第33話 同じ姿勢で仕事するのが身体に悪いらしい
立ちっぱなし、座りっぱなしが悪いと言われても
ここは帝国北部にある、とある赤い屋根のお屋敷。広々とした庭に堂々と建っている。
その一室から、天気の良い青空を忌々しく見上げる男の姿があった。腕を組んで窓際から空を眺めている。
縦に尖った耳と組んだ腕からのぞく手には縦長の鋭い爪。邪竜族だ。
爪と同じく鋭い赤の瞳には苛立ちが見え隠れしていた。
見た目の年齢はラルフと同じか少し上くらいに見える。だが、長寿の種族だ。見た目の年齢は当てにならない。
部屋のドアが開いた。入ってきたのは人間だった。こげ茶色の短い髪に、あごひげを伸ばした初老の男だ。
「ディグル、そう苛立つな」
ディグルと呼ばれた邪竜族は鋭い視線を空から人間の男へと向ける。激しい感情をぶつけられても、人間の男は動じなかった。
「貴様はいつまで動かないつもりだ」
「今、下手に動けば我がロッソ家が危険だ。騎士団もまだ動いている。ほとぼりが冷めるまでは動かないほうがいい」
苛立ちを隠さないディグルに人間の男オルランド・ロッソが落ち着いた口調で答えた。
「もう精霊石も残りわずか。本当に帝国を制することが出来るのか?」
ディグルは厳しい声色のままオルランドに迫る。祖国から精霊石を持ち出したが、ほとんどを先日の騒動で消費してしまった。精霊王から魔力を吸い取る装置も帝国に押さえられ、これ以上、増やすことは出来ない。
今、手元にはファントムの魔力を吸った精霊石が片手で数える程度しか残っていない。
「そう言うのなら、シディアン王国から取り寄せればいいのではないか?」
オルランドは器用に片眉を上げて尋ねた。少なくなったなら新たに精霊石を取り寄せれば良い。シディアン王国には彼の仲間がいる。
ディグルは舌打ちをして答えた。
「採掘された精霊石の管理が厳格化されつつある。簡単には持ち出せなくなった」
ディグルの言葉に、オルランドの表情が初めて険しくなった。
まだシディアン王国は自分たちの企みを知らないはずだ。誰が手を回したのか。国内に邪竜族のことを知る者がいるとは思い難い。
情報が漏れたとしてもいったいどこからだ。
オルランドは思考を巡らせる。
「まさか、オルディアーノ家の娘が……?」
思い当たったのはルクシアだった。
闇の精霊王の加護を持つ者を消そうと仕掛けたが、失敗に終わった。その際にエルフの国まで行ったことは報告に上がっている。
エルフの国は邪竜族の存在を認知している。情報を得るとしたらそこからしかない。しかし、どうやってシディアン王国へ連絡をしたのか。
「やはり殺しておくべきだったか」
オルランドは顔をしかめながら言った。行き遅れの小娘一人など放っておけば良いと思ったのが間違いだったか。
彼女の背後にはオルディアーノ家だけでなく、第五師団長クラウス・ファーレンハイトがついている。何かしらの方法でシディアン王国と連絡を取り合ったのかもしれない。
国が警戒している以上、ディグルも祖国の仲間へ連絡を取るのが難しくなった。
計画の崩れが大きくなっていく。
ここまで捜索の手が伸びるか。否、証拠となるものは何も残していない。全てフレイザーがやったことのように見せかけている。他の貴族たちはフレイザーの仕業だと思っているはずだ。
だが、そこに疑問を持つのが第五師団長クラウスだ。強さが際立つ彼だが、頭もキレる。小さな違和感を見逃さない。
皇帝ロドルフ・イドクレーズも腑に落ちない様子だった。他の仕事に押されて口にはしないが、裏で動いているかもしれない。
焦って身動きすれば、騎士団に気付かれる可能性が高い。今は静観する。それしかない。
「どちらにせよ、動けば尻尾を掴まれる可能性がある。もうしばらくは大人しくしていよう」
オルランドはそう言って部屋を出て言った。それを見送ったディグルは盛大な舌打ちをする。
「人間のくせに何を悠長な……腰抜けめ」
ディグルは悪態をついて再び外に目を向けた。
廊下に出たオルランドも疲れたため息をついていた。
「竜族のくせに浅慮な奴だ。もっと堂々と落ち着いていればいいものを」
オルランドはどうディグルを屋敷にとどめておくかが課題だと唸る。
計画している最中から手ぬるいだの、遠回り過ぎるだの、自分が手を下せば早いだのと口を出していた。ディグルはクラウスの実力を知らなさすぎる。いくらオルランドが説明してもそんな人間がいるわけがないと一蹴された。
人間という生き物への認識が千年以上前の感覚なのだ。
邪竜族が強いとはいえ、たった数人で帝国を落とせるとは思い上がりも甚だしい。
だが、利用できれば大きな戦力になる。
オルランドは帝都への攻撃を静かに粛々と練っていた。
一方、フォスター家からメラルの町へ帰って来たルクシアは再び書類の山と格闘していた。
ジェラルドが処理できるものは処理してくれたが、やはり中隊長が確認すべき書類はたくさんある。シンディと共にせっせとチェック、サイン、捺印を繰り返す。
母フライヤは砦に一泊して領地へ帰っていった。
シディアン王国の意向はクラウスに伝えておいた。国の意思ではないことに安堵した様子だった。
邪竜族が国内に潜伏している可能性も踏まえ、先日の騒動を精査し直すとのことだ。再調査もクラウスたちに任せていいだろう。
何かあればきっと呼ばれるだろうが。
「あー、今日はこれだけで終わりそうですわ」
ルクシアは疲れた手付きで判子を捺す。仕方がない。数日分だ。野獣でも来てくれれば運動になるのに、と良くない方向に思考が向く。
シンディも忙しそうにパタパタと紙を振ってインクを乾かす。腕を振りすぎてそろそろ痛くなってきた。
《御主人~、そろそろ休憩にしない?》
シンディが手を止めてルクシアを振り返る。ペンを走らせていたルクシアの手が止まった。
「そうですわね。そろそろお昼ご飯にしましょうか」
《やった~》
シンディの声には疲れが滲んでいた。ルクシアも椅子の背もたれに身体を預けて大きく背中を伸ばす。ギシッと椅子が軋んだ。
ルクシアは立ち上がってシンディを抱えた。
食堂に行くと、先に食事を摂っていた面々が「お疲れ様です」と出迎えてくれた。ルクシアはいつもの席にシンディを座らせて、カウンターへトレイを受け取りに行く。
今日のメニューは魚のフライのようだ。フライにできる魚はなかなか手に入る機会がない。内陸のこちら側では珍しい逸品である。
美味しそうだと微笑むルクシアの目に留まったのは、班員たちと食事をするジルベールだった。珍しい光景に足が止まる。それほど、食堂でジルベールがしっかり起きているのは珍しい。
ふと、ルクシアは野獣のことで思い出したことがあった。トレイを自分の席に置き、ジルベールに近づく。
「お食事中に失礼します。ジルベール、変異種のことなんですけど『野獣の魔力が高まって起きる現象』である、という認識でいいのですよね?」
ジルベールは口で咀嚼していたものを飲み込んで頷いた。
「原因は不明だけど、魔力の様子からしてもそうだと思う」
「精霊石を使うと、強制的に変異種へ変貌するようだったんです。急激に体内の魔力が増加して変異種になったため、死後に肉体が崩れた、と考えてもいいのでしょうか?」
ルクシアの疑問にジルベールの目が光る。調査班員たちは「まずい」と目配せし合う。このままではジルベールが分析に集中してご飯を食べなくなってしまう。せっかく食堂まで来たのに苦労が水の泡だ。
調査班員はルクシアに話はそこまでにしてくださいとジェスチャーで訴える。それに気づいたルクシアはようやくハッとする。
「く、詳しい話はお食事の後にしましょう」
ルクシアはそそくさと席に戻った。危ない。調査班の努力を無駄にするところだった。思い出した時に話しておかないと忘れてしまうが、タイミングが悪かった。
シンディは既に食事を始めていて、魚のフライをもぐもぐしていた。ポロポロとカスが落ちている。
ルクシアもお昼ご飯を食べ進めた。
食事を終えたルクシアはジルベールがいる、開けてはいけない扉を開けた。シンディは執務室へ行っているよう送り出している。
ジルベールの部屋はせっかく綺麗にしたのに、もう元通りの乱雑な紙の山が築かれていた。入って来たルクシアに気付いたジルベールがクルリと椅子を反転させて彼女に向き直る。
「中隊長、さっきの話だけど精霊石で変異種になった奴は皆ドロドロに溶けたんだよね?」
「ええ。少なくともわたくしたちが倒した十数体はそうでしたわ」
ジルベールの質問に、ルクシアは頷きながら答えた。ついでに変な臭いもしたことを伝える。
「ザイゲルさんは、変異種は野獣の魔力が急激に増加すると起こる、と仰っていました」
ルクシアはザイゲルが言っていたことを思い出す。その言葉にジルベールは考え込む。
「急激に増加、ねぇ」
変異種についてはまだわかっていないことが多い。今回の件で少し進展があるように見えたが、やはり不明な点が多く残った。
「今回の事件は人工的に魔力を増加させていましたが、自然発生する変異種は何がきっかけで魔力が増加するのか。それがわかればもっと効果的に対策ができるのでしょうけど……」
ふむとルクシアも考え込んだ。それがわかれば表彰ものである。
メラルの町だけでなく、変異種の多発地域は他にもある。ただ、地形的な共通点は今のところ見つかっていない。もっと情報交換をしなければならないようだ。
クラウスに頼んでそういう場を設けてもらおうかとルクシアは考えた。
「調査に行きたいけど、どこで発生するかはっきりしないしなぁ」
ジルベールは残念そうに言う。変異種の発生した場所に印はつけている。だが、偏っていない。地図のあちこちにバツ印がついていた。
同じ地図を見て、ルクシアもため息をつく。功を焦っているわけではない。それでも何か手掛かりがほしいのが本音だ。
「また何か思い出したら声かけてよ」
「そうしますわ」
ジルベールが話に区切りをつけると、ルクシアも頷いて部屋を後にした。
執務室へ戻り、再び書類と格闘する。思った通り、本日はそれだけで仕事が終わってしまった。
しかし、徹夜はいけない。もう若くないのだから。それに誰かが言っていた。睡眠不足は美容と良い仕事の敵だ、と。
それから数日後。今日もメラルの町は平穏な音が流れている。
ルクシアも書類の山が片付き、ようやく「いつも通り」になってきた。事務仕事もひと段落し、外の空気を吸おうかと砦の屋上へと上がる。
ひゅっと風が吹き抜けた。見慣れた地平線はいつもと変わらない。
ふと、遠くからルクシアを呼ぶ声がした。部下たちではない。町の子供たちの声だ。
「中隊長さーん!」
ルクシアは屋上から声がした町側を覗き見る。砦の門の前まで三人の子供たちが来ていた。それを見つけたルクシアは声を張り上げる。
「どうしましたー?」
「中隊長さんの知り合いって人が探してるのー!」
「一緒に来てー!」
子供たちは手を振りながら言った。
ルクシアは疑問に思いつつ、彼らの元へ下りていく。子供たちに連れられてルクシアは砦を離れた。砦を出るときにマクシムと会ったので、ちょっと出てくると断りを入れる。
子供たちがルクシアを連れて行ったのは、北門を出た森の中。知り合いが何でこんなところに、とルクシアは訝しむ。
だが、子供たちは迷うことなく歩いていく。この辺りは彼らの遊び場でもあるのだ。迷うことも躊躇うこともない。
「お兄さーん! 連れて来たよ」
金髪の男の子が大きく手を振った。彼の視線の先にいるのは、痩身の男性だった。男の子に軽く手を振り返している。近づくと、彼の姿がはっきりしてきた。
濃い紫の髪に、尖った耳がルクシアの視界に入る。ルクシアは彼が振っている手に目を凝らした。指先から鋭い爪が覗いている。
邪竜族だ。
それに気づいた途端、ルクシアは子供たちを背中で守るように前に出た。同時に剣の柄に手を伸ばす。いきなり彼女が前に来た子供たちは驚いて足を止めた。
険しい表情のルクシアに気付いた邪竜族はニッと笑う。
「あれ? もう気付かれちゃった?」
邪竜族の姿が人間型から竜型へ変化する。大きな翼が広がった瞬間、突風がルクシアたちを襲った。
子供たちは小さな悲鳴を上げて身を寄せ合った。初めて見るドラゴンに足が震える。
「何が目的です?」
ルクシアは身の丈より遥かに大きな竜を睨みつけた。深い紫の肌の竜は彼女を見下ろす。
「アンタに一緒に来てほしいんだ。俺がここで暴れたら、その子たちや町はどうなるかな?」
竜の金色の瞳が子供たちを捉える。ルクシアは剣の柄に伸ばしていた手を解いた。
「あなたたちは町へ戻りなさい。早く!」
子供たちに背中を向けたまま、ルクシアが鋭い声で言った。子供たちはハッとして来た道を駆け戻っていく。
その間も彼は何もしなかった。
「話が早くて助かるよ」
「町に手を出したら、わたくしも本気で暴れます」
ルクシアのひまわり色の瞳がぎらついた。彼女の本気を受け取った竜は両手(前足?)を上げる素振りを見せた。それから右の前足でルクシアをそっとつかみ上げる。
力をあまり入れていないところを見ると、ルクシアに危害を加えるつもりはないようだ。
「あ、俺はゲオルグ。よろしく」
ゲオルグは軽い調子で言って翼を大きくしならせた。木々が激しく揺れる。
「あまりよろしくしたくないですわ」
ルクシアの呟きは風圧に遮られた。
ゲオルグはほんの十数秒で空高く舞い上がる。低い位置の雲が眼下に見えた。メラルの町がもう小さい。
どこに連れて行く気なのかとルクシアは思ったが、この体勢では聞くに聞けない。
仕方なく、今はされるがままになった。
つづく




