672話 道化師
人間の文明が栄える大陸より東。
ディブロ大陸と呼ばれる場所に、世界の神は住んでいた。ルシフェル・マギアという創造主はそこにあっても、世界の全てを見ている。眼を閉じ、世界が紡ぐ物語を楽しんでいる。
しかし不意に目を開いた。
「……断りもなく俺の前に出るか、道化よ」
視線の先にいたのは派手な装いの道化師。悪魔でも天使でもない。傍に控える終焉騎士団もまた、ルシフェルが告げて初めてその存在に気付いた。
伴侶たるアスモデウスも警戒した様子。
つまり魔法に至った『王』ですら、そうしなければならない相手だった。
「これはこれは物質世界の王様。僕は道化師。見たままです」
「黙れ、這い寄る混沌。いつの間に受肉した」
「あはは。流石は王様。ですが僕の混沌呪詛は全てと混じり、その境界をなくします。僕にとって世界は表も裏もない。どこにでも存在できるのです」
道化師は玉を手にしてそれを放り投げ、ジャグリングを披露する。かと思えば弦楽器をかき鳴らし、その余韻が終わらぬうちに逆立ちしていた。
動きに繋がりがなく、まるで全てが同時に起こっているようだ。
少なくともまともな説明ができない挙動をしている。
「我が主、全なる虚無はこちら側に酷く興味を抱かれました。籠に飼われた微生物なんて趣味が悪いですよ、って忠言したんですけどねぇ。そしたらぺしゃりと潰されてしまいまして」
ケラケラと嗤う道化。
終焉騎士団は眉を顰め、酷く嫌悪の視線を送る。言葉の節々からこちらを見下していることが分かり、不愉快だった。
「まぁ僕も忠実な道化師ですからね。やはり王を楽しませるには全力にならなければ! というわけで、色々と仕込んでいるわけですよ」
「帰れ、潰すぞ」
「どうぞどうぞー」
道化師はぐしゃりと潰れた。
ルシフェルの視線一つで仮初の肉体は破壊され、その魂までも粉々に砕かれる。しかし次の瞬間、再び道化師が姿を見せた。
「いや、速攻ですか。容赦ないですねぇ」
「この程度で死ぬ貴様ではあるまい。道化を演じた礼のようなものだ」
「あはは。ありがとうございます王様」
今度は破裂して砕ける道化師。
しかしやはりすぐさま復活する。
「……それで何の用だ」
「いえね。悪魔? という魔物がいるらしいじゃないですか。僕、それが欲しいんですよ。それでぐるりと世界を見てみたら、ここにたくさんいまして。でもほら、王様の領地でしょ? だから一応は許可を貰っておこうかなと。僕ってほら、真面目なもので」
「断る」
「あははは。やっぱりー!」
何がおかしいのか、道化師は腹を抱えて笑っている。それが不気味で、どうしようもなく気持ち悪い。
「いいじゃないですか。微生物なんていくらでも生やせるでしょ? それとも愛着湧いちゃった? いやいや王様。それは趣味が悪いですってー」
「趣味の良し悪しは俺が決める。俺が法だ。貴様の戯言など何の価値もない」
「確かに! これは一本取られちゃった! でも悪魔が欲しくて欲しくて! だめならその辺で適当に探しますよー」
わざわざ許可を取りに来てあげたのにいいの?
そんな脅しにも似た言い様だ。実際、ただ追い返しただけならば本当に適当な悪魔を攫っていく。そんな確信がルシフェルにはあった。
「貴様は何の目的で悪魔を求める」
「へ? いやいや。魔族を作るためですよー」
「魔族だと?」
「僕って今はダンジョンコアって小動物君と一緒にいましてね。いやー、混沌呪詛の使い手として恥ずかしい! まさかこんな面白……おっと興味深い使い方があったなんて! 二つの魂を混ぜ混ぜして微生物君より多少マシな羽虫君までランクアップする。素晴らしい! 羽虫程度にまでなれば僕も楽しめちゃいますから!」
大笑いする道化師の首が、不意に落ちた。
また腕や足も内側から弾け飛び、床に散らばってしまう。
「言いたいことはそれだけか?」
「あはははは。王様は過激だなぁ」
生首だけの道化師はそれでも返事を返す。あまりにも不気味な光景だ。アスモデウスも嫌悪感たっぷりの眼で見下し、終焉騎士団たちは動揺を露にする。
「僕は道化。王様を喜ばせる心得がございます。あちら側でも我が主のため、面白おかしく手慰みとなっておりました。ここはそう、僕の実績を信じてくださいよ!」
「生首が何を言うか」
「いえいえ。もう生首ではありませんよ」
言葉の通り、いつの間にか道化師は元の姿に戻っていた。床には血痕の一つもない。まるで先のことが全てなかったことになっていたかのようだった。
ルシフェルはすっかり面倒になったようで、犬でも払いのけるような仕草をする。
「もうよい。行くがいい。だが俺の直轄地から取っていくことは許さぬ。迷宮から望むままに悪魔を取っていけ」
「さっすが王様! お話の分かる方です!」
「心にもない世辞はいらん」
「いえいえ。僕は道化。王様を楽しませたい心は本物なのです!」
道化師は不意に笑みを浮かべた。真っ赤に塗られた紅で弧を描き、瞳がせわしなくぎょろぎょろと動く。
「頼んで駄目なら、海の底で眠る深き微睡君に一声かけようかと思いましたよー」
「やめておけ。あれを目覚めさせるなら塩の海龍が激怒しかねん。深き微睡はかつてあの子の眷属を取り込み受肉した。まだ怒りは冷めておらんだろう」
「うーん。僕も塩の柱にはされたくないですねぇ」
「そう言いつつちょっかいを出すからいつも痛い目を見るのだ」
「これはこれは! まさか王様が僕を気遣ってくださるなんて!」
ルシフェルは酷く冷たい目で道化師を見下す。
不機嫌になったのは明らかだった。そして引き際を間違えないからこそ、道化師は厄介なのである。
「ではでは! 許可もいただけましたので悪魔を採取してきます。どうか僕の喜劇をご照覧あれ!」
道化は煙となって消えていく。
約束通り、この国からは出て迷宮に向かったらしい。王の間にあった不穏な空気が緩んだ。
「ルシフェル様、あれは野放しにしてよいのですか? 余興とするには……」
「虚無の『王』どもを受肉させるつもりであろう。俺の創造物は滅びるやもしれんな。だが冥王がどうにかするであろうよ」
「そう仰るのであれば私は何も言いません」
「案ずるな。虚無どもが這い出てくれば、俺も腰を上げよう。人間は滅びるだろうが、創り直せばよい。ふむ、次があれば完全に魔力を取り上げてしまっても面白いかもしれんな」
憂いもなく、世界の王は思案した。
◆◆◆
二十二代目聖守保護のため結成された北征隊だが、出発まではそれなりの時間を必要とした。星盤祖の預言という大義名分が通るとはいえ、目的地は禁則地の北。国家を滅ぼしかねない魔物が無数に生息し、魔力が毒のように吹き荒れる土地だ。
「部長、俺は気に入らねぇっすよ。俺たちは傭兵だってのに、ほぼ強制徴兵じゃないですか。北はバケモノの巣窟だって俺のひい爺さんは言っていた。死にに行くようなもんだ」
「俺は毎日のように星盤祖に祈ってきた。こんな仕事だが、信心深いつもりだった。それがこの仕打ちかよ」
「逃げ出そう! 流石にこの仕事は危険ですよ」
ネロ社の傭兵たちは、今更ながら怖気づいていた。
イヴァリ最高神官代理の演説時は高揚し、活気に満ちていたというのに。今は冷静になってようやく仕事の危険さを理解したのだ。
それで彼らは崩れた本社の前でシュウに詰め寄った。
「落ち着け。今更どうにもならない」
傭兵は結局、己の利で動く存在だ。
金銭と己の命を釣り合わせ、勝った方を取る。北の地を征くなど、いくら金を積まれたところで釣り合わない。分の悪い賭けのようなものだった。
「この仕事から抜けたい奴、まずは手を挙げろ」
勢いよく三人ほどの手が挙がる。それに続くように、どこか遠慮がちな手がぽつぽつと挙げられた。数えてみれば合計で十四。
半数が抜けると宣言している。
(よく見れば受け入れている奴は大地震で家族を失ったやつらか。ヤケになっているか、最期に一花咲かせてみたいって願いか)
金を払っても買えない世の中になってしまったのだ。もはや金銭に価値を見出せないのだから、どれだけ報酬が高くとも意味がない。
「分かった。手を引きたい奴は手を引け」
シュウはあっさりと許可した。
警備部門の部長という立場だが、今は社長代理でもある。その言葉は社の方針と言っていい。傭兵たちは安堵を浮かべる。
「だが聞き知った情報は漏らすな。もしもお前たちの口から漏れたと分かれば、相応に対処する」
新しい聖守の情報は勿論、それに紐づくダンカン最高神官の大罪や魔神バアル・ゼブルの討伐は全て秘密事項だ。言いふらすようではネロ社の信用問題にかかわる。下手をすれば北征から外されてしまうかもしれない。それは都合が悪かった。
「抜ける奴は誓約書を書いて去れ。まだやる気のあるやつは待機だ。演習場でキャンプを張っておけ。今、北征のためにイヴァリ最高神官代理が預言を求めている。時が来ればお呼びがかかるはずだ。以上」
「部長、抜けていく俺が言うのも何ですが、聖教会への義理立ては大丈夫ですか」
「何とかする。そういうのは俺の仕事だ」
途中抜けした傭兵たちは、どこか遠慮がちに頭を下げて去っていく。もうこのままネロ社にも戻ってこないかもしれない。
また参加を決意した者たちも、待機のため去っていった。大地震のせいで本社も崩れてしまったので、演習場で時間を潰すことになる。彼らの中にも恐怖に負けて逃げ出す者が現れる可能性は低くない。
(さて)
一人になったシュウは、思案する。
半数が抜けたことに対する言い訳もそうだが、先ほどから感じられる気配についてもそうだった。隠れているつもりなのかもしれないが、魂を見抜くシュウの眼は誤魔化せない。
「出てこい」
瓦礫に隠れた三つの気配。
躊躇う様子を見せたが、すぐに姿を見せた。
「あー、その、困っているみたいだね」
「そちらもな。ファイ・セシリアス・ラ・ピテル」
北へ渡るための手段を探しているファイたち。
半数に減ってしまった人数を少しでも補いたいシュウ。
お互いの利害は一致していた。
「取引といこう。中身は言うまでもない、よな?」
「そう思うよ。ただできれば装備品と変装道具くらいは貸してくれるとありがたいかな」
「いいだろう」
シンク、そしてミルディへと視線を向ける。もしも傭兵として加わってくれるならば、抜けていった半数を問題なく補えてしまう。それどころかお釣りがくるほどだ。
「俺たちの目的は一致している。セルア様を聖石寮に奪わせないことだ」
「それとアルネを止めることです」
顔が出回っていないファイやシンクはともかく、ミルディは聖都でも有名人だ。しかし素顔が分からないほどの変装でも、傭兵の装備と言い張れば通じるはずである。
リスクはあるが、彼女の心意気を折るための時間はない。
だからシュウも合意した。
「俺の言うことには従ってもらう。それと余計な行動はするな。少なくとも目的地に着くまではな」
それから思い出したかのように、ファイへと手を差し出した。
「アルネから受け取ったもの、返してもらう。大事なものだ」
「そうだね。すっかり返しそびれていたよ」
ファイは懐から腕飾りを取り出した。オリハルコン製の貴重なものだが、ひび割れたように見える。しかし決して壊れているわけではない。これはただの模様だった。
ダンジョンコアを引きずり出すために用意した切札、アリアドネの糸である。
「これの用途も当初から変わった。まずはシンク……お前が魔神に勝ち、呪いを受け入れなければならない。そうすれば過去に送り返してやる」
「ああ、頼む」
「必要な術はアイリスが用意している。だがそのためには聖杯が必須だ。あれは今、白竜の体内に取り込まれている。壊さず取り出すことも忘れるな」
北征部隊に紛れ、異なる目的を果たそうとする者たちが集まった。
これはカス・オブ・カス邪神 (^^)




