660話 運命の聖守
深い闇の中を泳いでいるような感覚だった。
ファイはそれが夢だと、確信した。珍しいことだ。眠っている間に夢を自覚したからか、不意に闇が晴れていく。そして浮き上がるような感覚と共に、目を覚ました。
「ここ、は」
部屋は薄暗く、揺れる明かりが天井の影を躍らせている。
それは二つの人影。
目を向けて、誰の影なのかすぐに分かった。シュウとアルネだ。
「君たち、か」
体を起こすと全身に鈍い痛みが走った。
怪我ではない。鈍った体の代償、つまり筋肉痛であった。
(あれだけ色々動き回ったんだ。仕方ないか)
どうにか体を起こしている間に、すぐ傍まで二人が近づいてくる。予言の眼を失った今、ファイにはこれから起こることを知るすべはない。
だが似たようなシチュエーションは、眼を持っている時に観測していた。
「真実を、知りに来たんだね」
「……どうしてそんな言い方を? そんな風に仰るということは」
「うん。僕は聖守じゃないよ」
アルネは唇を噛み、酷く俯いているようだった。
特定の感情は感じない。ただ混乱し、様々な感情が混じり合い、彼女自身もどう言葉を出せばよいのか分からないのだ。
「どうして、と思っているよね。でも僕にとって、君はただ拾っただけの存在じゃない。君という存在に憧れたんだ」
「もっと分からないです」
「無数の未来を見た。君はどんな不幸の中にあっても輝いていたよ。自分に待ち受ける悲運を知っても、抗う姿が美しかった。僕にはできない生き方だった」
「私、何もしていません」
「僕がそう仕向けてきたから。君の終わりは死か、もっと酷い結末だった。残念ながら僕にはその未来しか観測できなかったから」
アルネは息を飲んだ。
だがそれでも、瞳には濁りがない。視線は自ずとベッドの傍に立てかけてある剣へと向けられる。聖守のための剣だ。
聖守が誕生するたびに多数の聖石を使い、儀式によって生み出される。
つまりこれはアルネのための剣ということだ。
「魔神と、戦うつもりかい?」
「それは……でも、それが聖守の、使命だから」
「アルネの本心で聖守としての役目を果たしたいと思っているの? それとも自分が聖守だと知って、義務感で動いているの?」
「わから、ないです」
仕方のないことだ。
彼女自身、落ち着く暇もない。自分の本心を整理することもできないまま、ここに来たのだ。幼い頃は確かに聖守という英雄に憧れた。成長してからも、他者から認められる特別な何かになりたかった。
しかし本当にそうなったとき、己の本心はよく分からないものだ。
「もしも僕が君のことが好きで、僕と共に生きて欲しいといえば……君は使命よりも僕を選んでくれるかな?」
「……はい?」
「あはは。冗談だよ」
よく分からない人だ、とアルネは思う。どこか掴みどころがない人物なのは知っていた。常に世界を上から見下ろしているようで、不思議な人だとも思っていた。
だが今の質問は一つ、きっかけにはなった。
ほんの少し考えてみて、アルネは己の答えを出す。
「もし……もしそうだとして。私は聖守としての使命を選びます。まだ実感もなくて、ただ浮かれているだけかもしれない。でも、私は私という存在を示したい……と思います」
「自分を示したい、か。耳が痛いね。ラ・ピテルの使命のために動かされてきた僕では君を説得できないか」
ファイは遠くを眺めるような目をしていた。
濁って光を映さない右眼は、なぜだか深淵すらも見通しているように思える。
「セシリアス家は予言の力を継承し続け、来たるべき日を待つ選択をした。最良の未来のために、僕たちはどんなことでもしたよ。僕の選択のために、何人もの人が死んだ。死ぬことが分かっていて、見殺しにもした。あらゆる不幸を押し付けてきた。世界のためという大義を盾に」
眼を継承させ、義務から解放された今でもファイは縛られている。予言の眼があったときに見た未来の知識までが消えたわけではないのだ。
これから起こり得る未来の中には、壊滅的なものも含まれていた。大地震など比較にならないほどの、大厄災の未来だ。小さな犠牲は些細なものだと、自分に言い聞かせ続けた。
「アルネ。君はもしも目の前の不幸を救ったことで世界が滅びてしまうなら、その不幸を見過ごすかい?」
「……酷い選択肢ですね」
「そうかもしれない。でも君が直面している問題かもしれないね」
「とても、難しいです」
アルネは基本的に善性寄りだ。
良識を備え、善悪を見分けるだけの人格がある。非情になりきれない性格故に、割り切った結論を出すことはできなかった。
「私、なら――」
「そこまでだ」
だからシュウが区切る。
ベッドの上で起き上がっていたファイは、糸が切れた人形のように倒れてしまった。
「殺してはいない。魔術で眠らせた」
先に釘を刺しつつ、シュウはベッド脇の聖王剣を手に取る。
「話は充分だ。行くぞ。時間は限られている。魔神の封印も万全じゃない。いつ破られ、世界が魔神に壊されるか分からないぞ?」
「……分かり、ました」
「受け取れ。お前の剣だ。それと俺から『お守り』もな」
聖王剣を手渡し、更に腕輪を差し出す。
その腕輪は金糸を縒り合わせたような、柔らかな手触りだった。金属らしい光沢の中には、どこか濁った不気味さも感じる。
「あの、これは?」
「プラハ製の『お守り』だ。急ぐぞ。問答に時間をかけ過ぎた。気絶させた見張りも見つかる頃だ。脱出しにくくなる」
「わ、わかりました」
嘘は言わず、急ぐべき理由も与える。
アルネはほんの少しだけ、名残惜しそうに眠るファイへと目を向けた。しかし腕を引かれ、彼に対する答えを返す暇もなく部屋を出た。
◆◆◆
すぐにファイの部屋を脱したつもりだったが、やはり時間をかけ過ぎてしまったらしい。眠らせた術師たちが発見され、既に聖石寮は騒ぎになっていた。
そうなれば当然ながらまず確認されるのは聖守の存在だ。
聖守の眠る部屋から走り去ろうとするシュウとアルネの姿は容易く見つかり、侵入者として追いかけられることになる。
(厄介だがアルネの信頼を失わないためにも殺せない。面倒だな)
闇属性の魔術で眠らせるのも、死魔法で殺すのも、手間は大して変わらない。ただ眠らせただけでは起こされて再び追われるという点で面倒だ。
幻惑魔術で視界を切りつつ、廊下を走る。
「部長、前からも気配が」
「挟まれるか……」
シュウは即座に止まり、魔術で派手に廊下の窓を吹き飛ばした。勢い余って壁も崩れるが、このくらい派手な方が丁度良い。
だがそうして作った穴から脱出するのではなく、廊下に面した扉を開き中に隠れた。勿論、目を白黒させるアルネの腕を引いて。
幻惑の霧で二人を直視していなかったので、術師たちは爆破された壁から逃げ出したのだと勘違いする。
「外に逃げた!」
「夜だとすぐ見失う。追うぞ!」
まんまと引っかかった術師たちは破壊された部分から外へと飛び出していく。またこれによって侵入者が外に逃げ出したと認識させることができた。
しばらくは安寧を得られるだろう。
「す、すみません。お手数を……」
「いい。少し乱暴に逃げる」
扉一枚を挟んで向こう側は酷く騒がしい。だが意識は一つたりともこちら側に向いていない。緊張と安心が入り交じった奇妙な感覚だ。
シュウは床を右のつま先で軽く打つ。
すると黒い波紋が広がり、塵となって消滅してしまった。見たこともない現象にアルネは目を丸くする。だがそのまま落下したシュウから声が届いた。
「早く降りてこい。術師たちはほとんど外に向かった」
「えぇ……」
「もう少し潜伏するぞ。潜伏場所は少し変えた方がいいだろう?」
「そうですけど」
アルネは文句を言いながら廊下に空いた穴へと身を投げる。しっかり膝を曲げて着地したこともあるが、衝撃はほとんどない。当然のように下の階も誰一人としていない。
シュウは魂の感知でそれを先に知っていたので、恐れることなく下へ降りていく。その度に床が抜けていくものの、気にすることはない。一方のアルネは少しばかり遠慮がちであったが。
「あの、どこへ?」
「アイリスと合流する」
「社長と?」
「知らない内に迷子になっていてな。今は地下の方にいるみたいだ」
「えぇ……」
「待ち合わせ場所は決めていたんだがな」
床を死魔法で崩壊させ、飛び降りる。
その繰り返しで聖石寮の地下にまで到達する。道中は人間を感知しながらだったので、ここまで発見はされていない。湿気や埃っぽさが肌に張り付く地下は、聖石の保管庫になっていた。宝石のように薄い青色を発するそれらに圧倒されつつも、入ってはならない場所へ侵入した後ろ暗さが心を重くする。
(私は呪い子で、聖守……もう分かんないよ)
信じがたいことばかりが起こっている。
シュウのことは信頼しているし、ファイが嘘をついているとも思えない。だが素直に受け入れることができていないのも事実だ。
勢いのままこんな騒ぎを起こしてしまったが、これでよかったのかと後悔している。
「おい、何か音がしたか?」
「保管庫の中か? 一応確かめるか」
重要物の保管庫だけあって、扉の前には見張りが立っていたのだろう。天井を崩して入ってきたときの音が聞かれていた。くぐもった声にアルネは身を固くする。
重々しい鍵を開ける音、閂を引き抜く音、それらのために心臓がおかしくなるほど高鳴った。
「ど、どうしますか?」
「眠らせる」
シュウはマザーデバイスを用いて闇魔術を起動。大扉が半開きになった瞬間、見張りたちの身体が崩れ落ちた。
開きかけの扉に身体を滑り込ませつつ、シュウは手招きする。
「アイリスはこっちだ。早く来い」
「わかりました……はぁ、どうにでもなれ」
呪い子、器物損壊、侵入罪、術師への魔術危害、聖守ということになっているファイへの無許可接触など、罪状が積み重なっていく。もはやこれ以上重ねたところで誤差ではないかと錯覚するほどだ。
つまりアルネも半ば諦めの境地に至ろうとしていた。
シュウの先導で地下を進み、道中で遭遇する術師たちは即座に眠らせる。お陰で騒ぎになることもなくある場所へと到着した。
「これは……」
木製の大扉だった。
剣をモチーフにした模様が一面に彫られており、酷く荒々しくも神聖さを感じさせる。よほど腕の良い彫刻家に依頼したのだろう。地下の扉としては過剰なほどの作品に思えた。
しかもシュウが眠らせこそしたが、この扉の前には四人もの見張りが立っていた。まるで何か大切なものを守っていると言わんばかりの警戒である。聖石保管庫ですら、二人だったのだから。
「この先にアイリスがいる」
シュウがそう告げつつ、大扉に魔術を作用させる。基本的な運動量操作の魔術であるが、これによって一人では苦労するような扉を容易く開いてしまう。
奥に広がっていたのは、無数に思えるほどの剣、燭台、そして多数の石碑であった。その一つの前に立ち、背を向けるアイリスの姿。
「こんなところにいたか」
「あ、シュウさん」
「ここは待ち合わせ場所じゃないぞ」
「ちゃんと待っていたのですよ。でも人が来たのでちょっとだけ離れて隠れようとしただけなのです!」
「それでこんなところに行きつくのか……」
呆れや困惑はあるが、いつものこととしてシュウは飲み込んだ。またアイリスが迷い込んだこの地下空間が、特別な場所でもあったからだ。
アルネの良好な視力が、石碑に記してある文字を読み解く。
「これ……歴代聖守様の偉業を記したもの」
数えてみれば石碑の数は丁度二十だ。
つまり初代聖守スレイから二十代目聖守アロセスまでの全員分が揃っている。そして空間全体に彫刻された剣、また本物の剣も突き立てられ、墓標の如く並んでいる光景がある印象を抱かせた。
「霊廟……」
「正解なのですよアルネさん。ここは歴代聖守を祀った聖石寮地下の霊廟なのです。それとこれも」
アイリスが少しだけ身体をずらす。
すると彼女によって隠されていた祭壇のようなものが見えた。滑らかに磨かれた円柱状の細長い祭壇で、高さはアイリスの腰辺りまで。そして燭台の火に照らされ、黄金の輝きを放つ杯が安置されていた。
「神器・聖杯なのですよ」
「七代目聖守、聖ロールズの神器……一度は失われて、スウィフト家によって返還されたものです」
「ああ、使い手がいなくて保管されているやつか」
まさしく至宝だ。
盗み出し、他国へ流せば戦争が起こり得るほどの代物である。あまりにも世界への影響が大きいので、逆においそれと手を出せないほどだ。
『手に取れ』
アルネは自然と、一歩踏み出していた。
二歩目三歩目と足を進めようとして、シュウに腕を掴まれる。どこか虚ろになっていたアルネは正気に戻った。
『お前の全てを満たそう』
気づけばアルネの手の中に、聖杯は握られていた。小さな祭壇へと急ぎ視線を戻しても、そこに聖杯はない。アルネが手にしているものは、間違いなく聖杯だ。
突然のことにシュウやアイリスですら驚きを隠せなかった。
「転移……なのですよ」
「神器が自分でか? そんなことが?」
「え? え?」
ようやく正気に戻ったアルネは慌てて聖杯を取り落とす。しかし落下途中で聖杯は消失してしまい、再びアルネの手に収まっていた。
聖杯の側から、もう離れないと言わんばかりに。




