673話 禁断の地へ
最高神官代理となったイヴァリ・ロザリスは預言の間に籠り、北の地について知ろうと試みた。どちらにせよ飛行船の準備が整うまでそれなりの時間も必要だった。それに北は幼き頃より恐ろしい魔物の土地であると誰もが教わっている。無知無策のまま突撃するほど耄碌していない。
「見えました」
預言石に触れ続けるイヴァリは喜色を露にする。
傍仕えの神官たちも緊張を綻ばせた。
「イヴァリ様、どのようなものが?」
「言葉ではなく幾つかの光景が。私が求めたものであるならば、北の地について……のはずです」
どこか自信がなさそうな言い方に周囲は疑問を覚える。イヴァリは己の見たものを頭の中で反芻しつつ、言葉として紡ぎ始めた。
「まず見えたのは光の天蓋、そして白い竜。続けて祈る女性が見えました。様式は違いますが我々の法衣にも似ています。翡翠のサークレットをしていました」
血走った目の書記官が急いで書留め、一字一句逃さぬよう聞き入る。静かな預言の間に、ペンで紙をなぞる音が響いた。
「広い、広い湖。光の天蓋はその中心にあります。おそらくはこれが私たちが未到達の、北の大地。視点は少しずつ移動し、やがて聖都の、聖アズライール教会の、預言の間に到着しました。私自身をこの眼で見て終わりです」
「ま、魔物は。魔物はどのくらいいたのですか?」
「……いませんでした」
「いなっ……それは真ですか!?」
「ええ。一匹たりとも」
見間違いということはない。
それにたまたま魔物を見ることがなかったとも考えにくい。
北の地とはそれほどの魔境なのだ。
「何かの悪い前触れのようですね……」
「ですが星盤祖の導きです。きっと意味があるのでしょう。大地震に始まり、魔神の復活、そしてダンカン最高神官……いえ、元最高神官の不祥事発覚。悪いことが起こり過ぎました。預言にまで悪意を見出すことはありませんよ」
「己の不信仰を嘆くばかりです。失礼いたしました」
「いえ、不安に思う気持ちは分かります。異常は確かですから」
北の魔力嵐は晴れ、魔物も消えた。
それが何を意味するのか、分からないイヴァリではない。
(単に星盤祖の奇跡と喜ぶことができれば、どれほどよかったか)
都合よく、奇跡的に、何の理由もなく、ということはあり得ない。必ず因果が存在し、説明できる何かが介入している。イヴァリはその考えを基に、北で何が起こったのかを推察していた。
(白竜は魔力を奪う能力を持っていました。聖都を襲ったあの時も、魔力を奪われ気を失った人々が無数に存在しました。つまりそういうことでしょう)
彼は預言があったにしろ、正解を当てた。
そして四代目魔神となる白竜の脅威度を二回りは引き上げた。北の地に魔物がいないということは、全て魔神によって一掃されてしまったと考えるのが妥当だからだ。
もとより魔神の勢力と魔物の勢力は同一ではない。魔族は魔族、魔物は魔物だ。魔族と魔物が時に争うことをイヴァリは知っている。だから白竜が魔物を滅ぼしたとしても、あり得ない話ではない。
「急ぎましょう。嫌な予感がします。聖守様を今度こそ保護しなければ、魔神によってこの世界は闇に染められる。そんな気がするのです」
聖教会はすぐさま関係者に通達される。
大地震の後処理すら差し置いて整備された飛行船三隻が、夜明けと共に出発する。
◆◆◆
人々が大地震の片付けに追われ、明日の命すら心配しつつも目覚める。彼らは朝日を目にして生きている今日に感謝し、そして訪れる苦痛に絶望する。
そんな頃、シュウは既に空の上だった。
「助かりました、シュウ殿」
傍に控える傭兵が三人。
そのうちの一人、ミルディが頭を下げつつ礼を述べる。ネロ社が採用しているハデス製の装備で全身を固め、顔も覆面装備で隠している。よく見なければ女性であることすら気づきにくい。しかしお陰で飛行船へと潜り込むことに成功した。
「目的地に到着するまでは大人しくしておけ。お前たち三人は俺の直属小隊ということになっている。社内の奴らには怪しまれているかもしれんが、あいつらも口は軽くない。聖教会側にわざわざ告げ口する奴もいないはずだ」
「どうにか前提条件は達成できそうだね。シンク、君の未来視は反応しているかな?」
「いや、安定しない。だが稀に世界終焉の光景が見える」
「状況は良くなさそうだね」
多少の危険を承知でこの三人を密航させているわけだが、シュウとて善意ではない。思い通りに策を進めるための駒として三人を利用したかったからだ。
またもう一つ、未来視の力を頼りにしたかったこともある。
「確認しておくが、白竜を聖守に殺させてはならない……だな?」
「あぁ」
「その場合はどうなる?」
「迷宮から見たこともない怪物が出てくる。燃える目の怪物、それに続いて数多の怪物たちが。それらは怠惰王ベルフェゴールともまともに戦っていた」
「何?」
驚くシュウに対して、ファイとミルディは首を傾げている。
それでシンクは言い直した。
「今の時代では地王ベヒモスと呼ばれているのだったか」
「地王……終焉の六王の中でも強い逸話を残す厄災です。陸を歩み、国を均した触れ得ざる『王』であると。そのため人々は迷宮の中へと逃げ延びたそうです」
「あの魔王はまるで一つの山脈だ。動けばそれだけで人を滅ぼす」
「まるで見たことがあるような言い草ですが」
「ある。前の時代で挑んだ。だが勝てなかった。戦いすら成立しなかった。だから地王と戦闘が成立する時点で規格外の存在だ」
古代について多少の知識を有するミルディとて、地王の規模は想像もできない。実際、彼女が思い描くものは、実物を大幅に下回っていたほどだ。
だからシュウとシンク、そして未来視で同じものを見ていたファイだけが終末シナリオの重大さを真に理解していた。
「邪神どもか」
さらに言えばシュウだけは、怪物の正体に当たりを付けた。
地王ベヒモスと戦闘が成り立つとすれば、魔法に目覚めた『王』しかありえない。そんな存在が迷宮とはいえぽんぽん誕生するとも思いにくい。雷魔法に覚醒した鬼王の例があるとしても、むしろ二千年の中でその一例しかないのだから希少性は確か。そもそも多数の『王』が誕生していたのなら、未だに迷宮が形として残っているはずがない。
虚無の邪神が召喚されると推測するのが妥当だ。
「邪神……不穏な言葉ですね」
「でも神という括りは間違いじゃないかもしれないよ。嵐や洪水みたいに、人が抗えるものじゃない。ただ震えて過ぎ去るのを待つしかない、厄災さ」
「まぁ、納得……か」
「ともあれシンクに魔神を倒させればその未来は回避できるというわけだ。シュリットを出し抜き、先手を取る。どんな手を使ってもな」
シュウはマザーデバイスを使い、空中に映像を映し出した。現代からすればオーバーテクノロジーにもほどがある魔術だ。
しかしシュウの正体など、もはや暗黙の了解。あえて口に出していないだけである。
今最も重要なことは、邪神の出現を止めて世界を救うことなのだから。
「懐かしいな。ソーサラーリングか?」
「その上位機種だ。ハデスグループは俺が作った会社だからな」
「……なるほど」
シンクにとって今更知りたくなかった事実である。
つまり二千年前、なくてはならないインフラだったソーサラーリングが冥王製だったというわけだ。過去に戻れば必ず是正するべきと決意する。しかし直後に無意味なことだと考え直した。人は便利に流される。否定したとしても、時代に乗り遅れた老人と揶揄されるだけなのだから。
ともあれ仮想ディスプレイに映されたものへと意識を戻した。
「何と奇妙な」
この中で類似の技術に触れていないのはミルディだけだ。彼女だけは新鮮に驚いている。
映っているのは地上の様子。それも上空から撮ったもの。シュウが幾つかのコマンドを送ると、映像が切り替わって白竜が見えるようになった。
それも無数の魔物を蹂躙する白竜の姿である。
「これが今の魔神の様子だ。北の地で暴れまわっている。文字通り、魔物を殲滅する勢いでな」
「いっそ笑えるね」
「アルネはこれほどまで……」
「まともに戦って勝つのは難しいかもしれないな」
実際に戦うシンクとしても白竜の力を上方修正せざるを得なかった。魔の存在に対して防御無視を強いる聖なる刃といえど、白竜には再生能力もある。
今もその能力を十全に扱い、無双の強さを見せつけている有様だった。
「目的地となるのはこれだ」
シュウはもう一つの画面を出し、そこに湖を映した。中心には島があり、その島を光の天蓋が覆っている。しかしその中までは見えない。
「これは魔術を無条件で否定する結界……のようなものだと思ってくれ。そのせいで中までは見れない」
「……間違いない。セルア様の聖なる光だ」
「魔を否定。まるで《聖捌》の祝福です。十代目聖守様が保有しておられたという最も偉大な祝福の一つです」
「ああ。聖なる光と《聖捌》は同じものだ」
「だとすれば恐ろしいものですね。この島はそれほど小さくもないでしょう。ですが全てを《聖捌》で覆っています。これほどの規模、あの聖ネオンでも不可能です。このような力があるなら、魔神となったアルネに勝ってしまうのかもしれません」
「その通りだ。実際、白竜は少し前にこの結界と衝突した。そして中に侵入できず、魔力を消耗するだけに終わった。だから今はこうして魔物を狩り、魔力を集めているらしい」
白竜は存在を維持するだけでも常に莫大な魔力を消耗している。確かに驚異的な強さではあるが、継戦能力に弱点があるということだ。
矢面に立って戦うシンクは一つの解を出す。
「短期決戦ではなく、時間をかけて倒すということか」
「ですがそう簡単ではありませんよ? アルネは空を飛びます。不利と悟れば逃げることもできてしまいますから」
言うは易し、行うは難し。
シンクは思案するが、あの白竜を相手に長期戦を挑むとなるとかなり厳しい。遁走しようとするなら翼を切り落とすなど、止める方法はある。しかしその一択しかない状況では不測の事態で全てが台無しになる可能性が出てくる。
自然と、シュウに目が向けられた。
「分かった。俺が阻止しよう。魔神を俺が殺すわけにはいかないから、そこまでだけだ」
「助かる」
冥王の助力が得られることは大きい。現代でも神と崇められる存在なのだ。保険としてこれほど頼もしい存在はない。
「もう一つの重要な問題は、聖教会だね。僕たちが積極的に魔神と戦おうとすれば、きっと邪魔される。それに聖守を手に入れられないよう阻止することもしないとね」
「後回しでいいだろう。セルア様が聖守ならば、俺が説得できる」
「どうかな? 君のやろうとしていることは自己犠牲に他ならない。セルアという人物はそれを認めると思うかい?」
「それは……」
「僕としては聖教会が聖守と接触する前に片を付けるのが最善だと思うよ。まさか皆殺しにするわけにはいかないからね」
「当たり前です!」
ミルディが強く同意する。追われている立場とはいえ、まだ心は聖石寮にある。シュリット人としての誇りも失ってはいない。同胞を虐殺しようなどとは思わなかった。たとえ世界のため、またアルネのためだとしても。
「無駄なことだ。魔神に挑めば被害は大きくなる。意図せずとも死人は出るぞ」
しかしそう甘くはないことをシュウが告げた。
白竜の強さを知るミルディは反論もできず黙り込む。シンクとて、他を巻き込まずに決着するとは思わなかった。そもそも勝つことすら簡単ではない。下手な気遣いをすれば、己の命を失う。
「それと俺は必要ならば皆殺しも視野に入れる。優先するべきことは、ただ一つだ」
立場はシュウの方が上だ。ミルディがいくら忌避を感じていても、密航している身では逆らえない。シュウにとってどうしても必要な人物はシンク、そしてファイくらいなもの。ミルディなどついでのようなものだ。
それが彼女にとっては悔しかった。




