667話 計画の狂い
恒王ダンジョンコアは迷宮魔法に目覚め、大陸の地下に己の世界を構築した。星盤祖、始原母といった意志ある化身を分離し、人間を宗教によって支配した。実を言えば他にも化身は創っていたが、それらの民は覇権を握ることなく滅びてしまった。神器も支配が及ばない地上で魔力を徴収するための媒体として生み出し、実際に役目を果たした。
さて、ダンジョンコアは魔法によって自分自身の魂を分かち、役目に応じて分配した。
しかしそれらは元のダンジョンコアと言えるのだろうか。
ばらばらになり、それぞれで意思を持ち、無数に分かれてしまった。元は冥王の魔法から逃れるための手段だったが、いつの間にか増えることそのものが目的となった。意志あるこの世の法則となり、存続し続けることが意義となっていった。
『もはや三代目魔神に勝ち目はあるまい。新しい魔神が必要だ』
『”魔神”は何をしていた』
『いいや。この場合は”聖守”が強すぎた。七代目の時と同じだ』
『あれは”始原母”が祝福の規模を誤ったのだ』
『我の責任ではない。そも”星盤祖”が要望したのだぞ。本来の七代目をプラハ帝国の皇子なぞにして、手に入れ損ねた。シュリット人の信仰を取り戻すためには真なる七代目としてロールズを英雄としなければならなかった!』
『待て。確かにあれは我の失態だ。いや、そもそもロールズは才があり過ぎたのもある。あぁ、これも言い訳か。それを見極められなかった我の不徳とするところよ。だが今回は違う。二十一代目の才能は素だ。よもやあのような魔装を持つとは思うまい』
『しかし調子に乗って強化したのではないか?』
『冤罪である。我は公正なる力の意思、”星盤祖”だ』
現代の恒王に本体はいない。
全てが本物で、従属関係は存在しない。”星の加護”、”星盤祖”、”始原母”、”聖守”に”魔神”、それから迷宮神器たち。それぞれに個別の意思が宿っている。
『どうする。冥王が何かを企んでいるようだが』
『油断ならぬ相手だぞ。魔神を使い何かしようとしている』
『ならば早く四代目魔神を作ってしまえ。何をしているのか”聖守”よ』
『すでに力は充分だ。だが最高神官が隠していたせいで育ちきっていない。これは”星盤祖”の責任だ』
『ともかくまた強い魔神を生み出し、聖守という英雄で我に信仰を集めればよいのだ。”聖守”と”魔神”よ、頼むぞ』
『Pulyk.TolKEviNwEr JOk oUoLKcF』
『待て! 今何かいたぞ!?』
ダンジョンコアたちの会合は結論を出す。
途中で何か混じっていた気もしたが、今はそれどころではなかった。
『我に任せよ』
『できるのか”聖杯”?』
『偶然にも二十一代目とは相性が良い』
『……つくづく七代目を思い出すな』
『やめよ! 奴を思い出させるでない!』
『この話は控えるとしよう。”魔神”の奴が発狂しておるわ』
『情けない。我ら神器と異なり、大役を与えられているというのに』
聖守アルネと魔神バアル・ゼブルの戦いの裏で、ダンジョンコアたちは時代の結末を描いていた。
『PulKcF. schrafvhAT』
ダンジョンコアは己を分割し、小さくしすぎてしまった。
だからいつの間にか混ざっている存在を、許容してしまっていたのだ。ダンジョンコア自身の、本来の、核心といえる意思は果たして残っていたのか。
それすら考えることができなくなっていた。
◆◆◆
魔神バアル・ゼブルは不出来だった。
理性を完全に失い、暴走するだけの存在となった。もはや呪いに乗せられた黒い感情が、人間に耐えきれるものではなくなってしまったのかもしれない。本来ならば引き出せるはずの、過去の魔神の力すら使わなかった。
そのせいで新しい魔族も生み出されず、減っていく一方。
新しい魔神に移行することでダンジョンコアたちは合意していた。そして対象となったのは――。
『力を与える。我と一つになれ、アルネ・リンディス!』
本来ならば魔力と肉体を捧げ、神器と一体化する。才がなければいくら熟達しようと辿り着けない神器使いの境地。
それを神器の側から強制する。
「え……!?」
アルネは意図せず第三の眼を開き、空には幻想の天秤が具現した。代価となるのは当然、アルネの魔力だ。莫大な量を一度に抜き取られ、彼女は膝を折ってしまう。
(どうなっている?)
シュウは異変を察知し、腕を差し向けた。狙うべきは空に浮かぶ光の天秤だ。死の魔法で魔力を奪い、破壊しようとする。
光の天秤は溶けるように消えてしまった。
「何!? アルネ!」
「これはどういうッ」
これにはミルディもファイも驚かされた。
だがそんな言葉を発している内に事態は変化する。
『勝った! 一手の差、寸分の差で勝ったぞ冥王よ!』
聖杯の天秤は消えた。
だがそれは死魔法で掻き消されたわけではなかった。ただ役目を終え、術が終了した。それだけのことだった。手応えのなさにシュウは舌打ちし、アルネへと目を向ける。
「ぁ、ぇ?」
彼女は蚊の鳴くような、か細い声で状況を理解しようとしていた。
口から、鼻から、両目から、そして耳からも血を流している。それどころか肌に浮かぶ白い鱗の隙間からも流血していた。まるで皮膚が裂けているかのように。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い)
翼が大きく広がる。それこそアルネの数十倍もの大きさにまで。それに伴って羽も舞い散り、触れたものを消し飛ばし始めた。
すぐにシュウはミルディとファイの前に立ち、死魔法の領域で近づく羽を消していく。こうしている間にもアルネの変異は続いた。
「う、ぁ……ああああああああ!」
肌の下で蠢き、骨や内臓が掻き回されるような痛みと不快感が襲う。身体がバラバラになってしまうような衝撃が内側から何度も押し寄せる。
衣服も裂けて、アルネの身体が変わっていく。腕や足は太く、背中が盛り上がって尾が生えた。全身にまで広がった白い鱗のため、もはや元の面影もない。
「アルネ? アルネ!」
「待つんだミルディ。羽に触れると危険だ。ここから動いてはいけない」
「でもあの子が!」
これは異変だ。
アルネの姿は少しずつ、飛竜系魔物に近い姿へと変わりつつある。曇り一つない純白の鱗のためか、どこか神聖さすら感じてしまう異質な姿だ。
『これは素晴らしい肉体だ。なんという才能か! 覚醒に至らずともこれほどの力!』
聖杯は歓喜していた。
アルネの底に眠る魔装の全貌を暴いたからだ。覚醒にはまだ至っていないにもかかわらず、この規模。そして多彩な能力。魔神になればどれほどの高みに至るだろうか。
「キアアアアアアアアア!」
アルネは変異を遂げ、白き竜となる。
羽毛のような翼からは破壊を雨のように降らせ、それらは再生しつつある魔神を粉々に吹き飛ばした。嵐の化身となった魔神バアル・ゼブルの、あまりにも呆気ない最期。
そして魔神の死を引き金として、呪いは発動する。
「あれは!」
「呪いか」
砕け散った魔神の遺体は光る鎖に変化する。それらは吼える白竜へと殺到し、その首や胸へと食い込んでいく。不思議なことに、鎖は体内へと沈み込むようであった。
シュウは既に呪いが始まっていることを察する。
未来視で知っていたファイもアレが何を意味するのか理解したようだったが、ミルディだけはただ混乱していた。
(肝心のアリアドネの糸はファイに外された。このままだと通常通り、魔神が継承される……)
白竜はその器に魔神の力を注ぎ込まれ、四代目として成立する。それだけではない。初代魔神アリエットの残した憎悪の呪いが焼きつけられ、シュリット神聖王国に敵対する悪となる。
しかも新たな魔神の暴威は、これまでと比較にならない。
「ォォォオオ! キアアアアアアアアア!」
天に向かって吼えると同時に、大きく翼が広げられた。鳥のような羽毛の翼からは羽が舞い散り、暴風と共に広範囲へとばらまかれる。羽の一つ一つが物質に触れた瞬間、その対象を消し飛ばす効果付きだ。シュウが守っていなければファイもミルディも死んでいた。
そればかりか咆哮と同時に黒い風と雷も放射され、隙間なく破壊を生み出す。継承した三代目魔神の能力そのものだった。
「これは……どういうことなのです?」
アイリスが到着する。
戦いに巻き込まれないよう、少し離れた位置に転移してから飛行してやってきた。破壊の羽の被害も受けたせいで、少し遅くなってしまったのだ。
続けてシンクも到着し、苦々しく白竜を見つめる。
「なぜだ。アルネがこうなる未来は消えていたはず。どうしていきなり未来が変わった……?」
黒い風、雷、破壊の羽を聖なる刃で撃ち落とす。
シンクとしても動揺は激しく、その剣の腕は精彩さを欠いている。それでも無傷で攻撃を捌き続けているのは、アイリスに腕を再生してもらったお陰だった。そうでなければここで死んでいた。
「キアアアアア! クァ!」
四代目魔神、白竜は吼える。
悲しむように鳴く。
魔神の呪いが魂へと打ち込まれ、焼け付く憎悪に苦しみ悶える。制御し切れない力の奔流に振り回される。そして覚醒していないアルネは、この形態を維持するだけの魔力が足りていない。だから擦り切れるほど力を絞り出し、苦しんでいる。
神器・聖杯によって強引に本来の能力を引き出されたせいだった。
「ダンジョンコア! そこまで生き汚いか!」
珍しく、本当に珍しくシュウが感情を露にする。
そして死の法則を映し出す目が、白竜の奥底に巣食う異物の存在をも見抜く。清水に混じる泥のような、汚らわしい魔力を知覚する。
「お前がセフィラの言っていた黒幕だな」
白竜が取り込んだ神器・聖杯。
その器を満たす、汚らわしい泥。冥界に捉え、貶め、滅ぼすべく魔神術式を伸ばす。しかし魔神白竜は勢いよく天へと舞い上がった。小さな羽ばたきであっという間にはるか上空まで到達し、北へと去っていく。
「待って、アルネ……待って……」
「落ち着くんだミルディ。まだ羽が! 危険だ」
「あの子が、あの子が」
アルネは奪われた。
自分で決めるはずだった運命を。
◆◆◆
魔神となった白竜は魔力を求めて暴走した。己を維持するための魔力を得るため、焼き切れた理性で魔力を喰らおうとしていた。
最初の犠牲になったのは、最も近くの大都市ヴァナスレイである。
「キアアアアアアアア!」
頭が割れるような高周波の鳴き声が、まだ眠りに就く街を叩き起こす。降り立つ白竜のために地揺れも起こり、大地震を経験した民を再び恐怖させた。
しかしそれも一瞬のこと。
目を覚ました人々はすぐさま全身から力が抜けて、気を失ってしまう。
「ォォ……クァッ!」
周囲の魔力を吸収する能力で力を奪われたこと、発狂させる咆哮を聞かされたこと、そして精神的にも肉体的にも疲れ果てていたこと。様々な要因が重なり、目立った混乱はない。
この襲撃によって目を覚まされ、再び眠らされるのみ。
そして白竜も降り立った際の破壊以外、何もせず再び飛翔する。魔力を少し補給して、次を目指したのだ。
「あれは、いったい……!?」
そしてヴァナスレイ近郊にまで到着していた最高神官ダンカンは、白竜の姿を目撃する。着陸予定だったヴァナスレイに降り立った魔物らしき存在のため、飛行船内は酷く騒がしかった。
幸いにもすぐさま北へ飛び去ってしまったが、警戒もありしばらくは着陸できそうにない。
「白い、竜……」
預言で見えたアルネの姿が不思議と思い出される。
呪い子の姿となり、髪まで真っ白になってしまった娘の姿。ただ色が似ているだけだと言うのに、嫌な予感が拭えなかった。
◆◆◆
「結果的にアリアドネの糸を発動せずに済んでよかった、か」
「シュウさんの見立て通り、混じっていたんですよね?」
「アリアドネの糸はダンジョンコア用に調整していたからな。アレは先に引き剥がすつもりではあったが……想像以上に癒着している。仕上げの時期になって判明するとはな」
溜息を吐くシュウ。
「ユゴスもミ=ゴも、アレの手引きだ。セフィラの推測が正しいならな。いつからダンジョンコアと混じっていたのか想像もつかない。少なくともミリアムの時にはそうだった可能性がある。あいつも最後、厄介なものを神奥域に呼び寄せていたからな」
「どうしますか。今のままだとアリアドネの糸が規定の効果に及ばない可能性もあります」
「どうするも、引きずり出すしかないだろ。邪神ニャルラトホテプを」
そもそもダンジョンコアは、今も本当にダンジョンコアなのか。
当たり前のことすら、怪しくなっていた。
なんてニャルニャルしいニャル野郎なんだ……




