654話 嘆く魔神
魔神が黄金要塞を攻撃し始めたことによって、地上では撤退も完了した。初動で多くの犠牲を出してしまったこともあり、生き残りは少ない。
だが悠長に休んでいる暇もなかった。
なぜならば、その黄金要塞が崩壊しながら墜落し始めたからである。巻き込まれぬよう、王政府軍も聖石寮も必死だった。指揮系統など関係なく、散り散りになって逃げたのだ。もはや統制など取れていなかった。
「何とか、逃げ切りましたね」
「おうよ。あの黄金要塞? ってのが現れたときは助かったと思ったが、まさかこんなことになるなんてな」
「バラモス、あなたの隊は?」
「さてね。部下どもをまとめている暇なんざなかったさ。あんたのとこも似たようなものだろう?」
「お恥ずかしい限りです」
六聖第一席ミルディ、第二席バラモスが疲れた声でお互いの生存を喜ぶ。これまで誇りと自信を持っていたが、すっかり打ち砕かれた思いだった。自分たちが、弱い人間であることを思い出させられた。
「それで魔神は――」
ミルディが黄金要塞の墜落が作り出したクレーターの方を見遣る。かなり離れたつもりだったが、ここまで衝撃は伝わってきた。もしも離脱の判断が遅れていたら、直撃でなくとも巻き込まれて死んでいたかもしれない。無論、黄金要塞に搭乗していたであろう者たちは全滅だろう。
そして魔神も業魔族もまた、同じように死んでいて欲しかった。
「あ」
そんな言葉を漏らしたのはミルディ自身か、あるいはバラモスか、それとも近くにいた他の誰かだったのか。突如として土煙が吹き飛び、すっかり崩れた黄金要塞が明らかとなる。黄金要塞を中心に暴風が発生し、砂塵の全てを薙ぎ払っている。
突風となったそれのため、思わずミルディは目を閉じてしまった。
◆◆◆
「私、生きてる……」
青い空へと飛び出したアルネは、心から実感する。
気が抜けたのか、そこでようやく自分の状態を冷静に見つめ直した。
「え? え? 飛んで、え?」
見下ろせば崩壊した黄金要塞。
そして遠くには聖石寮や王政府軍の旗も見える。
自分が飛行船のように空高く舞っていることを自覚すると、途端に制御できなくなってしまった。
「アルネ、落ち着いて。君は大丈夫だ。さっきまで力を制御していたじゃないか」
「きゃあああああああ!」
「あぁうん。駄目だよね……」
ファイは半ば諦めた目をしていた。
混乱し、すっかり飛び方が分からなくなったアルネは真っ逆さまに落ちていく。それでも広げた翼を使ってどうにか滑空し、落下速度を抑えた。ほぼ無意識ながらも、地面に激突して落下死という結末は免れる。ファイはその未来が見えていたので、不安はない。しかし地面が迫ってくる恐怖はやはり拭いきれなかった。
二人はそこそこの勢いで落下し、地面を転がってようやく止まる。
「……死なないと分かっていても、二度と経験したくないよ」
「死ぬかと思いました。ご、ごめんなさい」
「いや、君のお陰で助かった。あのままだと魔神に追いつかれて殺されるか、黄金要塞の墜落に巻き込まれて死んでいたよ」
「ですね……あ!」
そこでアルネは思い出す。
一緒に戦ったアイリスは、シンクは、他の皆はどうなったのか。
「残念だけど、残っていた人は皆死んでしまったようだ。アイリスとシンクは生きているよ。それと業魔族も何体か残っているし、魔神も死んではいないね」
「そんな……」
「感傷に浸っている場合じゃないよ。ここから離れないと……痛ッ」
立ち上がろうとしたファイは思わず顔を歪める。生き残った興奮が痛みを気付かせなかったが、よく見れば左足がおかしな方向に曲がっている。着地の時、折れてしまったのだろう。
一方のアルネは無傷であったので、ファイに肩を貸す。
「おぉ。力持ちだね」
「その誉め言葉はちょっと……でも、身体能力は高い方だと思います。お陰で傭兵会社でやっていけたわけですし。今思えば魔装、のお陰だったんだと思います」
命懸けの脱出を成し遂げたからか、アルネも口が軽くなっていた。ついつい、話すつもりのないことまで言葉に出してしまう。
ファイの言う通り、墜落した黄金要塞から離れる方向へと歩を進めていると、今度は正面の空間が歪んだ。初めは身構えたが、すぐに警戒を解く。
「シンクさん! それに社長も!」
「お二人も無事でよかったのですよ。酷い目に遭ったのです」
転移によって現れたアイリスとシンクである。全身に深い傷を負っているシンクは、アイリスの肩を借りることでようやく立っている状態だった。
アイリスはシンクを地面に寝かし、時間を巻き戻す。
すると見て分かるほど傷が治り始め、僅かな時間で完治してしまった。シンクは起き上がると、身体の調子を確かめてから礼を告げる。
「感謝する」
「いえいえ。禁呪の中心にいてよく生きていましたね」
「俺も死にもの狂いだった。右腕があれば、あんなザマを晒さずに済んだかもしれないが」
「希望するなら腕も生やしてあげるのですよ」
「……本当か? いや、少し考えさせてくれ。安易に魔女に借りを作りたくない」
「正直ですねー」
とにかく生き残った、という実感が強くなる。
アルネは思わず腰が抜けてしまった。引きずられるようにしてファイも倒れてしまう。
「あ、ごめんなさい。力が抜けちゃって」
「大丈夫だよ。ちょっと足が痛かったかな。アイリス、よければ僕の足を治癒してくれないかな」
「いいですよー」
呪文も魔術陣もなく、骨折が治癒される。現代からすれば奇跡のような治癒速度だ。ファイは自らの足で立ち上がり、軽く調子を確かめる。
そして振り返り、黄金要塞に目を向けた。
「そろそろ出てくるよ。魔神が」
巨大な竜巻が起こる。
崩壊した黄金要塞の中心部から風は巻き起こり、オリハルコンを粉砕しながら巨大化していく。やがて竜巻は黒く染まり、天にまで届き、黄金要塞の全てを塵とした。
その中心より現れるのは魔神。
片割れを失い、狂ったように叫ぶ女性型だった。
「休む間もないですね」
「素直に引いてくれないか。仕方ない、右腕を治してくれ」
「あれ? いいのですか?」
「背に腹は代えられん」
シンクも魔神の凶悪さは嫌というほど知った。
それにまだ嫌なものが見える。魔神に続き、次々と七仙業魔が飛び出してきたのだ。廻炎魔仙、八怪魔仙、疽狼魔仙、邪妖魔仙、死兎魔仙の合計五体。かつて滅ぼされた睡蓮魔仙、先ほどアイリスに滅ぼされた九尾魔仙を除く全てが揃っていた。
アイリスは手元に魔術陣を生み出し、シンクの治療を開始する。
「まさかと思ったが素で扱えるのか……」
「所詮は第八階梯ですからね。時間回帰は長期間の欠損を修復するのに向いていないのですよ」
アイリスは空間切断で、一度シンクの右腕の残りを切り落としてから魔術をかけ始めた。みるみるうちにシンクの右腕が再生していき、やがて元通りになる。
二十四年ぶりの腕だ。
久しぶりの感覚に戸惑いを感じつつ、何度か剣を振って微調整する。
「片腕よりはマシだな。感謝する」
「いいですよー」
一方でアルネは唖然としており、ファイもまた苦笑する。
欠損部位の再生など伝説の魔術だ。しかしそんなもの、最近はありふれていた。魔神を前にして今更この程度のことを追及する暇もない。
「来る、か」
シンクは聖なる刃を具現化し、アルネもまた構える。怒りを滾らせ黒い暴風を撒き散らす魔神は、こうして改めてみると恐ろしい。
(何か……不思議な感覚。怖いのに、戦わないといけないって確信がある)
アルネは思ってもみなかった感情に、戸惑いすら感じていた。
不安と同時に湧きあがる高揚感。今まで抑圧されていたとすら感じる解放感。黄金要塞では生き残るのに必死で気づけなかった感情だ。
刻一刻と戦いの気配は強くなっている。
いつ魔神がこちらに突貫してきてもおかしくない。それほどの殺気を向けてくる。
(私、戦える)
そう心の内で呟いた瞬間、かちりと何かが嵌った気がした。
欠けていたものが綺麗に埋められたような、しっくり感。もう少しで何かもっと強大なものと繋がりそうな予感――
『えぬま、えりしゅ』
ゾッとするような声。
視界いっぱいに星のような輝きが満ちる。だが次の瞬間にはアルネの視界が真っ赤に染まり、気付けば仰向けに倒れていた。
(何……が、起こって……?)
体を動かそうとすれば全身が痛む。
しかし少しずつ、それも引いていった。
(何も分からない。気絶、してた?)
首だけをどうにか動かし、周囲の情報を集めようとする。まず目に入ったのは、地面に流れる赤い液体だった。それが自分から流れ出ていると気付くのにそれほど時間はかからなかった。
そして次に目に入ったのは、血溜まりに沈んで動かないファイだった。
「ごほ……」
ファイに呼びかけようとして、代わりに血を吐き出す。
痛みは体の警報だ。全身が痛むということは、つまりそういうことである。魔装のお陰で頑丈なアルネですらこの有様なのだ。おおよそ一般人の耐久力しかないファイでは、即死だった可能性すらある。
だがまず命の心配をしなければならないのはアルネ自身であった。
「るぅぅ……く、る……く」
幽鬼の如く呻きながら、魔力と風を放出する魔神。彼女はアルネのすぐ傍にいた。
重苦しい魔力の圧が呼吸すら忘れさせる。魔剣から雫のように闇が滴り、地面は黒く染まっていた。逃げたくとも体は痛むし、起き上がるだけの気力も湧いてこない。
「かたき、ころ……るぅ、く……どう、して」
魔剣を振り上げた魔神は、アルネとファイを見下ろす。眼球だけを動かし、どちらを先に殺すべきか品定めしているように見えた。
しかしやがて、選ぶ必要などないと気付いたのだろう。
膨大な魔力が注がれ、魔剣は禁呪を内包する。辺り一帯を荒廃させ、命の有無すら関係なく溶かす。刃は振り下ろされ、闇が炸裂した。
◆◆◆
墜落した黄金要塞の惨状は、眼を覆いたくなるほどのものだった。初めこそ黄金要塞と共に魔神も散ったかに思えたが、それは甘い考えだった。竜巻が残骸すらも塵にして、悍ましい魔力と共に全てを消し飛ばしてしまったのだ。あんなもの、魔神以外に考えられない。
ミルディはどうするべきか、悩んだ。将として撤退を優先するのか、六聖として魔神や七仙業魔の追撃を試みるかである。
(いいえ、私は六聖。聖守不在の中、人類にとって最大の希望。私が行かずして誰が行くの?)
決断は早い。
彼女は近くに落ちていた聖石寮の旗を手に取り、高く掲げた。
「魔神バアル・ゼブルを討つ! 立ち上がりなさい! 聖石寮の戦うべき時は……今です!」
冗談だろう、といういう目を向ける者が多かった。王政府軍も聖石寮も瓦解し、もはや誰の命令に従えばいいのかも分からない。とにかく生き延びたくて脱走する者も少なくない。
第二席のバラモスは慌てて彼女を止めようとした。
だがミルディは声を途絶えさせない。
「怯える者は引きなさい。私が必要とする者は、勇士! 私たちの存在意義とは、このためではなかったのですか。それを思い出せるものだけが私に続きなさい! この旗の下に!」
術師たちは思わず息を飲んだ。
残酷なまでの酷い煽りだったが、ミルディの鼓舞は正しかった。ただ才能があり、高給取りだからと術師になった者はここで脱落する。一方で誇りを胸に抱く術師たちは、これまでになく士気を高めた。
バラモスもまた、口角を上げる。
「そこまで言われちゃ、黙っておけねぇな」
「バラモス。あなたがこの程度で折れるとは思っていませんよ」
「無茶苦茶だぜ。だが、悪くねぇ」
六聖を中心に聖石寮の士気は高まる。
また感化された術師たちは積極的に伝令へと走り、ミルディの元へと結集するよう連携を始めた。
「魔神をここで逃がしては災禍を招きます。今まで封じられていたからこそ得られた平和が崩れます。預言の聖守がなくとも、私たちはなさなければならない。そうでしょう?」
「あんたの高潔さには感服するが、無闇に突撃したって得られるものはないさ。策はあるんだろう?」
「申し訳ありませんが、ありませんよ」
「おいおい……」
「ですが今しかないでしょう? 魔神が弱っている、今しか」
結果的に黄金要塞という期待は失われた。
そして魔神を封じ続けた結界も消失した。たとえ無謀でも、今ここを逃してはならない。バラモスは頭を掻きながら、溜息を吐く。
「ま、今更逃げ腰になったりしねぇさ」
彼もまた覚悟を決めて声を張り、集まった術師たちを整列させ始める。隊の再編もなくバラバラに突撃するのは流石に下策だ。
だが、時間は待ってはくれなかった。
強烈な光が閃き、広範囲を薙ぎ払う。光が偏在し、屈折し、昼の中に夜の星空を生み出す。魔神ゼブルの最強、秩序星廟が炸裂したのを遠くから見た。




