666話 不器用な姉妹④
駆け寄るミルディは、シュウの姿を見て警戒を強めた。
(ネロ社のシュウとやらね。あの子を捕まえた時にも一緒にいた……)
アルネは本来なら、聖石寮本部の地下牢で大人しく囚われているべき人間である。それが脱走し、聖王剣を奪い、一時的に封印された魔神と戦っている。しかも魔神を監視していたはずの術師の姿すら見えない。六聖の第四席シース・アランも見張っていたはずなのに。
「離れなさい! 今すぐに!」
ミルディの中で、一つの知識と結びつく。
それは初代聖守スレイ・マリアスが残した口伝の一つだ。また迷宮内で見つかる古代文明の遺跡にも記されている存在。
『死』の王にしてプラハの三神が一柱、冥王アークライト。
いつか見た絵姿と、シュウの姿は非常に似ていた。
「その子を連れ出して何をしているのですか! あなたには話を聞かなければなりません」
声は酷く震えていた。
六聖の第一席として情けなく思うも、それも致し方ない。己がシュウの正体に気付いていることを悟られぬよう、努めて振舞う。
人間に混じり、擬態し、傭兵会社で働いている事実まであったのだ。
あるいは彼女の予測が勘違いである可能性もある。
(いえ、だめよ。警戒を解いては。この男には不審なところが多すぎる)
アルネを牢から脱走させ、聖王剣も奪い、魔神の封も解き、こうして戦わせている。アルネが真の聖守であると知っていなければあり得ない采配だ。
警戒し、攻撃的な態度となっているミルディをファイが制する。
そして進み出てシュウに語りかけた。
「どうか話を聞いてほしい。アルネが魔神バアル・ゼブルを討ち、犠牲となる必要はない。そうしなくてもあなたの望む未来は得られる。僕はラ・ピテルの血に賭けてそう言える」
「俺を試すか、ラ・ピテルの末裔」
「それとも懇願すればいいのかな。我らが神に願い奉る、ってね」
思わずシュウは眉を顰めた。
クローディア自治領の民は冥域魔術の使い手が多い。それもこれも、かつてアラフ・セシリアス・ラ・ピテルに加護を与えたことが原因だ。彼女の子孫には加護が残り、冥域魔術を扱うに至った。その力によって赫魔と戦い、その侵略を抑え込んできた歴史がある。
当然、直系たるファイにも加護はある。
我らが神、とはそういう意味だった。
「話は聞いてやる」
そしてシュウとしては、自分の正体についてできる限り公にしたくない。特にアルネの前では避けたい。彼女を信頼させ、魔神を討たせることが最大のネックだった。それをこんなことで台無しにされたくはない。
「よかった。なら聞いて欲しい。僕が見た未来から推測した、あなたの目的。それから僕が提案するより良い未来について」
「手短にな。魔神はすぐに再生する」
半身を消し飛ばされてもなお、魔神はまだ生きている。しかし再生に力を注いでいるのか、動く様子はない。一方でアルネもまた同様だ。一度に大きな力を使い、すっかり魂が疲弊している。
時間をかければ、シュウの目的から遠ざかる。
ファイも冥王の気が変わらぬうちにと、すぐさま答えた。
「あなたは魔神の呪いを真に滅ぼすべく、策を講じている。その結果、目を付けたのがアルネだ。聖守に魔神を倒させ、その呪いが移る瞬間に、呪いの根源を引きずり出す。そして滅ぼす。間違っているかな」
「よく見える目だ」
「もう僕からは離れているけどね。でも解釈が間違っていなかったようで何よりだよ。でも魔神を倒すのは聖守でなくてもいいはず。違うかな」
「聖守以外にあの魔神を滅ぼせると?」
「シンクならできる」
「なるほど」
『剣聖』と言われたシンクなら、可能性としてある。彼には魔力を分解して断ち切る聖なる刃があるからだ。実力としても申し分ない。
「だが、それも本人がここにいればの話だ。もう間もなく魔神は再生する。あれはアルネ以外に殺せはしない。魔神の守りは、聖王剣でなければ貫けない」
目を向ければ既に魔神は八割ほど再生を終わらせている。
ただ再生のためか魔力は底を突いており、とどめを刺すなら今しかない。今この瞬間を逃せば、再び魔神は猛威を振るう。
そしてアルネもまた、少しの休息を経て意識も安定し始めていた。
「わた、し……」
「アルネ? しっかりして。私よ、ミルディ」
「おねえ、ちゃ?」
シュウを突き飛ばす勢いでミルディが傍に寄り、アルネを抱き起した。するとミルディは不意に力が抜けてしまう。魔力が身体から抜けたからだ。
「なに、これ」
そしてミルディの魔力はアルネへと流れ込み、失った魔力を回復させる。更には魂の消耗までも補った。常識ではありえない、他者の魔力の吸収。その力はまるで冥王の死魔法だ。
勿論、シュウは加護など与えていない。
(アルネの魔装はまだ底が見えていなかったか。竜の鱗、石化の魔眼、破壊の羽、傷の再生能力、更には魔力の吸収……七代目聖守ですらもっと大人しい能力だったぞ)
様々な魔装を見てきたシュウですら、これほど能力が複合されたものは見たことがない。カーミラの魔装とて多彩だが、結局は血を操る能力から派生している。アルネのように脈絡もない様々な能力の複合は初めてだ。しかもこれで覚醒していない。
おそらく覚醒の必要にすら迫られていない。
「お姉ちゃん、どうしてここに」
「あなたを追いかけてきたに決まっているでしょう! どうして一人で魔神を……」
「だって、私が、聖王剣を抜けたから、聖守だから、魔神を倒さないと」
「それだけはだめ!」
ミルディの強い否定に、アルネは息を呑んだ。しかしそれは少し驚いてしまっただけのこと。
沸々とした怒りが胸の内で燻り、爆発したように反論する。
「どうして! どうしてよ。お姉ちゃんは私が聖守だから気に入らないの? 天才だって持て囃されて、絞りかすの私に追い抜かれるのが悔しいの!?」
「違ッ」
「私がやらないと。聖守だから。魔神を倒さないと。あんなものが生きている限り、世界は良くならない!」
「そうじゃない。そうじゃないの……」
「じゃあ何だって言うの!」
アルネは姉を押しのけ、立ち上がる。転がっていた聖王剣を拾い上げ、魔力を集中させた。白い鱗が肌を覆い、翼からは羽が舞う。
異質な姿だ。
覚悟というよりも、どこか癇癪じみたものを感じる。今のアルネは危うかった。だからこそミルディは縋りついて止める。
「お願いだから魔神を倒さないで。次はあなたが魔神になる。それが呪いなの。決して魔神がいなくならない、恐ろしい呪い」
秘匿された真実。
決して広めてはならない、最大の秘密。
最後の手段として、ミルディはそれを打ち明けた。
◆◆◆
魔神とはどのような存在か、そこに着目する者は少ない。
シュリット神聖王国に伝わる歴史や物語を耳にして、ほぼ全ての者は聖守に憧れる。だからこそ魔神が二度も復活している理由について深く考えたりしない。
「お父様、魔神はどうして復活するの?」
「ア、アルネ……? どうしてそんなことを聞くのですか?」
「どうしてって、初代様と十代目様は魔神を討ったと書いてあるの。なのにまた魔神がいるなんて不思議」
シュリットの上層部が巧みに書物の記述を検閲していたこともあり、魔神の復活について議論されることはなかった。その手の話が挙がる気配を見つけ次第、聖石寮や聖教会が動いていたのもある。場合によっては口封じもあり得た。
だからこそダンカンは焦ったのだ。
まさか幼い娘が魔神の復活という禁忌に触れるとは思わなかったから。
「考える必要はありません。魔神とは試練です。私たちは足掻き、信仰を示し、星盤祖の慈悲を賜る。ただそれだけのことです。覚えておきなさい」
「……はい」
納得はしなかった。
ダンカンもまた、アルネの様子には気付いていた。
しかしながら彼女にこそ、魔神に対する疑問を感じさせてはならなかった。聡く、鋭いアルネの言葉にひやりとさせられつつも、ダンカンはただ彼女を抑圧する。
その態度がアルネを歴史好きにさせ、やがて家出する要因の一つにもなった。
(おかしいと、思っていた)
過去を思い起こし、幼き頃の疑問に再び一石が投じられる。
聖守として己を自覚した今、ミルディが打ち明けた秘密は決して他人事ではない。それでいて嘘だと唾棄することもできない。
(だって今もそうだった。どうして魔神バアル・ゼブルが《秩序星廟》を使えたの?)
反射、屈折により光を収束し、嵐のように解き放つ。まさしく星々を体現する聖守のための大魔術。それが《秩序星廟》だ。
その名は一般に伝わっていない。
しかし魔神討ちの大英雄、十代名聖守ネオンは星を放つ魔術の使い手だったという。
(同じ。聖ネオンと同じ術理を、どうして魔神が使ったの?)
魔神を倒した聖守が、次の魔神になる。
荒唐無稽とは言い切れない。魔神を討った初代聖守、十代目聖守は共に偉業を為してすぐ姿を晦ましている。魔神に勝利し、栄光ある余生を送った記録はない。寧ろ魔神を討ってすぐ、次の聖守が誕生しているほどだ。
(どうして。考えれば考えるほど辻褄が合ってしまう)
なぜ、今まで気付けなかったのだろう。歴史を深く学んでいたにもかかわらず、情けなく思う。しかしアルネの悔しさは的外れだ。そもそもこの答えに辿り着けぬよう、徹底的に情報規制されていたのだから。
答えを教えられ、己の持つ知識を紡ぎ合わせて根拠らしいものに辿り着くアルネは優秀な方だ。
(魔神バアル・ゼブルを聖フィルの塔で封印し、生贄まで使って維持してきたのもこのためよね。だって倒してしまえば次の魔神が生まれる。だから封印して、現状維持に努めた。それが最適解だから)
そして父、ダンカンが聖守を隠した理由もより深く理解できてしまう。
(シュウ部長が予想した理由は一部でしかなかったのね。ただ非業の死を遂げることが多いというだけじゃなかった。仮に聖守として大成し、魔神を倒してしまったら私が魔神になる。それを知っていたから……)
歯車が噛み合うように、パズルのピースが揃っていくように、アルネの中で根拠が組み上がる。荒唐無稽に思えるミルディの訴えが、真実であると確信できてしまう。
「本当、なの?」
「事実よ」
「だったら、どうして聖守は存在するの? 星盤祖はどうしてこんな現実を良しとしているの? 分からないよ。私、分からない」
「……ごめんなさい。あなたを聖守にさせるわけにはいかなかった。認めるわ。私はあなたが聖守だと知った時、嫉妬したの。だからこの真実を大義名分に、あなたに酷いことをした。お父様がやり過ぎだと苦言しても、私はアルネのためだと嘯いて卑劣になった」
絞り出すような声で告白する姉の姿に、アルネは茫然としてしまう。聖石寮予備学校へ行くと父に告げてから、確かにミルディは冷たくなった。アルネの夢を諦めさせようと、強い言葉で否定していた。
それでも天才ミルディに憧れ、追い付きたいと願っていたのだ。
まさかその姉がこのような汚れた感情を抱いていたとは、夢にも思わない。
「私は完璧でなければならないと思い込んでいた。最高神官の父に泥を塗らないように、完全無欠でいたかったの。優れた娘、優れた姉としての評判に固執していたわ」
「おねえ、ちゃん。なんで」
「ごめんなさい。何度謝っても赦されることじゃないわ。あなたが聖守になることで、私は完璧の仮面を崩されることを恐れたの。私の弱さが、あなたを傷つけていた。大義名分で自分を守って、あなたを貶めたの。最低だと罵ってくれて構わないわ。でも!」
ミルディは涙を浮かべ、懇願する。
裾を掴む腕は震え、声も上ずっていた。
「お願い。魔神を倒さないで。聖守であることを、なかったことにして」
酷い告白と願いだった。
だがアルネは、それを一蹴することもできない。受け止めるべきことが多すぎて、どうしたらいいのか分からなかったのだ。
戸惑いも隠せない彼女に、ファイも近寄る。そして手を取った。
「ファイ大公殿下……?」
「君は高潔だ。呪い子としての自分を受け入れ、聖守として知らされてその使命を受け入れた。それは誰にでもできることじゃない。君はとても純粋で、誰かに認められたくて、そして戦える強さを持っている」
「そんな、私は、違うくて、ただ……」
「僕は君に生きていて欲しい」
まっすぐ、射止めるような目に吸い寄せられる。ファイは右眼から光を失っていながらも、真実を語る純真さを訴えていた。
「君の姉も、父も、きっと同じ思いだ。そうでなければ国も神も敵に回すなんてこと、するはずがないさ」
そんなことを告げながら、アルネの腕より金の飾りを抜き取る。シュウがアルネに託した秘策、アリアドネの糸だ。ファイはその本質を理解した上で、彼女から取り去った。
彼女が持つべきではないと、持っていて欲しくないと願っていたから。
(結局は計画を邪魔されるか)
シュウも説得の光景を見ていることしかできない。ファイもミルディも始末し、アルネの信頼を裏切っては元も子もないからだ。
むしろそれを見越していたからこそ、ファイはこれほど大胆な説得ができた。
アリアドネの糸も外され、これではアルネが魔神を討っても意味がない。
(ならば同じく、言葉によって奪い返すのみだ)
迷いの残るアルネの背後より忍び寄り、彼女の腕を取った。
「アルネ、覚悟があるならば魔神を討て。そのお守りを身につけてな。そうすれば魔神と聖守の呪いは終わる。お前が終わらせることになる」
「え……?」
揺れ動き、傾きかけていたアルネの中に再び確固たる使命が芽生えた。それはまだ消えそうなほど曖昧なもの。しかし確実に、シュウの言葉によって根付いた。
「お前に託したお守りは、魔神の呪いを引きずり出す。そして魔神という存在を根源より打ち砕く。初めに言っておこう。お前は魔神となり、その力の根源ごと打ち砕かれる。だがそれで世界は魔神の恐怖から真に救われるだろう」
「部長、それは」
「お前が決めろ。覚悟に殉じるか、愛する者たちが差し伸べた手を取るか」
シュウはアルネから手を離す。
冥王と、ラ・ピテルの王は双方に選択を示した。そして決断はアルネに委ねられた。
『致し方なし。少々強引な手を使わせてもらおう』
『RosC』
しかしどちらも認められない第三者は、強硬手段に出る。アルネの足元に転がる聖杯が、強く輝きを見せた。
聖杯「もうこれで終わってもいい……ッ!」




