676話 魔神白竜①
光の天蓋、すなわち聖なる光の結界は魔に対する絶対的な壁だ。
魔力の嵐から遺跡を守り続け、魔物からも守り続けた。それが破られたことは、特に原住民たちにとって衝撃であった。
ラーヤは特に慌てた様子で、走り去ってしまう。
「休む間もなしか。だが好都合だな」
「ああ、やるしかない」
シュウが呟くとシンクもまた続く。
まさか聖なる光を破ってくるとは思わず、出鼻を挫かれた。しかしすべきことは変わらない。シュウは魔術を使い、周囲の遺跡を浮かせていく。
「足場にしろ」
言い終わるよりも早くシンクは飛び出していた。強化した肉体は車よりも早く駆けていき、一度の跳躍で空を舞い、浮遊している遺跡へと降り立つ。
そこからさらに跳躍を繰り返し、いつの間にか白竜と同じ高さにまで昇っていた。
「部長! 俺たちはどうすれば!?」
「あ? あー……原住民を避難させておけ」
「いやいやいや! 飛行船に戻って逃げましょうよ!」
「だったら戻ってろ。白竜が天蓋に入って来た時点で聖守確保は失敗だろ。ああ、ついでに艦長を通じてハンス将軍に撤退を進言しろ」
「ッ! そうします」
傭兵たちは固定したワイヤーロープを伝って昇っていく。命懸けだからか、普段の訓練よりよほど早い。残ったのはシュウの他、ファイとミルディだけであった。
「シュウ殿、私も行きます。大公殿下をお任せできますか?」
「いいだろう」
「感謝します。ファイ殿下は必ず生き残ってください。責務は果たしていただきます」
「うん。分かっている」
《飛翔》の魔術を使い、ミルディも空へと昇っていく。
光の天蓋のもと、史上最強となった魔神を討つ勇者は僅かに二人。しかも聖守はいない。聖守に討たせてはならない。厳しい戦いと分かっていて、シンクとミルディは飛び込んでいった。
◆◆◆
旗艦に乗るハンス将軍は目を血走らせ、唾を吐くほどの勢いで命令を飛ばしていた。
「魔術装備はないのか! 魔導銃を出せ!」
「無理です将軍! 天蓋を通過した際に全て破損してしまいました!」
「ええい! ならば砲弾を用意せんか!」
ハンス自身、これが無意味な命令であることは分かっていた。飛行船はそもそもの設計思想として空爆を目的としている。空戦など、初めから目的にない。
(おめおめと逃げ帰る? ありえん。私は聖守様をお連れするべく選ばれた男だぞ。王政府軍、聖石寮、聖教会の期待を全て背負っているのだ。部隊が全滅しても、聖守様だけは確保しなければならん……ッ)
英雄となり帰還する欲がないとは言わない。人並み以上の野心があると自覚している。だがそれ以上に、此度の遠征は絶対に失敗できない。それだけの責務があるのだ。
大地震で崩壊し、シュリット神聖王国は求心力を失っている。
圧倒的な光で民の心を惹きつけなければ、数年と立たずに国は瓦解してしまうだろう。
「将軍! ハンス将軍! あれをご覧ください!」
「なんだ!」
「白竜と何者かが戦っています……あれは、ネロ社? 傭兵です!」
「貸せ!」
ハンスは奪うようにして望遠鏡を取り上げ、自身の目に当てた。白竜の周囲には巨大な遺跡が浮かび上がっており、それを白い羽が破壊している。そして遺跡を足場として飛び回る何者かの姿を見た。
すぐに視界から外れてしまい、慌てて追いかける。
だが中々捕まらない。
「馬鹿な……あれが人に可能な戦いだと言うのか? 六聖ですらあれほどではない」
「ですが今のところ白竜を押し留めているように見えます。あ! もう一人来ました! 魔術使いのようですね」
飛行の魔術を使い、白竜の死角へと潜り込んで火球を放つ傭兵の姿が見えた。こちらは比較的常識的な速さなので、どうにか眼で追える。
しかし魔術の規模は大したものだった。
「ふははは……はははは!」
「将軍?」
「はははははははは!」
突如として高笑いするハンスに訝しげな視線が集まる。
だが彼にとって、これは降って湧いた幸運。笑わずにはいられなかった。
「あの者どもが忌々しい白竜を……魔神を引き付けている。今の内に聖守様を確保するのだ。二十二代目様を説得し、ここで魔神を討つ! そうすれば我々は魔神討ちの英雄の一人に数えられるだろう!」
「しかし将軍、たったの二人です」
「ならばこそ急がねばならんな。ネロ社め。所詮は傭兵と思っておったが、金を払った分は働くではないか」
ハンスの皮算用は止まらない。
英雄となり、金も権威も思いのままとなった己を想像して奮起した。
「聖守様だ。聖守様を見つけよ。私も降りて直接指揮を執ろう。異教徒の原住民など殺してしまって構わん。我々の言うことを聞かぬなら、聖なる御名のもと滅ぼしてしまえ!」
狂気としか思えない命令だ。
しかしハンス直属の手勢たちは、賛同し、命令を実行するべき行動を始める。特に王政府軍人は顕著だ。倫理や道徳を残す聖石寮の術師たちは疑問を覚えつつも、今は指揮官に従った。
実際問題、聖守を手に入れなければ命もないのだから。
◆◆◆
シンクはかつて聖騎士と呼ばれ、魔神教における最大戦力の一つと数えられていた。魔神エル・マギアという魔装を授ける神を信仰する集団である。シンク自身も極めて強力な魔装に覚醒していたこともあって、かなり立場は高かった。
(まさか魔神と敵対し、殺し合うことになるとはな)
目の前の魔神と、神として信じていた魔神は異なる存在だ。それは分かっている。しかしかつて信仰対象であった存在と同じ名称をしているともなれば、思うところはある。
さらに言えば、魔神白竜は良く見知った相手でもあるのだから。
「クァアアアアッ!」
浮遊する遺跡を跳んで回るシンクに対し、白竜は絶叫を浴びせかける。精神を揺さぶり、恐怖を誘発する厄介な攻撃だ。
しかしシンクは剣の達人。
心の修行とて欠かしてはいない。そもそも覚醒魔装士なので耐性も高い。
「ふッ!」
小さく息を吐きながら、刃を振るう。
同時に聖なる刃は伸長して白竜の翼を切り裂いた。薄気味悪い液体が噴き出し、真っ白な羽を染めていく。しかしシンクの顔は厳しさを残していた。
「硬いな。聖なる刃で押し切れない」
白竜の翼は切断されておらず、切り傷のみで済んでいた。しかも再生能力によってすぐさま傷は塞がり、多少高度を落としたものの、再び空を舞い上がる。
更には羽が舞い散り、シンクのもとにも降り注いだ。触れるだけで物質を破砕する特異な魔術を帯びているため、大げさに回避する。
「柔らかそうな翼でこの手応えなら、鱗はほとんど通らないかもしれない。厳しいな」
降り注ぐ羽が遺跡を粉微塵に砕いていくさまを眺めつつ、また別の遺跡へと着地した。遺跡は次々と新しいものが浮遊しているため、足場には困っていない。
しかしいずれは尽きてしまうものだ。
「シンク殿!」
「ミルディ・リンディスか。早速だが頼りにしてもいいのか? 相手はあなたの……」
「分かっています。ですがあの子を魔神のままにはしておけません。あんな、苦しそうなままなんて」
「……ああ」
白竜は縦横無尽に暴れまわり、破壊の限りを尽くしている。しかしながらどこか、苦しみのようなものも見えていた。決してミルディの贔屓目ではない。シンクとて、そのように思えてならないのだ。
「扱える最大の魔術は?」
「炎の第九階梯を会得しています」
「アレを相手に第九程度では心許ないが……」
「これでも最高峰のつもりです」
「悪いが事実だ。それは受け止めてもらう。俺はかつて魔王と呼ばれる存在とも戦った。その時は第十階梯魔術を惜しみなく使い、それでも魔王の配下にしか役に立たなかったよ。白竜からはあの魔王……暴食王に匹敵する圧を感じる」
神聖グリニアが音頭を取り、ディブロ大陸の開拓をしていた頃のことだ。今となっては懐かしく、二度とあのような戦場は御免だと強く思う。
「魔王、ですか?」
「今の時代で言うところの終焉の六王だ」
「神話級の存在だということですね」
ミルディの表情は苦々しい。
歴代の記録を紐解けば、高位の魔術を使いこなす六聖であれば魔神とも戦闘が成り立ったという。しかしシンクの言が正しいのであれば、白竜となったアルネは桁外れの強さだ。
(魔神は代を経て強くなる。ファイ大公殿下のお言葉は真実のようですね)
もはや次の聖守が魔神を討ち果たしたとしても、その積み重なった呪いを受け止めることは不可能だという。まさしく史上最強の魔神というわけだ。
聖守もなく、六聖も揃わず、この四代目魔神に勝利しなければならない。
実に細く脆い可能性だった。
「俺の聖なる刃は魔力を打ち消す。魔神の心臓を壊せる唯一の可能性だ。だが魔力量が桁違いで届かない」
「勝てる算段はあるのですね?」
「聖なる刃の密度を上げる。一撃必殺に賭けるしかない」
「分かりました。私は何をすればよいのですか?」
「攪乱を頼みたい」
「承知です」
細やかな説明は不要だ。
白竜は耳が割れるほどの高周波で鳴きつつ、次なる攻撃を仕掛けてきた。地上の遺跡を割って樹木が現れ、それらは生き物のようにシンクとミルディを狙い始めたのだ。シンクが即座に切って捨てるも、その断面から新たに木は再生する。
地上部分も濃い緑が茂り、急激に広がろうとしていた。
「ッ! いけない!」
樹木が飛行船にまで伸びようとしていたのを目の当たりにし、ミルディが叫ぶ。しかし炎の魔術で身を守ることが精一杯の彼女ではどうしようもない。
そもそも迫る樹木に対して炎の効き目も悪かった。
(鎮火される? いったいどんな能力ですか!?)
確かに生木は燃えにくいが、そんな温い炎を操っているつもりはない。それでも樹木は炎を吸収しているかのように消してしまう。
「く……」
追いつめられ、やがて青々とした枝葉に覆い尽くされようとしていた。空中にもかかわらず、逃げ場を失ってしまう。
しかしその時、木々は引き裂かれて視界が開けた。
シンクが手助けしてくれたらしい。
「無事か!」
「お手間を取らせました。ですが飛行船が!」
「そちらは問題ない」
そう言われて目を向けると、飛行船にまで伸びようとしていた樹木は灰となって消失していた。正確に言えば黒い呪いのようなものが樹海に広がっており、その成長を押し留めていたのだ。
生命が侵される瞬間のような、悍ましき光景。
ミルディは身震いしてしまう。
「死の力だ。雑事は全て担ってくれるらしい。俺たちは白竜を攻める」
「ッ! ええ!」
シュウの正体はもはや暗黙の了解だ。
分かっていてもあえて触れない。そうすることで恩恵を得られる。そういう幸運のナニカだと己の中で再定義し、改めて白竜の姿を探す。
浮遊する遺跡群に阻まれ自由に空を飛べないようで、かなり攻撃的になっていた。
「どうしますか? 接近も困難ですが」
「あの羽が厄介だ。硬さを無視して破壊する効果がある。魔術の一種だと思うから魔力を張っておけば防げると思うが……」
「試したくはありませんね」
「ああ。回避推奨だな」
「ですがあの密度ではどうにも近づけません」
白竜は複数の厄介な能力を保有しているが、中でも破壊の羽は特筆するべきものだ。鎧のような防御を無視する破壊力を、ほぼ無尽蔵にばらまいている。また羽であるからこそ、速度こそないが軌道が読みにくい。避けるにしても困難な代物である。
「どうにか片翼を落とし、地上戦を強いる。勢いでもう片方も奪いたいが、そこは流れ次第だな」
「ならば私が魔術を撒き、羽を迎撃しつつ気を引きます」
「頼む」
シンクの気配が溶けるように消えた。
足音を消し、意を世界に溶け込ませ、浮遊する遺跡を使って白竜からの視線を切ったのだ。ミルディも初めは驚いてしまったが、すぐに己の役目を全うするべく動き出す。
まずは派手に。
炎の第九階梯魔術、つまり彼女が扱える最大の魔術を初手で放った。
「《紅蓮炎焼》!」
高火力の炎を雨の如く押し付け、爆発を伴う燃焼で敵を焼き尽くす大魔術だ。これ一つで戦術と呼べるほどの威力を誇り、これを会得しているからこそ六聖第一席としての地位は確立されていた。
花火のごとく散る爆炎が白竜の羽を巻き込み、また激しい爆破で気を引く。
当然、ミルディは狙われる立場となった。
「アルネ……ッ!」
激しく吼えて羽を撒き散らす白竜に、アルネの面影はない。
しかし対面すれば、やはり思ってしまうのだ。どうしてこうなってしまったのかと。
「お願い。魔神に負けないで。呪いに飲み込まれないで! あなたを思い出して!」
無意味と諦めていても、声を出さずにはいられない。何かの奇跡でアルネが意識を取り戻してくれるかもしれない。星盤祖は信じ足搔く者を助けてくれるのだからと、願わずにはいられない。
だが、そんなものはないのだ。
都合の良い奇跡があるならば、歴代の聖守は苦労しない。
「クァアッ! キアアアアアア!」
「これは!?」
空気が震えるほどの魔力が放たれ、ミルディは顔を両腕で覆った。しかしそれは誤りであったとすぐに気付く。右手の指先に痛みが走り、それが徐々に広がり始めたのだ。
白竜の持つ凶悪な異能の一つ、石化である。
(いけない)
気づいた時には手首まで石化しており、さらに広がっていた。咄嗟の本能で魔術を使い、己の右腕を切断する。気が狂いそうなほどの痛みは気合で捻じ伏せ、切断面はまたも魔術で焼いて止血した。
(なんて威力。私の魔力抵抗も抜いてくるなんて……)
石化の始まった腕は捨てた。
だがそんな簡単ではない。白竜のそれは目で見るという単純な工程で成立する驚異的なもの。つまり、視線が通り続ける限りは終わらないのだ。
ミルディの左肩、両足の先、また首。連続して覚えのある痛みが走る。
「ぃ、ぎ……」
もはや呻くことしかできない。
体が石へと作り替えられていく痛みは想像を絶するものだ。もはやモノを考える余裕もなく、先のように石化部分を切り捨てるだけではどうにもならない。
視界は歪み、音は消える。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
痛みの一色で塗り潰された。
体は動かず、飛行の魔術も維持できずに落下し始めている。もう囮としての役にも立たない。何一つ、成し遂げられない。
油断した。
力の差を見誤った。
そんな後悔が僅かに浮上する。
(嫌よ! こんな、終わり、なんて!)
死は怖い。だがそれよりも、何の役にも立てず終わることが怖かった。天才ミルディと持て囃され続けたにもかかわらず、肝心なところで為すべきことを為せない自分が嫌だった。
(誇れる! 姉として!)
都合のいい話だとしても。今からでは遅いのだとしても。
白竜を前にして無残で情けない終わりは許容したくなかった。ただそれだけの、小さくとも強い願いが最後の魔力を絞り出す。
(《紅蓮――炎焼》)
石化しつつあるミルディの肉体が砕け散る。また彼女の首から下げた大聖石が真っ二つに裂ける。
その二つの代償を払い、天地を焼き焦がす炎の雨が降り注いだ。
「ギアアアアアアアアアアアッ!?」
灼熱は白竜の翼を焼き、火達磨にしてしまう。即座に魔力吸収の異能を使って鎮火を試みていたが、すぐには収まらない。ミルディが放つ決死の魔術は、代償に相応しい魔力が込められていた。
そしてこの絶対的な隙を、シンクは見逃さない。
「確実に、斬る!」
限界まで圧縮し、刃と為した聖なる光が落ちる。
もはや見切れぬ速さで白竜の右翼を通過し、痛みすら感じさせずに切り落とす。そして翼を失った白竜はバランスを崩しつつも、もう片翼を使い滞空を維持しようとした。そもそも翼は浮遊用の魔術器官であって、羽ばたき空気を叩く必要などない。ただ明らかに精彩を失った。
(墜落すると思ったが誤算かッ!)
ただシンクからすれば予定外のことだった。翼を切り落とせば、そのまま地上に落とせると考えていただけに焦る。
白竜が困惑している今の内にもう片翼をも叩き切る。多少強引だがそう決意しようとして、止まった。
突如として根本が消し飛ぶようにして左の翼も千切られたからだ。
「好機ッ!」
シンクは刃を巨大化させる。
本来の、望む形の剣を生み出す魔装としての力だった。振り上げられた刃は天蓋に届くほど。そして遠目にも剣と分かるほど大きい。
「落ちろーーッ!」
それが降り降ろされ、翼を失った白竜へと叩きつけられた。




