第35話 窓口を一人で守るときの絶望感
新人の時に皆が休んで一人で窓口を守った
海が見える山の上空。大きな船が浮いていた。その甲板では鳥の野獣の襲来に右往左往する者たちの姿があった。
ルクシアはその中で動かずポツンと佇んでいる。単純にやることがないのだ。
迫りくる兄と従魔たちの到着をただ待っている。
(船が撃墜されたらどうしましょう)
ルクシアは飛ぶ術を持っていない。この場にいる邪竜族たちは竜に変身すれば飛べるからいいだろうが。
どんどん増えていく黒い影に船員たちは戸惑う。
すると、船内からディグルがグレーの髪を乱しながら出て来た。
「狼狽えるな! 迎撃しろ! 我々は誇り高き邪竜族だぞ!」
ディグルの鼓舞する声に応え、五人ほどが竜の姿となって野獣の群へと飛んでいく。甲板に残っているのはゲオルグや戸惑う者ばかりだ。ディグルは彼らを睨みつけ、迎撃するよう命令する。
しかし、そんな話は聞いていなかった彼らは簡単に動けない。
その間にも、空の上では戦いが始まった。炎や氷が飛び交い、鳥のけたたましい声が空に響く。
アーサーを乗せたフレースベルグのシャルルが飛行船の上を通過する。同時に誰かが甲板に降り立った。ルクシアの兄アーサーである。仕事から直接来たようで、きちんとした黒のスーツ姿だ。
「妹がお世話になりました」
アーサーは笑顔で挨拶をする。だが、目が笑っていない。
ディグルは少ない予備動作で氷の魔法をアーサーに向けて放った。巨大な氷球がアーサーに飛ぶ。ドンッと鈍い音がした。フンと鼻で笑うディグルの目の前で、氷球にヒビが入る。次の瞬間、氷は砕け散った。
アーサーはパンパンと手を叩いて氷の粉を落とす。
魔法を素手で打ち破ったアーサーにディグルは唖然とした。歯を食いしばり、雷や炎の魔法を次々に放つ。
焦ることなく、アーサーはそれらを簡単に手で払ってしまった。
「邪竜族は強いと聞いていたけど、それほどでもないね」
軽い調子でアーサーは笑う。
ディグルは竜の姿になろうと魔力を練るが、途中で止めた。背筋が凍る気配がする。恐る恐る気配がする方を向くと、そこには彼が待ち望んでいた闇の精霊王の姿があった。
ファントムは宙に浮いたまま、ディグルを冷たく見下ろす。彼が右手をかざした瞬間、ディグルの右腕が消えた。
肩から下が消えたことに驚いて声が出ない。しかし、傷があると脳が認識した途端に痛みがディグルに襲い掛かる。彼の喉から苦痛の声が迸る。
甲板にいた邪竜族たちは怯えて下がった。ゲオルグも危険を察知してルクシアと物陰へ移動する。
「え、なに、あの人間おかしくない?」
「あの程度の魔法ならお兄様は手で払いのけてしまいますわ」
「お兄さんおかしいでしょ!? 俺の認識がおかしいの?」
「普通の人間はそんなことできませんから、ご心配なく」
「だよね、良かった」
コソコソと話をするゲオルグとルクシア。
『殺してもいいけど、生け捕りのほうがいいんだよね?』
ファントムが感情を感じさせない声でアーサーに尋ねた。ルクシアにまで手を出したのだ。簡単には捕まえてやる気はないらしい。
アーサーは呻くディグルを見ながら薄く微笑む。
「弾みで殺しちゃったってことしたいな」
その言葉にディグルは身を震わせる。この男なら自分を殺しかねない。否、殺されればいいほうかもしれない。
突然、甲板に赤茶色の竜が転がった。その衝撃で船が揺れる。竜の身体は傷だらけで低く唸っている。隠れていた邪竜族たちから悲鳴が上がった。
トンと軽い足取りで甲板に降り立ったのは、茶色が混じる金髪をなびかせる母フライヤだった。風の魔法を操る彼女は華麗に空を舞うことができる。ルクシアと同じひまわり色の瞳は殺気立っていた。右手に握った剣が煌めく。
「ダメよ、殺しちゃ。簡単に死なせて満足してはいけません」
物騒なことを言いながら、片腕を失ったディグルへ歩み寄る。その身体から溢れる覇気にディグルは気圧された。圧倒的な強者が放つものだ。
「娘を返してもらいましょうか」
「ちょっとお母さぁーん! 一人にしないでー!!」
フライヤの歩みを止めたのは、前方の空域で竜と戦う父ルイスの声だった。ルイスは空を駆ける馬型の野獣ゼピュロスに乗って戦っている。国内でもゼピュロスを従魔にしているのは珍しい。
淡い緑の身体をしたゼピュロスが空を駆ける。長年の絆でまさに人馬一体だ。それでも竜の相手を一人でするのは大変らしい。
「まったくもう、仕方ないわね。ルクシア、そんなところに隠れていないで、さっさと帰りますよ」
フライヤはため息をつき、隠れているルクシアに言った。
「もちろんです。でも船は落とさないでくださいね。この技術はもったいないですわ」
ルクシアは物陰から姿を現す。彼女は空中の戦闘を見ても、片腕を失ったディグルを見ても、全く動じない。
ゲオルグは気が付いた。おかしいのはルクシアも一緒だった、と。
邪竜族たちはようやく、とんでもないことに手を出してしまったのだと実感する。
「さて、大人しくしてくれるなら何もしないけど、抵抗するならこうなるよ。どうする?」
アーサーは片腕のないディグルを指さしながら甲板にいる者たちに告げた。
彼らの答えは決まっていた。両手を挙げて降参の意を示す。
ルクシアは彼らを弁護するように進み出た。
「お兄様、その方とたぶんお父様と戦っている方たち以外は帝都への侵攻を聞いていなかったようなのです。そんなに怖がらせないでくださいな」
「おや、そうなのかい?」
妹の発言の真偽を確認するように、周囲に尋ねる。甲板にいた一同は手を挙げたまま大きく頷く。
ディグルは隙を見せたアーサーへ渾身の魔法を放とうと手を向ける。光が煌めいた瞬間、アーサーの拳がディグルの鳩尾に叩き込まれていた。
「私が気づかないとでも思ったのかな」
アーサーは半ば呆れた声で言ったが、ディグルの耳には届いていなかった。とうに気を失っている。そのままゴロンと甲板に転がした。
空で戦っている者たちはディグルがやられたことにまだ気づいていない。
フライヤは甲板を蹴って舞い上がった。アーサーの従魔たちと共に竜の姿となった邪竜族たちをバシバシ攻撃する。自分よりも巨体な竜に微塵の怯みもない。
その姿に邪竜族たちは恐怖する。
普通の生物なら自分よりも体の大きな存在には恐怖するはずだ。魔力も邪竜族のほうが多い。そんなことはお構いなしに鋭い斬撃を加えて、同等に戦っている。
弱った者はフライヤの剣とゼピュロスの蹴りで容赦なく飛行船へ飛ばされた。
残りの四人も次々に甲板へと叩きつけられた。
「くそっ! 人間ごときが――」
「人間がなんですって? その翼、引き千切りますよ」
悪態をつく青い邪竜族にフライヤが翼に手をかけながら言った。これは脅しではない。そう思わせる声色だった。青い邪竜族は思わず口を閉ざす。
ルイスもゼピュロスと共に甲板に降り立った。ルクシアと同じく物珍しそうに飛行船を眺める。
「ほー、すごい技術だな。これがあれば物や人の運搬が楽になりそうだ」
「そうでしょう。撃墜したらもったいないですわ」
父の言葉にルクシアが同意するように言う。
飛行船はすっかりオルディアーノ家に乗っ取られてしまった。
「ゲオルグ、これはどういう仕組みで飛んでいますの?」
「へ? えーと、俺は技術者じゃないから細かいとこまでは知らないけど、操縦者の魔力を宝玉に込めて動かしてるはずだぜ」
尋ねられたゲオルグは驚きながらも知っていることを説明する。それを聞いたルイスはふむと考えた。
「魔力が多い邪竜族だからできるのかな? それだと人間では運用が難しいかもしれない」
「人間が使うには改良が必要ですわねぇ」
ルクシアも難しい顔をして頷いた。もう人間が使うことを前提としている。
「……なあ、中隊長さんは俺が怖くねーの?」
ゲオルグがそっと尋ねた。会った時から、ルクシアは彼に怯える様子が全くなかった。邪竜族は人間にとって未知の種族のはずだ。
ルクシアはクスクスと笑う。
「だって、敵意を持っていない人を怖がる必要なんてないでしょう? あなた、全然わたくしに敵意を向けなかったじゃないですか」
「それは、まぁそうだけど」
ゲオルグはポリポリと頭をかく。彼が命令されたのはルクシアを飛行船へ連れてくること。町や子供たちを襲うことは言われていない。攻撃しようと見せかけたのはルクシアを同行させるための方便だ。
ルイスも笑顔を見せた。
「うちの娘は売られない喧嘩を買うようなことはしないよ。あっちは、どうかわからないけど」
そう言ってルイスが見たのはフライヤとアーサーとファントムだ。人間に反発的な邪竜族に睨みを利かせている。三人の強さを目の当たりにして、反撃する様子はない。
「あんな人間がいるなんて親父から聞いたことねーわ」
ゲオルグは少し怯えながら言った。ふと、ルクシアは思った。
「そう言えば、あなたはいくつになるんです?」
「俺? 今年で、えーと、514歳かな」
その年齢を聞いてルイスとルクシアが目を見開く。二人の反応にゲオルグは笑った。
「人間にしてみりゃとんでもない数字だろ? でも俺たちは二千歳くらいまで生きるから俺なんてまだまだ若いほうだよ」
「ザイゲルさんって、いくつなのかしら」
ルクシアがポロッとこぼした言葉に、邪竜族たちが反応する。
「今、なんて……?」
恐る恐るゲオルグが尋ねる。ルクシアは頭の上に疑問符を浮かべたが、うっかりザイゲルの名前を出していたことに気付いてハッとする。もう誤魔化しようがない。
「えと、前国王のザイゲルさんにお会いしたことがありまして……今回のことは母国に筒抜けだと思ってください」
ルクシアは愛想笑いで誤魔化そうとする。ただ、何も誤魔化せてはいない。
終わった、と邪竜族は肩を落とした。今回の件はやはりこっそりやっていたらしい。ゲオルグも頭を抱える。
「やっべぇマジで怒られる奴だ」
若気の至りというには、大きすぎることをしてしまった。
「まあまあ、わたくしはあなたたちのことは正直どうでも良いのです。問題にしたいのはファントムに酷いことをしたあの方たちですわ」
ルクシアはなだめるように言うと、ディグルたちを睨みつけた。目が合った一人はバツが悪そうに顔を逸らす。
絶対に許さない。そんな眼差しが彼らを射抜く。
「とりあえず、このまま南に進路を取ってもらって帝都に行こうか」
ルイスがポンポンとルクシアの肩を叩いた。
飛行船の進路が、南へと向けられた。
ほぼ同じ頃、第二師団がオルランドの捕縛に成功していた。しかし、彼の手元に精霊石がない。屋敷のどこを探しても見当たらなかった。
オルランドは笑う。
「帝都はもう終わりだ!」
手錠をかけられたまま天を仰ぎ、笑い声を上げた。
つづく
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