655話 最後のラ・ピテル王
ファイ・セシリアス・ラ・ピテルは幼い頃から、祖父と共にいる時間が長かった。それはセシリアス家当主であった祖父アランデルの意向が大きく、父や母のことを肉親として強く実感したことがない。一般的に見てそれは一種の虐待だろう。だが、ファイは疑問に思うことがなかった。そしてこのような育て方をした祖父は正しかったのだと、後に知った。
「ファイ、お前に眼を渡す。私が見た未来はここまでだ。今日、この日、私は王位を渡す。それは運命によって決まっていたことだ」
流行病で病床にあったアランデルは、最期にそう言い残した。
すっかり乾燥して痛ましい右手をファイの顔に添えて、ラ・ピテル王の右眼を継承させた。力は移動し、その日からファイの右眼は初代王のそれと全く同じになった。
その代わりに祖父の右眼からは光が失われ、宝石のような青は灰色に変わる。
「そう、か。僕の役目は――」
流れ込む未来の光景。
一つ一つの行動が作り出す結末の違い。
そして時折垣間見える、壊滅的な終末。
こんなものを祖父は背負っていたのかとファイは戦慄した。孫として愛されたと感じたことはほとんどない。父や母からの愛すらも受け取ることなく、二人とも流行病で死んでしまった。世間一般と比べ、冷たい家族だと思わないでもなかった。
「ああ、本当に最悪だよ。僕の使命と比べれば、家族の愛など些細なものだった。情なんてものは、作り出すべき未来に必要ない」
未来を見通す奇跡の眼。
そう聞けばなんと素晴らしいものかと思うだろう。明日の食べ物にすら不安を抱く民たちとて少なくない世だ。誰もがその力を羨ましく思うに違いない。
だが、眼を継承したファイはむしろ自分を世界一不幸だと思った。
「ふざけている。最も合理的な未来が見えるってのは素晴らしいよ。でも、その過程で生じる全ての犠牲を見過ごさなければならない。どれほど強い情を抱いた対象でも、世界と引き換えに殺さなければならない。馬鹿みたいな力じゃないか」
ラ・ピテル王の眼はファイが継承しなければならなかった。
だからアランデルは自分の息子とその妻、すなわちファイからみて父と母を見殺しにした。流行病に罹ると分かっていて、領内視察に行かせた結果だ。それがアランデルが王としての使命を果たすのに、必要なことだった。
予言の眼は決して便利なものではない。
未来を知ったからこその不自由を強いられる。
「僕が見える未来は僅か。どれだけ長くても一年すらない。そして僕の選択が無数の結末を作っている。最低じゃないか。ロマノを殺し、大陸で大地震を引き起こし、魔神を復活させる。間接的に大虐殺を起こすことが僕の使命? それで黄金要塞をこの世から消し去って、ラ・ピテルを終わらせる? たったそれだけのために僕はこんなことを……」
眼を継承し、セシリアス家の当主となってしばらくは未来を観測し続けた。
たとえちょっとした未来でも、行動一つで大きく変わる。蝶の羽ばたき一つで嵐も起こるし、もう一度羽ばたけば晴天に変わる。それが未来を手にするということだった。
だがファイは諦めず、最適解を探し続ける。
寝る間も惜しんで力を使い、就任から四日、彼の自室から灯火が消えることはなかった。
「だめだ。大地震を阻止したら世界が終わる。迷宮から化け物が出てくる。黄金要塞を落とし、大地震を起こし、魔神を解放する。この流れがないと人間という種族すら消滅しかねない。だったらせめて魔神の被害だけでも抑えて……うん、ここなら僕が関われる部分も多い。まだ干渉して未来を変えられる」
当主としての就任式が迫る中、ファイは見るべき未来を絞った。
大地震によって魔神バアル・ゼブルが復活した後からだ。そこへならば干渉できる割合も多く、可能となる分岐も多い。
「――ぁ。どう足搔いてもロマノは死ぬ。僕が殺さなくても誰かが殺す。どうにか生き延びても魔神との戦いで絶対に死ぬ」
一人の人間の死が確定した。
ロマノ・スウィフトはファイからしてもある程度親しいと言える人物だ。先代アランデルの時代から足繁くセシリアス家に訪れていたので、自然と顔を合わせる機会もあった。だから彼の目的も知っている。新当主となったのだから、ロマノがまた訪れるのは当然だ。そもそも当主の就任式に顔を出すことは手紙でも表明しているし、クローディア自治領に対してかなりの出資をしてくれているので断りにくい。
決して嫌いな人物ではない。
むしろ未来を信じ、力を尽くす好意的な人物に思える。
「ロマノは死ぬ。確定だ。だったらその死を最も有効にしないといけない。それが彼の死を知り、そこへ導く僕の贖罪だ。ああ、そうさ。黄金要塞なんて諦めさせれば彼は死ぬことはない。でもそうしないと、世界が、終わる。地の底から恐ろしい怪物が出てくる。ロマノが従えている剣客……シンクが鍵だ。彼をこちらに引き入れないと未来を掴めない。好感を持ってもらうためには僕自身がロマノを殺してはダメだ。たとえ裏切られた場面でも僕は手を出せない。誰かにロマノを殺させて、シンクをこちら側に付かせる。落ち着いた場面じゃだめだ。切迫して、成り行きで僕に従うように誘導する」
未来を見れば見るほど最低な思考に満たされていく。
だがそれでも止めることはない。
「もう一人の鍵……アルネ・リンディス」
乾いた笑みが浮かぶ。
未来視は誰かの秘密をこうも容易く暴くのかと、自嘲してしまう。
「最高神官の娘。呪い子。そして預言されていないはずの二十一代目聖守」
アルネの辿る道筋もまた、様々であった。
だが訪れる結末は大抵悲惨である。アルネが秘めた魔装は凄まじい。ファイが見た未来では、たった一人で魔神バアル・ゼブルを圧倒するというものもあった。そして魔神を討った後に訪れる悲劇も見た。
「魔神を倒したら聖守が魔神になる……? はは、酷い世界だな」
興味を抱いたのはそれがきっかけだった。
アルネが聖守として覚醒することがない世界線を探してみた。ただの興味本位だったが、荒んだ心が自然と追い求めていた。
こうしてファイが眼を継いだ時点で、彼女は傭兵の道を進んでいる。セシリアス家当主として関わりにくい立場だ。従って干渉する術がほとんどない。ロマノを介したり、迂遠な方法で未来を変えたり、未来視を試してみた。
「アルネ、アルネか。僕がどんなに邪魔をしても、必ず聖守としての使命を果たそうとする。不思議な人だ。でもその結末は必ず苦しみに満ちている。僕が真実を伝えたとしても、聖守として使命を果たそうとしている。何が君をここまで突き動かすんだ?」
未来視はあるはずの世界を見通す力だ。
その人物が何を思い、何を成し遂げてきたのか、それは教えてくれない。だからファイは読み取ろうとした。アルネが成し遂げるであろう英雄譚を一つ一つ追った。
――黄金要塞の中で魔神を仕留める未来があった。
――異形の姿が露わとなり、国から追われながらも使命を遂げる未来があった。
――魔神に敵わず死ぬ未来もあった。
――魔神より先に国によって殺される未来もあった。
――ファイが彼女を誘い、逃避行に出る未来があった。
「僕と静かに暮らす未来でも、彼女は魔神と戦う。そして死ぬか、次の魔神になる。どうしてもこの運命が変わらない」
それが聖守と魔神の宿命だというのか。
あるいは別のナニカが二つを引き合わせているのか。
残念ながらファイの未来視では全てを解き明かすことができなかった。朧げながら推測できることとして、冥王の関り、聖守と魔神には何か繋がり、そしてここが世界の分水嶺であることだけは分かった。
「僕が見える未来は一年以内。しかもかなりばらつきがある。最後の王としての使命を果たすまでが、僕の見える未来……」
あらゆる世界の可能性を見たファイだからこそ、アルネという存在が気になる。彼女の辿る運命が、どうしても気に入らない。
「彼女が魔神を倒す意味はない。僕が求める使命にも、必要のない工程のはず。でも、どういうわけか必ず魔神を倒し、次の魔神になる。僕が……僕は変えてみたいのか?」
言葉にして、自問して、ようやくファイは本音に気付いた。
未来視を使って運命を変えてみたい。必要のために犠牲を許容し、あるいは強いるであろう自分がこのようなことを考えてしまうとは実に滑稽だ。だが、どうしても証明したかった。
「君の運命は、死に収束している。僕が見た未来はそうだった。だから託そう。僕がまだ見ていない未来を」
◆◆◆
ファイは目を覚ました。
少し、夢を見ていたような気がする。しかしそれに浸っている場合ではない。肌を刺すような魔力が、今も感じられる。
「ハァ……ハァ……」
強い息遣いが耳朶を打つ。どうやら誰かに抱えられているらしい。声は男だ。推測するにシンクだろう。
それと同時に全身が痛んだ。それで思い出した。
(そうだ。魔神がよく分からない攻撃を使って……未来視で致命傷だけは避けたんだっけ。それでもこんなに痛いなんて)
自分の弱さが恨めしい。
腕、脚、胸、肩など、様々なところが痛む。かなり血も流れているようで、少し寒い。大公家の跡継ぎとして丁寧に育てられてきたファイからすれば、我慢し難い苦痛だった。
だがそれを気力で抑え込み、何とか目を開く。
視界に入ったのは地面。そして少し目を動かすと、見慣れた衣装。しかし血に塗れている。
(やっぱりシンクか。脇に抱えられて……反対側にアルネもいる。よかった。生きている)
黄金要塞を消し去りながら魔神が飛び出す直前、ファイは微妙に立ち位置を調整していた。それによってアルネの立ち位置も変わり、魔神の攻撃による即死は回避できたはずだ。
「目が覚めたか。悪いがアルネは自力で立ってもらうぞ。流石にお前たちを抱えたまま魔神を相手にするのはキツイ」
隣でアルネが離され、彼女は自力で立つ。
服は血濡れだが、既に流血はない。魔装の再生能力で治癒したのだ、とファイは思った。幾つも見た未来でアルネは自己再生能力を使っていた。
「ファイ・ラ・ピテル。お前は動けるか? 下手だが血止めくらいの魔術は使った」
「なる、ほど……助かる、よ」
ファイもまた降ろされたが、立ち上がるにはもう少し時間が必要そうだ。シンクは聖なる刃を具現化して構え、黒い剣を握る魔神と対峙している。アルネもまた、破壊の翼を出して備えていた。
少し別の場所ではアイリスが業魔族の全てと戦っている。結界のようなもので隔離し、魔術による激戦が繰り広げられていた。
(あっちは問題ない。アイリスは無傷で乗り切る。さて、魔神はどうするか)
魔神は視線を下げたまま、ぶつぶつと何かを呟いている。その見た目は魔族とは程遠く、人間と全く変わらない。だが黒い風が吹き続け、それに触れた物質は瞬時に塵と化す。
(僕が見た未来では、アルネが魔神を倒してしまう。魔装を少しずつ使いこなそうとしているし、ぐずぐずしていられないね)
この現実に辿り着いた時点で、アルネの魔神化は確定していた。だが、ファイはそれでもこの未来へと持ち込んだ。勿論、諦めてなどいない。
ファイが見た未来はどうなっても、アルネは魔神化するか死ぬのだ。
だからもっと別の可能性を模索した。
「シンク、君は、大丈夫、かい?」
「万全とは言えないな。それと目をやられた。右腕を治してもらったばかりなんだが……」
「今度は、右目……だね。右に、嫌われて、いるのかな?」
「無駄なことを喋るな」
そう告げるシンクの右眼は閉じられ、血が頬を伝っていた。
アイリスが七仙業魔を抑えるのに忙しい今、欠損まで治せる術者はいない。一応止血はしているようだが、息が荒いのは怪我のせいだろう。
「さっきの魔神の術は光を使ったものだ。発動寸前に魔力の兆候がある。次は防げる。だが、お前たちまで守れる自信はない。さっさとここから離れろ」
「え? 防げる……? 噓でしょ……?」
理解不能なものを見るアルネはとにかく魔神に集中する。先の光の炸裂は全く感じることすらできなかった。気付けば全身を光で貫かれていたのだ。回避も防御もできる気がしない。緊張の汗が流れる。
ファイは痛む身体に顔を歪めつつ、何とか立ち上がった。
「ぃッ……シンク、君に頼みがあるんだ」
「この状況でか? それに聞いてやる義理はない」
「いいから、聞いて、くれ。僕の、最後の、予言だ」
声の切実さに、シンクは身体を固くする。
血がべったりと付いた手をファイが伸ばした。シンクの首元にまで伸ばされ、素肌へと触れる。
「魔神は君が倒す。そうすれば君は願いを叶えるはずだよ」
「どういう――」
「説明している時間はない。そろそろ魔神が動くからね。だから、君自身で視てくれ」
ファイから、シンクへ。
力が流れ込んだ。青白い魔力が肌を伝い、シンクの右眼へと集まる。それに応じて潰れた右眼の痛みが引いていく。治癒とは違った感覚だとシンクは直感した。
「僕はラ・ピテル最後の王。そしてこれが最後の予言と、頼みだ」
魔力の移動が消えた。
それと同時にファイの右眼は灰色に変わる。宝石のような青い輝きは、もうない。
「君が魔神を倒してくれ。そうすれば、君は過去に戻れる。そしてアルネを救える。僕がまだ見ていない未来を、君に託すよ」
シンクの右眼が開かれる。
そこには宝石のような、青い瞳が輝いていた。
なにをしても不幸になるか死ぬ女、アルネ。
これは世界が殺しにかかってる。
やっとここまで来た…




