663話 不器用な姉妹①
吹き上がる強烈な気配と、光の柱。
それらは車中のファイたちも観測していた。駆け抜けた暴風が僅かに車を揺らし、シンクは力強くブレーキを踏む。慣性のまま前に押し出されそうになるところをファイは堪え、一方のミルディは踏ん張った拍子に肩を強く打ち付けてしまう。
「いきなり何を!」
「魔神が復活した。この先でアルネが戦いを始めている」
「何ですって! なら急いで――」
「いや、俺たちに出迎えらしい」
シンクはドアを開けて、外に出た。
そして光を集め、聖なる刃を具現化させる。また自前で光を灯す魔術を使い、周辺を照らした。すると遥か前方に、ある人物が立っていた。ファイもミルディも、それが誰なのかすぐに分かった。
「あれは……確か傭兵会社の」
「アイリスだね。足止めに来たのかな」
ファイが最後の言葉を小さく呟くに留めたので、ミルディの耳には入らなかった。同じようにミルディも外に出ようとしたが、それをシンクが制する。
「先に行け。俺が食い止める。俺でしか止められない」
「ッ! 敵ということですか!」
「説明している時間はない。ファイ、ミルディ、二人とも急ぐべきだ。アルネの未来が不幸になる」
「――ッ。仕方ありませんね!」
大事なことは二つだ。魔神が復活したこと、そしてこの先にアルネがいること。
ミルディは助手席から運転席へとすぐに移動し、アクセルを踏んだ。
「行かせないのですよ」
「いいや、俺が絶対に通させる」
アイリスは嫌な予感を察知して、放とうとした魔術を止めてしゃがんだ。するとすぐ頭上を剣閃が通過する。
(明確に先手を打ってきますね……)
過去へと電撃魔術を送り込む《超越雷光》。それで車を故障させようとしたが、やはりシンクが立ち塞がる。全て見えていると言わんばかりに聖なる光を刺し込み、魔術を妨害するのだ。
確実に初動を潰され、あっという間に車は距離を離していく。
(仕方ありませんね)
ならばと彼女は加速した時空へと入り込み、時を停止させたに等しい状態となった。同じく時空を扱う能力がない限り、アイリスには追い付けない。
固有時間の異なる世界から、アイリスは電撃魔術を準備した。
だがその瞬間、加速時空は砕けて消えてしまう。
「はい?」
「無駄だ」
いつの間にか眼前にまで迫っていたシンクから逃れるべく即座に転移。しかし転移先には既に斬撃が伸ばされており、移動した瞬間に血を流す結果となってしまった。
不老不死の能力によって即座に傷はなかったこととなるが、流石のアイリスも混乱してしまう。
(おかしいのですよ。シンクさんの魔装は武器型。それに聖なる光の亜種なのです。時空属性もないのにどうやって時間停止を……)
また先のやり取りによって、安易に転移魔術も使えないことが分かった。ファイより託されたラ・ピテルの右眼により、転移先を読まれてしまう。さらにシンクの保有する魔装との組み合わせが凶悪だ。必ず先読みが当たり、それだけ間合いを取ろうと剣の長さを変えて潰されてしまう。
だが、それだけのはずだ。
(一旦様子見ですね)
《量子幽壁》へと術を切り替え、防御を重視した。するとシンクは攻勢を止める。未来視がアイリスの防御力を察したのだ。
「……こんなことになるとはな。かつては共闘したが、今は敵か」
「そうですね。シンクさんは気付いておられるのですか? アルネさんが辿る未来に」
「でなければここにいない。あの子が呪われる必要はない」
「アルネさんには……犠牲になっていただきます」
「魔女め」
暗に人でなしだと告げているようだった。
自覚はあるのでアイリスも苦しそうな表情を浮かべる。
「アルネはお前たちを慕っていたように見えた。裏切るのか?」
「痛いところを突きますね」
「心苦しいと思う感情があるなら、どうしてそんなことができる」
「……必要だからです」
確かにアイリスとて揺らぐ部分はある。だが、それ以上に必要なことなのだと自分を言い聞かせていた。ずっと誤魔化し続けている部分でもあった。
「アルネの運命は変わる。魔神になどさせはしない」
シンクの右眼が輝くような青を放っていた。
◆◆◆
再び封印を解かれた魔神は、手あたり次第に黒い嵐を生み出した。何の制御もされていない、ただの力の放出だ。しかしそれだけで脅威となる。
「なん、て……威力」
アルネの握る聖杯が自動的に結界を張ってくれなければ、今頃巻き込まれていた。彼女は知らないが、聖杯が作り出した結界は時空属性に類する非常に高度なものだ。迷宮魔力の混じる黒い嵐ですらも、数秒程度ならば直撃に耐える。
「さっさと反撃だ」
当然のように参戦するシュウが《死の鎌》で黒い嵐を断ち切る。死の滅びが伝播して黒い嵐は掻き消され、道は開かれた。
この瞬間を逃さずアルネは石化の魔眼を仕掛ける。
「アアァ! ガアアアアアアアッ!」
「当然のように通じませんか」
七仙業魔に通じたのだからあるいはと思ったが、流石に通用しなかった。しかし何かをされたということには気付いたのだろう。魔神は絶叫をしつつ、手元に黒い嵐の剣を生み出す。竜巻のように渦巻く刀身が降り降ろされると、その直線上が全て裂けた。
嫌な予感がして回避しなければ、今頃アルネは真っ二つだった。
「攻撃は全て避けろ。即死だぞ」
「見ればわかりますよぉ!」
「魔神はあの時の戦いのまま疲弊している。今は怒りのままに動いているだけだ。すぐに出力は落ちる。まずは確実に生き残る立ち回りを心がけろ」
「ひぃぃ!」
アルネは情けない悲鳴を上げつつもしっかり回避している。たまにシュウも死魔法で助けているが、過剰に心配する必要もなさそうだ。
(とはいえ魔神には第三の眼もある。魔力だけは無尽蔵だ。一方でアルネはまだ覚醒していない。長期戦になると不利か……?)
神器・聖杯の結界を張り続ける限り、魔力の消耗は一定以上存在する。覚醒しない限り、いずれ魔力は底を突くだろう。また反撃の時、攻撃のための充分な魔力も残しておかなければならない。
土壇場での魔装覚醒を期待するほど、シュウは楽観視もしていなかった。
「さっきと同じ手順だ。俺が道を開く。攻撃は任せるぞ」
「はい!」
嵐の剣を振り回す魔神は近づくだけで困難だ。アルネは聖王剣での攻撃を諦め、破壊の羽を飛ばす。だが所詮は羽だ。触れた箇所を消滅させる驚異的な攻撃だが、質量は無に等しい。簡単に風で煽られ、魔神にまで届かない。
少しずつ、アルネの中で焦りが募っていく。
(私、足手まといだ……)
結局、攻撃を防いでいるのはほとんどシュウだ。
そしてアルネは攻勢を任されているというのに、魔神に対して傷一つ付けられていない。そんためか少しずつ動きが粗雑になっていき、強引に攻撃を通そうとし始める。
「焦るな!」
シュウが警告しても、アルネは思い留まれなかった。
聖守の責任があるから。
魔神を討伐するのは聖守の役割だから。
何の役にも立てない自分が、ここで何もできなくてどうするのか。
「あああああああああああ!」
技術も何もない。洗練もされていない。ただの癇癪にも似た、感情だらけの魔術。しかし聖王剣は本来の主の望みを汲み取り、発動させる。
炎の第九階梯、《紅蓮炎焼》。
眼を焼くほどの火球が無尽蔵に出現し、雨のように降り注ぐ。まさしく一撃で戦局を変える規模の大魔術だ。アルネ自身も、自分の発動した魔術の規模に驚いた。
(嘘……息をするみたいに魔術が使える)
聖王剣を介しているとはいえ、まるで心地が違った。
これでもかつては術師を目指し、聖石寮の門戸を叩いた。予備学校中退という有様ではあったが。しかしそれも与えられた聖石で満足に魔術を扱えなかったからである。その経験が、魔術に対する苦手意識を植え付けていた。
しかしそんなものを吹き飛ばすほどの感覚が、今の彼女にはある。
「だったらこれも!」
続けて土の第八階梯、《重鋼連弾》を放つ。金属の礫が嵐のように殺到し、爆炎の中にいる魔神を穿つ。
六聖の地位にある者たちでさえ、第六階梯以上の魔術はほとんど扱えない。それこそ、得意属性に限っている。
(すごいすごい!)
悲痛な責任感を吹き飛ばすほどの快感だった。
ひたすら貶められてきた自己肯定感の回復が、アルネを高揚させる。初めておもちゃを与えられた子供のように、アルネは知る限りの魔術を連射する。
炎、風、水、土、それら主要四属性が入り乱れる。
「アルネ! そこから回避しろ!」
だからシュウの忠告も耳に入らなかった。
爆炎と土煙の舞う中心から、黒い斬撃が飛ぶ。それらは迫る魔術の全てを切り裂き、アルネの右脇腹を吹き飛ばす。
「あ……」
血が噴き出し、熱さにも似た痛みが遅れてやってくる。命が流れ出ていく感覚に、腹の奥が冷えた。明確な死の感覚が迫り、高揚した心は恐怖に変わる。
視界が揺れ、ゆっくりと時が進む。
そんな中彼女は見た。全ての魔術を吹き飛ばし、黒い涙を流しながら吼える魔神の姿を。
◆◆◆
揺れる車を運転するミルディは必至にハンドルを握っていた。
戦いの光と音を頼りに目的地を目指す。だがやはり焦りがあった。
「ミルディ」
「何ですか? 舌を噛みますよ?」
「気遣いありがとう。少し気になってね」
「今聞くことですかそれは?」
こんな時に何だ、と思わないでもない。
それに運転に集中している時だ。煩わしさを隠しもしなかった。だがファイはそんな彼女の態度を恐れず踏み込む。
「あなたは僕の本当のことを知っているよね」
「……」
僅かに運転が乱れた。
返答はなかったが、彼女の動揺は肯定と捉えて間違いないだろう。
「僕のことを知っていて、それでも聖守として認めてくれている。つまりアルネのことも知っているということだよね」
「……えぇ、そうですね」
「あなたのお父さんが教えてくれたのかな?」
「ファイ大公殿下との契約についても父は語ってくれましたよ」
契約、というのはファイが最高神官と結んだものだ。黄金要塞へと旅発つ前、ロマノと共に訪れた。そこで空席となっている聖守の座を引き受けると宣言したのだ。代償として黄金要塞調査の際、聖教会の支援を約束してもらった。
今となっては意味のない約束で、ファイの義務だけが残っている。
「聖守など、本質を知ってしまえば呪いも同然です」
ミルディは静かに、そう語る。
恨むような口調だ。彼女はファイ同様、聖守の真実を知っているということだ。そうでなければこのような態度はあり得ない。シュリット人にとって聖守は英雄であり、憧れであるはずなのだから。
「アルネのことは疎んでいると思っていたよ」
「聖守からも聖石寮からも遠ざけなければならない。そう考えた結果です。父はやり過ぎだと苦言しましたが、徹底しなければ意味がありません。実際、あの子は予備学校にまで入りました。だから手を回して壊れかけのクズ聖石を支給させて――」
彼女は言葉を止め、乾いた笑みを浮かべる。
「――我ながら呆れたものです。妹のためだと嘯き、夢を奪ったのですから」
聖石寮第一席としてのミルディは厳格で頼りになるという印象が強い。聖守不在の聖石寮がそうなるよう、彼女をプロデュースしていることも理由の一つである。
がたがたと酷く揺れる車内が静かに感じる。
「あの子が魔神と戦っているのであれば、やはり自分で気づいてしまったのですね。私や父のやってきたことは無駄でした」
「違うよ」
ファイは強く、そしてはっきりと否定の言葉を述べた。
「あなたのしてきたことは決して無駄じゃない」
慰めでも気休めでもない。
確信をもってファイは言葉を紡ぐ。
「アルネが初めから聖守だったら。そんなもしもは僕も分からない。でも全てのことには意味があるんだ。あなたたちがアルネを聖守にしなかったからこそ、救われるものもある」
「何を根拠に」
「少なくとも彼女をきっかけにして永遠に続くはずだった魔神との戦いは終わるんだ。でも知っての通り……」
「聖守が魔神を倒せば、次の魔神はその聖守です。それが終わると?」
「うん。でもそのためにはアルネに魔神を倒させちゃいけない。条件が揃うまでは呪いはそのままだから」
戦いの音はより激しく強くなっている。
自然と二人の会話は止まった。
(今更、私が行って何ができるのでしょうね)
必死にハンドルを握り、力いっぱいアクセルを踏む。
そこに意味があるのか、ミルディは問答し続けた。




