661話 ヴァナスレイ脱出
聖杯は自らの意思を持っているかのように、アルネから離れようとしなかった。地面に置こうとも、祭壇に戻そうとも、投げ捨てようとしても必ず戻ってくる。
「シュウさん、これ」
「劔撃の例もあるからな」
「どうします? だってあれダンジョンコアの分身体みたいなものですよ?」
「不確定要素は……消しておきたいが。それにあれの中身は――アレが混じっている」
「シンクさんのことを考えると残しておきたいのですよ。あれは間違いなく二千年前、聖杯教会が使っていたものを改造したものなのです」
「汚れた中身なのに聖杯か。魔神を呼び出すため使われていたものだし、色々皮肉な品だな」
つかず離れずの聖杯には困ったものだ。
無理に破壊しても予定が狂う。これについてはアイリスの個人的な感情も混じっているが、シンクに対して哀れみを覚える気持ちも分からないではない。
「あの、あの……どうしましょう」
そして一番困惑しているのはアルネだ。
シュリット神聖王国が保管する国宝であり、七代目聖守の所有物でもあった由緒ある品である。わくわくするような気持の反面、罪悪感も強い。元は真面目寄りで、否定されて育った人格なのだ。神器に選ばれた喜びよりも、卑屈な気持ちが先に出てしまうらしい。
「まぁ良しとするか……? 魔神を倒す武器が多いに越したことはない」
「予定外のことを許容したら計画が壊れませんか?」
「それを思えば、な」
アルネの耳を気にして口にしないが、彼女の目の前で聖杯を破壊すれば心象が悪い。現状として非常に扱いにくい状況だ。
執着するほど聖杯に選ばれたアルネから、それを引き剥がすことはできない。
「どう、したら」
「……仕方ないか。ひとまずここから出る」
不安もあるが、シュウはひとまず許容することにした。
(アリアドネの糸があれば目的は達成させられる。そのためにはアルネによる魔神討伐は必須。ここは外せない。アルネの機嫌取りは絶対だ)
仕立て上げた物語の最終章だ。
『せめてシュウさん……騙しきってあげて欲しいのです。何も気づかないまま終われるように』
アイリスの頼みも蘇る。
利用し尽くして、不幸な終わりを決定づけておいて、傲慢で我儘なことだ。
◆◆◆
聖石寮での侵入者騒ぎはすぐに大きくなった。当然、最優先で聖守の安全が確認される。聖守ということになっているファイの寝室に術師たちが雪崩れ込んだ。その中には仮眠中だったシンクもいた。
「よかった。無事です。侵入者の目的は聖守様暗殺ではなかったようです」
もしも侵入者の目的が聖守暗殺であれば、大変なことだった。長年の不在の末、ようやく見つかった聖守だ。下火になりつつある魔神教団は、聖守暗殺によって再び盛り立てようとするかもしれない。
術師たちはベッドで寝息を立てるファイに安堵する。
だがシンクは違和感を覚えた。
(最後に見た状態から少し変わっている気がする。誰か来たのか?)
シンクはすぐに駆け寄り、ファイの首に手を当てた。脈を測るためでも、体温を調べるためでもない。適度に魔力を流しての気つけだ。
それによって闇属性の術は乱され、解けてしまう。ファイは目を覚ました。
「気が付いたか。何があった」
「んん……あぁ、シンク。君の右眼で見えなかったかな?」
「残念だが俺が見えるのは断片的なものだ。そこから予想することはできる。だが予想は予想だ」
「確かに。でも時間がない。移動しながら話そう」
起き上がるファイに術師たちは悲鳴を上げる寸前だ。どれだけ過保護なのかとファイは苦笑してしまう。自分が本物ではないという少しばかりの罪悪感も混じっていたが。
「シンクは僕と共に。他の皆はここで待機していてくれ」
「しかし聖守様。それでは」
「僕を信じて」
どの口がと思いつつも、心にもない言葉を吐き出す。人の善意にたかり、望むままに操る悪魔のような言い方だ。十九年越しの待ち望んだ聖守ということもあって、術師は言われるがままだ。悪く言えば、今の術師たちは聖守の言いなりなのだ。
聖守不在時期による勢力の弱体化、大地震による混乱、魔神復活で受けた被害など、聖石寮は著しく発言力を失っている。聖守という希望が必要だった。
「わかり、ました」
納得していないはずだ。だが、術師にはそう言わせた。
「ありがとう。君たちを信頼しているよ」
笑顔で残酷な返事をした。
◆◆◆
アルネを連れて魔神と衝突させるにあたり、シュウとアイリスは様々なところを気遣っている。
最大の目的である魔神討伐をプロデュースすることは当然。
そのためアルネから一切の疑念を抱かれないように、信頼を重ね続けることが重要だ。転移魔術のような分かりやすく現代離れした魔術は使わないし、邪魔でも殺しての排除は避ける。そして彼女自身のやる気を引き出すことが大切だ。
「急げアルネ。封印はそれほど長く持たない」
「ッ! はい!」
勿論これも嘘だ。
確かに永久の封印ではない。しかしながらすぐ解けるような代物でもない。しかしアルネに使命感を抱かせる言い訳にもなった。
(思ったより騒ぎの広がりが速いな)
アイリスが地下なぞに迷い込んでしまったお陰で脱出も一苦労だ。シュウとアイリスで睡眠の魔術を使い、とにかく眠らせて対処する。
だが《睡眠》は所詮、第四階梯の魔術だ。魔力の大きい術師であれば抵抗できてしまうこともある。だから駄目押しでシュウが死魔法を使い、こっそり魔力を抜き取るなどの工夫も挟んだ。
「うお!? 侵入者か!」
地下階段から出た瞬間、大柄の男が驚いた様子で飛び上がった。彼は反射的に魔術を放とうとするも、アイリスが過去に雷撃を送り込むことで痺れさせる。
「バラモス様!? 侵入者め!」
「こっちだ!」
「あなた方はネロ社の!? それに呪い子!」
「誰か応援を呼べ!」
痙攣して膝を突くバラモスの横をすり抜け、壁になろうとする術師たちはシュウが眠らせる。あまりにも躊躇ないのない暴挙に、アルネは心の内で悲鳴を上げ続けていた。
重なっていく罪状はもはや数えきれない。
聖石寮本部のエントランスも強引に突破し、堂々と正面から脱出する。
「大騒ぎですねー」
「お前が集合場所から離れなければもっと静かな脱出だったけどな」
シュウは脱出と同時に飛行の魔術を全員に付与し、近場の建物の屋根まで跳ぶ。突然のことでアルネは驚くも、流石に上手く着地してそのまま走る。
(多少の騒ぎはあえて起こす予定だったが、思った以上になってしまったな)
これも意図あってのものだ。
アルネに使命を自覚させ、脱獄させ、騒ぎを起こして心理的に孤立させ、シュウやアイリスへの依存度を高めるのだ。本来ならば赤い夜を起こした時点で達成させるはずだった。本来の予定からすれば遅れ気味くらいである。
術師たちによる捜索網は聖石寮周辺に及んでいるが、暗闇の中、屋根を進むシュウたちを見つけるのは困難だ。
「進みにくい……」
「建物が崩れているからな。はぐれるなよ二人とも。特にアイリス」
「名指し!? いっそ魔術で飛びます? 三人分なら私が負担できるのですよ」
「高度を上げ過ぎると狙撃されるかもしれないからな」
六聖の中には狙撃魔術に特化した人物もいる。そのため術師の狙撃手育成も少しずつ進んでいるのだ。夜といえど安易に射線の通る高さまで昇れば、あっという間に撃墜されかねない。
倒壊した建物は丁度良い障害物となり、追跡を撒くには丁度良い。
三つの影はあっという間にヴァナスレイの中に溶けていき、再び術師たちは見失ってしまった。
◆◆◆
痺れの残る身体に顔を顰めつつ、バラモスは手を握ったり開いたりを繰り返す。まだ指先の感覚は戻っておらず、動こうとすれば鈍い痛みが走る。
「あなたがやられるとは」
「ミルディか。悪いな。あっさりやられちまった」
「騒ぎを起こしたのは愚妹だと耳にしました。真実ですか?」
「それとネロ社の奴らだな。社長の女と……なんかの役職持ちの男だ」
「あぁ、あの方たちですか」
ミルディの中で芽生えたのは呆れだった。
大人しくしていれば悪いようにならなかったはず。呪い子として何かしらの処分はあっただろうが、功績も踏まえて国外追放程度に留められただろう。だが、この騒ぎでは情状酌量もなくなる。
聖石寮内では至る所で術師が眠らされ、怪我を負った者もいる。
「ッ! 聖守様……すまねぇ。こんな無様な格好で」
エントランスまで降りてきたファイとシンクの姿を目の当たりにして、バラモス情けなさを噛み締めた。聖守を守るための六聖だというのに、これでは役に立たない証明をしたようなものだ。
「君はバラモスだったね。僕はこれから出る。彼女を追いかけるよ」
「ならば私もお供いたします。あれは身内の恥。どうかお願いします」
「いいよ。そのつもりだったからね。バラモスはここの混乱に対処しておいて」
「面目ありませんが、せめてお言葉のままに」
「なら頼むよ」
それからファイは周囲を見渡しつつ、声を張る。
「僕と共に行くのはシンクとミルディだけだ」
術師たちは酷く落胆した。
待ち焦がれ、恋焦がれていた聖守は自分たちを頼ってくれない。いや、眼中にすらないと言っているように聞こえた。
この有様では仕方ないと思いつつも、せめて挽回させて欲しいとは思う。
だから彼らは次々に懇願した。
「どうか私も」
「必ず役に立ちます。どうか!」
「お願いします」
「私たちをお供させてください」
縋るような目だった。
打算のない純粋な願いをぶつけられてしまっては、ファイとて多少心も揺らぐ。それでもシンクとミルディ以外は連れていけない。予言の眼を託したシンクに目を向けると、首を横に振って否定された。やるべきことは初めから変わっていないということだった。
そんな困り顔のファイを、一喝が助ける。
「止めろ止めろ!」
声の主はバラモスだった。
「これ以上、恥の上塗りをするんじゃねぇ。俺たちは役に立たなかった。それだけだ」
鋭く突き刺さるような言葉だった。
術師たちは皆、口を閉ざす。バラモスはまだ残る痛みと、そして己の不甲斐なさに呻るばかりだ。彼は地に額を着けて声を絞り出した。
「どうか、生きて戻ってください。俺にはそれを願うことしかできません」
バラモスの風貌からは想像もできないほど真摯で切なる願いの言葉だった。感化されたのか、周囲の術師たちも次々と膝を折り、彼に続く。
聖石寮はずっと苦しい戦いをしてきた。
聖守不在の間も人々の守護となるべく身を削り続け、民の罵倒にも耐え忍んだ。武力としての価値が王政府軍に偏りつつある時代になっても、必死に存在を示し続けてきた。そんな果てに現れた待望の聖守だ。
(あぁ、僕は酷い存在だな。この人たちを騙し、偽りの希望を与えてしまっている)
術師たちの心が真摯であるほど、ファイの中に生じる罪悪感は大きい。
(割り切り、覚悟したつもりだった。僕にも人並みの心は残っていたようだね)
今更、いい子ぶるつもりはない。
幼馴染のような存在だったロマノすら贄とし、ここまで世界を進めた。大地震を回避する術を知っていても、それを放置した。魔神復活に伴う犠牲も捨て置いた。
嘘を最後まで付き通す覚悟は、揺らいでいない。
「僕たちに任せて。そして僕を信じて。なぜなら僕は聖守だからね」
偽りであろうと、確かな希望を。
できうる限りの笑顔で、彼らを安心させた。
◆◆◆
同時刻、ヴァナスレイ近郊の空。
王政府空軍が保有する飛行船がゆっくりとヴァナスレイに近づいていた。大地震の折、夜間飛行訓練中だったこともあって一切の被害を受けずに済んだ貴重な飛行船だ。
「最高神官様、もう間もなく到着です」
「そうですか。ご連絡、ありがとうございます」
疲労の浮かぶダンカン最高神官は無理にでも笑顔を作って答えた。大地震のせいで聖都シュリッタットは大混乱の中にあり、各地の都市との連絡すら儘ならない。
そんな状態で最高神官が聖都を離れるのは悪手に思えた。
実際、ダンカンの周りに立つ神官や軍人たちは不安を隠しきれない。
「皆さん、私が自ら動き各地へと言葉を届けなければなりません。民に星盤祖の加護を思い出させ、安心させるためです。私たちは一つの主を戴く、一つの民なのですから。主は決して私たちをお見捨てにはならない」
大地震が起こっているからこそ、必要なことだ。そのように周囲を説き伏せ、ダンカンはヴァナスレイへと向かう口実を作った。
個人的な事由が含まれているなどと、欠片も思わせないように。
(アルネ……それにミルディも。どうか無事で)
最高神官としてあるまじきことだが、ただ子供たちの心配をしていた。
一目でも確認し、安心したいという親心が多分に含まれていた。




