538話 アスラン王国の戦略
今より六年前。
暗黒暦で言うところの一八〇三年に封魔連合王国は成立した。その盟主たるアポロヌスは封魔王国を建国し、その王位に就くことで周辺国家と強い同盟を結んだのだ。
アポロヌスに従った国家は全部で七つ。
アルゲリス、ウル、ベレス、ガリュアーン、マーレ、クレバストロ、そしてルーイン氏族連邦。
プラハ帝国の一部であったルーイン州は突如として独立を宣言し、離反を叩きつけたのだ。独立の機運が高まっていたところに、アポロヌスが後ろ盾として声をかけた。元よりルーインの民は大陸東方にルーツを持ち、いずれ先祖の土地へと帰還することを願っていたのだ。独立はそのための一歩であった。
当然だがプラハも簡単に独立を許したりしない。
ルーイン州発展のため膨大な投資を行ってきた帝国からすれば、持ち逃げも同然である。最低限のけじめをつけさせるため、莫大な賠償を請求した。所詮属州でしかないルーインは、多くをプラハ本土の資本に頼っている。それらが撤退し、その上で賠償金を支払うとなれば独立したとて立ち行かない。
戦争という選択肢は、決定づけられたものだった。
「くそ! このままでは砦が落ちるぞ! 何としてでも帝国軍を押し返せ!」
「無理です! ご覧ください百人隊長! あの不死属の群れを!」
「ぬぅぅ。黒魔術師団めッ!」
ルーイン氏族連邦は独立時からすでに三割ほど国土を失い、資源も人材もかなり消耗していた。プラハ帝国は自国の被害を抑えるようにして消極的な攻めを行い、長期化させて疲弊を狙っている。そのためルーインは六年も耐えることができたのだ。
しかし決して善戦しているわけではない。
封魔連合王国の支援がなければ初めの一年で降伏していた。
「もう少し……もう少しなのだ!」
砦の指揮官たる百人隊長は怒号を上げる。
砦の壁は崩され、無数の不死属が雪崩れ込もうとしている。今は必死に盾や槍で押し返しているが、総崩れとなるのは時間の問題だろう。
一方で攻撃側のプラハ帝国軍は全くの無傷である。
危険な突撃はクリフォト術式で召喚した不死属に任せ、本隊は後方で待機している。正確には安全な位置から不死属の召喚を繰り返しているのだ。これが帝国軍の厄介なところだった。
「百人隊長! もう! これ以上は……!」
「ここまでか……」
もう諦めて降伏宣言するべきかと考え始めたとき、状況が一変する。
砦から少し離れた西方に布陣する帝国軍に対して、北方から奇襲を仕掛ける一団が現れたのだ。東西に布陣して戦っている状況だったので、帝国軍からすれば横っ腹を突かれた形となる。
百人隊長はその一団の掲げる旗を目の当たりにして声を張り上げた。
「援軍が来た! シュリット神聖王国が来てくれたぞ! 反撃の時だ!」
奇襲を仕掛けたシュリット神聖王国のお陰で帝国軍陣地が揺らぎ、砦を攻める不死属の動きも鈍った。これによってルーイン軍は持ち直し、不死属の群れをを押し返すことに成功する。
また帝国軍も無理に抵抗せず、素早い撤退を始めた。
これに対してシュリット神聖王国軍は追撃しようとするが、帝国軍も殿として強力な不死属を召喚し、足止めとした。
結果としてこの戦いは、ただルーイン側が消耗しただけで終わったのだった。
いつも通りに。
◆◆◆
封魔王国に滞在するルークは、レギンレイヴ会戦での傷と疲れを癒していた。あれから少し経つが、ルークとカーミラの立ち位置ははっきりしない。名目としては食客として迎え入れられ、軍に交じって訓練を受けることも多かった。尤も、カーミラについては学者たちと談義していたようだったが。
だがこの日、ルークだけがアポロヌスに呼び出されることになった。
「あの、誰に会うんですか?」
「すぐに分かるさ」
そういってはぐらかされつつ案内されたのは離宮だった。普段は使用されていないと聞いており、主に重要な客人が宿泊するために用いられるという。それこそ封魔連合の各国代表などが滞在する宮であった。
もしや封魔連合の重要な人物なのだろうかと想像しているうちに、ある部屋へと辿り着く。その部屋の前には衛兵が立ち、アポロヌスの姿を見るとすぐに扉を開けてくれた。
重要な客人用の離宮だけあって、ルークの泊まっている部屋とは雲泥の差がある。そして中にいたのはどこか見覚えのある人たちであった。
「ッ! 久しいなルーク」
「え……?」
年の近い男が話しかけてきて、思わずルークは驚きを漏らす。
なぜなら久しく聞いた祖国の言葉だったからだ。カーミラのお陰で封魔連合の言葉を使えるようになって以降、自分自身でも使っていない。
そしてその人物の言葉を聞き、彼が何者なのか思い出した。
「まさか……アーガス殿下!?」
「よかった。昔一度会っただけだが、覚えていてくれてよかったよ。そうだ。私はアーガス・エドマリア。サンドラ帝国軍に王都は落とされたが、私はこうして逃げ延びた。しかし簡単ではなかった。帝国軍の追撃で次期王と言われた兄は殺され、妹たちともはぐれてしまった。他の頼もしい家臣たちも……」
「そんなことが」
「私は運が良かった。隣国クレバストロの軍に拾われ、事情を説明し、実は亡命国家を作らせてもらっている。避難した民の多くはそこに住まわせている状況だ。そこで君の……ルーク・レビュノスの武勇を聞いたのだ。レギンレイヴ平原でサンドラ帝国軍を撃退し、敵将を討ち取ったとか」
「あー……いえ、それは俺の活躍ではなくて」
「ふむ。まぁどちらでもいい。お陰で私は君の名を知り、こうして再び会うことができた。真っ先にレビュノス領が落ちたと聞き、心配していたのだ」
「殿下……」
「そう畏まるな。私と君は従弟の関係だ。君だって王位継承権は持っているじゃないか」
ルークは勢いよく首を横に振った。
ここで『そうですね』などと同意しようものなら、王位を狙っていると公言するようなものである。ルークは地元のレビュノス領で満足しているし、アーガスと争うつもりもなかった。
だがアーガスは態度を変えなかった。
「いや、今や君の方が王位に相応しい。私は才のない王族だからね。兄上の出涸らしなんて呼ばれていたほどだ」
「殿下、そのくらいで」
「すまないロニ。ああ、そうだ。彼の紹介もしておこう。ロニ将軍だ。私たちを逃がすため尽力し、今も亡命国の兵士たちをまとめてくれている」
「お初にお目にかかりますルーク様。私はロニ。陛下より王子王女殿下方をお守りするよう命じられたのですが……不覚です。今は祖国を取り戻すべく戦っております。私の後ろに控えている者たちは戦士団の者たちです」
ロニと背後に控える戦士たちは最敬礼をする。
このことからルークを完全に王族扱いしていることが分かった。思わずルークも頬が引き攣る。状況の理解はできたが、納得が追い付いていなかった。
「ルーク。私は君に旗印となってもらいたい。武勇もなく知恵もない私ではだめなのだ」
「はぁッ!? いえ、え? そんなこと!」
「無茶を頼んでいることは分かっている。それに封魔連合王国の力を借りる上で、君の方が都合がいいのだ。ルークは迷宮神器を持っているのだろう?」
「まぁ、はい」
「封魔連合王国の各国代表はそれぞれ迷宮神器を所有している。つまりそれを持っていることが最大の権威となるんだ。正直、君に神器を献上させようとも思った。しかし私は戦場に出る勇気もないし、そんな強力な武具を扱う自信もない。全てを君に委ねるしかないのだ。君が王族の血を引いていて本当に良かったと思ったよ。情けない私を許してくれ」
何の仮面もない、本当に素直な気持ちだった。
心の底からアーガスは無力感を感じている。その姿を見てルークも何かに気づいた。いや、思い当たる節があったのだ。
(そうだ。俺も故郷が滅ぼされて家族が魔族に変えられて……同じ気持ちになった。殿下には俺にとってのカーミラがいなかったのか)
どんな言葉を駆ければよいか、すぐには思いつかない。
しかし無碍にすることなどできなかった。
「アーガス殿下。俺にはどうすればいいか分かりません。本当にアスラン王国の旗印となっていいのか、決心がつきません。ですが一つ確かなことがあります。それはサンドラ帝国の暴虐を許してはならないということです」
「ルーク……」
「俺は戦います。それが結果的にアスラン王国を背負うことになるのなら、殿下の重荷を俺にも分けてください」
「……ありがとう。本当にありがとう」
張りつめていた気が緩んだのだろう。
不意にアーガスの眼から雫が垂れた。彼はそれを拭い、しかし止まらず、やがて嗚咽を漏らし始める。侍従が休ませようと彼の手を取るが、アーガスは拒否した。
「すまない。本当に情けない姿を見せた。アポロヌス陛下の前だというのに」
「俺のことは気にしなくていいさ。それに協力は惜しまない。俺たちはサンドラ帝国という共通の敵と戦わなければならないのだから」
「ありがとうございます」
「さて、俺からルーク君には一つ意思確認をしておきたい」
「俺にですか?」
戸惑うルークをよそに、アポロヌスは部下に合図を出す。するとかなり大きな木の板が持ち込まれ、それが部屋のテーブルへと置かれた。
木の板は表面が掘られ、かなり起伏がある。また一部は緑で塗られ、青い曲線が複数描かれていた。
「もしや地図ですか?」
「アーガス殿、正解だよ。これは俺が配下に作らせた国の地図だ。山や森、川なんかの位置は再現してある。そして封魔王国はここだ」
アポロヌスは地図上に石製の駒を置いた。その駒は白く塗られており、封印塔を思わせる。実際、それをモチーフに作られたのだろう。これほど分かりやすいシンボルはない。
そしてアポロヌスは次々と駒を置いていく。それらは同じく白駒だったが一回り小さく、封魔連合王国を構成する各国の位置に置かれていく。
「アスラン王国の亡命国は俺たち連合の一部、クレバストロの領土にある。実を言えばシエスタ亡命国も同じ場所にあるんだけどね」
「そうか。シエスタも帝国に……レビュノス領はシエスタと隣接していたから、交流もあったんだ」
「サンドラ帝国の侵略で最初に落ちたのがシエスタだった。俺たち連合は亡命してきた人々を受け入れ、亡命国を作った。その次に落ちたのは君たちの国だった。そして最近、ヴェリト王国もサンドラ帝国に敗れた」
「ヴェリト王国?」
「シエスタと異なり、大きな武力を持っていた国だよ。ベレスやウルの北方にある。いや、あった」
シエスタ、ヴェリト王国、アスラン王国、そしてサンドラ帝国と順番に黒い駒が置かれる。こうすれば各国の位置関係が分かりやすい。
サンドラ帝国は北から攻め寄せ、アスラン王国、シエスタ、ヴェリト王国をほぼ同時期に攻め落とした。そして今はさらに南へと進軍し、ここ封魔連合王国と戦っている。
アポロヌスはヴェリト王国の更に西方を指さした。
「ここにもう一つ、大きな国がある。シュリット神聖王国と彼らは名乗っていてね。ヴェリト王国と同盟関係だから、ヴェリト亡命国を作って保護している」
「えっと、つまり?」
「そうか! シュリット神聖王国も我々と同じくサンドラ帝国と接している。つまり同盟者になれるということか!」
「アーガス殿下の言った通りだよ。つまり俺たちは多くの味方を作る必要がある。これが俺の考える対サンドラ帝国同盟構想だ」
アポロヌスはシュリット神聖王国のある位置へと白駒を置いた。
更に彼は小さな黒駒と白駒を次々と設置する。それは丁度、今の封魔連合の北部国境沿いと重なっている。それが何を意味しているのか、この場にいる者たちはすぐ理解できた。
「今はこのように戦線が作られている。東西に長く、帯のように。残念ながらレギンレイヴ平原での戦いで戦線を下げるしかなくてね。少しばかり攻め込まれている状態だ」
「これは……」
「気が付いたかいルーク君」
「はい。シュリット神聖王国が味方になれば、西側から挟み撃ちできる。運よく帝国軍を引き込んだ形になっている……」
「その通り! しかしそれもまた囮だ」
どういうことかと皆がアポロヌスに注目した。
封魔連合軍が戦線を広げ、サンドラ帝国軍を一手に引き受ける。その隙にシュリット神聖王国側から仕掛け、挟み撃ちにして殲滅する。それだけでも充分に作戦として成り立っているのだ。他に何をするというのか。
「俺の見立てではこの作戦でサンドラ帝国は軍を絞り出す。この長い戦線に加え、アスラン王国方面の奪還戦も同時並行で進める。そして西方からの挟み撃ち作戦だ……つまり敵の総力は南側へと寄ってくる。奴らの都は手薄となり、炎帝を守る兵も大幅に減るだろう」
「まさか暗殺……」
「ああ、そういうことだ。そしてこの役目を君に頼みたい。ルーク君」
「俺が!?」
敵軍を引き付けるだけ引き付けて大将の暗殺とは、実に大胆である。しかも最も重要な役目を食客でしかないルークに任せるというのだ。
勿論アポロヌスはそれについて説明をする。
「理由は三つある。まず一つは囮の軍に俺たちは全てを費やさなければならないからだ。全ての連合国に呼びかけ、全ての神器使いに戦ってもらう。長大な戦線はサンドラ帝国に負荷をかけることができると同時に、俺たちにとっても負担が大きい」
「つまり余力がないと?」
「その通り。全ての精鋭を出さなければサンドラ帝国の猛攻を押し留めることはできない。そして二つ目はルーク君とカーミラ君の強さだ。手薄にしたとして、炎帝の守りは強固なはず。並の者には任せられない」
ここでアーガスが、カーミラとは誰かと問うたのでルークが説明する。
自分にとって恩人であることや、その強さに至るまで。彼女が吸血種であることだけは隠すことにしたが。
ただそれでもアーガスとしては納得できないらしく、アポロヌスに抗議する。
「たった二人で敵地へ侵入し、暗殺など……」
「無論、俺たちも役に立つ戦力を貸そう。暗殺に長けた部下たちをね」
「しかし……」
「その上でシュリット神聖王国の力を借りる。あの国には聖石寮という対魔物、対魔族の達人たちがいてね。聖石寮を説得し、戦力に加えるつもりだよ。サンドラ帝国は吸血種の他、魔族兵と呼ばれる厄介な戦力がある。魔族嫌いのあの国なら快く協力してくれるはずさ」
アーガスとしてはそれでも納得しがたい。
これからのアスラン王国の旗印となってもらうため、ここまで来たのだ。できることなら亡命国に連れ帰り、祖国奪還のため戦力となってほしかった。
渋い表情のアーガスに対し、アポロヌスは説得を続ける。
「アーガス殿下も状況は分かっているはずだ。俺たちはサンドラ帝国と対等じゃない。数は同等でも、兵の質はあちらの方が上だ。だから策で上回る必要がある」
「それは……その通りかもしれませんが。いえ、その通りです。己のことばかりで申し訳ありません。亡命させていただいている身だというのに」
「殿下の懸念は間違いじゃないさ。それに肝心なことを聞けていない。本人の返事をね。どうかなルーク君」
「俺は……」
詳しい話を聞くまでもなく危険だと分かる役目だ。
全く知らない土地へと潜り込み、炎帝を殺さなければならない。失敗すれば封魔連合王国は戦線を押し切られ、敗北する危険もある。
だが、覚悟は決めたばかりだ。
(覆すなんて、格好悪いことはできないよな)
だから答えは一択だった。
「俺は、やります。やり遂げてみせます。俺たちの故郷を取り戻すためにも。仇を討つためにも」
「よく言ってくれた! 君の勇気を俺は心から賞賛するよ」
少しばかり大げさにアポロヌスは頷いて、右の手を伸ばした。
何を求めているのか理解したルークは同じく右の手を伸ばしてがっちりと握った。アポロヌスの手は大きく、どこか安心感を覚える。少しだけ自身が湧いてきた気がした。
「そういえば三つ目の理由って何ですか?」
「ん? 勘だよ。よく当たるんだ」
「えぇ……」
急激に自信を無くしたルークであった。




