540話 最初の躓き
「恐ろしい方だ」
一同が騒然とする中、学者のザックは呟いた。
ベルフリート地下遺構ではこれまでにない実験が行われ、それは成功した。他ならぬ、彼らの王アポロヌスの手によって。
厳重に封印されていた隔壁はすっかり開け放たれ、巨大な空洞が奥まで広がっている。もうここに危険な怪物はいない。六体いた全てのタマハミが、もういない。
「ザックさん、あれを世に出して本当に良かったのでしょうか。私には大きな厄災になるのではないかと思えてならないのです」
「言葉を慎みなさい。アポロヌス王の力は確かなものなのだから」
「ですが……」
「タマハミの恐ろしさを知っているからこそ、あなたの気持ちも分かる。しかしプラハとの戦争を終わらせるにはこれしかないのだ。我らルーイン氏族を救うためには、必要なことなのだ」
「そういえばザックさんはルーイン人でしたね」
「ええ」
彼らはここでアポロヌス王の偉業を目の当たりにした。
古代文明において封印するしかなかった不死身の化け物を、見事手中に収めて見せたのだ。未だベルフリート地下遺構は調査の及んでいない区画も多く、タマハミについても表面的なことしか分かっていない。だから今回のことは危険な賭けだった。
しかしアポロヌスは奇跡を掴んだ。
それが運命であるかのように、毅然とした態度で成してみせた。
「誰もが難しいと考え、不可能と断じることに平然と挑戦する。そして当然のように乗り越えてみせる……あのような人物が英雄と呼ばれるのであろうな」
そうだ。
この事実を書物として記そう。この偉大な行いは後世にまで正しく語られるべきなのだ。ザックはそんなことを考えていた。
◆◆◆
エウレハの街に到着したルークたちは、まず聖石寮へと案内された。まずは旅の疲れを癒し、聖教会の関係者と会談を行う。その後、封魔連合王国との挟み撃ち作戦を提案する。そうなるはずだったのだが、彼らは聖石寮に入ることができず揉めていた。
「申し訳ありませんなルゥナ殿。少々状況が変わりまして、受け入れにこのような滞りが……」
「いえ、事情はお伺いしました。運が悪かったのでしょう。フェルデナント司祭を責めるわけにはいきません」
ルゥナは表情一つ変えず配慮を口にしたが、内心では怒りを覚えていた。
事前に根回ししていたというのに、こうも手際が悪いと舐められているも同然だ。
しかしながらこれはシュリット神聖王国の内部に権力の独立した三つの組織が存在していることによる。王政府、聖石寮、聖教会は三つの柱となり国家を支えている。これらは互いに命令権を持たず、連携する場合は『お願い』することになっている。実情としてはそれほどきっぱりしたものではないが、時にこの原則がすれ違いを生むのだ。
「あの、本当に部屋の一つもないんですか?」
「ルーク様でしたね。ええ、はい。聖石寮はいざ大部隊を駐在させる場合に備え、空き部屋を多く作っております。また訓練用の広場は天幕を張れば野営できるように整えているのです。本来ならば皆さまをそこで迎え入れる手はずでしたが……受け入れるには少々難しいほど埋まってしまいまして。私たち聖教会にも知らされず対帝国の部隊がやってくるとは思いもよらず」
「はぁ……幸先悪いなぁ」
まさかいきなり躓くとは思いもよらなかった。
とはいえ聖石寮としても事前連絡もなくやってきたわけで、それにより問題を生んでしまっている自覚があるのだろう。今回の部隊の責任者が何か方法を考えているらしく、ひとまず聖石寮の訓練場で身を寄せながら待機させられているのが現状であった。
アスラン戦士団三十人に加え、ルゥナが連れてきた封魔連合の戦力二十人と、全員で五十人にもなる。さらに旅の荷もあるので、かなりの狭さだ。疲労も募っているため、全体的に苛立ちが高まっているようにも思える。ルーク自身、いい加減休みたいと思い始めていた。
そろそろ誰かが怒りの声を挙げようとしたそのとき、聖石寮の建物から男が一人現れ、こちらに向かってきた。
「ああ! スルザーラ様!」
「お時間取らせました司祭」
ルークはスルザーラと呼ばれた男を見て、彼の持つ武器に目を奪われた。
柄の両側に刃が取り付けられた双刃の槍で、鈍い金色を放っている。柄の中心には青い石が嵌め込まれ、一種の芸術品のようにも思えた。
どこか親近感を覚えたのでまさか、と考えていると、スルザーラは威圧的な口調で話しかけてきた。
「君たちが封魔連合王国からきた戦士たちか。邪悪な魔族の帝国に立ち向かう勇気は称賛しよう。だがもう少し事前の話し合いが欲しかったな。先触れだけ出していきなり戦力を連れてくるとは……」
「そのことについては私にも非があります」
「私はフェルデナント司祭を責めるつもりはない。ヴァナスレイに向けて使者も出したのだろう? たまたま我々がこちらに来てすれ違いとなってしまっただけだ。私は、我々の国の総意すら伺わず、勝手に判断した封魔連合を責めている」
「何だと……ッ。俺たちが悪いってのかよ!」
「口答えするな小僧。その通りだ。お前たちが悪い」
「こいつッ――」
スルザーラの言い様に苛立ったルークがにじり寄ろうとしたところで、ルゥナが止めた。それは彼の足を踏みつけての乱暴なやり方だったが。
あまりの痛みでルークが蹲っている間にルゥナが謝罪する。
「無礼をお許しください。九聖の第一席を冠する御方だとお見受けします。私は封魔連合王国の遣い。アポロヌス王の名代として参りました。この度はサンドラ帝国との戦いについて重要な協定を結びたく参りました。正式な手順を踏んでいないことはこちらの不手際です。しかしそれほど事態は切迫しているのだとご理解いただけませんでしょうか」
「……そうか。我が国は封魔連合王国の一部、ルーイン氏族連邦と同盟関係にある。貴殿が王の名代であれば、こちらこそ無礼をお詫びしたい」
「ではここはお互い様ということで手を打っていただけないでしょうか。私たちは話し合いを持ちたいと考えております。遺恨を残したままでは、良い話もできないでしょう」
確かにその通りだ、とスルザーラは頷く。
未だに痛みで悶えるルークを一瞬見下し、フェルデナント司祭の方へと向いた。
「王政府に話を付けました。警備隊の宿舎を融通してくださるそうです。いくらかは聖石寮でも負担できますので、分けて対応しましょう」
「ありがとうございます。では兵の方々は私の方で案内しましょう」
「ええよろしくお願いします。ルゥナ殿は我々と話がある様子。こちらで歓待いたします。ルゥナ殿はこちらへ。ルゥナ殿含め五名までこちらへお越しください」
「ありがとうございます」
スルザーラは背を向けて聖石寮へと案内を始める。
それにルゥナは追随し、彼女の連れてきた者たちの中から一人付いていく。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。痛みが引いてきた。ありがとうカーミラ」
セフィロト術式の治癒を受けたルークは足の痛みから復活し、ルゥナについていった。心配そうにロニも追いかける。
少し遅れてカーミラも付き従ったが、彼女はずっとスルザーラの持つ武器が気になっていた。
(あれは……劔撃。あの人の……)
目が見えずとも感じ取れる。
懐かしい気配に自然と口角が上がった。
◆◆◆
シュウはこの時代においてサンドラ帝国の宮廷魔術師という立場だ。その実力は確かなものとして認められ、比較的自由に動ける立場にある。その弟子のミリアムもほとんどの行動に対して自己裁量が認められていた。
しかし炎帝の強い要望はこれらの権利を上回る。炎帝ヘルダルフの命令により、二人は旧アスラン王国領から移動して西方まで来ていた。
現在、サンドラ帝国はヴェリト王国を陥落させ、シュリット神聖王国にまで侵略の手を伸ばしている。当然だがシュリット神聖王国とて亡命ヴェリト王国と協力し、激しく抵抗する。遠征を繰り返し疲弊するサンドラ帝国軍との実力は拮抗し、今は状況が停滞していた。
「ここがヴァルナヘルか……」
「あら、初めていらしたような反応ですわね。過去にいらしたことがあると仰られておりましたのに」
「以前とは随分と雰囲気が違う。まぁ二百年も前の話だから当然か」
ヴァルナヘルは悲劇の街としてシュリット神聖王国の歴史に残っている。かつては流れ者たちが集まる都市国家だったが、突如として滅びてしまった。その原因は今でも判明していない。赤い人狼と呼ばれた魔族に滅ぼされたというのが通説だった。
それが現在では整然とした街並みへと変貌し、シュリットの管轄下に入っていた。だが今は帝国軍によって占領されてしまい、本来の活気は失われている。
「それにしても炎帝陛下はどうしてもこの街を確保したいのですわね。シュウ様までも遣わすなんて」
「ここは吸血種にとって特別な街だからな」
「そうなのですか?」
「ヴァルナヘルは吸血種発祥の地だ。吸血種の歴史はここから始まっている。炎帝は支配者として吸血種の権威を高めることを目的に、この街を重要視しているということだ」
「あら、そうでしたのね。この街で始祖が……不思議ですわね。私は吸血種ではありませんけれど、感慨深いですわ」
この街は今、シュリット神聖王国攻略の最前線となっている。
シュリット側も取り戻すため大戦力を集結させつつあるという情報もあり、決戦に備えてサンドラ帝国側も兵を集めていた。しかしここでサンドラ帝国の戦略的失策が露呈する。同時進行で各国へと攻め続けた弊害で、戦線が広がりすぎてしまったのだ。
決して無計画ということはなかった。
ただ、サンドラ帝国はあまりにも強すぎたのだ。容易く敵を突き崩せるので、情報が行きわたるより早く侵略が進んでしまった。各戦線の将は手柄を挙げるため進み続け、結果としてこの長大な戦線が誕生してしまったのである。
「ともかく私たちは私たちで仕事をいたしましょう。幸い、炎帝陛下から捕虜を自由に扱ってよいと許可を頂いております。紅の兵団も陛下の印が入った書状を見せれば納得するでしょうから」
「ああ。ここは蟲魔域も近い。素材になる魔物にも困らんからな」
「ええ」
この街は呪われているのかもしれない。
二百年前と同じく。あるいはそれ以上の悲劇的実験が行われようとしていたのだから。
◆◆◆
ルークたちは聖石寮のとある大部屋へと通された。
そこには大量の机や椅子が並べられており、その一つに座している一人の人物に目が向かう。その人物は目を閉じ、祈る少女であった。少し癖のある毛を無理に三つ編みしてまとめ、衣服もきっちりしているようでどこか抜けているようにも感じる。
しかしルークは強く目を引き付けられた。
「案内ご苦労様です。ありがとうございます」
少女は目を開き、こちらへと向く。
するとスルザーラは小さく頷いた。その後、少女の対面にある椅子へと適当に座るよう指示し、ルークたちはそれに従う。今回はルゥナが封魔連合王国の代表という立場であるため、ルゥナの従者、ルーク、カーミラ、そしてロニは少し後ろに座ることになった。
「ようこそお越しくださいました。まずはお互いに名を知るところから始めましょう。私はネオン・ゼブルと申します。偉大なる星盤祖の啓示を受け、今代の聖守を担っております」
「お初にお目にかかります。私はルゥナです。封魔連合王国の国王、アポロヌス陛下の側近の一人です。本日は王の名代として、対サンドラ帝国共同戦線の同盟締結をお願いしに参りました。まさか聖守様と見える機会が得られるとは思わず、大変感謝しております」
お互いに穏やかな雰囲気に見えるが、どこか緊張感がある。ルークは父に付き添い、領主たちの会談に参加していたときのことを思い出した。
腹の内を探り、あわよくば出し抜こうとしているときとよく似ていた。
「まず、初めに言っておきます。私はあなた方を歓迎しません。なぜなら、私たちは重要な戦いに臨まなければならないからです。ゆえに今更、他国の軍を迎え入れる余裕はありません」
「重要な戦いであれば、なおさら我々の軍は力を貸すことができます」
「確かにあなたがたが傭兵などであれば私たちも受け入れたでしょう。しかしルゥナ殿は正式な他国の使者です。傭兵と同じように扱えば問題となります。仮にあなたが良しとしても、そのような扱いをした私たちを見て他の同盟者はどのように感じるでしょう?」
「……そちらの懸念は理解しました」
ルゥナは慎重に言葉を選んだ。
彼女は王の名代としてこの場にいる。それはつまり、言動の一つ一つが封魔連合王国の正式な態度として受け取られるということだ。権力のまま、自由自在に振舞えるわけではない。寧ろ誰よりも縛られているといえるだろう。
一応は領主の仕事を見てきたルークにも、水中のような動きにくさを感じ取っていた。
「あの!」
だが大人しく引き下がるわけにはいかない。
本当はいけないことだと分かっているが、口を挟まざるを得なかった。事実、いきなり立ち上がって声を挙げたことでスルザーラが殺気を向けてくる。一瞬怯んでしまうが、それを振り切るようにしてむしろ一歩進んだ。
「戦力は必要なんですか? もっと必要なんですよね?」
「あなたは? 発言を許した覚えはありませんが」
「そうですね。勝手なことはおやめください。あなたの行動がアポロヌス陛下の名を傷つけるのです」
ネオンは冷たい目を向けるし、ルゥナも止める。
スルザーラは更なる殺気を向けてきた。
しかしルークは話すことを止めなかった。
「サンドラ帝国は強いです! 魔族、吸血種、それに宮廷魔術師たち。強い武器も持っていて、数も多い。悔しいけれど単独では勝てない。俺も……負けた」
「言葉を止めなさい」
「今も侵略され苦しんでいる人がいる。帝国に実験され苦しむ人もいる。敵には人間を魔族に変える恐ろしい奴が――」
いきなりスルザーラが劔撃を抜き、ルークへと刃を向けた。突然のことで驚いたルークは下がろうとして足が絡まり、転んでしまう。
そんなルークへとスルザーラは近づき首へと刃を添える。
「それを口にするな。なぜそれを知っている」
「……ッ!?」
「なぜ知っている! それは知られてはならぬことだ!」
「それ、って……」
「人が魔族に変えられる。貴様が口にしたことだ」
スルザーラの気迫は凄まじいものだった。少しでも動けば、嘘を吐けば殺すと言わんばかりの。戦いを知らぬ者であれば一瞬で気絶するかもしれないほどの。
しかしルークは違った。
家族を脅かされ、死を近く感じ、戦う技術以上に、覚悟を手に入れていた。
ルークは突きつけられた刃を掴む。
思わずスルザーラは刃を引こうとしたが、皮膚が裂けて血が流れ出てもルークは強く握りしめることを止めない。
「俺は……家族を、大切な人を魔族に変えられた! サンドラ帝国は支配した街で民を虐げ、魔族を作る実験をする! あの外道たちを俺は許さない!」
「貴様……ッ! 離せ!」
「俺たちは利権だとか面子だとかにこだわっている場合じゃない! 帝国を倒すためには力を――」
「いい加減黙れ!」
一向に劔撃を離さないことに痺れを切らし、スルザーラは力いっぱい殴った。それは丁度ルークの脳を揺らし、一撃で気絶させてしまう。
これにはロニも思わず立ち上がり、倒れたルークへと駆け寄った。そして息をしていることを確認し、安堵を漏らす。カーミラも劔撃の刃を掴んだことで裂けた掌を治癒するため、同じく駆け寄った。
「はぁ。本当に……」
そしてルゥナはこの事態を重く受け止め、深い溜息を吐いたのだった。




