち砕かれる思いだった。異国の神に情けをかけられ、不死の呪いによってようやく勝負が成り立っている。
(でも、全部捨てていい。ここで私が消えてもいい)
黒い嵐に呑まれ、欠片も残らず消滅する。
石化され、激痛に苛まれながら意識を失う。
光の鎖に全身を貫かれ、滝のような血を流して死ぬ。
いったい何通りの死を経験すれば済むのか。
「アルネ! あなたは私が止めるわ! 私が止めなければ……止め――」
ミルディの自爆魔術が白竜を焼き、再生しようとしている翼を吹き飛ばす。殺されるくらいなら、自爆したほうが痛みも少なく覚悟もできる。そんな考えにすら至っていた。
光のような斬撃が爆炎ごと白竜を切り裂き、鱗が赤く染まる。シンクはミルディを諫めつつも、戦いやすさを強く実感した。
「クァアアアアアアアアア!」
精神汚染の絶叫が広がり、石化が存分に振り撒かれる。黒い暴風が吹き荒れ、雷が次々と落ちた。樹木が蛇の如く迫り、黒い穴が万物を砕いて呑み込む。
ただの力の発散でこの威力だ。
シンクは下がって浮遊する遺跡の影に身を隠し、ミルディは復活と同時に勇んで前に出る。
「魔神の弱点は心臓! あなたもそうでしょう!?」
再生能力はそもそもとしてアルネの魔装に備わっていたものだ。しかし魔神としての能力にも自己再生がある。二重の再生能力のためか、多少の傷などものともしない。そして生半可な攻撃を弾く鱗もあり、心臓は遠い。
ミルディは強気に踏み込む。
「ッ!」
そして危険を感じれば即座に自爆。
暗闇へと意識が沈んでいき、白竜からほんの少し離れた場所で復活する。炎の中から白竜は現れ、火傷や焦げ付きも消えていく。
翼がまた半分ほどまで再生していたので、シンクが刃を伸ばして切断した。
「いつまでそんな戦いを続けるつもりだ。狂ったか?」
「失礼ね。これが最善手というだけよ」
「……話し方も変わったな」
「これが素よ。もう名家の娘とか第一席の六聖とか、そんな外聞を気にしている場合じゃないもの。でも攻めきれないわね」
「白竜が魔神なら、心臓が弱点……だな?」
魔族は心臓に魔石があり、それを砕くことでようやく殺せる。魔神もまた同じだ。心臓を破壊しなければ無尽蔵に再生し続ける。
「近づいて心臓を斬るのは無謀か。俺なら貫けるはずだが」
「武器の長さを変える異能でしょう?」
「巨大化して扱えば、その分だけ強度が落ちる。それではあの防御は貫けない。鱗も固いが、よく分からない力でこちらの攻撃が減衰されているようだ」
「聖守様しか魔神を討てないと言われる所以ね」
ミルディが自爆特攻を繰り返せば白竜に対して隙を作ることもできる。だが常に力を発散させ続ける白竜を相手に、近づいて急所を抉るというのは難しい。シンクほどの実力者であってもだ。
そして白竜は、これだけの力を見せつけていてもまだ本気ではなかった。
「キィィアアアアアアアッ!」
空気を震わせる高い音。
シンクもミルディも耳を塞ぎ、その絶叫に耐える。白竜はもがれた翼の付け根より光を放ち始める。扇状に広がっていく光は、まるでそれ自体が翼のようであった。
「クァアアアア! キィイイアアアア! アアアァァアアアアアアア!」
まるで精神を汚染する歌であった。
白竜の絶叫は冒涜的な旋律を刻み、シンクとミルディの脳内へと直接言葉を理解させる。その詠唱が完成すると同時に、光の翼より無数の光条が放たれた。流星の如く空へと上り、それらは雨となって降り注ぐ。避ける隙間もない。そして光の一つ一つに背筋が凍るほどの魔力が込められている。
(回避……間に合わない。遺跡に身を隠しても確実に貫かれる。聖なる刃で受けるには数が多い)
シンクは眼を見開き、必死に生き残る術を考える。
こんなところでは終われない。守ると決めた人のため、シンクは覚悟を決める。
「ぉ、おおおおおおおおおおおおおお!」
降り注ぐ光を見切り、聖なる刃によって打ち消す。
腕が千切れそうになっても決して意識を途切れさせず、痛みが警告を発しても無視する。しかし光の雨はあまりにも数が多い。魔神バアル・ゼブルのそれすらも上回る威力と密度だ。
己を守り切れずに体の端々から出血し、痛みが腕を鈍らせる。
「あああああああああああああ!」
光が足を射抜き、肩を抉り、そして脇腹を貫通した。
どれほど熟達した剣の達人だとしても、降り注ぐ雨を切り裂いて防ぐなど不可能だ。限界はすぐに訪れる。
(だめ、か)
意識が飛ぶ。
目の前が真っ白になっても、ほとんど勘で刃を振るい続ける。全身から力が抜けていき、命が水のように零れ落ちていくのがシンクにも分かった。
(セル、ア……様……)
まだ戦える。
戦わなければならない。
だがその意思に反して体はもう動かなかった。
(死ぬのか。何も為せずに。セルア様をこの目で見ることも叶わずに)
もう何も見えない。瞼を開く力も残っていない。
仰向けに倒れ、背中に石が食い込む。諦められないと思っても、身体が動かなかった。痛みはなく、何も感じない。冷たさと暗さだけがある。
(走馬灯、だろうか。それとも俺は既に死んだのか)
訪れるであろう死の痛みは訪れない。
それどころか冷たさが引いていき、温かく包まれるような感覚さえし始めた。
「ッ! シンク殿!」
そして呼びかける声。
聞き間違えるはずがない。ミルディの声だった。ようやくシンクも何かがおかしいと気付いた。眼を開くとこちらを覗き込みながら治癒の魔術をかけるミルディの姿が映る。
「何、が」
「分からないわ。私も一度死んで、蘇ったらこうなっていたの。見て。光が私たちを守っているわ」
ミルディの言葉通り、二人は小さな光の天蓋に包まれていた。白竜が解き放った光の雨は今も降り注いでいるが、小さな天蓋が全て受け止め打ち消している。
「聖なる、光か。まさかセルア様?」
島を覆う巨大な聖なる光は溶けるように消えつつある。
そして燐火のごとく粒が降り注ぎ、白竜の放つ光の雨を打ち消していた。




