592話 完全同化
神奥域の戦いでルークたちは敗北した。
炎帝を止めることができず、仲間の多くが殺された。生き残りは両手で数えられるほどにまで減っている。そしてミリアムという敵はあまりにも強大だった。
「お前……その目」
「綺麗でしょう。人の見た目をなくすこともできたのですけど……炎帝陛下に私が私であると理解されないのも悲しいものですわ。だからせめて目だけでも魔族らしくしてみましたの」
ミリアムは複眼の目を閉じた。そして少しだけ離れる。
するとルークたちを縛っていた糸が溶けて消失した。自由になったルークは、警戒しつつ距離を保つ。同じように解放された人々は少しずつ、ミリアムの近くに集まり始めていた。またウェルスも上空まで移動している。
「どういうつもりだ?」
ルークはそう問いただした。
あのまま拘束し続けていれば容易く殺せたはずだ。だがその優位をわざわざ取り払ったのである。その意図が見えず、困惑した。
「私は遂に魔族となりましたの。これは待ち望んだ救いですわ。どれほどの力が私にあるのか、試してみたいと思っても不思議ではないでしょう?」
「こいつ……」
「慈悲ですのよ? 私の力を目の当たりにすれば、改心してくださるかもしれませんわ。いえ、きっと救いを求めてくださいますの!」
彼女がそう語る間に、包囲は完成した。
正面からはルーク、周囲は炉の戦士が抑え、背後にはカーミラが立つ。また上空にはウェルスに乗ったネオンとスルザーラがいた。しかし囲まれてもミリアムに焦りは見えない。
「私は先導者ですの。いずれ全ての人間が私のようになりますわ。死なず、強く、そして魔神様という絶対者を中心に動く。だから争わない。理想の世界ですわ」
「ふざけるな。なんでそんな風に思える!」
「悲しいですわ。私は真面目ですのに」
「どこがだ」
「人間は愚かですの。違いを恐れ、排除する生き物ですわ。見た目が人間でも、異質な力を恐怖ゆえに排除しようとしますの。人間に期待することは止めましたわ」
ミリアムの周囲に影が広がっていく。それらは揺れ動き、何かがせり出してくる。角のある小柄な人型、獣の巨体、朽ちた体を持つもの、蠢く鮮やかな花、燃え上がる鳳、山羊の頭部と蝙蝠の翼を持った異形、また色彩豊かな蟲たち。
多種多様な魔物であった。
「これが私の異能ですわ。魔物と心を通わせ、従えることができますの」
その力を誇示するように、ミリアムは光の玉を作り出す。強く発光するそれのお陰で、夜にもかかわらず一切の闇が晴れるほどであった。お陰で彼女がどれほどの魔物を従えているのか、はっきり目にすることができた。百や二百では足りない。それだけの大軍を下僕としている。
「この子たちは素直ですわ。嘘は言いませんの。それに力を認め、従ってくれますのよ」
「……人と心を通わせようとは思わないのか?」
「不可能ですわ。だって人間は愚かですもの。貪欲で、臆病で、違う存在を認めない。そんな狭量な生物ですわ。人間という愚かな生物が跋扈する世界は、きっと乱れますの。全ての人間という生物を滅ぼし、救済する。それが私の使命ですわ」
「そんなはずありません!」
強く否定の言葉を叫んだのはネオンであった。
彼女はウェルスから降り立ち、《聖捌》の光を放つ。すると影は薄れ、魔物たちは苦しみ始めた。またミリアムも少々眩しそうに、鬱陶しそうにする。
「魔物の力は大きいのでしょう。蜜のような甘露に違いありません。不死、それに何者にも侵されぬ力。魅力的に思うこともあるでしょう。ですがそれは力による抑圧です。炎帝の行いが証明しています」
「炎帝? あのような愚物と同じに見られるのは不快ですわね」
「随分な言い草ですね。仕えている相手でしょうに」
「多少の感謝は持ち合わせていますわ。でも利用しているだけですもの。お陰で魔神教団は大きく成長しましたわ。魔族になるための方法を確立することもできましたし、もう用済みですわね」
ミリアムを中心として絶大な魔力が放射される。それは魔術でもなんでもない、ただの魔力だ。特に意味はなく、多少威圧の効果がある程度。しかしミリアムほどの魔力になれば、それだけで効果的だ。ほぼ全員が気力を奪われるほどの圧に襲われ、膝を折る。
立っていられたのはルークとカーミラ、そしてネオンだけだった。
またこの魔力は《聖捌》の光すらも押しのけ、消し去ってしまう。
「私たちが交わすべきは言葉ではなく、刃。私の力を目にしてくださいませ?」
そう告げると、虚空より巨大な鎌が現れる。それはルークに向けて勢いよく振り下ろされた。
◆◆◆
アポロヌスと炎帝の戦いは、お互いに最大威力の攻撃を放つことから始まった。究極魔術、星焉。そして究極魔術、暗黒点。この二つは衝突し、強烈な衝撃を生み出した。前者は絶大なエネルギーを放射する爆発の魔術。後者は万物を食い尽くす吸収の魔術。そして純粋な威力はアポロヌスが勝っていた。
「地鋼、火滅」
そう呼びかけると大斧と大剣が飛翔し、炎帝を追撃した。それを血晶の槍で迎撃するも、容易く砕かれる。大剣は炎の渦を生み出した。
「この我に炎で挑むかッ!」
「それだけじゃないさ」
回転する大槌が炎帝の足を強打した。背後から迫るそれには気付けなかったのだ。また槌が直撃した瞬間、天より雷が降ってくる。
「いいぞ雷霆花。次は冥劫だ」
「舐めるな人間ッ!」
左後方から迫る鎌のような槍には炎帝も気付いていた。操られた悪魔が盾となり、攻撃を受け止めた。すると悪魔の身体に青色の紋様が現れる。
それが何を意味するのか、炎帝に考える暇はない。次は三叉の槍が激流を伴って飛来したからだ。火を消し去る水は苦手とするもの。暗黒点を発動し、喰らいつくした。
「海楼、周囲の炎を消してくれ。虚呪針、晶鱗具」
八本の細剣が縦横無尽に飛び回り、虹色の結晶が刃となって悪魔たちを切り裂く。火の加護を得た悪魔といえど、神器の乱舞に押されていた。
「役に立たん魔物共め」
「俺は地獄域の覇者。そう言ったはずだ。悪魔の討伐には慣れている。お前も地獄に落としてやろう。旭陽」
「ふん。少しはやるようだな。星環」
再び究極魔術が激突した。
だがその直後、アポロヌスの頭上にある天輪より強い光が放たれた。それは麗讃飾の聖なる光である。光線として放たれたそれは、炎帝の頭上になる七重の円環へと直撃する。それによって円環が欠け、その力も低下した。
炎帝は即座に魔力を注ぎ込んで円環を修復し、引力を持つ暗黒球を幾つも生成する。
「虚呪針、影の世界を開け」
八本の細剣が陣形を作り出し、そこから黒い澱みが溢れ出す。アポロヌスが影の世界と呼ぶ、異質な空間との窓口を作る。それが虚呪針の能力だ。
澱みは紐のように細く紡がれ、炎帝を捕えるようにして迫る。
「鬱陶しいッ!」
「それは燃やせないさ。運命そのものだからね」
「戯け。我が運命如きに縛られると思うかッ!」
黒い紐は炎帝に巻き付き、その動きを止めた。炎が這いずり回っても焼き切ることはできず、星環を以てしても引き千切れない。
「おのれッ! こんなものか星環! 我は王! 唯一絶対の王であろう! 我に力を寄こせ!」
『力には代償が必要だ。何を差し出す?』
「黙れ。全て我のものだ」
『道理を弁えよ。代償なくして力は得られぬ。吸血種の能力もまた、そうだったはずだ』
「話の分からん奴め。無限炉! 刻命!」
『星環と同意見である』
『……』
前を見る。
アポロヌスは複数の神器を従え、一斉攻撃をする構えだ。一方で炎帝は動けない。星環も無限炉も刻命も、ただでは力を貸してくれない。王としての矜持を持つ炎帝からすれば、これほど屈辱的なことはなかった。
(我に懇願せよというのか。代価を支払い、頭を下げろと?)
封魔王国の王アポロヌスの力は絶大だ。吸血種となり三種の神器を操る炎帝すらも上回る。なぜ人間の僭王如きに後れを取らなければならないのか。これもまた屈辱的な事態であった。
炎帝は奥歯を強く噛み締める。
「……よかろう。我の全てをくれてやる。全てだ。無双王者の力を寄こせ」
『無限炉は承知した』
『星環も与えよう』
『……刻命も贄を充分と評価した』
支払う代償は肉体の全て。
求めるものは最強の力。
三つの神器は炎帝に完全同化の力を与えた。その力は存分に注ぎ込まれ、炎帝は神器と一体化する。変化は肉体に現れた。
「何をする気だ? させない!」
アポロヌスは一斉に神器を射出し、更には旭陽の星焉まで放った。不気味な魔力を放出して身体変化中の炎帝は、これらの攻撃を回避しない。いや、できない。爆炎、雷光、巨大な光が炎帝を襲った。
「何? 効果がない?」
炎帝を捕えている黒い紐が教えてくれる。炎帝は健在だ。それどころか力を増しているのだと伝わってくる。力の段位が一つ、いや二つは跳ね上がった。
炎と光の中から、『ソレ』は現れる。
『我は王。世界の王。人も魔も、我のものである』
二重、あるいは三重に木霊する声。
頭部には大小七つの角があり、肌は浅黒く変化していた。両目は血よりも赤い光を放ち、全身から薄っすらと炎が立ち上る。また衛星のように幾つもの黒い球体が公転しており、その一つ一つが引力を放っていた。肌は赤みを帯びた結晶に覆われている。
人の形こそ保っているものの、魔族に近しい異形の姿だ。それこそ、炎帝が従える悪魔と見間違うほどに。また放たれる魔力も先ほどまでとは桁違いになっている。
"死"
明確にその文字がアポロヌスの脳裏を過った。
すぐに虚呪針で『窓』を作り出し、そこから湧出した黒い紐を自身に絡ませる。そして勢いよく身体を引き寄せさせた。
今、一瞬前までいた場所の空間が歪む。突如として黒い球体が発生し、周囲を吸い込み始めたのだ。
『避けるか』
「何か変わった……? あれも神器の力なのか?」
アポロヌスは天駆に命じ、目にも留まらぬ速さで飛翔する。炎帝の周囲を回りながら、空間上に突如発生する暗黒点を避け続けた。
すると炎帝も方法を変えてくる。
頭上に巨大な印が浮かび上がった。天秤のような意匠が四方に並び、中央には爪痕にも似た模様がある。この紋章が現れた途端、炎帝を中心とした暴風が発生し始めた。
(風? 炎帝の神器にその手の能力はなかったはず。まさか四つ目か?)
アポロヌスが確認したのは引力を操る神器、炎を操る神器、そして悪魔たちを操っている神器の三つだ。どれも風を操るような能力には思えない。
(奴を中心に広がり続けている紋章。無関係とは思えないな)
天駆の飛行能力があったとしても、暴風の中ではその力を万全に扱えない。思うように飛べず、下手をすれば暗黒点の餌食となってしまう。
「仕方ないか。麗讃飾、その力を万全に解き放て」
アポロヌスの頭上で天輪が強烈な輝きを放った。
あらゆる魔を対消滅させる、反位相の魔力が放射されたのである。それは目に見えず、ただ対消滅反応の残滓が光となって目に届く。暴風も炎も暗黒球も、巨大な紋章も、青白い残光となって散っていく。
あまりにも強烈な能力だ。
その全力解放には当然ながらリスクもある。
全ての神器同化が解除され、アポロヌスは落下し始めた。
「神器たちよ! 俺と同化しろ!」
麗讃飾の全力解放は、自身の神器同化すらも解除してしまう。そして再び同化するまでは大きな隙を晒してしまうことになるのだ。勿論、同化による負荷もあるが、それはアポロヌスが持つ素の頑丈さで踏み倒していた。
再び飛翔して高度を取り戻し、炎帝を探す。
『不遜である』
反射的に頭を下げた。
首のあった場所を赤い結晶の刃が通過する。アポロヌスは更に加速してその場を離脱した。暗黒点が無尽蔵に射出され、炎をまとった赤い刃が回転しながら飛来する。炎帝はその異形の姿から全く変わっていなかった。
「奴の同化が解けていない? どういうことだ麗讃飾」
『あれは完全同化。一時的な同化とは別物であるが故に』
「なるほど。同化の果てというやつか。もはや後戻りの利かない異形の姿。あれほどの力には相応の代償を支払わなければならないということ」
『望めば与えようぞ』
「いらないさ。俺は人間のままでいる」
『気が変われば望めばよい』
炎帝が果たした完全同化により、力関係は傾いた。アポロヌスは自覚している。今は炎帝の方が強いと。
だがそれでも人であることを否定したくなかった。
「俺は封魔王国の王として、人としてあの怪物を討つ。そう決めている」
神器たちを周囲に集め、その矛先を炎帝へと向けた。




