652話 黄金要塞の戦い②
本来、禁呪とは一度に都市すらも破壊する規模である。効果範囲も消耗魔力量も尋常ではなく、威力が高すぎるがゆえに扱いづらい。そもそも単独で発動できる存在がおかしいのだ。
だがアイリスは時空属性との親和性もあり、それを可能とした。
次元を断つ禁呪は総オリハルコンの黄金要塞すらも引き裂き、鋭利な断面を残す。幸いにも禁呪は内側から放たれたもので、文字通り真っ二つになることはなかった。
「何が起きたのですか!?」
止まっていた時が流れ始め、オリガがまず荒々しく叫んだ。彼女に視点ではいきなり世界が割れたように見える。理解不能の事象だ。
ここで異形型も己の片割れが斬り裂かれた事実に気付き、怒り狂った。
「ガアアアアアアアアアッ!」
咆哮と共に激しい雷光が閃く。
その一条が近くにいた術師たちを貫き即死させ、異形型自身は雷のような速さで女性型を回収した。だが恐るべきはやはり魔神だ。至近で時空属性禁呪を受けたにもかかわらず、その身体を両断するに至らなかったのだ。
空間すら断つ斬撃に防御など無意味だ。
防ぐ方法があるとすれば、同じく空間へと干渉する能力のみ。魔神バアル・ゼブルは迷宮魔力という方法でその要素を満たしている。
(禁呪でも一撃とはいきませんか。黒い風や雷も空間干渉を帯びていますし、厄介ですね)
魔神は止まった時間の中ですらゆっくりと動く。
並の方法では傷を与えることすら難しい。この場で有効打となるのは時空属性を操るアイリスと、聖なる刃を持つシンクだけ。シンクとて魔力に対する有効打であって、迷宮魔力そのものはどうしようもない。本来の威力をかなり弱められてしまう。
「異形の方が速過ぎるな。分断したところでこうも簡単に合流されるのは面倒だ」
シンクはそう零しつつも魔神の側面に回り気を引く。強く気配を出すことで敵の視野を狭めるのだ。単純だが、連携においては地味に効く。
殺到する剣の群れが魔神を弾き飛ばし、再び分断に成功した。
(切れずとも衝撃は届くのか? いや、一定ダメージの遮断? ああ、それだな)
戦いの中で魔神の能力を紐解き、弱点を探る。シンクは魔神の防御能力が、ただ固いだけではないことを見抜いていた。
剣の嵐が過ぎ去り、術師たちの魔術攻撃が殺到する。アイリスもそれに混じって魔術攻撃を放ち、攻勢へ転じることを許さなかった。
「もう一度引き離すのですよ!」
アイリスが強く叫ぶと、異形型と女性型の間に爆発が生じる。加速時空へと入り、じっくりと狙いを定めた一撃だ。傍から見れば恐ろしい精度の魔術行使に見えたことだろう。強制的に魔神を引き離し、再び分断することに成功する。
即座にシンクが援護に入って女性型を抑え、異形型にはオリガが剣の雨を叩きつけることで動きを止める。
「ガアアアアアアアッ!」
異形型の全身から黒い雷が放たれ、彼を抑えつける剣が粉砕された。その手の中の青い剣は強烈な光を発して、炸裂と共に周囲を溶かす。陽電子による対消滅攻撃だ。
これを防ぐのは難しく、近くにいた全員が焼かれるような痛みに襲われる。
「ッ! そんな……」
悲痛な声を出したのはアルネだった。
彼女はここまでの戦いの間、呼吸すらも忘れていた。六聖オリガに彼女が選んだ精鋭の術師、剣聖シンク、そこに混じる元社長のアイリス。目で追うことすらやっとの戦いだった。
「大丈夫だよアルネ」
「でも」
「ほら見て」
陽電子の放電を受けた全員の傷が、既に無くなっていた。全てが幻覚だったかのように。
それもそのはずだ。アイリスが瞬時に時を巻き戻し、傷を無かったことにしたのだ。いち早く反応したシンクは既に女性型の懐へと踏み込んでいる。
目にも留まらぬ剣閃が女性型に傷を作った。反撃の予備動作はアイリスが魔術で潰し、助けに入ろうとする異形型はオリガが邪魔をする。
「《造物》!」
錬金の第四階梯魔術が地形を変化させる。六聖のオリガは珍しいこの属性を得意としており、その唯一性は敵の意表を突くことが多い。
手で触れた物質の形状を変化させるという単調な魔術ではあるが、《造物》を地面に向けて扱えば戦術的価値が生まれる。オリハルコンの床を多少へこませたり、隆起させたりする程度の変化であっても、戦闘中ならば値千金の威力だ。
「はああああああ!」
オリガは錬成した剣をその手に持って斬りかかった。まっすぐ異形型の頭部へと振り下ろされた刃は、しかし呆気なく弾かれてしまう。
体勢を崩している異形型も、腕力と魔力に任せて破れかぶれに薙ぎ払った。そんな適当な一撃ですら人間にとっては致命的である。当然のように吹き荒れる黒い風と雷が瞬時にオリガの剣を破壊し、両手首の先を消し飛ばしてしまった。
「――ッ!」
痛みのため声にならない悲鳴を上げつつも、彼女は仲間の術師に回収される。だが次の瞬間、消失していたはずの両手は元に戻っていた。
(なんて回復の魔術ですか。こんな逸材が在野に隠れていたなんて……)
欠損すらも一瞬で治癒してしまうなど、まるで聞いたことがない。もしも見つかれば即座にシュリット神聖王国として囲い込むはずだ。
プラハ資本の傭兵会社だから見つからなかったのか。
そんな余計な思考すら混じってしまう。
「異形の方を引き離して動きを止めて欲しい。そうすればこちらの勝ちだよ」
後ろから飛んできたファイの声に引き戻され、オリガは再び戦いへと集中し始めた。剣を何本も錬成し、その数は十二本すらも超える。強度や形状などはほとんど無視して、数だけを揃えた剣の群れだった。流石にこの数ともなると精密な操作は覚束ない。ただ掃射するだけとなる。
(魔神を相手に精密さなど無意味。身体でよく理解しました)
敵と己とではあまりにも出力が違い過ぎる。
技巧で同じ土俵に立つことすら不可能なほどだ。こちらの攻撃はほとんど通用せず、逆に魔神の攻撃は全てが致命傷級。こんなもの、勝負になるはずがない。魔神の側近たる七仙業魔を引き離しても、有利となりえない強さがある。
だからオリガは魔力の大部分を射出の魔術へと注ぎ込み、大量の剣を飛ばした。加速度を得た剣はそれだけで歪み、崩壊しかける。だが破片が丁度散弾のようになり、異形型へと面制圧を仕掛ける結果となった。
「ヴァッ……ア……ゥル!」
呻くような声と共に、異形型は放電した。彼の持つ青い剣から無尽蔵の雷が放たれ、電磁場の防壁を形成する。殺到する剣の群れは逸らされ、弾かれ、ただの一つも届かない。しかも異形型はこの状態でオリガへと迫ってきた。
「オリガ様!」
咄嗟に術師の一人が彼女を突き飛ばす。
そしてすぐさま彼は電磁波の壁に触れて全身を痙攣させ、異形型の剣に引き裂かれてしまった。
「この化け物!」
「待ちなさい。今の奴には――」
興奮した術師が魔術攻撃を乱発するが、それは異形型の気を引くことすら叶わなかった。雷の束によって魔術は打ち消され、無造作に放たれたその一つが術師の身体を焼く。
また一人、命が失われた。
それを眺めているだけのアルネは少しずつ拳に力が入る。
「アルネ、君はあの戦いの中に入っちゃいけないよ」
「え?」
「ここも危ないね」
ファイは彼女の手を引いて場所を移動する。
その直後先ほどまで立っていた場所を黒い風が抉った。女性型の攻撃もまた、油断ならない。シンクが危険を承知で懐に飛び込み、間合いを保ち続けているからこの程度で済んでいる。そうでなければ距離を取られ、黒い竜巻によって全滅していた。ファイはその景色を既に見た。
「シンク、防がずに避けるんだ!」
その声に反応したシンクは回避を選択する。女性型が降り降ろそうとした黒い剣を弾こうとして、即座に中断してみせた。
多少の無理はあったが、この声はシンクを救う。
黒い剣は空を切り、その切先の直線状が裂けた。いや、腐敗した。
「闇の魔術か!」
物質の均衡を崩し、無為にする。
それが闇属性の特徴だ。当然、シンクは知っていた。しかし詠唱も魔術陣もなく、ただ剣を振り下ろしただけで闇魔術が発動した。これは恐るべきことである。
「厄介な。あんなものまで持っているとはな。神器というやつか?」
「あれは歴代の魔神が持っている武器ですねー。神器とは別なのです」
「知っているのか?」
「私たちが作ったものなのですよ」
「面倒なものを作ってくれたな」
「最初に魔神と呼ばれた人のために作ったものなのですよ。こんな意図はなかったのです!」
女性型は右手に宵闇の魔剣を、左手に黒い風の剣を持つ。そして努めて距離を稼ごうとしている。そうはさせまいとシンクは張り付き、アイリスもまた魔術攻撃で支援した。
そして異形型がそれを邪魔しようとして、オリガたちが抑え込む。
この構図は先ほどから変わらず、アルネは瞬きも忘れて見入った。
「どうにかならないんですか?」
「だめだ。少なくとも僕が目で捉えられる程度に異形を押さえ込んでもらわないといけない。でもまだその時じゃない」
「いったい何が見えているんですか? 私も手伝います。こんなの……じっとしていられない」
「……」
ファイは答えない。
しかしその沈黙こそが、アルネに何かの役目があることを語っていた。言うべき言葉はあるが、それを口に出したくない。彼からはそんな感情が読み取れる。
「私には、何ができますか?」
「君がすべきことはないよ。今はね。アルネには別の役目がある。僕はその道筋を作っている」
「今は見ていろというのですか?」
「そうだね」
到底納得できるものではない。
反論しようとすると、再びファイは彼女の手を取ってその場から移動した。少し止まって、少し戻り、再び魔神達から距離を取る。そんな奇妙な動きだったが、ちゃんと意味を持っている。
バアル・ゼブルの気を引き、ほんの僅かなものだが隙を作り出していた。シンクとアイリスはそこを見事に突いてみせたし、オリガも苛烈に攻め立てる。
「全員、すぐに伏せて!」
王座の間の温度が急激に上昇したかと思うと、業火が吹き荒れた。シンクはすぐに身を伏せ、アイリスは魔術により身体を守る。
間に合わなかったオリガは上半身を焼かれ、炎上しながら見悶えた。
「オリガ様! すぐに消火を!」
術師が水の魔術を発生させるも、その彼ですら全身が燃え上がった。断末魔と共に彼の命は尽きてしまい、代わりにアイリスがオリガの火を消した。
重傷を負ったオリガもすぐ時間逆行で回復し、立ち上がる。
「魔神様、遅くなり申し訳ございません」
「なんぞ? フェレクスの奴しかおらんではないか。妾が一番遅いかと思うたのじゃがの」
王座の間の天井が崩れ、炎を纏った青年が降りてくる。それに続いて九本の尾を持つ美女も飛び降りた。魔神にとって側近中の側近、廻炎魔仙フェレクスと九尾魔仙アンヘルである。
「こうなってしまったか。こうなると――」
魔神バアル・ゼブルに加え、七仙業魔が二体も。
流石のファイも少し不安そうな声だ。しかし考えることを止めず、次の未来を読み続ける。
(欲張り過ぎたかな。でも僕はこの未来を選び取りたい。絶対に)
一時的に戦いが停止する。
しかしアイリスはこの一瞬の空隙を逃さず、術を放った。
「《獄葬火》」
廻炎魔仙が炎上する。黒い炎に包まれ、その痛みに苦しんでいた。防御を貫通する獄炎魔法の残滓だ。炎の化身たる廻炎魔仙にも効く。だが爆炎を弾けさせることで黒炎を打ち払った。
炎に紛れ、剣閃が差し込まれる。
「ぐッ……」
シンクは気配を殺して踏み込み、廻炎魔仙の心臓を貫いたのだ。聖なる刃は魔族の防御を容易く貫き、心臓の魔石すら一撃で破壊する。
「下がってシンク!」
届いたファイの言葉を耳にして、シンクはすぐ剣から手を離し飛び下がった。魔装の剣は青い粒子となって溶けていき、シンクは再び新しいものを具現する。
この判断が彼を救った。
廻炎魔仙から炎が噴き出し、竜巻のように渦巻く。その熱波は距離を取っていても肌が痛くなるほどだった。やがて炎は散り、その内側から無傷の廻炎魔仙が現れたのである。
「こいつは廻炎魔仙です! 魔石を破壊しても復活する能力を持っています」
「そういうことか。厄介だな」
知識を持つオリガのお陰で動揺せずに済んだ。とはいえシンクの表情は硬い。
奇襲が何度も通用する手合いではないし、もう一体の業魔族とてこちらを警戒した。何より、今の攻防で魔神バアル・ゼブルが再び合流してしまった。
(戦術を見誤ったか……)
戦いは仕切り直しとなる。
シンクは歯噛みしつつも、すぐに切り替えようとした。
「妾が来たのだ。もはや魔神様に近づくことすら叶わぬと思え」
九尾魔仙は影を広げ、そこから無数の餓楼を生み出す。重瞳の獣が群れとなって蠢き、あっという間に取り囲んでしまう。数的優勢はいとも簡単にひっくり返されてしまった。
まさに絶体絶命。
強気な態度を崩さなかったオリガですら、言葉を失っている。
「大丈夫だよ。まだ、終わっていない」
そんな中、ファイだけは揺るがない。
予言の眼が見出した勝利の方程式が既に解けていたのだから。
「少し危険な綱渡りだけど、僕たちなら勝てる。位置取りは完璧だからね」
「冗談でしょう? ここから逆転する手段はありません」
いったいどこからそんな自信が出てくるのか。
魔神を仕留めきれず、二体の業魔族とも合流されてしまった。餓楼に囲まれ、身動きも取れない。オリガの言葉は真実だった。
しかし彼女は経験のある戦士だからこそ、意識的に除外している要素がある。
それは外的要因による突破口の出現。
すなわち、偶然の産物に期待するというものだった。
「備えて、三、二、一、来る!」
世界が揺れる。
王の間では壁中に亀裂が走り、それは天井や床にまで及んだ。一瞬のことで、誰一人反応できない。戦場は崩壊した。




