670話 罪の露呈
車中は静かであった。
シンクが運転する車は落ち着きがあり、揺れも少ない。だからこそ、それぞれにとって考える時間となった。助手席にはミルディが座り、後部座席にはファイがいる。シュウとアイリスは勝手にどこかへ消えてしまった。やるべきことがあると言い残して。
(アルネ……)
ミルディは心の内で何度も妹の名を呼ぶ。
もう意味がないと分かっていても、止められなかった。後悔してもしきれない。こんなことになるなんて思ってもみなかった。
(もしも……仮にだけど。突き放さず慈しみ、信頼されていたら変わっていたのかしら)
アルネが聖守であると父に知らされ、嫉妬した。それがこれまでの態度の主因だったことは否めない。なんと子供じみた愚かなことを、と今になって思う。
実際、あの頃はミルディとて十代の多感な時期だった。情緒不安定だったと言い訳もできる。しかし、一時の感情が今を作ったのだ。
(失って初めて、痛みを感じてようやく。そんな話は聞き飽きてきたつもりだったわ。でも、私も同じ穴の狢だったってこと。本当に大切なことに気付けなかった。自分の誇りなんて、ちっぽけなものにこだわって。本当に馬鹿みたい)
未来が見えたというファイのことは、今更ながら羨ましいと思ってしまう。
そんな単純なものではないということも忘れて、ただ羨む。ファイには後悔などないように見えたからだ。実際、今回の結果について彼は悔いていない。仕方のないことだったと、諦めてしまっている。
「僕たちは魔神を倒さなきゃいけない。聖守よりも先に魔神を倒して、決着をつけないと。シンク、君の未来視はまだ機能していないかい?」
ファイは沈黙を破り、そう尋ねた。
ここで言う魔神とはアルネのことだ。ミルディの手前、遠慮した口調ではあった。
「断片的だが見える。正直、言葉にするのが難しい光景が」
「どういうものだい? できる限りでいいよ」
「……黒い太陽、あらゆるものを焼き、どんな攻撃も跳ね返す。そんな怪物が地を割って出てきた。あるいは風が山々を捲り、塵にしてしまう。燃える目の獣、見上げるほど大きな花、首のない白い巨人、無数の眼玉を持つ地虫、それと肉塊の……森? 自分で言っておいてアレだが、理解を拒むものばかりだ」
僅かに見えたその光景を思い出すだけで背筋が凍るようだった。気をしっかりと保たなければ運転にも支障がでるほどである。
一方で、ファイは何か納得したような様子だ。
「僕が見た世界滅亡の未来と似ているね。まずは燃える目の獣が現れて、そこから次々と怪物が這い出てきた。迷宮の底から、理解の及ばない怪物たちがね。あれを見れば魔物も魔族もマシに思えるよ」
「ファイ大公殿下、それは魔物ではないのですか?」
「どうだろう。魔物かもしれない。でも僕はあれを神のようなものだと思ったね」
「神、ですか?」
「僕たちクローディア自治領が信仰する死の神アークライト、君たちが信仰する星盤祖、プラハの三神、ヴェリト王国の始原母とかね」
先日の大地震で世界は崩壊しかかっている。シュリットとて例外ではない。ほとんどの連絡手段を絶たれ、国家としての機能は失われている。
そんな世の中で、神とも謳われるような魔物が出現したら。
人は終わる。間違いなく終わる。
「ミルディ、僕は冷酷な人間だ。そうやって世界を滅ぼすわけにはいかないから、色々な人たちを利用してきた。使い捨てることを目的にしたことすらある。だから罰なのだろうね。アルネを救ってみたい、運命に抗ってみたいと、欲を出した。僕はそんなものを抱くべきじゃなかったのに」
「……だから、あの子を殺すと?」
「未来視は僕の手から離れた。僕が知った未来では、魔神になったアルネは殺すしかなかったよ。シンクに引き継いだ今でも、そこは変わっていないと思う」
「シンク殿?」
「あぁ、ファイ・セシリアス・ラ・ピテルの言っていることは正しい。もしもアルネが魔神化すれば、選択肢はなくなる。聖守よりも先に殺す。そうしなければならない」
やはり納得できない、という思いが強かった。
アルネが魔神になってしまったこともそうだが、選択肢が一つしかないということを受け入れられない。
(魔神は魔神。いずれは倒さなければならない。でも、今、これから、すぐにだなんて)
心の整理もできない内に、アルネを殺すための相談をしなければならない。ただ気に入らなかった。とても浅ましいように思えてならなかったのだ。
彼女の想いはファイも見抜いていた。
「納得して素直に頷ける話じゃ、ないよね」
「ええ。初めから終わりまで、全てを説明していただきたいものです」
「待て」
そこにシンクが割り込む。
「今、見えた。このままヴァナスレイに戻るべきではない」
「見えた? もしかして未来が? それに戻るべきではないとはどういう意味だい?」
それに答えるよりもまず、シンクはブレーキを踏んだ。それから転回して元来た道を戻り始める。ヴァナスレイへと続く道を離れ、北へと進路を変えた。
「この方角は……聖都?」
「いや、もっと北を目指す。呪いの土地だ」
「北の……ッ! 不可能です。あそこは恐るべき魔物が支配しています。聖石寮は何度も挑戦し、その度に諦めてきました。下手に魔物を刺激すれば国が滅びます。私たちは負われた弱い魔物を追い払うだけで精一杯で――」
「もう魔物はいない」
ミルディが止めようとするのも妥当だった。しかしシンクは無礼を承知で言葉を重ねる。無論、彼女からすれば意味の分からない話だ。一瞬止まった後、少しだけ考える。
しかし結論には至らず、訪ねた。
「それはどういう意味ですか?」
「言った通りだ。魔神化したアルネが全て滅ぼした、のだと思う。俺が見たのは俺たちが北の地に辿り着き、そこで湖を発見したところだ。湖にアルネがいた」
「あの子が……まさかそれほどまで」
「魔神は先代の力を継承し、力を増す。アルネは間違いなく歴代最強だ。少なくとも出力はな」
「ちょっといいかなシンク。なら僕たちもこれから北に?」
「ああ、最初の話に繋がる」
何のことか、といえば車の進路を変えた話だ。
ヴァナスレイへと戻るはずだった道を変えて、今は聖都方面へ向かっている。さらに言えば聖都を通り過ぎて、北へと向かう予定だ。
「ファイ大公、ダンカン最高神官、それとミルディもヴァナスレイで捕縛される。どうやら指名手配されているようだ。状況から察するに、アルネのことを気付かれた可能性が高い」
「何ですって!? 父は!」
「手遅れだろう。それに助け出す時間もない」
「そんな……どうしてヴァナスレイに」
「分からない。だが聖都を離れてこちらに来ているようだ」
再び未来が見え始めたとはいえ、シンクのそれは断片的なものだった。幾つか見えた光景から状況を繋ぎ合わせ、推測するしかない。それでも反則級の力だが。
ヴァナスレイに戻れば捕まる。
そして時間を掛ければ白竜となったアルネを先に殺されてしまう。果てにあるのは迷宮から無尽蔵に生まれる神の如き怪物の群れだ。
「お父様は、間に合わないの?」
「あぁ」
「そう。ちなみに私の子供は? 家族は?」
「すまないが分からない」
ミルディは息を吐き、窓の外に目を向けた。
たった一夜。それだけで全てを失ってしまった。窓に映る彼女の顔は酷く歪んでいた。
◆◆◆
シュウはファイたちとは離れ、聖都へと戻っていた。目的地はネロ社の本社である。あの大地震以降、社長不在のままだ。シュウもアイリスもすっかり忘れていた。そこに社長秘書をしている妖精郷メンバーから連絡が入り、シュウが代わりに戻って来たのである。
「状況は?」
「事前にお伝えした通り、聖教会から要請がありました。戦力を買いたいと。明言はされませんでしたが、おそらくは次の聖守を確保するためかと」
「この状況だ。俺たちに頼るのも仕方ないか」
「ええ。目的地は北方です。あの地は無数の魔物がひしめく危険な土地ですから、彼らだけでは心許ないと思ったのでしょう。状況が状況でなければ、聖石寮や王政府軍だけでどうにかしたのかもしれませんが」
「今は治安維持や行方不明者捜索に手が取られているからな。だがこれも怪我の功名だ。俺たちが動けるなら都合がいい」
「こちらが出せる人員をリストアップ中だと返答しています。引き受けると正式に返答してしまって問題ありませんか?」
「あぁ、頼む」
聖教会は次の聖守について把握していた。つまりは預言を受けたということである。そして留守にしている最高神官ではなく、別の何者かが預言を受けたということだ。
「シュウ様、まだこれは聖教会内部……いえ、聖アズライール教会でも一部のみの話です。どうやらダンカン最高神官は罷免され、指名手配されたようです。それに伴い、六聖第一席ミルディ・リンディスも重要参考人として指名手配中。二十一代目聖守ということになっていたファイ・セシリアス・ラ・ピテルも罪人とされました」
「偽装がばれたのか」
「間違いなく。すぐにヴァナスレイまで通達されているはずです」
「……まずいな。あいつらも捕まるかもしれないってことか」
「いえ、どうやらシンク、ファイ・セシリアス・ラ・ピテル、ミルディ・リンディスの三名は北へ進路を変えたようです。予言の眼を使い、察知したのかと」
「わかった。ひとまずは問題ない。わざわざ助けてやることもないだろう」
怒涛の情報だが、いちいち驚いたり落胆している暇もない。事情が変わった今、計画も相応の修正を必要としているのだ。だから本来ならアイリスがここへ来るべきところ、シュウが代理でやってきた。
「アイリスはしばらく留守にする。魔力を過去へ転送する魔術を組み上げなければならないからな。妖精郷の時空系研究室総出だ」
「承知しました。ではシュウ様が社長代理として動かれるのですね?」
「一応は代理を証明する書類も用意してある」
「手間が省けて助かります。では?」
「ああ、出られる奴は出せ。俺も行く」
当初の計画通りとはいかなかった、総じてこんなものだ。大きな計画であるほど、小さな不確定要素に左右される。着地点がずれる程度なら可愛いもの。今回のように大きく計画変更させられることも少なくない。
しかし失敗のできない計画だ。
シュウ自身は勿論、妖精郷戦力まで総動員し、出し惜しみはしない。
(二千年前と今が繋がっているなら、俺たちの知る過去を今から作るまで。それに計画が上手くいけばダンジョンコアを無力化できるし、鬱陶しい邪神も封印できる)
最近は虚無世界からの来訪者があまりにも多い。ルシフェルが楽しみのため素通りさせているとも考えにくい。主導している黒幕がいると、常々思っていた。
その片鱗をようやく掴みかけている。
(逃しはしないぞ。ニャルラトホテプ)
赫魔の女王が死の淵にあって叫んだ邪神の名。
シュウからしても有名過ぎる邪神の中の邪神。今できうる全てのリソースを注ぎ込む気概であった。
◆◆◆
ダンカン最高神官はヴァナスレイへと到着後、聖スレイ教会で休息していた。名目上は大地震で不安になっている民を元気づけるというもの。しかし真の目的はアルネに会うことであった。
(ことを急いては疑われてしまいます。まずは表向きの仕事を片付けてしまわなくては)
小賢しいと自嘲する。
最高神官として人々の見本になるべく己を飾り立てても、中身はこれだ。自分勝手で愚かな指導者のため滅びた国など、歴史を覗けば枚挙に暇がない。
だからこれは正しい罰だったのだろう。
「ダンカン最高神官、いらっしゃいますね」
力強く扉が叩かれた。
休息中の最高神官の部屋だというのに、遠慮がない。そのことに多少の不満を抱きつつも、眠っているわけではなかったので対応する。
「どうかしま――ッ」
心臓が飛び跳ねるかと思った。なぜならば、扉の向こう側にいたのは審問官だったからである。聖教会は司法を担う側面もある。だから審問官とは、裁判官を兼ねた神官だ。特別な装具を身に付けているため、一目で判別可能だ。
この時点で、ダンカンは全てを悟った。
「聖アズライール教会より通達がありました。イヴァリ・ロザリス神官が預言を得たと。そのことであなたに嫌疑がかかっております。来ていただけますね?」
「……ええ、分かりました」
色々と聞きたいことはある。
なぜ最高神官以外は触れられぬはずの預言石に触れた神官がいたのか、どのような嫌疑であるか、これからどうなるのか、娘たちはどう扱われるのか。しかしそんな気力も湧かなかった。今まで積み上げてきたものが、崩れる音がした。




