544話 ヴァルナヘル奪還戦②
時間を少し戻す。
ヴァルナヘル奪還戦が始まる前夜、サンドラ帝国軍も迎撃のため騒がしくなっていた。シュリット神聖王国の大軍が迫る事実は幾日も前から分かっていた。誰もが分かりやすい大軍に注目していた。
しかしシュウだけは気付くことができた。
魂を見透かす力は物理的な壁に囚われない。
地下を通り、ここへ近づく奇襲部隊の存在を認識することができた。
「ミリアム、少しいいか?」
「どういたしましたか? 次の実験の相談ですの?」
「地の底を這う虫がいる」
「……そういうことですのね」
それで全て理解したらしい。
ミリアムはどのようにして迎撃するべきか悩んだ。困難だからではない。様々な手段が考えられるため、迷っていたのだ。
「健気に掘っている横穴ごと潰して差し上げましょうか。それともこちらから穴を開けて水でも流して差し上げましょうか。出てきたところを魔族兵で囲むのもいいですわね」
もしも気付かなければ歴史に残る戦術として書物に記されたかもしれない。緻密な計算と敬服すべき忍耐が成し遂げた奇跡だと称されたかもしれない。
しかし初めから分かってしまえば、何も怖くない。
如何様にも罠を仕掛けることができる。
「そうですわ! 迷宮の番人を使いましょう。どうせ街の守護のため外に動かすことができませんもの」
彼女の無邪気な選択は、聖石寮の術師たちに困難を強いた。
◆◆◆
「う……ぅ」
一瞬、ネオンは気を失っていた。
喉は焼け、目も開けられないほどの熱気が肌を刺している。彼女はほぼ無意識に魔術を使い、身体を治癒していた。聖守に与えられる聖王剣は聖石の力をも兼ねている。願えばその通りに自動で術式が組まれ、魔術が発動する。この場においてネオンは治療を望んだのだ。
続いて冷気を望み、聖王剣はそれに応える。
ようやく周囲へと目を向けられるようになったとき、彼女は地獄を見た。
「そんな、酷い」
皆、ネオンの周囲で倒れていた。
皮膚は溶け、肉は焦げ、聖石寮が支給した衣服は激しく燃え上がっている。死はネオンの瞳の中を埋め尽くし、彼女の心は現実を拒否する。
「聖守様!」
「なぜここに黄金域の番人が!? 聖守様を守るぞ!」
「どうして奇襲がバレたのですか!」
「そんなことより早く!」
幸いなことに、地上への穴はそれほど大きくなかった。
すなわち術師全員が一斉に地上へと飛び出したわけではなかった。先鋒を務める優秀な術師たちが地上へ進出し、そこで安全を確保する手はずだったのだ。
(奇跡だ。聖守様の《聖捌》が発動寸前だったのでしょう。そうでなければ聖守様までも……)
後続する術師たちは動揺してしまったが、スルザーラはすぐ対応した。
彼は保有する神器・劔撃は強敵を倒すのに適している。魔力を蓄積し、攻撃力を高めるという単純な能力だ。魔力出力が弱く、瞬間火力で劣る人間でも逆転のチャンスがある。そんな迷宮神器なのである。
弓形態となった劔撃へと魔力の弦を張り、矢を形成する。スルザーラの放った魔力矢は多脚の古代兵器を撃ち抜き、一撃で破壊した。
「ご無事ですか聖守様!」
「私は。ですが他の皆様が……」
「彼らはその覚悟でここまで来たのです! 揺るがないでください!」
スルザーラの叱咤でネオンも再び戦闘へと意識を戻すが、それでも完全には立ち直れない。経験が少ない彼女は戦場で起こる異常事態に対応できるだけの能力が備わっていなかった。ただ聖守としての責務だけが彼女を突き動かしていたのだ。
ネオンはどうにかその場で聖王剣を地面に突き立て、両手を組んで目を閉じる。
それは祈りの姿であった。
「主よ。星盤祖よ。始原母よ。偉大なる力よ。世界に光を」
彼女の周囲で青白い光が灯った。
それは淡い輝きを発しながらも、深く、濃い。
「天よ。大地よ。どうか魔を清めてください。《聖捌》」
ネオンを中心として光の壁が生じる。光は天頂まで伸びて術師たちを包み込み、内と外とを断絶する。即座に迷宮の番人は光線を放つも、それは光の壁に当たって消えた。弾くでも跳ね返すでもなく、溶けるように光線が消えたのだ。
黄金域の番人とは古代兵器、殲滅兵。
放たれる魔術は《火竜息吹》という炎の第十階梯魔術だ。そう簡単に打ち消せるような魔術ではない。しかし淡雪のように、あっさりと消失してしまった。
(これは……どういうことかしら。大した防壁ね)
ミリアムは少し驚きつつも、取り乱すことはしなかった。
迷宮の番人は敵を認識し、絶えず《火竜息吹》を放ち続ける。だが防壁によって全て掻き消されてしまう。
「未熟でも聖守ということですのね」
溜息を吐き、ミリアムは右手を軽く上げた。
すると残っている二体の番人は動きを止めた。連射し続けていた攻撃も止まり、警戒状態で少し下がる。エネルギー節約のため、機能を制限したのだ。
かつて永久機関と接続していた頃と異なり、今の殲滅兵は無限ではない。
少なくともサンドラ帝国が捕獲し操る迷宮の番人は魔力の補充が必要なのだ。無差別に魔術攻撃を続ければ、あっという間に魔力が尽きてしまう。それは流石に勿体ない。
だがそんな様子見はネオンにとって思う壺だった。
「この地を聖なるものとします」
聖王剣が強く輝き、光のドームの内側を満たす。それにより傷ついた術師たちは癒された。光の第十階梯、《神聖軍団》の効果である。今の人間では発動できない膨大な魔力と繊細な構築能力を求められる。それをいとも容易く発動できるのは聖王剣のお陰だ。
更には全ての攻撃を完璧に防いだ光の壁が広がり始めたのである。光の壁はすぐに番人を押しのけようとしたので、ミリアムも下がらせた。
ネオンが生み出した領域はまさしく聖域。
味方を癒し、敵を拒む。
「皆さん! 今の内に態勢を整えます。奇襲は失敗しましたが、作戦は継続中です!」
経験浅く、脆いと考えられていた聖守ネオンこそが最も強い。
ミリアムはそんな予想外に思わず笑みを浮かべた。
◆◆◆
カーミラは地上に降り立った。
この大きな戦いにおける最大の敵は魔族だ。サンドラ帝国に深く根を張り、喰い荒らす魔族。カーミラの感知能力は無数の魂が蠢く凶悪な魔族を感知した。
目で見ることはできないが、その形を感じることはできる。
瘦せこけた人狼という一見すると貧弱にも思える姿だが、カーミラは騙されなかった。内に秘める悍ましさと魔力は厄災にも匹敵する。
(業魔族ですね)
冥界の加護を与えられたカーミラは魂すら見透かす。
そんな彼女は業魔族にのみ見られる特徴を把握していた。
(鎖に繋がれた魂。たとえここで殺しても魂は冥界に落ちず、魔神に回収される。業魔族の中でも特別な個体)
他の魔族と異なり、業魔族と呼ばれる個体は大量の魂が融合している。中でも魔神により近しい七仙業魔と呼ばれる個体は、たとえ殺しても時間をおけば復活するのだ。それは肉体を破壊された七仙業魔が魔神の元へと戻り、復活に備えるためである。
カーミラは相対して、すぐに察したのだ。
この業魔族、七仙業魔の一柱たる疽狼魔仙ヴォルフガングは殺しきれない。
「あなたの相手は私がしましょう」
「グルルルル……」
「唸るのみ。話すことはできないのですね」
一瞬、呼吸の合間に疽狼魔仙は消えた。
そしてカーミラの背後から牙を突き立てようとする。首筋を噛み千切り一撃で殺すつもりだった。しかしそれは突如現れた赤い結晶の壁に阻まれた。またその壁は変形し、鋭い針を無数に形成して串刺しにしようとする。
勿論、それは避けられた。
「女神様、どうか……《獄葬火》」
祈りは届き、地獄の黒炎が顕現する。カーミラを中心として炎は広がり、うねりながら疽狼魔仙を襲った。素早い動きで回避するも、少しずつ回避場所は奪われていく。
そこで疽狼魔仙は足を倍ほどに膨張させ、空高く跳んだ。
対してカーミラは血の槍をいくつも展開する。空中にいれば逃げられないと踏んでの攻撃だ。それに対して、疽狼魔仙は大きく息を吸い込み、胸を膨らませる。
「ウェルス!」
危険を感じ、すぐにウェルスへと命じて飛び上がった。ウェルスは小さく鳴きながら彼女を上空へ持ち上げる。
次の瞬間、疽狼魔仙は黒い煙のようなものを勢いよく吐き出したのだ。
それは呪詛の塊。病魔や呪いだ。
血の槍は呪詛ブレスに飲み込まれ、瞬時に朽ちてしまう。
(私の瘴血にも似ていますが、より破壊力が高い。瘴血の正体は免疫力。自分以外を拒む、ある種の防衛本能。ですがあの呪いは……私の瘴血すら壊す)
この一瞬で相性の悪さを悟った。
そこでカーミラは《獄葬火》を再発動し、呪いを包み込む。魔法というこの世のものではない法則で包み込み、隔離するのだ。呪詛は獄炎が消失すると同時に地獄へと封じ込められ、元の世界が戻ってくる。
「グルゥ……グルルルルッ!」
疽狼魔仙が唸ると同時に呪詛が流れ出し、あらゆる生命を食い尽くした。僅かに生えている草も、健気に咲く花も、全てが枯れて塵となる。
流出する呪いは無尽蔵に広がり、このままでは戦場を覆い尽くす勢いであった。
危険と感じたカーミラは反射的に瘴血の霧を解き放つ。生物にとって凶悪な毒性を有する点は同じだが、疽狼魔仙の呪詛が破壊力で遥かに上回る。このまま解放させてはならないというカーミラの判断は正しかったのだ。
(この業魔族は私一人で……霧で、世界を、閉じ込めます!)
瘴血の霧は呪詛より早く広がる。
ドームを形成し、太陽の光すらも閉ざし、内側を完全に闇へと変えた。霧は世界を満たし、世界から切り離す。それはかつてヴァルナヘルで起こった赤い霧の悲劇を遥かに上回る。二百年前の当時、カーミラはその力を制御できなかった。
しかし今は違う。
魔装は覚醒し、赫魔細胞は完全に支配した。
暴走していたかつてより強大な能力を行使することができる。
「あなたは危険です。どうかここで潰えてください」
瘴血の霧の世界に月が昇る。
それは血のように赤い、巨大な満月。閉ざされたこの世界をあまねく照らし、赤い夜を作り出す。無数の赤い塔が建ち並び、足元は瘴血の霧が覆い隠す。
まるで異世界。
あるいは死後の世界。
己の異能を突き詰めたカーミラが、この二百年で身に付けた強者に対する決定力だった。
「大規模結界魔術、《鮮血の月》。ここは私の作る異界です。吸血種以外を拒む、異界。まもなくあなたは存在を維持できなくなるでしょう」
疽狼魔仙は激しく唸り、警戒を露わにする。
いきなり夜に変わり、赤い月が昇ったのだ。何かあると考え、慎重になるのは当然だった。思考のほとんどが野生に支配されている疽狼魔仙も、むしろだからこそ動かず様子見に徹した。
それが間違いだと知らずに。
「ゴブッ……ゴボッ」
突然、疽狼魔仙は血の塊を吐き出した。
しかもそれは吐き出されて地に落ちる前に結晶化し、硬いものが落ちる音がして地面に転がる。そればかりか口元に付着する血液すら結晶化し始めたのだ。両目両耳から血を流し、いつの間にか鼻血も滴っている。遂には強靭な毛皮も裂けて、大量の血が噴き出す。当然だがそれらの血液も結晶となり、傷口もまた血の結晶で覆われた。
そこからの変化は早かった。
何もできず、全身が血の結晶に覆われていく。血晶を呪詛で破壊しようとするが、もう遅かった。
「今から抵抗しても遅いのです。既に赤い月は昇りました」
疽狼魔仙は血液までもが呪詛の塊だ。
まともに戦い、返り血でも浴びようものならそこから呪いが侵食し、死に至るほどに。その名は伊達ではない。ただ存在するだけで膿となり、癌となり、毒となる。
しかし今はその呪いの血すらも瘴血に侵され、カーミラの思うがままであった。
「ガッ……グ……ァ」
「死の眠りすら与えられぬ哀れな魂に救いがありますように。申し訳ありません。解放してさしあげられずに」
カーミラの祈りと共に、赤い夜は終わる。
深紅の月は沈み、深い霧に包まれた世界は解き放たれた。
残っていたのは血の結晶により彫像と化した、哀れな人狼だけであった。




