668話 二十二代目聖守
ちくわ大明神
白竜による被害は北へ、北へと上っていた。
そして夜が明ける頃には聖都シュリッタットにまで到達する。朝日と共に白竜は降り立ち、頭が割れるような高周波の鳴き声で眠れる人々を叩き起こした。
「襲撃! 襲撃!」
けたましく鐘が打ち鳴らされ、サイレンが冷たい空に吸い込まれていく。すぐさま術師や王政府軍へと出動要請がかかった。
人口の多い聖都は、白竜からすれば良い餌場だった。
魔力不足に苦しみながら周囲より搾り取り、己の足しとする。
「クアアアアア!」
鳴き声を聞いて人々は発狂し、舞い散る羽のために白竜周辺は更地へと変わった。魔物退治の専門家たる術師ですら接近することもできず、その途中で魔力を奪い尽くされ這いつくばる。
まさしく厄災であった。
幸いなのは、聖都の外縁部に被害が集中していることだろう。白竜は移動することなく、その場に留まって魔力を吸収し続けている。
「遠距離から狙える魔術を使え! 狙撃魔術だ」
聖石寮もすぐさま戦術を切り替え、狙撃の専門家たちを招集。そして攻撃させる。火や土の魔術を主としている狙撃魔術は貫通力の高さが売りだ。
頭部や胸元など、急所と思しき場所を狙って一斉に放たれる。
「だめです。全く効果がありません」
「なんだと!」
狙撃手たちは残念そうに首を振り、指揮官は愕然とする。
白竜の魔力吸収が狙撃の威力を削ぎ落し、強靭な鱗によって無傷へと抑え込む。それが狙撃が効かない理由だった。しかし彼らにはこの短時間で原因を特定できず、ただ狼狽えるのみ。
「攻撃だ! とにかく攻撃を続けよ!」
接近も不可能。
遠距離攻撃も威力減衰が大きく、意味をなさない。
王政府軍も白竜へと接近を試みているが、やはり魔力を吸い取られて気絶させられている。もはや戦いすら成り立っていなかった。
「そんな、このまま聖都が蹂躙されると言うのか……」
大地震の直後で、聖石寮も王政府軍も本来より大きく力を落としている。まさしく泣きっ面に蜂。魔神復活で大きな被害を受けたことで、ヴァナスレイからの援軍も望めない。
「クアアアアアアアアアアアアアッ!」
白竜はひと際強く咆哮し、聖都全体を震わせる。
耳を塞いでも頭の中で響き、術師も兵士も次々と気を失った。一般市民は当然耐えられるはずもなく、再び眠るようにして倒れていく。
聖石寮の指揮官は気絶こそ免れたが、蹲っていることしかできなかった。
やがて咆哮は鳴りやみ、静けさが訪れる。
「……どう、なった」
頭の中が痺れるような感覚だ。静寂の中でもしばらくは起き上がれず、ようやく顔を上げた彼は状況確認しようとする。
「いない?」
朝日を反射する白い鱗は見当たらない。
あの竜は聖都のどこを見渡してもいない。咆哮も聞こえないし、戦いの音もない。
「逃げた? いや、見逃してくれた……? 助かったのか……?」
白竜にとって、聖都などただの魔力補給でしかなかった。
北方に感じる本命のための、中継地点。最低限の魔力を奪えば、もはや用などなかった。当然だが聖都の人々にそんなことが分かるはずもなく、どうして襲われたのか、白竜は何だったのか、なぜ助かったのか、何一つ理解が及ばなかった。
◆◆◆
魔神バアル・ゼブルの討伐と、新たな魔神白竜の出現。
この事実を知る者はシュウ、アイリス、シンク、ファイ、ミルディの僅か五人だけ。そして安易に口にできない秘密も含んでいる。状況の整理が必要だった。
(確認したい。この男は終焉の六王の一つ、冥王アークライト。初代聖守様の残した口伝が正しいなら、間違いなく)
ミルディはすぐにでも問いただしたかった
正体は分かっている。ほぼ間違いない。どう考えても一般人では無理がある。
(でも知らない振りをした方がいいこともある)
喉まで出かかった問いを、彼女は言葉にできなかった。もしもそれを口にして、真実だとして、不興を買ってしまったら。一度古代文明を滅ぼした存在を相手に、勝てると思うほど自惚れていない。それに今はもっと重要なことがある。
だから今は黙っていることにした。
「魔神の呪いを丸ごと引きずり出して潰すつもりだったが、状況が変わった。土壇場になってこれではな」
「まさかこんなことになるなんて。最悪だよ」
「ほとんどお前のせいだがな」
「……本当にすまないと思っている」
「いや、結果的にはこれでよかった。ただ俺という存在を知るなら、情報を共有してもらいたかったところだがな。そうすれば別の未来もあったかもしれない」
いつも自信に満ちていたファイは、酷く落ち込んでいるように見えた。予言の眼を引き継ぎ、この世の全てを悟っていた。それゆえの傲慢があったと認めざるを得なかった。
(失敗したのか。僕は。これが報いなのか)
目は託した。
もはや取り戻す方法もない。その上でこんな感情を向けるのは間違っている。それでもファイはシンクに暗く澱んだものを抱かずにはいられなかった。
気配に敏感なシンクはそれを察し、目を伏せる。
「言い訳をする。未来が、突然変わった。見えていたものが消えて、なかったはずのものが見えた。これはあり得るのか?」
「あり得ない、とは言えない。僕も未来視の全てを知っているわけじゃないから。でも、そうか。アルネの魔神化は変えられなかったんだね」
「……『眼』を過信した。俺が悪い。それに今も見える未来が濁っている」
これまで未来視の魔眼が間違ったことはない。ファイも歴代の王も信頼し、決して疑わなかった。その前提が崩れたのだから、シンクもファイも不安になる。
「血族以外に継承されたのは初めてのことだからね。何か不具合があったのかもしれない」
「俺には資格がなかったというのか」
「分からないよ。もう何かをするには遅いんだ。どうしようもない」
「悔いる時間はそこまでだ」
ファイにとって今の絵図は描いたものではなかった。しかしそれで悔いて時を浪費することをシュウは許さない。
「整理する。俺を含め、ここにいる五人は事情を知っている奴ばかりだ。まずはお前たち二人が描いていた未来を教えろ」
「……そうだね。もう起こってしまったことだ。誰かが知ったとしても意味がない。変わる未来も、もうないからね」
未来は流動的で、小さなことでも変わり得る。だからファイは未来を知っても、決して吹聴しなかった。誰かにとっての最良は、別の誰かにとっての不幸かもしれないからだ。
死すらも、その不幸には含まれる。
「魔神はシンクが殺すはずだった。そうすれば呪いはシンクに移り、シンクは死ぬはずだった。理由は分からない。聖守以外が魔神を殺すと、呪いに耐えきれず死ぬ」
「……意外だな。つまりシンクを殺すつもりだったとは」
「シンクも納得してくれたことだよ。ただ死ぬわけじゃないからね」
「どういうことだ」
「呪いは魔神討伐者に移行したとき、その人物を次の魔神に変えてしまう。これまでは魔神を討った者は全員が聖守だった。聖守は……そう、神に選ばれた特別な存在。呪いを受け止める器があったんだろうね」
「いいから答えろ。その話はいい」
「物事には順序がある。まずは最後まで聞いてくれ」
何を悠長に、と思った。
だがこれはシュウに対する説明というよりも、ミルディに対する説明だった。アルネの運命を弄んだ責任を果たすための。
「もしも聖守以外の人物が魔神を討ったとして、呪いがその人物を殺したとして、呪いはどこに行くと思う?」
「消えてなくなるか、呪いが聖守を探して乗り移るかじゃないか?」
「あぁ、確かにそういう考え方もあるのか。器を求めて魔神の呪いが動く、か。でも外れだよ。そのどちらでもない。呪いは呪いとして独立する」
どういう意味か。
その問いかけをする前にファイは続ける。
「器のない呪いの姿。つまりは魔神の本体だよ。それが存在する限り、聖守と魔神の因果は終わらない」
聖守ではない者が魔神を倒し、さらにその人物を犠牲にして初めて現れる本質。もしもそんなものがあるならば、話は変わってくる。
「ちょっと待って欲しいのですよ! シンクさんにとってどんな利益があるのですか。しかも呪いの本体が具現化したとしても、それを滅ぼす術がないと意味が……」
「僕が話してもいいけれど、ここからはシンクが語るべきだね。君が見ていた未来は僕も知らないわけだし」
「……そうだな。おおよそはファイ大公が知るものと変わらないと思う。異なる点はアルネが魔神化しなかったことだけだ。俺が魔神を殺し、俺は死ぬ。そして魔神の呪いとして再顕現する。その予定だった」
その言い方に違和感を覚えたシュウは、確かめるべく問いかけた。
「呪いとしての魔神の意識は……お前ということか?」
「そうだ。俺は肉体を捨て、『魔神』という概念となるはずだった。魔力だけの存在だ。アイリス・シルバーブレットが語ってくれた条件を満たせる」
「あ! 過去への遡行ですね!」
「鍵として使うのは神器の聖杯だ」
「納得なのです。聖杯は召喚属性や時空属性を基礎にしているのですよ。魔力だけの存在なら、過去に存在した聖杯へと正確に転送することができなくもない……かもしれません」
シンクの口にした未来絵図が事実であるとすれば、シュウとアイリスは思い当たるものがある。今から二千年以上昔のことだが、忘れてはいない。というより、今の話を聞いて完全に全て繋がった。
(俺から逃げた黒い男か)
神器・聖杯のルーツを辿れば、二千年前の終焉戦争まで行きつく。聖杯教会という魔神教の異端が使っていた儀式道具だ。
聖杯教会の儀式によって無数の悪魔が召喚され、神聖グリニアが敗北するきっかけの一つになった。
「その事実、やはりもっと早く知りたかった」
「知ればまた未来は変わった。悪い方向に変わる可能性も高かった。だから詳細を語るわけにはいかない」
「なるほどな。お前たちのいつもの文句か」
何と都合の良い話か、と呆れ半分だ。あれだけ引っ掻き回しておいて、結局これかと思わないでもない。あれほど準備していた秘策もファイたちに潰されたようなものだ。
しかしながらファイやシンクからしても同じである。彼らには彼らの計画があり、シュウやアイリスによって邪魔されたようなもの。当然、聞き返してくる。
「そちらはどういうつもりで動いていた?」
「僕も気になるね。場合によっては世界滅亡もあり得た。迷宮から何かが現れてね」
「魔神の大本を引きずり出し、滅ぼすことが目的だ。そうだな……」
一瞬、シュウはミルディに目を向ける。
ほとんど話についてこれていない彼女だが、続くシュウの言葉には目を見開いた。
「魔神と星盤祖は同じ存在だ。全てをまとめて滅ぼすつもりだった。そういう意味では魔神の呪いを消したとしても意味がない。星盤祖はまた魔神に変わるナニカを作る」
「ありえない!」
そう叫ぶことは容易に想像できた。しかしながら理性的に反論し説明したところで納得は得られないだろう。だから無視して続ける。
「魔神の呪いをきっかけに、その源流の力を丸ごと引きずり出す。それがアルネに与えた『お守り』だった。残念ながらお前が外してしまったがな」
「申し訳ないけれど、外すしかなかったんだ。アルネがあれをつけた状態で魔神を討てば、『燃える目の怪物』が出てくる。魔神よりも恐ろしい存在だよ。厄介なことに、怪物はこのまま何もしなくても現れる」
「なぜだ?」
「魔神の呪いが強くなりすぎたんだ。もう次の継承はない。たとえ聖守による勝利があったとしてもね」
「……そう都合よくはいかないか」
心当たりはあった。
初代聖守スレイが勝利したとき、魔神化するまで猶予があった。そして次に勝利した聖守ネオンは魔神化した後、理性を失っていた。そしてアルネはもはや魔神化までの猶予すらなかった。
「次の聖守が特別ということもあるけどね。それがシンクにとって最も許せない理由でもある」
◆◆◆
「お止めくださいイヴァリ様!」
「邪魔だ。星盤祖のお言葉なのだ!」
聖アズライール教会の奥は酷く騒がしかった。聖都を襲った謎の白竜について、教会へと問い合わせる声は多い。あれが何か、預言はないのか、早く討伐させろ、など声は様々である。
しかしながら最高神官は不在だ。
ダンカンは飛行船を使ってヴァナスレイへ赴いていたから。
「お言葉があったのだ。預言の間に向かえと。力の言葉を聞けと!」
「ですがそこは最高神官様のみが……」
イヴァリという神官は周囲を押し切り、預言の間へと入った。これでも彼は権威ある神官だ。星浄連盟会に所属し、横の繋がりも強い。言葉で諫めることはできても、強硬手段は取れない。
それにこんな時だ。
預言を欲しいと思ってしまう。
「これが預言石。やはり私を求めている」
本来なら最高神官のみ触れることのできる預言石が、酷く輝いていた。預言の間に入った瞬間、イヴァリは己が選ばれたことを確信する。
まわりが止める声も聞こえず、吸い寄せられるようにして預言石へと手を伸ばす。
『告げる。魔神バアル・ゼブルは斃れた。二十一代目聖守アルネ・リンディスは呪われ、白竜の魔神となった』
「は?」
思わずイヴァリは呆けた声を漏らしてしまう。
情報を処理できない。しかしそんなことお構いなしに預言は続いた。むしろ次の預言こそ、最も重要だった。
『告げる。二十二代目聖守の名はセルア・ノアール・ハイレン。遥か北、魔力の嵐に侵された地。大いなる湖を目指すのだ』




