537話 封魔王国
帰還した兵の内、正規兵と傭兵ではその後の行動が異なっていた。
正規兵は特別賞与が支給され、すぐに家へと帰される。一方で傭兵は契約時の報酬に加え、活躍に応じた上乗せ金の計算のため、一時待機が命じられる。とはいえその日の夕方には処理も完了し、ルークとカーミラも大金と言えるだけの金銭を手に入れることができた。
大抵の傭兵は手に入れた大金を使って街に繰り出し、大いに飲み食いして英気を養う。しかしルークとカーミラはその日、王宮へと招待されることになった。
「王宮か……」
「緊張しているのですか?」
「そりゃな。レビュノス家は王家の血も入っているけど、そう頻繁に訪れる場所じゃなかった。それに異国ともなれば国内の作法だって通じない。知らずに無礼を働かないか心配にもなる」
「意外と真面目なのですね」
「失礼だな。俺はどうせ辺境の田舎領主の息子だよ」
「いえ、すみません。そのようなつもりはなかったのです」
二人は応接用の部屋に通され、そこで夜の食事も出されていた。塩分の利いた味の濃い食事で、疲れた体にはよく染みる。もうほとんど食べ終わり、給仕が注いでくれる果実酒を口にしていた。
充分に飲み食いしたので、二人とも同時に杯を置く。
するとほぼ同時に応接室の扉が勢いよく開け放たれた。
「やぁ。楽しんでくれたかな」
そんな風に声をかけながら入ってきたのは、背の高い男であった。青や紫で染められた衣服と、全身の各所に身に着けた装飾品から高貴な人物であることはすぐ分かる。
ルークが反射的に立ち上がると、彼はそばまで歩み寄り、手を差し出した。
「まずは自己紹介だ。俺の名はアポロヌス。この国、封魔王国の王をしている。ついでに連合の盟主でもあるんだ」
「あ、王様!? 俺、あ、えっと私はルーク・レビュノスと……」
「ははははは! いいよ、そんな畏まらなくても。俺は元々探検家でね。所詮は成り上がりの王なのさ。堅苦しくならなくたっていい」
アポロヌスはルークの手を取り、しっかり握手した。
しかし楽にしていいと言われたところで、すぐに適応できる人間などそういない。すっかり固まっているルークは置いておき、アポロヌスは座ったままのカーミラにも手を指し伸ばした。そして彼女の手を取り、軽く唇を落として紳士的に語りかける。
「お嬢さんもよろしく」
「よろしくお願いします」
出会いの印象としては決して悪くない。
アポロヌスも椅子の一つに腰かけ、その背後に浅黒い肌の女性が控える。ルークは肌色の物珍しさから、その女性をなんとなく目で追いかけていた。
「ルーク君は俺の側近が気になるかな?」
「あ、すみません。女性に対して不躾でした」
「まぁ紹介くらいはしておこうか。彼女はルゥナ。文官として俺の補佐をしてくれていてね。色々と有能だから俺も重宝している。少し肌の色が珍しいかもしれないが、俺たちと同じ人さ」
「そうなんですね。よろしくお願いしますルゥナ殿」
するとルゥナは一瞬驚き、すぐに目を伏せて一礼する。
ひとまず自己紹介が終わったところで、アポロヌスは給仕に出ていくよう命じた。それでこの部屋にはルーク、カーミラ、アポロヌス、ルゥナの四人だけとなる。
「さて。まずは俺の国の食事がどうだったか、感想でも聞かせてほしいな」
「とても美味しかったです。ですがこんなに贅沢に塩を使って大丈夫なんですか?」
「ああ、勿論。塩はこの国の特産品だからね。迷宮、地獄域では大量の岩塩が採掘できるんだ」
「地獄域……」
「君は迷宮を知っているかな?」
「少しだけなら。不思議なものが見つかる危険な場所だと」
「その認識は正しいよ。恩恵がある一方であまりにも危険な場所だ。だから俺たち封魔王国は、周辺国と協力して地獄域を封印している。その甲斐あって地獄域から出てくる魔物はなくなり、安心して暮らせるようになった。そして迷宮に眠る古代の遺物を……君の言う不思議なものを採掘できるようになったんだ。勿論、塩もね」
なるほど、とルークは感心する。
アスラン王国には迷宮がなかったので、全てが新鮮に聞こえる。そもそもルークが迷宮を知ったのは、かつてサンドラ帝国で傭兵をしていたエリシュから聞いたからだ。それもあって、どこか懐かしさのようなものすら感じていた。
逆にアポロヌスはルークに対して疑問を呈する。
「ところで君は迷宮神器を持っているだろう? なんて名前なんだい?」
「はい。嵐唱です」
「それはどこで手に入れたんだ?」
「あー……その、俺の家に伝わる神像があったんですが、不慮の事故で壊れてしまいまして。その中から出てきたのが嵐唱だったんです」
「なるほど。そういうこともあるのか。いや、失礼したね。迷宮神器というのは、迷宮から見つかるものなんだ。だから君も迷宮に潜り、それを見つけたのかと思ってね」
そう言いながら、アポロヌスは腰の帯に差した短剣を見せつける。
軽く抜いて見せると、その刃には赤い紋様が刻まれていた。
「これも神器の一つ、火滅だ。俺が地獄域の探索中に発見したものでね。つまり俺と君は神器使い仲間というわけさ」
「そうだったんですね」
「迷宮には他にも様々なものが眠っている。古い文明の痕跡を思わせる遺跡も多い。俺はそういったものも大好きでね。発掘した古代遺物を研究したり、発見した壁画を解読するため学者の支援もしているんだ。だってこれは浪漫だろう? 俺たちの知らない歴史が眠っているなんて」
「陛下は探検好きなんですね」
「勿論さ。最初にも言ったが、俺は元々冒険家なんだ。色々あって今は一国の王をやっているけど、今も迷宮探索は続けているよ。お陰でルゥナには怒られっぱなしだけどね」
「陛下……分かっているなら真面目に政務もしてください」
ルゥナに諫められてもアポロヌスは笑って誤魔化す。
彼には威厳というものがなく、親しみやすい。だが人を引き付ける何かを持っている。ルークの知る王とは違った形を彼は体現していた。
しかしここで急にアポロヌスの視線が鋭くなる。それはカーミラへと向けられた。
「俺は君についても知ってみたくてね。ロンディスからは君が不思議な武器を使っていたと聞いているよ」
「……」
「自在に伸びる剣を使ってサンドラ帝国軍を蹴散らし、退路を切り開いてくれたと。それに不思議な術を使ったとも聞いている。黒い炎や、赤い槍の雨、そして元々は回復の術で兵の治療もしてくれたとか」
アポロヌスからは剣呑な雰囲気が放たれ、先ほどまでの奔放な姿はない。むしろ王者の風格ともいえるものが溢れ出ていた。
これにはルークも驚愕を露にする。
(なんて人だ。さっきまで優しい雰囲気だったのに。それにどこか薄暗い、不気味な感じがする)
思わず竦んでしまうほどの圧が、そこにはあった。
魔族と対峙したときですらこんな感覚はない。眼だけを動かしてカーミラの方を見ると、彼女は全く動じず飲み物を口にしていた。目が見えずとも、この鋭い刃のような気は感じ取れるはずなのに。
そういう意味ではカーミラもまた、不気味であった。
(そういえばカーミラは何者なんだ?)
レビュノス領で助けられて以来、なんとなくカーミラの言葉に従ってきた。アスラン王国を帝国から取り戻すためと信じ、ここまで頼りにしてきた。
しかし彼女が何者なのか、ルークは知らない。
それに気づいてしまい、ますます気になってしまう。ルークもまたカーミラへと目を向け、求める答えが語られるのを待った。だがカーミラは何も答えない。しばらく待っても沈黙を貫き、答えるつもりはないという意志を示す。
アポロヌスからの圧も強まり、部屋に満ちる緊張は最高潮に達しようとしていた。
「答えないのならば仕方ない。俺から一つ予想を言ってみようか」
「……」
「君、吸血種だろ」
ルークは勢いよくカーミラの方を向いた。
そして立ち上がり、問い詰める。
「どういうことだカーミラ。吸血種って帝国の支配者のことだよな?」
「落ち着きなさいルーク君」
「だけど!」
「全ての吸血種がサンドラ帝国の支配者というわけでもないさ。かの帝国には人間だっている」
「それは……はい」
「君や俺たち連合軍を助けてくれたことだって事実だ。ただ俺は知りたいだけだよ。どうかなカーミラ君?」
冷静に諭され、ルークの頭からも熱が引いていく。
一瞬、裏切られたかのように感じてしまったが、それは勝手な思い込みだと気づかされたのだ。
「悪い。カーミラ」
「いえ」
ここで素直に謝罪できるところは美点だ。
カーミラとしてもこれまで黙っていた罪悪感もあり、またアポロヌスに正体を見抜かれたこともあって、自分自身について話すべきだと判断する。
「確かに私は吸血種です。ですがサンドラ帝国に与するわけではありません。ただ無関係でもありません。なぜなら、あの国を変えてしまったのは私だからです」
「ほう?」
「どういう意味なんだカーミラ?」
「私は始まりの吸血種。全ての吸血種は私から生まれたのです。吸血種とは私であり、私たち。私の本当の名はカーミラ=ノスフェラトゥです」
ルークはその一部ですら理解できていなかった。
そもそも吸血種についてもよく知らない。サンドラ帝国で強い権力を持っているという他、強い力を持つ人型の化け物という雑な認識だった。
それはアポロヌスも同じだ。
「俺はこうして吸血種と話せる機会は貴重だと思っている。君が捕らえてくれた帝国の吸血種に尋問をかけているんだが、中々話してくれなくてね。よければ君の持つ力について教えてくれないだろうか」
「私の能力はあくまで源流です。私は始祖ですから吸血種の全ての能力を持っています。血を操り武器とする能力、血から生物を作り出す能力、血の霧や生物に変身する能力、血の毒、そして人間を吸血種に変える能力」
「ほう。吸血種は君が作れるのか」
「はい。かつて私はサンドラで……帝国となる前の古いサンドラで大きな戦いを経験しました。そこで親しい方が死に瀕し、助けるために吸血種化を施したのです。それが火主と呼ばれていた今の炎帝ヘルダルフの目に留まり、私はサンドラ人へと力を与えました」
そう語るカーミラはどこか懐かしそうであった。
もう二百年以上昔の話になる。あの頃はまだ始祖吸血種となったばかりで、力の制御もできていなかった。セフィロト術式、《聖印》を多重にかけていたので、情緒も平坦だった。そのためか、言われるがままに何でも言うことを聞いていた部分もある。
実際、初めての吸血種化は本能に任せて行った。
「私はこんな戦争を起こさせるつもりで力を与えたわけではありません。弱い人たちが虐げられず、人が人を思いやる国を作りたかった……それだけなのです」
「カーミラ……」
「ルークさん申し訳ありません。私の責任なのです。隠していたことを謝罪します」
「お前が謝ることじゃない! そんな謝罪は……受け入れない」
ルークは思わず声を荒げた。
しかしそれは怒りゆえではない。信念ゆえのことだ。
「吸血種ってのは優しさから始まったんだろ! 俺はカーミラを責めないぞ。剣が人を殺したとして、鍛冶職人を責めるのはお門違いだからだ!」
「しかし私が」
「俺は誇り高きレベリオの末裔だ。ご先祖様に顔向けできないような、恥知らずな真似はしない。悪いのはサンドラ帝国だ。俺たちの街を滅ぼしたのはあの国の宮廷魔術師だ。そうだろう?」
「ルークさん……すみま――」
いつもの癖で謝罪しようとして、カーミラは思い留まる。
ここはそう返すべきではないと考え直した。
「ありがとうございます、ルークさん。私は歪んでしまったサンドラ帝国を正しくしたい。ですが血を分けた子供たちを力で従わせることもできず、中途半端なことしかできなかったのです。私も覚悟が決まりました。間違った子供たちを叱りつけることも私の役目でしょう」
「ああ。俺だけじゃ勝てない。俺はレギンレイヴ平原であの魔族を倒しきれなかった。俺も祖国を取り戻したい。それに仇も討たなきゃいけない。一緒に戦ってくれ」
「はい。私の方こそよろしくお願いします」
ルークとカーミラの関係は、今まで曖昧なものだった。状況が形作っただけに、ただの協力者や知り合いの域を出ないものだった。
しかし今、二人は確かな絆を紡いだ。
まだ始まったばかりだが、二人はこれから繋がりを強くしていくことだろう。
「ははははっ! いいものを見せてもらったな。なぁルゥナ?」
「陛下。おじさん臭いですよ」
「おじッ!? まぁいい。俺たち封魔連合王国はサンドラ帝国の侵略を許さない。我が国としても君たちが協力してくれるなら嬉しい限りだよ。どうだろうか。我が軍に入らなくてもいい。傭兵としてでも構わないから、サンドラ帝国の撃退を手伝ってくれないだろうか」
「勿論です! なぁカーミラ」
「はい。私としてもこの国が支援してくださるのであれば心強いと思います」
「そうか! ならば決まりだな。今日は素晴らしい日だ。詳しい話は後日するとして、今日は疲れているだろうから休んでくれ。俺の話に付き合わせて悪かったね」
「いえそんな」
ルークは随分と驚いた。
成り上がりの王とはいえ、随分と腰の低い人物だと思ったのだ。自分の知る王の形とは異なるが、一人の人物としては好ましい。心から協力したいと思わせてくれる人物像だった。
そんな安心感を覚えると同時に、どっと疲れが押し寄せてくる。ルークは急激に体が重くなるのを感じた。アポロヌスが勧める通り、休むことにする。ルークとカーミラは特別に用意された寝室へと通されることになった。
◆◆◆
アポロヌスとルゥナは執務室へと戻っていた。
灯火は消し、すっかり部屋は暗くなっている。しかしテラスに出れば月や星の明かりが充分にある。またここから見える封印塔も篝火で照らされているので、暗くて困ることはなかった。
「よろしいのですか。あのルークという者を軍に引き入れなくて」
「ああ。確かに神器は魅力的だけど、これでいいんだ。俺の勘がそう言っている」
「分かりました。陛下の勘であれば信頼に値します」
ルゥナはそう言ったが、本心は別のところにあった。
彼女はカーミラのことを心から信じたわけではない。それは勿論、吸血種だからだ。ましてカーミラは始祖である。素直に信用する方が愚かだと思っていた。
ただそれは心の奥底に仕舞い込み、決して表には出さない。
「しかし陛下。レギン砦が崩壊し、アルゲリスも国土の半分を失いました。ベレスもウルも同じような状況です。ここから押し返すのは困難でしょう」
「そうだな。だからルーク君とカーミラ君には頑張ってもらうつもりだよ。俺も守るものが増えたからね。できることなら防衛に専念したい。そして俺たちが防衛に力を入れれば入れるほど、こちらの工作も通りやすくなる。俺たちはいわば囮というわけさ」
「……可能でしょうか。サンドラ帝国は北から攻めてくるだけではなく、陥落させたアスラン王国側からも攻めてています。この北と東の戦線だけならばともかく、もう一つの帝国が……」
アポロヌスは頷く。
そしてテラスの手すりに背を預け、星の瞬く夜空を見上げた。
「正直に言えば、サンドラ帝国はもう少し侵略を遅らせてほしかったな。プラハ帝国と戦争が始まってもう六年か。まさかこれほどまで長引くとは思わなかった。西側を早く片付けなければ、俺たちは疲弊し続ける。何か転換点が必要だった」
「それがあのお二人だと?」
「ああ。間違いない」
確信に満ちた目で、アポロヌスは断言した。




