591話 王と炎帝
封魔王国は僅か六年前に建国された新興国家だ。とはいえそれは地獄域を中心とした連合国体制が正式に締結されたという意味であって、封魔王国そのものの歴史はそれなりにある。かつて冒険家であったアポロヌスは、地獄域を幾度となく探索した。そこの原住民であったバジルの民と親交を深め、また周辺民族との軋轢をまとめ上げ、巨大な都市を作り上げた。
地獄域は無尽蔵に悪魔系魔物が溢れ出す灼熱の危険地帯であった。アポロヌスは迷宮を封印するために巨大な塔を建設し、魔を封じたのである。
したがって封印の塔は封魔王国にとって平和の象徴であった。
「なんだ? 揺れ?」
アーガス・エドマリアは突然の振動に目を覚ましてしまった。彼はアスラン王国の亡命政府指導者として、封魔王国に保護されている。従弟のルークや、ロニ将軍のような部下たちを毎日のように心配していた。亡命政府指導者としてサンドラ帝国との最前線について情報を得る機会もある。戦いの激しさは情報として知っていたのだ。
そんな不安から最近では眠れぬ日も多く、悪夢を見ることもある。
初めはそんな悪夢の一つかと思ったが、そうではなかったらしい。
「殿下ッ! 御無事ですか!」
「これは現実か……? 私は無事だ」
「避難を!」
「どうした」
揺れは今も酷く鳴り続けている。また建物が崩れるような轟音も鳴っているようだ。
護衛の兵士はアーガスに近寄り、肩を貸して立ち上がらせる。
「よくお聞きください。塔が……封印の塔が崩れました」
地獄の封は破られた。
◆◆◆
神奥域の大穴は、一瞬前の灼熱が嘘のように凪となっていた。ネオンとスルザーラも多少の火傷を負ってしまったものの、すぐに治癒できる程度である。ただネオンは聖王剣を保有していないため、今は治癒の魔術をまともに扱えない。
「炎帝は……」
「殺せた、とは断言できませんね。大きな傷を与えたはずですが。確かに《聖捌》の光を当てた手応えを感じました」
ウェルスは何も指示しなくとも上昇し始め、大穴の外に出る。炎帝が操っていた炎も消えているため、星と月の光だけが頼りだ。熱も引いて、夜風が火照った体を冷やしてくれる。
炎帝を倒すことができたのか。それも心配事だ。
しかしそんな考えを軽く吹き飛ばすほどの脅威を二人も感じた。
「聖守様、この魔力を感じますか?」
「感じます。ミリアムですね」
「彼女は業魔族になったからね。この魔力も納得だよ」
「そういえばまだいたのですか『黒猫』」
「酷いなぁ。君たちが黒焦げにならないよう熱の到達を弱めてあげていたのに」
ずっと口を閉ざして状況を見守っていた『黒猫』も、実はこっそり貢献していた。だがミリアムにも協力しているので、もはや信用はない。
「炎帝は無事に地獄域まで飛んだみたいだ」
「ッ! そんな嘘を!」
「嘘じゃないさ。封魔王国にも僕の手の者は潜んでいる。連絡はすぐに伝わるからね」
炎帝暗殺の作戦は失敗だった。
それが二人にも伝わった。
◆◆◆
封印塔の崩壊は突然のことであった。
戦時中とはいえ、封魔王国の夜は静かなものである。むしろ戦時中だからこそ余計な出費は控え、日が沈めば自宅に引き篭もる。夜中ともなれば明かりはほとんどない。
だから民衆たちが目を覚ました時、目の当たりにしたのは既に崩れた塔であった。
そして塔より現れた無数の悪魔と、黄金の巨兵であった。
「ぐッ……がァ……女ァ」
巨兵の頭部では炎帝が蹲っていた。
近衛に支えられ、また血で満たされた杯を差し出されている。苛立ちを露にしながらも炎帝は杯を受け取り、口の端から零すほどの勢いで飲み干した。血液が身体を満たし、再生する。崩れ落ちていた肌も元に戻り、溶けていた肉も修復した。
そして怒りを封魔王国へとぶつける。
「踏み潰せ巨兵よ! 紅の兵団共、殺し尽くせ! この国を滅ぼせ!」
黄金の巨兵が一歩を踏み出す。
ただそれだけで巨大な振動を作り出し、建造物を崩壊させた。また足元にあった建物は砕かれ、眠っていた者たちを永久に目覚めないようにさせる。ただ巨兵が歩くだけで封魔王国は消されていく。
また炎帝は無限炉の加護を配下たちに与えた。
各地で火の手が上がり始め、また無数の爆炎が人々の命を奪う。
「ふん。あれは宮殿か。さっさと潰しておくとしよう」
破壊が進む中、炎帝が目を付けたのは塔の隣に建てられた宮殿らしきものであった。塔の崩壊に巻き込まれたらしく、既に一部崩れている。だがそれを完全に潰すため、炎帝は杖を掲げた。その杖は先端部に黒い石が嵌め込まれ、円環が装飾されている。
「同化せよ。星環」
既に無限炉と同化している炎帝は、更なる同化を求めた。神器は一つでも絶大な負荷をかける。それが二つともなれば、恐ろしく寿命を縮めてしまうことだろう。だが炎帝は吸血種としての頑丈さと再生力で耐え抜く。
負荷はかなりのものだが、死ぬほどではない。
『破壊せよ。破壊せよ。全てを破壊し、捧げよ』
「黙れ。我に命令するな星環。命令するのは……我だッ!」
同化によって杖は消失し、代わりに炎帝の頭上で七重の円環が生じた。それはまるで惑星の軌道だ。炎帝こそがあらゆる中心であると宣言するような同化である。
炎に照らされた夜空の一部が、黒く塗り潰された。その巨大な黒は引力を持ち、周囲の瓦礫を吸収し始める。星環により扱える究極の魔術、暗黒点だ。夜よりも黒い球体は、少しずつ地上へ落下し始めた。
「ハハハハハハッ! クハハハハハハッ!」
断末魔や悲鳴は炎帝を称える絶唱。
噴き出す血と砕ける骨は誉れ。
そして滅びた国こそが炎帝の力の象徴。
「滅びよ。我が世界の王だ。万物の支配者だ」
滅ぼす黒が、地に落ちた。触れたものを瞬時に消滅させる天体の具現が、封魔王国に大穴を生み出した。
◆◆◆
封魔連合王国は地獄域より発見された古代遺物で急速に発展した。古代の遺物をそのまま利用するだけではなく、解明し、その技術を一部手に入れていた。遠距離通信魔道具はその一つだ。封魔連合における最重要軍事機密の一つであり、アポロヌス王も切り札としている。
だがその魔道具は最悪の知らせをもたらした。
『……下! 陛……襲ッ……助け!?』
ノイズ混じりの通信は、ただ切迫だけが伝わってきた。ほとんどの声が途切れており、全く聞き取れない。だが危機の大きさは察することができた。
大きな音が耳を劈き、そこで通信は途絶える。
アポロヌスは瞬時に空へと駆け上がった。
「これが悪い予感の理由かッ!」
天駆と同化して、封魔王国に向けて急いだ。嫌な予感はずっとしていた。それはどこかの戦場で起こるものだと考えていた。
ずっと的外れなことをしていたのだとようやく気が付いた。
鳴り続ける警鐘の意味をずっと考えていた。視野を広げたつもりで各地の戦場をまわっていた。だが本当は違ったのだ。最前線に目を向けるという行為そのものが、視野狭窄を引き起こしていた。
「聞こえるか? 返事をしろ! 俺の声が聞こえないのか!」
封魔王国へ急行する間も、アポロヌスは呼びかけ続ける。だが通信機は雑音を放ち続けるのみ。何の情報もないため、焦りが募っていく。
「俺の魔力を捧げる。同化しろ、虚呪針」
二つ目の神器もその身に宿した。多重の同化は激しく寿命を縮める自殺行為だ。しかしアポロヌスは特別頑丈で、複数の神器との同化を可能とする。
虚呪針は方位磁針のような見た目であった。だが針は北ではなく、全く異なる方向を指す。同化により溶けて消え去り、代わりに八本の剣が現れる。その剣は針のように細く、飛翔するアポロヌスに追随していた。
同化した虚呪針の剣たちはすぐ右側で円形に並ぶ。すると剣が魔力で繋がり、空間そのものを押しのけた。
「来い。俺を助けろ」
アポロヌスはそう呟き、虚呪針が作り出した異界の扉へと手を刺し込んだ。そこから黒いうねりが噴き出し、彼に巻き付く。
黒い紐はアポロヌスを引っ張り、異界の扉へと引き込んだ。
その中はまるで黒い海。
澱みのようなものが肌に張り付き、吐き気すら催す。こうなるからアポロヌスはこの方法が嫌いだった。だが今はそうも言っていられない。
(頼む。間に合ってくれ)
不快な淀みはほんの僅かでも常人を発狂させる。それに少しでも耐えられるアポロヌスは間違いなく超人だ。こうまでするのは、封魔王国を守るため。
人生を捧げた理想の国を、そこに住む愛する人々を守るためだった。
泳ぐようにして手足を動かし、遂に澱みの黒い海を抜け出す。
その先は視界いっぱいの赤であった。
「ここは……俺の国なのか……?」
澱みの海を潜り、空間を飛び越え、目にしたのは地獄であった。燃え盛る炎が目に飛び込み、煤の匂いが鼻を突き、悲鳴と断末魔が耳を穿つ。肌が熱を感じても、身体の内側は氷のように冷えていた。
「本当に……そうなのか?」
信じたくない光景は今も悪化し続けている。
ここは間違いなく封魔王国だ。王国だった場所だ。塔は崩れ去り、地獄の蓋が開かれている。そこからは無数の悪魔たちが溢れ、民を襲っていた。
「あ……あああああああああああああああッ! 炎帝えええッ!」
そして王は慟哭した。
この惨状を作り出した人物をその目で見つけたのだ。
「神器よ! 俺に力を明け渡せ! あの悪魔どもを殺戮する力をッ!」
『冥劫は了承した』
『海楼は理解した』
『天駆は哀れむ』
『虚呪針は支持する』
『雷霆花は友好的である』
『火滅は賛同した』
『地鋼は慈悲深い』
『麗讃飾は喜ぶ』
『晶鱗具は裁定する』
アポロヌスの呼びかけに応じ、次々と神器たちは同化を果たした。
鎌のような槍、三叉の槍、八本の細剣、巨大な槌、燃える大剣、両刃の大斧、鋭利な水晶の刃、様々な武器が浮遊してアポロヌスに追随する。
最後にもう一つ、強い輝きを放つ神器が彼の手元にあった。
『器の男よ。旭陽が認める。蹂躙せよ』
空に巨大な火の玉が生じた。
灼熱は絶大な光を放ち、空を白く染め直していく。星も月も塗り潰され、まるで昼間のようになった。これだけ目立つことをすれば炎帝も気が付く。
「それだけの神器……貴様が王を僭称する愚か者か」
「なぜだ。なぜ簡単に奪える!」
「我は天上天下、唯一の王。我が差し出せと命ずるならば、頭を垂れて従え」
炎帝は手を差し向ける。
すると地上から無数の悪魔たちが殺到した。それらは体のどこかに黒い傷のようなものが刻まれており、炎帝には見向きもせずアポロヌスだけを狙う。
「俺の邪魔をするな」
アポロヌスはただ、そう告げた。
すると浮遊していた神器たちが勝手に飛翔し、悪魔たちを殺戮する。その能力すらも無尽蔵に放たれ、火が、水が、雷が、光が、あるいは呪いが殲滅していく。僅かな時間で百以上の悪魔が屠られた。
「これが運命に定められた戦いだというのなら、俺の役目はお前を滅ぼすことだ」
「不遜であるぞ人間」
「驕りが過ぎるな化物」
国を、民を、大切なものを全て壊されて悲しみを覚えずにはいられない。怒らずにはいられない。激情は旭陽に注ぎ込まれ、小さな太陽は頭上で輝きを増した。
「力は相応しく、世のために使われなければならない。俺は常人よりも優れて生まれた。簡単には死なないほど頑丈だったし、運命のようなものを見えていた。俺はこの力を、より優れた世界のため使ってきた。この封魔王国は俺の夢だ。封魔連合は俺の理想だ。なぜだ。なぜお前たちのような異形は、容易く踏み躙り、奪える?」
「違うな。根本から誤っている。遍く全ては我のものだ。貴様らは我のものを簒奪する盗人に過ぎぬ。我は奪う者ではない。正義を為す者だ。我は世界を導き、神すらも討とう。我らを支配しようとする傲慢な存在をな」
「誰が定めた! 世界は皆の! 一人一人のためにある!」
塔は崩れ、封は解かれた。
地獄域の悪魔たちは厄災となり、燃え上がる火は民の逃げ場を奪う。吸血種たちは蹂躙し、無辜の民にも容赦しない。見れば宮殿があった場所は、大きく抉れて消失している。アポロヌスを支えてくれていた人々は、きっともういない。
「俺は全てを賭けてお前を倒す。お前という存在をこの世から消す」
「多数の神器が自信の根拠か? 我もまた三つの神器を手にしている」
「そうか。俺は十個だ。まだまだだな」
「貴様……」
炎帝の周囲に悪魔たちが集まり、それぞれに火の加護が宿る。頭上に浮かぶ七重の円環が揺れ動き、引力を持つ黒い球体を生み出した。
その一方でアポロヌスは旭陽を掲げた。王笏の先端部から光が生じ、灼熱を放つ球体となる。
「王とは我のこと。唯一の座である。消え去れ紛い物よ。暗黒点」
「王とは導く者。理想の体現者とは俺だ。星焉」
昼間のような夜空で、二つの究極魔術が衝突した。




