665話 不器用な姉妹③
「アルネ!」
そう叫ぶシュウの姿は見えていた。魔神との間に入り、魔術の盾で追撃を防ごうとする。だが黒い涙を流す魔神は嘆くように叫び続けるだけだった。
アルネは地面に倒れ込み、無意識のうちに傷へと手を当てる。切り裂かれた右脇腹からは熱が抜けつつあり、全身から力が抜けた。
(こんな、ところで……死ねない。死にたくない!)
ただの生存本能から来る、死の拒絶。
しかしアルネの魔装は想いに応える。傷口を真っ白な鱗が埋めて、瞬時に止血。また失った血肉も即座に再生してしまった。また体感で半分以下になっていた魔力も、いつの間にか最大まで回復している。
「ッ! いけます!」
「待て。まず治癒の魔術を」
「もう大丈夫です」
血濡れのアルネをシュウは心配するが、それは衣服を染めているだけ。もう完治してしまっている。
『使え。我が力と一体化せよ』
そして立ち上がったアルネは声を聞いた。
発生源は淡く光を放つ神器・聖杯。オリハルコンの黄金を主張するように明滅し、力の行使を待っていた。どうすれば良いのかは、本能が理解した。
「私の魔力を捧げます! 私の力になって!」
『そうだ。それでいい』
掲げられた聖杯は光となって解け、天秤の幻像となる。そしてアルネの額には眼のような紋様が現れ、絶大な魔力を放ち始めた。
「始まりの光よ!」
「その詠唱は……ッ!」
シュウは目を見開き、その場から退避する。
全身に白い鱗を張り付けた異形の聖守は、聖王剣を振り上げた。アルネから魔力が吸い上げられ、光の天秤が傾く。すると迫る黒い風と雷は相殺され、蒸発してしまった。
ならばと魔神も嵐の剣を掲げる。
放つべきは、同じ奥義。
「偉大なる――」
「――主ノォ……光ィヨォ!」
「どうか!」
「ココニィ!」
「顕したまえ!」
集う光。
空を埋め尽くす闇。
そして聖守と魔神は同時に剣を振り下ろす。
『《秩序星廟》!』
光を透過、反射、屈折させる空間の層を多重に生み出し、嵐の如く解き放つ。星々の輝きの如く、光の束は無数の軌跡を残した。
そしてここに《秩序星廟》を同時に撃ち合ったからこその奇妙な現象が起こる。
双方が放つ光の嵐は、お互いを傷つけない。寧ろ多重屈折空間へと取り込まれ、己の光として反射してしまう。つまりアルネの光を魔神は吸収して反射し、それをアルネも吸収して反射する。光のラリーのような、奇妙な現象が起こった。
「ダンジョンコアめ。アルネに相当入れ込んでいるな」
距離を取り、安全圏から眺めるシュウはこの現象を正しく理解していた。同じ《秩序星廟》といえど、魔神は使いこなしている。一方でアルネは初めての発動だ。当然ながら練度にも差が出て然るべき。
しかしなぜか拮抗している。
互いに光を反射し、さらに激しく撃ち合っている。
「ッう……あ、ああああああああ!」
アルネは全身全霊だ。少しでも力を緩めれば、己が放った光の嵐すらも反射されて全てを受け止めることになる。流石に塵一つ残らない予感があった。
そして必死の想いを聖杯は汲み取る。
願いの重さ、代価の重さに応じた返礼を与える。
『力に身を委ねよ。星盤祖は、大いなる力の主ゆえに』
初めて聞く声。
それは歴代の聖守も聞いたという星盤祖のお告げだと本能で理解した。同時に泉の如く湧きあがる力の奔流が、アルネの力を異次元にまで押し上げる。
「い、けえええええええええ!」
ほんの僅かに、アルネへと天秤が傾いた。しかしそこからは雪崩のように優勢へと転じ、すぐさま光の嵐は魔神バアル・ゼブルを飲み込む。殺到する光に圧し潰され、引き裂かれ、貫かれ、魔神は嵐の剣すら手放した。
一瞬のことだ。
視界が真っ白になり、すぐに闇へと戻る。
「ア、ェ……ァ」
魔神は片腕を失い、下半身も膝下がすり潰されていた。息も絶え絶えである。寧ろあれで死ななかったことの方が驚きだ。
ただアルネとて無事ではなかった。
「ハァ! ハァ!? ッァ!」
本来なら扱いきれぬほどの魔力を一度に放出したのだ。身体への負担は凄まじい。しかしそれ以上に、魔力を扱う魂が疲弊していた。
魂は危険な状態を身体へとフィードバックし、身体は痛みとして信号を発する。
光の天秤は解けて消失し、彼女の額からも第三の眼が消えた。立っていることもできず、崩れるようにして倒れる。すぐにシュウは駆け寄り、治癒の魔術をかけた。
「無事か?」
「シュウ、ぶちょ――ごほっ」
「喋るな。まずは落ち着け。魔神は虫の息だ」
「それより、とどめを……おね、がい」
アルネとしては純粋で、心からの望みを言ったつもりだった。すぐには動けないから、今の内に魔神を仕留めて欲しいと。
しかしシュウからすれば実に不都合な願いである。
(俺が魔神を倒しても意味がない。アリアドネの糸を持つアルネじゃないと)
どうするべきか、答えに迷う。
だがここで思いもよらぬ二人が到着し、返答の必要はなくなった。
「魔神を倒す寸前じゃないか。危なかったよ」
「アルネ!」
真の意味でアルネを想う、ファイとミルディであった。
◆◆◆
シンクを足止めするべく戦うアイリスは、遠くからでも魔神の嵐が止まったことを察した。既に戦いは終わったか、あるいはもうすぐ終わるのか。
(やっとですか。シンクさん相手だと結構綱渡りなんですよねー)
冥域魔術でも何でも使って殺してしまえば、それでも目的は達成できた。しかし無駄な殺しはアイリスの望むところではない。
シンクも何かに気付いた様子で、魔装の剣を消す。
「……間に合ったか」
「へ?」
「こちらの話だ」
それ以上は語らず、黒い嵐のあった方角へと目を向ける。右眼に収まった青い瞳は何を映しているのか。アイリスも警戒を解き、問いかけた。
「何か見えたのです?」
「最適な未来。俺の望む未来。過去へ帰るための未来」
「……そういえば、シンクさんに言うべきことがあったのですよ」
「俺に? 何だ?」
「過去への帰り方、なのです」
そう告げられても、シンクは驚いたりしなかった。既に予測していたのか、それとも忘れていたのか。アイリスからは分からない。
「以前に考えておくと言ってくれた件か」
「過去に飛ぶのはかなり難易度が高いのですよ。方法は考えましたけど、まともな案はなかったのです」
「……だろうな。それで? 聞かせてくれるのか?」
「勿論なのですよ」
シンクからすれば意外だった。まさか本当に方法を考えてくれていたとは思わなかったのだ。社交辞令の一つと思っていただけに、表情も少し綻ぶ。
「まず質量体を過去へ転送するのは不可能なのです。少なくとも現状の魔術理論では」
「……結局は『王』の魔法が鍵という話か?」
「いえ。質量体であるこだわりを捨てればよいのですよ」
「どういうことだ?」
「情報体を評価して過去の時空に対し魔力干渉し、上書きする方法なのですよ」
「すまない。分かりやすく言ってくれ」
「えっとですねー。とても簡単に言えば、魂だけで過去に飛ぶ方法なら可能なのです」
魂だけで過去に向かう。
その言葉の意味だけならば理解は可能だ。しかしそれが一体どうしたと言うのか。魂だけで過去に飛んだとして、意味があるのか。シンクは首を傾げる。
アイリスもしっかり伝わっていないことを理解したのだろう。
改めて説明を続ける。
「えーと。そう、通話と同じなのです。あれも遠距離の相手に対して、声を直接届ける技術ではありません」
「あぁ。声をデータ化して、それを転送。受け取り側でデータを声に変換する、だな?」
「それを魂で実行するのですよ。直接、過去へシンクさんを送り届けるのは不可能なのです。だから魂の部分だけを魔力でデータ化して転送します。そして過去の側で実体化させるのです」
「なる、ほど?」
分かったような、分からないような。
しかし最初よりは格段に理解が進んだ気がする。
「勿論、過去で魂を受け止める役目は、過去のシンクさんです。つまり今のシンクさんで、過去のシンクさんを上書きするという方法ですね」
「そういうことか! 可能なのか?」
「理論だけなら組めると思いますよ。問題となるのは精密性ですね。どの程度の時間を遡り、正確に過去のシンクさんに魂を届けるか。ここが重要なのです。百年単位でずれる可能性があるのですよ。最悪、シンクさんがまだ生まれていない時代に転送してしまうかもしれないのです。逆にシンクさんが消えた後に転送してしまうかも」
「……困るな」
かなりリスクのある提案だ。
仮にシンクの肉体が存在しない時代に転送された場合、魂は浮いてしまう。そうなれば肉体という殻もなく、ただ霧散するだけ。
「もう一つ重要な問題があるのです」
「まだあるのか」
「シンクさん個人よりも大きな問題ですよ。もしもシンクさんが過去を変えた場合、現在はどうなるのか分からないのです」
「……過去改変のパラドックス処理か」
「知っているのです?」
「小説で呼んだ程度にはな」
シンクも過去にはそういった小説を手に取ったことがある。詳細な理論はともかくとして、概要程度は知っているつもりだ。
その際覚えた、過去改変に伴うパラドックス処理はおおよそ三つに分類できる。
「現在が消えて書き換わる、並行世界化してあらゆる可能性が存続する、過去改変も含めて現在を形作っているため全く変わらない。この三つだな」
一つ目はアイリス含め、今の世界の者にとって都合が悪い。
三つめはシンクにとって残酷な結果だ。過去を変えようとしても、意味がないということになる。
だから二つ目の可能性が最も丸く収まる。
(二つ目が起こるかどうかはルシフェルさん次第ですよね……)
かの全知全能の存在が並行世界を創っているかどうか。それ次第だ。寧ろ可能性としては一つ目と三つ目が最もありうる。
一方でシンクは、ある種の悟りを得ていた。
(そういうことか。だからセシリア・ラ・ピテルはあんな方法を。そして俺が予言の眼を受け継いだ)
するべきことが見えた。
未来視が見たものと照らし合わせれば、己の役目もはっきりする。
「アイリス・シルバーブレット。俺は――」
何をするべきか、結論を述べようとしてシンクは固まった。
「そんな馬鹿な。見えていた未来が消えた。今、書き換わった……?」
呆然と、ある方角を見つめる。
それは魔神とアルネの決戦があったはずの方角。そして彼は走り出した。
「あっ! 《縮退結界》!」
咄嗟にアイリスは世界を歪め、閉じる結界魔術を使う。それによって範囲内からの脱出は不可能となった、はずだった。しかしながらシンクは聖なる刃を具現化し、その結界の面を切り取ってしまう。
また魔力強化したのか、一度の踏み込みで遥か彼方にまで消えてしまった。
「ああもう! やっちゃったのです!」
シンクも納得して留まっていた様子だったし、アイリスの勘もこれで問題ないと言っていた。だから油断していた。まさかこの期に及んで、不意打ち気味に振り切るとは思わなかった。
「こうなったら先回りですね」
仕方なくアイリスは転移で飛ぶ。
行先は勿論、シュウのところ。そして魔神との戦場だった。




