671話 北征に向けて
聖アズライール大教会はなけなしの権威を使い、かき集められるだけの飛行船を集めた。その数は合計で三隻。たったそれだけである。
それもこれも大災害のためだ。夜が昼になり、大地震が国を割った。王政府空軍の訓練で使われていた僅かなものを除き、飛行船は地上に降りていたのだ。少なくとも安全性を確認できなければ飛ばせない機体がほとんどだった。
「傾聴をお願いします」
王政府軍、聖石寮、聖教会の神官、それから傭兵。
かき集められた戦力は整列させられる。彼らの前に立つのは暫定最高神官のイヴァリ・ロザリスであった。彼はこれでもロザリス公家の人間である。星浄連盟会とも繋がりが深く、権力の幅広さはダンカンをも上回る。だからこそ、緊急で戦力を集めることができた。
「まずは感謝を。この混迷の中、どうして北へと遠征しなければならないのか、疑問を抱いている方ばかりでしょう。皆様の士気のためにも、まずは説明しなければならない。私はそう思っています。ですので堅苦しいでしょうが、まずは耳を傾けてください。大切な話です」
厳格に、しかし言葉遣いは柔らかく。
イヴァリは巧みに彼らの心を掴みにかかる。
「私は今、最高神官の代理人です。なぜならば、ダンカン最高神官には裏切りの嫌疑がかかったからです。彼は二十一代目聖守を預言せず、先日ようやくセシリアス大公こそがそうであると明言しました。ですが異質なことです。クローディア自治領の次期大公殿下ともなれば、預言の公表に慎重な判断が必要でしたから、口を閉ざすことも時に必要でしょう。しかし彼はただ一人、己の心にのみ留めました。信頼のおける神官たち、また王政府へと相談の一つあってもよいでしょうに」
いったい何の話か、と多くが思う。
特に傭兵たちは既に飽き飽きした様子で、欠伸をかみ殺していた。しかしこの前提こそがイヴァリの正義を示すために重要なことだった。
「ダンカン・リンディスは偽り者でした。真なる聖守の名はアルネ・リンディス。彼の娘です。あの男は娘が聖守となり、早逝することを危惧したのでしょう。実際、近年の聖守様は短命でしたから。しかしその私欲のために聖守を隠し、更には偽りの聖守を立てたのです」
聖石寮や聖教会の面々は特に混乱させられた。
これが真実であれば大変な不祥事である。シュリット神聖王国の長い歴史において、このようなことは一度たりともなかった。一つ間違えれば国を滅ぼしかねない事案だ。
「無論、冗談ではありません。私の欲から来る反乱でもありません。星盤祖に誓うことができます。なぜならば私は預言を得たからです。私は祈りの中、星盤祖から声を直接賜りました。預言石に触れよ、と」
どういうことかと騒いでいた者たちは口を閉ざし、続きを聞き入る。神官が星盤祖に誓ったのだから、信じるに値するとひとまず判断したのだ。
「私は試されているのだと思いました。故にこう返したのです。『私は偉大なる力に清められた最高神官ではありません。ですから預言石に触れることはできないのです』。すると星盤祖の声はこう諭しました。『私が良いと言ったことを否定してはならない。私が清めたのだから、お前は触れることができる』」
イヴァリの言い分は理に適っていた。少なくとも嘘だと断じられる根拠はなく、それらしい。それに誰もが彼の言葉の続きを聞きたがっていた。興味がなさそうだった傭兵たちですら、聞き入り始めていた。
「それが私に起こった主の印です。そこで重大な預言が三つありました。まず一つ目は真なる聖守アルネ・リンディスにより魔神バアル・ゼブルが討たれたという吉報です。ダンカン・リンディスの不正を、星盤祖は見抜かれました。だから正しき聖守によって、正義はなされた。喜ぶべきことです」
小さな歓声が上がった。
まるで奇跡だ。いや、実際に奇跡だ。人の手によって隠された聖守が、神によって暴かれた。そして正義はなされ、かの魔神バアル・ゼブルが敗れ去った。
しかし次に、イヴァリはこの喜びを壊す預言をしなければならなかった。
「二つ目、それは新たな魔神が誕生したことです」
一瞬で場は静まり返った。
「知っての通り、魔神を討てど時を置いて新たな魔神が現れます。ですが今回、小さな平穏の時すら与えられませんでした。聖守アルネ・リンディスは魔神バアル・ゼブルと相討ちになり、もうおられません。ですが魔神だけは新たに生まれてしまったのです。そう、我らが聖都を襲った白き竜! あれこそが魔神なのです!」
イヴァリもまた、魔神と聖守の真実を知る者だ。公家で聖教会の権力層にいただけのことはある。だから新しい魔神が、先代聖守アルネ・リンディスであるという事実に嘘を被せた。
多少無理やり感はあれど、今は新しい魔神という衝撃で誤魔化せる。
「ですが不安になる必要はありません! そう、三つ目の預言。それこそが最も重要なのです。私があなた方を集めた理由もここにあります。もう、分かりますね?」
聖石寮の術師たちは察した。
聖教会の神官たちも続く言葉に心当たりがあった。
王政府軍と傭兵たちも、一部は気付いた。
「二十二代目聖守。その名はセルア・ノアール・ハイレン。かの御方は赤子ではなく、既に大いなる光によって祝福されている。そう預言されました。そしてかの御方がおわす場所こそ、北の大地。一国を滅ぼす魔物が跳梁跋扈し、魔力の嵐が人を拒む禁断の地! それほどの地で聖域を作り、魔を退けている聖なる乙女。その人物によって魔神白竜は討たれるであろう!」
シンと静まり返った。
しかしぽつぽつと、少しずつ拍手が増えていく。イヴァリの言葉は心を動かした。秘密を明かし、正義を示し、心を高揚させたのだ。
「星盤祖は我らを見ておられる! 我らの正義を喜ばれる! 恐れることはありません。大いなる力は閉ざされた北の大地を開かれました。もはや魔物も、魔力も、恐れる必要がないのです! あなた方は歴史に名を刻む英雄となるでしょう。すばらしき聖守を迎え入れた、英雄たちです」
もはやイヴァリの言葉を疑う者などいなかった。
王政府軍の兵士も、聖石寮の術師も、聖教会の神官も、また傭兵たちでさえも得られるべき栄誉に歓喜した。ただ一人、シュウを除いて。
(さて、間に合うか……?)
表面上は手を叩きつつ、内心では滞りがないか計算していた。
◆◆◆
時は少し遡る。
シンクたちの道程は苦難が続いた。
車で北へ向かい移動するにしても、二日はかかる距離だ。しかも大地震により使えない道も増えている。また燃料とて無尽蔵ではない。補給の必要もあった。
「ここも空っぽか」
「まさかこれほど治安が悪化しているとは。恥ずべきことです」
車の普及に伴い、燃料を供給する拠点も整備された。しかしながら見つけた拠点はいずれも空になっていたのだ。時にはシンクたちの車を狙い、武器で脅す集団までいたほどである。
六聖の一人として、ミルディは目を伏せる。
彼女の視線の先には気絶した暴漢たちが伏して呻いていた。
「仕方のないことだよ。この状況だからね。誰も助けてくれる人はいない。自分たちを自分たちで救うしかないんだ。それが悪の行いだとしてもね」
ファイだけは理解と共に同情を示す。
やり方は間違いだが、彼らなりの生存術なのだ。
「この国はかねてより食料自給率が低い。土地柄、農業に向いていないのです。プラハ帝国やヴェリト王国からの輸入も期待できないでしょう。これからもっと酷くなるに違いありません。残念なことですが」
「ともかく車を確保できなければ進めないな」
「ええ。難儀なことです。その便利な未来視でどうにかなりませんか?」
「残念だが今は見えない。役立たずですまないが」
状況は手詰まりに近い。
路上に設置してある案内板を見る限り、聖都シュリッタットにほど近いところまで来ているようだ。しかしここから徒歩で北を目指すのは現実的と言えない。辿り着けたとしても、手遅れになってしまうだろう。
「困ったね。どうしようか」
「この辺りで補給できるとすれば聖都だ。だが燃料はない。途中から徒歩で向かうしかないな」
「聖都で新しい車を見繕うってことだね」
「少し待ってください。まさか盗むつもりではないでしょうね!?」
仮にも正義の側として振舞ってきたミルディは強い抵抗感を示す。しかも星盤祖のお膝元たる聖都で盗みを為そうなど、不敬にもほどがあった。
「でもね、僕たちはまだ道程の半分ほどまでしか来ていない。同じ距離を歩いて、しかもこの治安の悪い中を進めると思うかい?」
「それは……そうですが」
「今更だろう? アルネのことを隠し、僕を聖守として黙認した。その時点で盗みなんてものとは比べ物にならないほど星盤祖に背いているじゃないか」
「……分かりました。分かりましたのでもう結構です」
ぐぅの根も出ないほどの正論に叩き伏せられ、ミルディも渋々賛同する。それに彼女として本当のところは分かっているのだ。今、小さな正しさにこだわっている場合ではない。一つの間違いで世界が滅びる瀬戸際にいる。
未来視の予言が正しいならば、もう時間がない。
「ッ! また見えた」
「聖都に向かうと決めた瞬間にだね。ということは、聖都でのことかな? もしかして行くべきではないとか?」
「いいや。これは……飛行船だな。俺たちは飛行船に乗っていた。すまない。また断片的で、しかもすぐに見えなくなってしまった」
「それだけ?」
「あぁ」
「これではどういうことか分かりかねますね。それにどうして飛行船などに」
「いいや、大きなヒントだよ」
シンクが見たものは判断に困る結果だった。
しかし未来を読むということにおいて誰よりも精通したファイが、その僅かなものから予測を立てる。未来視の性質、現状の情報、断片的未来を統合し、一つの絵を描いた。
「おそらく聖守を保護しようとしているね。アルネが魔神化してしまったのだから、きっと新しい聖守も生まれているはずだよ」
「セルア様か」
「うん。そのための飛行船じゃないかな。シンクが見た光景は、僕たちが密航しているところだったのかもしれないね」
「かなり危険ですが、確かに飛行船ならば車よりも早い。挑戦する価値はありそうです」
ミルディにとっても車の盗難よりハードルが低かったのかもしれない。先ほどよりも随分と乗り気であった。
「決まったね」
手を叩き、ファイは注目を集めた。
「僕たちはシュリットの中じゃ、犯罪者だ。でも世界を救うため、協力する同志でもある……と思っている。大丈夫さ。僕たちならきっと、正しい未来を引き当てられる」
「……俺はただ、俺の望みのために戦う。それだけだ。だが俺は未来視を託されてもアルネを救えなかった。この事態にまで陥ったのは俺の責任だ。責任は果たす」
「正直に言えば、アルネのことで恨んでいます。でも本当に悪いのは私と父。大公殿下もシンク殿もあの子を助けようとしてくれていた、と思っています。だから信じましょう。魔神になってしまったあの子を楽にさせてあげないと。それが私の償いだから」
各々、負い目はある。
しかしその傷を癒す間もなく、世界の滅びは近づいていた。だから心が砕けそうになっても、身体が崩れそうでも、罪人として追われる立場になっても、ただ勇者とならなければならなかった。




