表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Together  作者: 天城孝幸
8/25

8.大谷の過去

 いよいよ第二艦隊はパナマ運河の目と鼻の先までやってきた。各艦、単縦陣となり運河へ入る準備をしている。

 雪風は早朝頃に運河へと入る見通しであろうと伝えられた。第五戦隊の為、やや早めの運河通過となる。

 その前の晩、林原は当直だった。正直、立っているのもしんどいくらいのダルさが体を支配していたが、副長で当直を休むわけにもいかない。真っ暗な艦橋で、ふぅっと息を吐いた。

 前方には戦艦 陸奥の艦尾が見える。三日月の日だ、位置識別用の艦尾灯がなければとてもわからない。

 「ちょっと変わってくれないか?」

左舷ウィングにいた今野を見つけ、声をかけた。今野はきょとんとしながらも

「…いいですよ。」

と艦橋に入った。

「…ふぅ。」

また一息ついた。目の前には広い海が三日月のかすかな月光を反射している。微速航行しているので、艦が起こす波もおだやかだった。

「どうしたの?こんなところで。」

背中から聞こえた突然の声にビクッとした

「お、大谷先輩ですか…」

「ここでは大谷少尉…でしょ?」

クスッと大谷が笑う。林原は困ったような顔をした。

「どうしたの?最近元気がないけど…」

「え?特に…なんでもないですよ。」

やっぱり…と林原は思った。大谷先輩は知ってたんだ。

「本当に?ハワイの元気はどこへいっちゃったのかな?」

「な、なんでもないですよ。」

艦橋へ逃げようとしたとき、クラッとめまいがきた。そのまま座り込む。

「…林原君?」

大谷の心配そうな声がする。

「ねえ、ほんとに大丈夫なの?医務室行く?」

「いえ…すぐに治りますから…」

ようやく声を絞り出して答える。自分でも驚くほどかすれた声だった。

「やっぱりヘンだよ…。一体どうしたの?」

少し口調を強くして大谷が詰め寄る。

「…ちょっと、怖くなっただけです。」

観念し、ボソリと声を出した。

「…。」

「…。」

しばらく沈黙があった。

「…私も、ちょっと怖いの。」

大谷が漏らす。とても小さな声だった。

「でも、せん…少尉はいつも元気じゃないですか。」

「うん。でも部屋に入ると、ああ自分はもうすぐ戦いに出るんだな、もしかしたら死んじゃうかもって…」

いつもあんなに活発に見える大谷から、こんな本音が出てくるとは思わなかった。

「…。」

返答が見つからず、林原は何も言えなかった。

「でもさ、もう戻れないのだから。ここでやっていかなくちゃね。」

大谷のこの言葉、自分に向けて言っているのか、それとも林原へ向けているのか…

「…大谷少尉は、何で海軍へ入ろうなんて思ったんですか?」

とりあえず話題を変えようと、ようやく林原は声を出した。

「あ、別に嫌になったわけじゃないですよ。ただ、女子が海軍入りたいなんて言うようなイメージがなかったので…」

失礼に思われたら嫌だなぁと思い、一言付け足した。

「うん、私のお父さんがね、海自の士官だったの。」

「それで憧れたんですか。」

「ううん、違うの。」

ちょっと緊張したように大谷が声をつまらせた。

「…私が高校3年生の時に死んじゃったの。事故でね。」

「じゃあ大谷少尉のお父さんて…」

まさか…?

「そう。私のお父さんはね、大谷 修っていうの。」

大谷 修――


 あれは、林原が高校2年生の時だった。世間を震わせた事故、護衛艦しまかぜ沈没事故。

 台湾近海で単艦航行をしていた護衛艦しまかぜが、突然消息を絶った。当時海域は時化ていたが、沈没するような波高ではなかった。乗員は全員消息不明。中国艦艇に撃沈されたともいうような噂もたったが、結局解決されなかった。

 大谷 修 二等海佐は、当時のしまかぜの艦長だった――


 「そんな過去が…」

何も言えなかった。しゃくりあげる声が聞こえる。大谷は泣いていた。

「大谷…先輩…」

「だからね…お父さんがね…どんなことしてたのかね…知りたかったの…」

つっかえつっかえ大谷が喋る。もう林原はどうしていいかわからなかった。

「すいません!大谷先輩の気持ちもわからなくって!」

よくわからないが謝ってしまった。でも大谷先輩にそんな過去が…


 しばらく大谷のしゃくりあげる声が続いた。それが少し収まってきた頃、

「でも、もう大丈夫。」

大谷が顔をあげて林原を見た。

「林原君、お父さんみたいな立派な艦長になって。…お父さんはもういないけど、林原君はいなくならないで。」

訴えるような大谷の声。思わず

(わ、先輩可愛い…)

暗かったが、大谷の顔がはっきりと見えた。

「私は通信長を一生懸命やることしかできないけど、林原君はこの艦を牛耳れる立場にあるんだから。」

「は、はい…。」

「怖くなんかないよ。だって、林原君はいい副長だもん。」

笑顔で大谷は言った。

「副長!運河通過時間まで1時間です!」

伝令が報告にきた。

「わかった。準備させて。陸奥が通過し次第、本艦はパナマ運河へと入る!」

「はっ!」

林原は軍帽をかぶりなおした。もう怖くなんかない、大谷先輩を泣かせたくないんだ。

 東の空が明るくなり始めていた。


 「いやあ、大尉もなかなかやりますね。」

パナマ運河を通過中、艦橋で今野がささやいてきた。

「お前、見てたな?」

今野がいたのをすっかり忘れていた…

「通信長の娘を泣かしちゃったりして…でも最後はちゃんと笑ってましたね。」

「バカ、あれは向こうが勝手に泣いただけだ。」

「大尉が泣かせるようなこと言ったんじゃないんですか?」

「違うわ!…慰めたわけでもないが。」

慰められた…なんて恥ずかしくて言えない。

「まあ元気になってよかったですね副長。昨晩よりも顔色がいいですよ。」

「そうか?いつも変わらないが…」

階段から岡野が上がってくる。

「副長、指揮ご苦労。」

「艦長、おはようございます。」

「うむ、おはよう。君は寝なくて大丈夫かね?」

「今のところは大丈夫です。」

「そうか。ではもう少し頼む。俺はちょっと私用があってな。」

階段を上がってきていた石野がニヤリと笑う。どうやら岡野の私用とは大したことではないらしい。

「大谷通信長、司令宛にパナマ運河通過を伝えてくれ。」

「はい、了解しました。」

そういって、また階段を降りていった。

 「副長、目の下にくまができてるぞ。寝ておきなさい。」

笑いながら石野が言った。

「え?うそ?」

「うそ言ってどうする。まあ俺に任せるのが心配か?」

「いえとんでもない!」

ハハハと石野が笑う。

「3時間で起きてこいよ。その頃には本艦は大西洋だからな。」

「航海長、私も寝ていいですか?当直でしてねぇ…」

わざとらしいあくびで今野が石野に訴える。

「何だお前もか…。昨日の元気はどこいったんだ?」

「一晩寝なければ無理ですよ。」

「仕方ねえなぁ…。寝坊するなよ。」

「了解です!」

元気そうに階段を降りる今野。

「まったく…元気じゃねぇか。」

愚痴をこぼす石野。階段から今度は水兵が上ってきた。

「大谷少尉、交代しますよ。お休み下さい。」

「そう、じゃあお願いね。」

大谷も通信士席を立ち、艦内へと降りていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ