674話 光の天蓋
北征部隊を乗せた飛行船は禁足地とされる境界線を通過し、順調に北上した。決して近づいてはならない危険な土地と伝わっていただけに、緊張は隠せない。しかし今となってはそれもすっかり解けている。
むしろ眼前に近づいている光の天蓋に、興奮を隠せないでいた。
「なるほど、イヴァリ様の預言の通りか」
王政府軍の将ハンスがそう呟く。
彼は今回の北征における指揮官であった。今回は極めて危険な土地へ向かうということもあり、軍事行動で頼りになる人物が選ばれた形だ。
「ハンス将軍、飛行船であの中に入れるのでしょうか」
「天蓋の性質も分からんのだ。試すわけにもいくまい。幸いにもまだ白竜はおらん。しかし悩ましいな」
目的地に到着しようとしているが、大きな問題がある。光の天蓋がある島まで、広い湖が広がっているのだ。また天蓋は島を綺麗に覆っているため、直接の着陸もできない。
当然、船など持ち合わせていないため湖を渡ることも不可能だ。
「魔物はおるか?」
「見当たりません。不気味なほどの静けさです」
「さて、どうするべきか」
聖守確保のため、今は一刻を争っている。魔神白竜がいつ襲ってくるかも分からないのだ。またシュリット神聖王国は大地震のせいで崩壊寸前である。聖守という分かりやすい象徴を、人々は求めているのだ。
前線基地を作り、じっくり構えるなどの方法は使えない。
「あの天蓋について探るべきかと進言します」
「ほう?」
「将軍、まずは天蓋が壁としての効力を持っているのかどうかを確認しましょう」
「もしも通り抜けられるのであれば話は早い。悪くない考えだ」
しかし危険を伴う。
飛行船は緻密な制御に向いていない。もしも天蓋が壁としての機能を有していた場合、衝突してしまうリスクが大きい。
「高度を維持し、上から何かを落とす……というのは如何でしょうか」
「あの天蓋よりも高く上がれるのか?」
「それは不可能です。ですので外縁部の、天蓋が低い部分に沿って飛行します。その道中で砲弾か何かを落としてみましょう。念のために一隻のみを使って」
「ふむ。ならば傭兵共の船を使うのが良い。大金を出したのだ。相応に働いてもらわねば困る」
実際のところは王政府空軍が飛行船を操る。
ただ、もしものことがあっても傭兵ならば損失も少ない。そういう計算だった。
◆◆◆
「光信号を受信。えー、『天蓋の外縁部を飛行し、砲弾を自由落下させよ』とのことです」
「なんだその命令は……」
ネロ社の傭兵を乗せている飛行船は、通称で三号船と呼ばれている。旗艦としている一号船からの明滅信号を解読し、その命令に困惑していた。
すると操舵室に訪れていたシュウが意見を述べる。
「おそらく光の結界の効果を測りたいのだろう。毒のような魔力からも内側を守り続けた結界だ。魔を退ける力があるのは確実。後は物質的に透過するかどうかを知りたいのだと思う」
「なるほど。理に適っておりますな。大変危険な飛行であることを除けば」
「可能か?」
「やれと言われればやってみせましょう。それが軍人というものです。それと爆撃室に連絡を。砲弾を三つ四つ、運び入れるように」
どこか苦労人らしい態度の艦長だが、貧乏くじに不貞腐れることもなく的確に命令を飛ばす。もしもの事態があっても傭兵が乗る飛行船なら被害は最小限、という意図もしっかり見抜いていたのにだ。
それもそのはず。
三号船の艦長はロマノ・スウィフトが空軍を創設した際、引き抜かれた古参。そして影の領域を攻略するため、ネロ社とも組んで数々の戦功を挙げた人物なのだ。シュウとも知らない仲ではなかった。
(さて、聖なる光がどの程度の強度か……流石に物質を分解するほどではないと思いたいがな)
反魔力、あるいは聖なる光と呼ばれる力は強度次第で効果が変わる。最低レベルならば剥き出しの魔力と対消滅し、消し去る程度。それでも魔術の無効化や魔物への特攻など、効果が高い。更に強度を増せば体内魔力をも打ち消し、消耗させる。そして果てにあるのが、物質を構成する魔力をも分解し、魂すらも崩壊させるという領域である。
(これだけ広大な聖なる光なら、魔力を打ち消す程度だと思いたいな。見た目にもそれほど強度が高いようには見えないし)
聖なる光とは魔力を打ち消すこの世ならざる魔力だ。
光として見えている部分は、通常魔力と対消滅して放たれている残光に過ぎない。そして物質をも壊すほどの反魔力であれば、もっと光は強く輝いているはずだ。
三号船は慎重に制御され、湖を越えて少しずつ天蓋へと近づいていく。間違って触れれば墜落するかもしれないという緊張が、操舵室の空気を重くしていた。
「もう少し寄せられないか? まだ砲弾を落としても届かんぞ」
「やってみます」
下が湖だからか、風も不安定だ。
操舵士は慎重に風を読み、高度を維持しながら天蓋へと近づけていく。
「よし、よし……いいぞ。その調子だ」
艦長の声に答える余力もない。
しかし見事に飛行船は天蓋へと接近し、もう間もなく直下に外縁部を捉えられるところまできた。あともう少し接近すれば、砲弾を落として試すことができる。
「爆撃室、準備はいいか」
『こちら爆撃室。問題ありません』
「よし。ではそちらの判断で砲弾を投下し、観測せよ。投下次第連絡も忘れずにな」
『承知しました』
再び訪れる沈黙。
呼吸をすることすら忘れ、その時を待った。爆撃室との通信は常に開かれ、成功の声を今か今かと待ち続けた。操舵士は手の汗で操縦桿が滑りそうになるのを感じ、必死に握りしめた。
そして待ち焦がれたときは、遂に訪れる。
『砲弾を投下、一、二、三……全て!』
「離脱だ!」
即座に艦長が叫び、飛行船は天蓋から離れるように進路を取る。ほんの少し舵を誤れば、ほんの僅かでも高度を誤れば、天蓋と衝突して墜落するかもしれない。そんな心臓に悪い航行から遂に解き放たれる。
更には爆撃室から良い知らせも届いた。
『砲弾は天蓋を透過したようです。損傷の様子もなし。三つとも全てです』
「ふぅ……結果論とはいえ、慎重を期過ぎたようだ」
「私も寿命が縮みました」
「操舵士、それに彼をサポートしてくれた諸君、よくやった。安全は確認されたようなものだ」
この報告は光信号を使って他の飛行船にも通達される。
おそらく問題なく、天蓋の中へと着陸はできる。彼らにとっては一安心であった。
◆◆◆
一方、信号を受け取ったハンス将軍は喜びも束の間、次なる問題を思案していた。それは天蓋の内側に入ったとして、着陸地点をどうするかである。
「さて、天蓋の中だが……遺跡のように見えるな」
光の天蓋は半透明で、内側が透けて見える。
かなり朽ちてしまっているようだが、巨大な都市の遺跡に見えた。大きな建物が見る限り建ち並んでおり、中央には王宮を思わせるものまである。
今のところ、飛行船を着陸させるに相応しい平地は見当たらない。
「滅びた王国、のようにも見えます」
「まさか。ここに聖守様がおられるのだ。滅びたということはあるまい」
「……そうでした。失礼いたしました」
「いや、確かにそのような印象は感じられる」
何とも説明し難い感覚だが、生きている国という気がしなかった。だからこそ、ハンス自身もあれを遺跡と呼んでしまったのだろう。
「また傭兵たちの船を先行させますか?」
「そうだな。実際に通り抜けられるということをこの目で見たい。命令を飛ばせ」
「は! すぐに」
先の検証で大丈夫だろうと分かっていても、いざとなると怖さがあった。三号船に乗る同僚たちや、ネロ社の傭兵たちからは反感を買うかもしれない。だがそれでも安心安全を確認したかった。
せこいと言われようと、ハンスは構わない。
全ては聖守を確保するため。国のため。そんな風に自身へと言い聞かせ、割り切る。
(そうだ。任務を達成し、帰還すれば私は英雄。北の地を征したとして歴史に名を遺すに違いない)
使い捨ての傭兵を使い、正規戦力を温存する。
正しい戦略だ。
「将軍!」
自己保身の言い訳を続けていたハンスは、現実へと戻って来た。
同時に操舵室内でけたましく警報が鳴る。
「将軍大変です! 北西の方角より飛翔体!」
「なんだと!? まさか……」
「そのまさかです! 魔神が、白い竜が来ました!」
彼はその方角へと目を向ける。分厚いガラス窓の向こうには、黒い点のようなものが見えていた。首から下げた双眼鏡を慌てて覗くと、その点の正体がはっきりする。
聖都シュリッタットをも襲撃した白竜。
そして今代の魔神であった。
「こちらに向かっています! このままでは……」
「こ、高度を上げよ!」
「間に合うはずありません!」
汗で酷く背中が濡れた。
血の気が引いていくのを感じ、周囲の喧騒すらも遠く聴こえる。ハンスはそれでも必死に頭を回し、悩ませ、そして結論を出した。ほんの一瞬のことだが、長い時を経たようにすら感じられた。
「天蓋へ飛び込むのだ!」
「しかし!」
「砲弾を投げ込んで安全は確認したはずだ! それしか我々が生きる術はない! それに見よ!」
ハンスが指差す先では、三号船が既に天蓋へ向けて舵を切り始めていた。先のことで最も天蓋からも近い。旗艦の命令も待たずに逃げ込もうとする点は憤慨ものだが、今はそんなことを気にしている暇もなかった。
「急げ! 回せ!」
彼らの船は慌ただしく舵を切り、天蓋に向かって速度を増す。
みるみる内に迫る白竜は、明らかにこちらを意識していた。間に合わなければ体当たりの一つで飛行船など爆発四散してしまう。空に投げ出されるなど、考えたくもない。
「見てみよ! 三号船が通り抜けたぞ!」
そして吉報が彼らを鼓舞する。
意図せず先行した傭兵たちの乗る飛行船は、問題なく光の天蓋を通り抜けたのだ。ならばそれに続くしかない。そして魔境において魔物に荒らされることなく守られ続けた光の天蓋を信じるしかない。
「急げ……急げ……」
指で手元のデスクを規則正しく叩く。そのテンポは実に早く、ハンスの焦りを如実に現していた。怒号が飛び交い、飛行船が出しうる最大の速度を以て天蓋へと突入する。既に三号船が通り抜けたところを見たとはいえ、その瞬間だけは思わず目を閉じてしまった。
まだ白竜は遠い。
だがもう遠眼鏡を使わずとも姿を視認できるほど近づいている。
「後どのくらいだ!」
「もう間もなく通り抜けられます。ですが二号船が!」
「何?」
己のことで精一杯になるあまり、もう一つの味方船をすっかり忘れてしまっていた。指揮官としてあるまじきことである。
ハンスは慌てて窓を見渡し、二号船を探す。
そしてすぐに見つけた。
「いかん……このままでは二号船だけ間に合わんぞ」
もう間もなく天蓋を通り抜けるこの船に対し、二号船はまだ突入すらしていない。このままでは完全に入りきる前に白竜の攻撃を受けてしまう。そして飛行船の性質上、気球部分を損傷すればそのまま墜落だ。赫魔戦線では空を飛ぶ個体などなかったので気にする必要もない弱点だった。そのため気球部分は意外と脆弱のまま残されており、容易く壊されてしまう。
「将軍!」
「今度は何だ!」
「白竜が……とにかく白竜をご覧ください!」
ほんの僅か目を離しただけだったが、白竜の動きが変わっていた。こちらへと向かうことを止めて、羽ばたきながら宙に留まっているのである。
諦めたのか、とも思ったが早計だった。
白竜の目の前に眩いばかりの光が集まり、もう一つの太陽の如く熱を放ち始めたのだ。それが何を意味するのか、分からないはずがない。
「急げええええええッ!」
喉が壊れるほど叫び、ハンスは狂乱気味にデスクを叩いた。
見ればわかる。あれは炎魔術の一種に違いない。そして炎魔術は飛行船にとって最大の弱点なのだ。飛行船が浮遊するため、気球の内部には軽い気体が詰まっている。低価格かつ軽い気体となれば、選ばれるのは水素だ。そして水素というガスは非常によく燃える。しかも爆発する。
その仕様を、空軍士官のハンスはよく知っていた。
「死にたくなければ急げ! 肉片になりたいのか!」
白竜の魔術はいつ放たれるのか分からない。まだ時を要するのか、次の瞬間には放たれるのか。目の前に死の恐怖が訪れ、もはや操舵室は狂乱状態である。
しかし彼らは運が良かった。
その時が訪れるよりも早く、飛行船は天蓋の中へと潜り込めたのだ。しかしそれでも安心できない。とにかく白竜から離れるよう、飛行船は速度を落とすことなく進み続ける。
「あ……」
強烈な閃光が窓ガラスから差し込み、誰かが声を漏らした。そして次の瞬間、弾けるような音と共に飛行船が揺さぶられる。
各々が叫び、安否を確認し、頭を抱えて伏せていた。
眼が焼けてしまったようで、光が途絶えてからも彼らは立ち上がることすらできない。
「何が……私は、生きている、のか」
「将軍! ご無事ですか将軍!」
「ああ。どうにか。まだよく見えないが体に痛みはない」
少しずつ皆も回復し、状況の確認を始める。まずは生きていることを喜び、そして白竜からどうにか逃れられた事実を星盤祖に感謝した。
あれほど激しく揺れたのだ。
誰もが死んだと錯覚した。
(……待て、ならばあの爆発はいったい)
ハンスは不意に冷静さを取り戻し、すぐさま答えに辿り着く。そして張り付くようにして近くの窓へと体を寄せ、目を走らせた。
探していたものはすぐに見つかった。
「……やはり、か。残念だ」
地上の遺跡で燃える残骸を発見した。
間違いない。二号船は、間に合わなかったということだ。気球内の気嚢が炸裂し、すっかり大破している。生き残りがいるとは思えない。
魔神との遭遇という不幸があったとはいえ、いきなり戦力の三分の一を失ってしまった。
幸先の悪い始まりだと、ハンスは呻った。
ヒンデンブルク号事件というのがあってじゃな…
飛行船に水素を使うと危ないです




