545話 ヴァルナヘル奪還戦③
シュリット神聖王国軍の傭兵部隊は、本来ならばサンドラ帝国軍を正面から抑え込む手筈だった。できる限りの人数をヴァルナヘルから引きずり出し、その隙に地下から奇襲を仕掛ける計画だった。
しかしその最前線は崩壊する寸前となっている。傭兵たちは追加報酬目当てに魔族兵へと殺到し、陣形を維持することができていない。守りが薄くなったところに帝国兵が雪崩れ込み、各所で包囲されている有様だった。
特に戦線右翼は酷い。
その原因はパルマ傭兵団と呼ばれる集団にあった。彼らはヴェリト人で構成された傭兵団で、全員が祝福を保有している。平均的な実力の高さを買われ、本来であれば戦線中央に配置されるはずだった。だが彼らの団長パルマには悪癖があったのだ。
「クソッ! こうなりゃ俺たちの配置を賭ける! 戦線中央の配置だ! 追加報酬も狙い放題だぜ!」
彼は賭け事に傾倒していたのだ。
傭兵団たちの交流として賭けはよくあることだ。そしてパルマはのめり込み過ぎた。負けが続き、それを取り返すために賭けを続け、遂には全財産を使ってしまった。どうしようもなくなった彼は遂に自分たちの配置すらも賭けの対象としたのである。
そして賭けに負けた結果、彼らは戦線中央から右翼側へと配置転換することになった。
(なんで……俺はあんなことしちまったんだ……)
パルマは自分たちが押されていることを自覚していた。
彼は《斬撃》という祝福持ちで、魔族すらも容易く切り裂くだけの能力を持っていた。勿論、彼の仲間たちもだ。だから戦線の右端へと追いやられ、手柄を立てる機会を失ったことは大きかった。魔族を狩れなければ報酬に期待できないし、団長の勝手でこんな仕打ちを受ける仲間たちも不満を抱えていた。
だからこれは起こるべくして起きた。
傭兵団はパルマの命令に一切従わず、好き勝手に動き始めたのだ。その配置から移動して戦線中央へと駆け出した。その結果戦線が薄くなり、サンドラ帝国軍は好機と見た。
「クソ! クソクソクソ! 奴らを回り込ませるな! 食い止めなければ包囲される!」
一般兵で構成された帝国軍は右側の厚みを増し、薄いところ突きつつ包囲を形成しようとしている。戦争において数は重要な要素だ。圧倒的強者であれば一騎当千の働きも叶うだろうが、ここにそこまで突出した実力者はいない。あくまで平均よりは上といった程度。
パルマは必死に下がりつつ帝国軍の猛攻を防ぎ続けるが、それも限界が近かった。何か一つでもきっかけがあれば戦線は崩壊する。その後は雪崩のように止めることもできず、ただ敗走するだけ。その時は刻一刻と近づいていた。
「団長! 助けッ――」
「ガレス!」
「嫌だ! こんなところで死にたくない! ああああああああッ!」
「ウォレット!」
「うわああああああッ! 仲間の仇!」
「ゲイズ!」
一人、また一人と仲間が死んでいく。
死に際の言葉はパルマの耳に残り、木霊のように繰り返される。
そしてパルマ自身も自慢の剣で帝国兵の槍を切り落とした瞬間、背後から強い痛みを感じた。首だけで振り返れば今度は正面からの痛み。彼は両側から槍で貫かれていた。
(あぁ……俺は馬鹿だな)
彼は意識が消える寸前、耳を劈くほどの轟音を聞いた。
あともう少し生きるための努力をすれば、助かったということにすら気が付かなかった。
◆◆◆
「なんて酷い……嵐唱!」
戦線右翼に辿り着いたルークは、空より幾重もの雷撃を落とす。暴風や雨は味方にも悪影響を及ぼすので、雷を落とし帝国軍の士気を挫いたのだ。
突然の落雷と味方の死は着実に動揺を生む。
指揮の高かった帝国軍は一瞬にして総崩れとなり、同士討ちまで始めてしまう。
「今だ! 帝国軍を押し返すぞ!」
ルークはできる限り声を張り上げ、味方を鼓舞する。
そして自分が仲間であることを示すため、次々と帝国軍に向けて雷を放った。空を舞い、一方的に雷撃を放つルークに敵はいない。魔族兵や吸血種ならばまだしも、一般兵如きに対応できるはずがない。目で見てわかるほどに帝国軍の陣形は崩壊し、容易く自滅し始めた。
(これで放っておいても大丈夫なはず。俺は魔族を倒さないと!)
迷宮神器の力は魔族を倒せる力だ。必要な力は必要な場所で振るわれるべきで、ルークはすぐに自分の戦場を探し出す。空を舞う彼の視界は広く、特に苦戦している場所をすぐ発見することができた。
「あれは……赤い、武器? 吸血種か!」
シュリット神聖王国内では魔族と一括りにされることも多いが、根本的に吸血種は別の生き物だ。高い不死性と強い魔力、そして血液を操る能力が特徴となる。個体によってはクリフォト魔術も扱うため、戦力としては魔族兵を上回る厄介さだ。何より魔族兵と比べて知能も人間と近く、作戦行動や戦況をよく見た判断を取ることもできる。
赤い衣装で統一した吸血種の一団は、突出してシュリット神聖王国軍を食い破ろうとしていた。
「ッ! 止める!」
ルークは嵐の鎧をまとい、空中から一直線にそこを目指す。
吸血種の一団もルークに気付いたらしく、血の結晶を飛ばして迎撃してきた。それらは全て嵐の鎧に弾かれ、ルークは雷を叩き込む。周囲には味方もいるので、落雷ではなく斬撃として放った。
雷は吸血種の一体を貫き、その動きを止める。
「おおおおおおおッ!」
また落下速度の加わった斬撃は見事に吸血種の右脇腹を切り裂いた。肺や肝臓ごと切り裂く完全な致命傷である。だがその吸血種は瞬時に身体を再生させ、ルークに瘴血の刃を放つ。出血を利用して作り出した刃は巨大で、ルークはすぐに空へと逃れた。
吸血種たちは蹂躙の対象であった傭兵より、ルークを標的に定める。手元に赤い短剣を出現させ、勢いよく投げつけた。
「あぶッ!?」
ルークは咄嗟に身体を逸らして回避した。
見た目には軽く投げただけに見えたが、目にも留まらない。ルークが回避できたのは偶然でしかなかった。なんとなく、避けなければならない気がしたのだ。
(話には聞いていたけど、身体能力が桁違いだ!)
すぐに態勢を立て直し、反撃しなければ。
回避後の一瞬は思考が引き延ばされ、様々な思いが駆け巡った。だからこそ、ルークは気が付いた。
(あれ? 短剣が鎖で繋がって――)
投げられた短剣の軌道が残像として見えているのだと思った。しかし引き延ばされた思考の中、ルークは真実を悟る。それと同時に、次の攻撃も脳裏に浮かんだ。
咄嗟の判断で身を捻りながら空中で回転する。錐揉みしながらそのまま墜落する無様な姿を晒してしまったが、それがルークの命を救った。
間一髪、耳元で空を切る音がしていたのだ。
(危なかった。鎖で投げた後の軌道を変えるなんて!)
最悪の場合でも嵐の鎧が防いでくれた可能性は高い。
だがルークは短剣から嫌な気配を感じており、確実に防げるという保証がない限り受ける気になれなかった。無理な回避で地面に叩きつけられたルークは、素早く受け身を取って起き上がり、嵐唱を構える。
目の前に赤い刃が迫っており、死が過った。
『馬鹿者め』
そんな罵倒が頭の中で響く。
同時にルークの意志もなく嵐唱の刀身から雷撃が放たれ、赤い刃を弾いた。しかしながらルークに安堵の暇はなく、別の吸血種が深紅の棍棒を叩きつけてきた。ようやく硬直から回復したばかりで回避できず、仕方なく嵐唱で受け止める。
横向きに薙ぎ払うような一撃がルークの全身を痺れさせ、一瞬で拮抗を破った。嵐唱を手放さなかったのは奇跡といってよいだろう。凄まじい勢いで弾き飛ばされ、何度も地面に叩きつけられながら転がる。
(これがカーミラと同じ吸血種!? なんて身体能力をしてやがる!)
全身の激痛に耐えながら飛行の制御を嵐唱に任せ、とにかく態勢を立て直すことに注力する。勢いよく上空へと昇ることで慣性による負担がかかり、思わず表情が歪む。だが休む暇もない。再び鎖に繋がれた短剣がルークを目指して飛んできたのだ。しかも今度は二本同時で、《バアル》の力を借りながら回避に徹する。
神器と同化していなければとっくの昔に死んでいた。
『我を信じよ。我に託すのだ』
「頼む、ぞ……」
鎖に操られた短剣は空中を自在に飛翔し、複雑な軌道を描いてルークに迫る。上下左右すら分からなくなるほど無茶苦茶に回避を続け、時に雷撃で弾き、あるいは暴風で逸らす。
一向に攻撃へと転じられないルークは焦りを募らせるが、これは決して無駄ではなかった。
突如として吸血種たちによる攻撃が止まったのだ。滞空しつつ状況確認のために地上を見下ろしたルークは、その理由を知った。
「そうか! 奴らが俺に集中していたから、他の傭兵たちが隙を突いてくれたんだ」
ほんの僅かでも落ち着いたことで、ようやく敵の全貌も確認する。
ルークを襲っていた吸血種は合計三体。内訳は鎖付き短剣持ちが二体に、棍棒持ちが一体だ。特に短剣持ちがルークにとって厄介である。だからまずは短剣持ちの吸血種に狙いを定めた。
「貫け!」
嵐唱の切先から白い光が放たれ、標的の吸血種を貫く。同時に暴風が吹き荒れ、木の葉のように吸血種を舞い上げた。
そしてルークは刀身に雷撃をまとわせる。
しかも対消滅反応を引き起こす陽電子の雷だ。
風の後押しで加速し、無防備となっている吸血種へと刃を突き立てる。同時に、陽電子の雷が内部から炸裂した。
「ぎッ!? がああああああああああッ!?」
血が沸騰し、内臓が焼ける。
その痛みは想像を絶するものに違いない。最も近くで悲鳴を聞くルークはそれでも必死に雷光を放ち続けた。相手はサンドラ帝国の怪物。人の形をしていても、本質は魔物なのだと自分に言い聞かせた。至近距離での陽電子雷撃は僅かな時間で吸血種の再生力を使い果たし、命尽きる。
しかしルークは雷光を放ち続ける。
攻撃が止まったのは、嵐唱を刺し込んだ傷口が炭化して朽ちてしまい、刃が抜けて自然落下し始めてからであった。
「はぁッ! はぁッ! おおおおおおおおッ!」
「こやつッ! なんという魔力!」
ルークはもう一人の短剣持ちへと攻撃を仕掛け、雷撃を放ちつつ嵐唱を振り下ろす。そこにもう一人の棍棒持ちが割込み、攻撃を防いだ。彼の血晶武装は電撃を通さず、拡散する火花すらも再生力で耐える。
「イルの暗月を回収して一度引くぞ! 俺の血霞棍じゃあ空に逃げられると届かん!」
「冗談だろ! 紅の兵団がこんなところで……」
「炎帝陛下と同じ神器使いだ。冷静になれ」
残る二体の吸血種は、今仕留められた吸血種の持っていた鎖付き短剣を回収して撤退していく。仲間を思いやる姿を目の当たりにし、そして向けられた激しい憎悪を感じてルークは動けなくなった。
これではまるで。
(俺が悪みたいだろ……)
勢い付いた傭兵たちは進撃を開始し、それをルークはただ上空から眺める。
胸中にあったのは安堵でも高揚でもなく、恐怖。そして奪ったものの重さ。
あれは敵なのに、化け物なのにと言い聞かせても拭えない苦みのような何かが胸中で渦巻く。
「クソ。なんで俺は」
今更そんなことを感じてしまう自分に呆れてしまう。
敵も味方も入り乱れ、死がどこまで積み上がっていく。これが戦争。これが人の作る業。ルークの目には地上で広がっていく赤が映る。
『心を乱すな。敵と定めれば殺せ。それが戦場の法である』
「黙れよ嵐唱」
『愚か者め。本懐を遂げたいならば無情になれ。お主の躊躇いが仲間を殺すのだ。地上を見よ』
戦いは激しさを増し、ロニ率いるアスラン戦士団もその中へと身を投じ始めている。そこは酷い有り様だ。乱戦のため同士討ちすら始まっている。戦いの興奮と恐怖は思考を奪い、ただ目の前で動く『ナニカ』を切り捨てる機械となり果てている。
誰もが狂気に堕ち、正気になった者から死んでいく。
「……今は何も考えない。あいつらは敵だ」
戦争において生を勝ち取るには狂うしかない。
人の道を外れた姿は、魔族と何が違うのか。ルークはその疑問を心の奥底へと隠した。




