541話 早々の対立
目を開けたルークは、すぐに飛び起きた。
そして自分に何が起こったのかを思い出す。
「目が覚めましたかルークさん」
「良かった! 本当によかった」
カーミラとロニが同時に声をかける。
二人はルークが眠っていたベッドの両側にいて、また足元側にはルゥナと彼女の側近もいる。そして窓の外からは夕日が差し込んでいる。どうやら少し眠っていたらしいと理解した。
「ルークさんの手は私が治しておきました。痛みはありませんか?」
「え? ああ。ありがとうカーミラ」
「刃を手で掴むのは危険ですよ。自重してください。下手をすれば二度と動かなくなっていたかもしれないのに」
「あれは……あの時は必死で……いや、悪かった」
ルークは刃を掴んだ方の手をじっと見つめ、動かしてみる。痛みも傷跡もなく、動きに支障もない。ほとんど無意識だったが、あれはかなり深い傷だったはずだ。それがもう完治している。改めてカーミラの治癒能力の高さを思い知った。
尤も、本人は治癒が苦手だと語っているが。
「そうだ! どうなったんだ!」
「ルーク殿は厄介なことをしてくれましたね」
ルゥナは厳しい口調でそう告げた。
それに対してロニは反論しようとしていたが、ルゥナの眼力に黙らされる。
「いいですか? あなたは我が国の食客です。大切かつ有用と判断したお客人であると王に認められた方です。しかしながらあくまでも客人。政治に口を出してはいけません。あなたは元領主の息子だと言っていましたね。父から学ばなかったのですか?」
「……すみません。確かに俺が悪いです」
「ルーク殿の気持ちは分かります。私とてこの対応に腹を立てていないわけではありません。しかし感情的になって、思った通りの正論を押し付けるだけでは立ち行かないのです」
「はい……」
全くその通りだとルークは反省した。
この場において代表者はルゥナだ。そしてルークたちは付き添いでしかない。不用意な発言をすれば封魔連合とシュリット神聖王国の関係が悪化する可能性があるし、そうなると対サンドラ帝国の策も遅れる。こちらを信じてアポロヌス王は全力の迎撃を計画しているのだ。
「私たちが失敗すれば本国にも危険が及びます。サンドラ帝国を打倒す策は一度きりで失敗も遅れも許してはなりません。私たちがするべきは意見の押し付けではなく、話し合いによる妥協点の発見です」
「あの、聖石寮の人たちは」
「深く失望なされていました。これから大きな戦いがすぐ起こると仰られていましたし、私たちとの交渉はその後になるでしょう。ですがルーク殿が我が国の食客であることが幸いした点もあります。九聖第一席のスルザーラ様に暴行を受けたことで、あちら側を咎めることができました。私たちからすれば大切な客人を傷つけれたようなものですからね」
そのお陰でお互い様ということになり、ルークは聖石寮で休むことを許された。またシュリット神聖王国内において聖石寮は民の見本となるべきという規範がある。それを気にしたという理由もあった。
この話を聞いてルークは安堵する。
だがそれをルゥナは咎めた。
「今、安心しましたね? 申し訳ありませんが、ルーク殿に対する聖石寮の印象は最悪でしょう。魔族について、知ってはならないことを口にしました」
「それは……知らなかったんだ!」
「知らないでは済まされない世界なのですよ。ここは」
「うっ……」
助けを求めるためかカーミラの方に目を向けたが、彼女も首を横に振るだけだった。心の内ではルークの味方をしたかったが、あれは擁護できない。少なくともルゥナは一度止めていたのだ。それを振り切って暴走したルークが悪い。
自分が置かれた難しい立場を思い出させるためにも、反省させるべきなのである。
実際、ルゥナの下す判決は厳しいものであった。
「ルーク殿はアスラン王国の代表者としての立場があります。それはアーガス殿下が認められたものではなかったのですか? 不用意な言動はあなただけではなく、アスラン王国の進退をも左右します。勿論、あなたを預かっている私たち封魔連合王国も。ゆえに残念な知らせを告げなければなりません」
「残念な知らせって」
「私たちはあなたがたアスラン戦士団を見捨てます。封魔連合王国からの使者は私とバジルの民のみということになりました」
「なッ!」
「そんな馬鹿な!」
「黙りなさい!」
ルークとロニは同時に叫んだ。
しかしそれに対してルゥナは厳しく叱咤する。
「信頼とは長い時間をかけて築き、崩れるときは一瞬なのです。あなたは自分の負うべき責任をまだ理解していません」
「そんなことは」
「もしも理解しているのであれば、あのような言動は取らなかったはず。所作の一つですら相手にどのような印象を与えるのか、よく勉強するはず。次はより努力をすることです」
ルゥナは彼女の従者を伴い、部屋を出ていく。
考え直すつもりはないということだろう。ルークはベッドから飛び起きて彼女を追いかけようとしたが、それをカーミラが止めた。当然ルークはそれに抵抗するが、カーミラの力は強く、腕を掴まれてしまって動けない。
「離せカーミラ!」
「落ち着いてください。これはルークさんにとって都合の良い話です」
耳元でそう語られ、ルークは思わず固まった。
◆◆◆
ルゥナと彼女の側近はすぐ隣の部屋へと移動していた。本来は聖石寮を疑似的な宿とする手はずだったが、今は術師たちが詰めている。どうにか数部屋だけ分けてもらったが、その位置はまとめられていた。
扉を閉じ、夕日の刺し込む窓の前まで移動する。
そして空気を入れ替えるため、窓を開いた。
「ルゥナ様。彼は陛下にとって必要だったのでは?」
「いいのです。ここまで陛下は読まれていました。アスラン戦士団を切り捨てるのは予定調和です」
「そうだったのですか?」
「何も私だけの判断でこのような判断をしたわけではありませんよアリル」
今回の使節は国の存亡を賭けている。その始まりから躓いてしまったということを思えば、この後に不安を覚えてしまう。しかしながらルゥナは実に落ち着いていた。
「ですが先ほどは私情も出てしまいましたね。見苦しいところを見せてしまいました」
「信頼を得ることの難しさをあの少年が感じ取ってくれるとよいですね」
「えぇ。私たちバジルの民は肌の色のせいで悪魔の民と呼ばれてきました。封魔連合の中で対等な地位を得るためにどれほどの仲間が苦しんできたか。そして今も危うい。特に年配の方々は今でも私たちを忌み嫌いますから」
「アポロヌス陛下には感謝しかありませんね」
「だからこそ、働きで返さなければ」
ルゥナ含め、今回彼女が率いる使節はバジルの民から選出されている。
本来バジルとは『人間』を意味する現地語で、初めて外部の人間と交流した際に何者か問われ、我らは人間と返答したことで広まった勘違いの呼び名だ。しかし今では大きな意味を持つ呼び名として、バジルの民たちも好んで使っている。
バジルの民は地獄域の原住民であり、今は封魔王国となっている場所に住んでいた。つまりあの地の本来の住人だった歴史もある。しかしその扱いは奴隷同然だった。こうして今、国を左右する重要な使節に選ばれていることは奇跡ともいえる。
「ルーク殿はどうするべきか気付くはずです。彼でなくとも、カーミラ殿は既に気付いていたようですが」
「先ほどルゥナ様が彼らを見捨てた理由をですか?」
「はい。もはや私たち封魔連合の使者とは関係がない。つまり国のしがらみにとらわれることがない。傭兵としてこれから起こる戦いに参加しても問題ない」
「……まさかそれを陛下は読まれて?」
「あとはどれほどの信頼を勝ち取れるか。それは戦いでの働き次第ですね。私たちは戦いが終わるまで動けません。ですから託すのです」
奴隷から人間となるためには多大な努力と忍耐があった。
逆境からそれを学んでほしいと、ルゥナは考えていた。
◆◆◆
「――ということです。ルゥナさんの意図は分かりませんが、少なくとも私たちは自身の裁量で戦いに参加できるようになりました」
カーミラの説明を聞いてルークもロニも納得できた。
また彼女はルークが気絶した後に得た情報をも語る。それはエウレハの街に集められた戦力が、何のためのものかについてだった。
「聖守様も言っておられましたが、これから大きな戦いに臨むようです。その名もヴァルナヘル奪還戦。ここから東方にある大都市を取り戻すための戦いです」
「ヴァルナヘル?」
「シュリット神聖王国にとって最東端の都市になります。ここを押さえられた場合、サンドラ帝国に拠点として利用されてしまうでしょう。実際、既に大規模戦力が集結し、シュリット神聖王国攻略の準備を進めているという話です。アスラン王国と同じことが、この国でも起こり得るということです」
アスラン王国が短期間で占領された理由として、レビュノス領の陥落が占めるところは大きい。大規模な軍を受け入れることのできる都市を奪われ、中継地として利用されてしまった。本来なら地の利があるアスラン王国も、数で押されればどうしようもない。
それを理解し、ルークの中でもますます他人事ではなくなった。
「だったらするべきことは決まっている! 俺は戦う。ここでサンドラ帝国を止めないとこの国も危ないからな」
「私も戦士団を参加させます。それがひいてはアスラン王国の復興に繋がるのですから」
「お二人の考えはよく分かりました。私も賛成です」
ここで三人の意見は一致した。
ルゥナたち封魔連合王国とは離れることになってしまい、シュリット神聖王国との交渉は難しくなってしまった。しかしこれは作業の分担だと思えばいい。
「変わらず交渉はルゥナさんが進めてくださるはずです。私たちの役目はサンドラ帝国からヴァルナヘルを取り戻し、交渉そのものを始めることです」
「……凄いなカーミラは。同じくらいの年に見えるのに、そんな深く考えられるなんて」
「言っておきますが私はこれでも二百年は生きています。吸血種ですので」
「そういえばそうだった」
改めてカーミラが頼りになる人物だと理解する。
この後は傭兵として動くため三人で話し合いを行い、翌日から行動を始めたのだった。
◆◆◆
ヴァルナヘルはシュリット神聖王国を攻めるための拠点としてサンドラ帝国に利用されている。住民たちは普段通り生活を営むことはできず、酷い搾取を受けていた。食料は奪われ、金品を強奪され、婦女は暴行を受け、反抗的な態度を取ればすぐに連行されて二度と姿が見えなくなる。
また住居の多くは帝国軍に接収されてしまい、路上生活を送る者たちも増え、結果的に劇的な治安の悪化すら生んでいた。
ところで帝国軍に反発し、どこかへ連れさられた人々の末路はどのようなものだろうか。
答えは今、シュウの目の前にあった。
「がッ! ぎ、ぎゃあああああ!?」
彼らは魔族化儀式の礎として実験体にされる。
今も聖石寮の術師だった男が魔物と融合させられ、全身が破裂して死んだ。
「術師というのも意外と大したことがないのですわね」
「だが融合段階まで進んでいただろう? 調和段階で弾けたのはやはり本人の精神によるんじゃないか?」
「シュウ様の仰る説はかなり有力になりつつありますわ。でも強い魔力を持つ人物であれば、精神など関係なく成功するみたいですが」
いったいどれほどの人が犠牲になったことだろう。魔族化実験に使われているこの部屋は、ヴァルナヘルで地下牢として使われていた場所だ。そのため元より衛生的と言えない場所だったが、今では身の毛もよだつほど血肉で汚れている。
水で流してもこすっても消えないほど、深く染み込んでいた。
ここで死んでいった者たちの恨みつらみも同様である。
「次だな。次の被検体は事前に薬物や拷問で洗脳を行い、魔族化によって苦痛から解放されると信じ込ませておいた」
「仕事が早いのですね」
「こういったことも多少心得がある」
シュウはそう言いながら手で合図すると、同じくこの場にいた者たちが次の実験体を連れてきた。実験を主導するミリアムは聖杯を掲げ魔力を込める。
供物は彼女自身の魔力と、あらかじめ取り込ませておいた魔物だ。
実験体として連れてこられた元術師の男は部屋の中央に座らされる。男は全身に裂傷や火傷を負って、涎を垂らしながらぶつぶつと何かを呟いている。
そんな彼に対し、ミリアムは問いかけた。
「さぁ、あなたの目的は? どうすれば苦しみから解放されるのでしょう?」
「ぁ、ぇ……く……る」
「遠慮は必要ありませんのよ。あなたの神はあなたを見捨てたのだから」
「ま、ぉ、く……ぁ、る、ぅ」
「魔を受け入れ、魔族となる。あなたは不老不死を手に入れ、あらゆる苦しみから解放されるのですわ。そうですわね?」
「ぁ、う」
それを了承と受け取った。
ただ当然だがこのような了承は特に必要ない。単に洗脳が効いているかどうかの確認に過ぎない。問題なしと判断したミリアムは聖杯を発動させ、その内側からは黒い液体が流れ出た。まるで油のように男へと注がれた黒い液体により魔族化が始まる。
まずはその魔力に触れたことで変質していく。肉体が耐えられるのであれば魔力は魂へと到達し、融合を始めるのだ。最後に人と魔の調和が成れば、魔族化は完成する。特にこの調和段階において、素体となる人間の精神性が重要だと、最近分かってきた。
「流石ですわね。魔力は充分。変質も融合も問題ありませんわ。あとは……」
「ああ。だがそれも達成しそうだな」
シュウは死魔法で魂を見抜く。
被検体の魂に魔物の魂が混じり、一つに融合し、魔石として体内に生成される瞬間が見えていた。つまりこれは成功ということになる。
「これで確信が得られましたわね」
「ああ。より大きな絶望と、魔族という希望を同時に見せる必要がありそうだ。前者は戦場で簡単に作れるが、後者は難しい。戦いながら魔族化で戦力を増やすというのは困難だな」
「ふふ。そうですわね。ですがより強い魔力の持ち主なら無関係ですけれど。次は本命ですわよ。被検体三十二番を持ってきなさい」
このヴァルナヘルでの実験は急造ではあるが明確な計画があった。
それは聖杯による業魔族の完成である。魔神による魔族化と異なり、聖杯による魔族化は成功率が低い。だが説明可能な原因が存在しているに過ぎない。だからそれを解明し、対策を講じればより難しい業魔族も聖杯によって作れるようになるかもしれない。
「ぐッ……」
彼女は手足を縄で縛られ、木の拘束具まで装着されていた。
全身を鞭で打たれた跡もあり、かなり痛々しい。それでも反抗的な目でミリアムを睨みつけているところを見ると、かなり意志の強い人間だと推測できた。
「良い顔ですわね。手折るのが楽しみですわ」
「外道め……」
「九聖第二席リィアですわね? 残念なことですわ。あなたほどの強い魔力を持つ存在でも、我ら帝国の前には等しく塵蟲となってしまうのですから」
「貴様ぁぁ!」
「黙りなさいな」
ミリアムがそう言うと、周りにいた男たちが棒を振り上げ、リィアへと打ち付ける。殺してはならないので加減しているが、リィアは痛みのため呻くことしかできない。上下関係を叩き込み、心を折り、屈服させることも魔族化儀式において重要なことである。
今のところ、リィア相手には無駄なようだが。
「はぁ! はぁ! この、程度……」
「随分と強いな」
「そうですわね。どういたしますか? シュウ様の魔術で心を壊しますか?」
「魔術がこの世の全てじゃない。こういう方法もある」
シュウは懐からとある青白い石を取り出した。
それを見たリィアは目を見開き、暴れようとする。しかしすぐに押さえ込まれ、さらには口を塞ぐため布を噛まされた。そのせいで唸り声をあげることしかできず、ただ惨めな姿を晒し続ける。ミリアムは思わず嘲笑ってしまった。
「こいつは大聖石だ。そう、お前たちの力の源であり、誇りだ。お前が持っていたものだな。吸血種たちは自力で魔術を使えるから、あまり興味がないらしい。だから貰ってきた」
軽く魔力を込めると、大聖石に亀裂が走った。青白い輝きは濁り、邪悪な光すら発し始める。まるでシュウが大聖石を侵食しているかのような有り様だった。
これを目の当たりにしたリィアは唸り、暴れようとするが全く身体が動かせない。それどころか抗議の声すら出せない。ただ壊れていく大聖石を、彼女の誇りを眺めていることしかできない。
「見ておけ。お前の無力さを」
「んんんんッ!?」
無情にもリィアの目の前で大聖石は砕かれてしまう。
そのショックで彼女は自失呆然となり、すぐに発狂したように唸り、やがて力尽きて気絶してしまった。体力の消耗に加え、精神的なショックがとどめとなったのだろう。
「水でもかけて目覚めさせろ」
「残酷ですわねぇ。大聖石は惜しかったですわ」
「問題ない」
シュウは砕いた大聖石を元通りにしてしまった。
亀裂の一つもなく、本来の輝きは健在である。どういうことかと首を傾げる周囲に対し、シュウは一言こう告げる。
「時間を戻した。何度か砕いてこの女の心を折る。夢と現実を曖昧にさせる」
「神の所業ですわねぇ」
リィアへの精神的な責め苦は続く。
全ては下準備のために。




