第26話 なんやかんや言ってうちの子が一番かわいい その1
結局、自分のトコに来た子が一番かわいい
優雅なバイオリンとヴィオラの旋律が流れる。重厚なコントラバスの音がそれを支える。大広間の中に人の会話を邪魔しないBGMが流れていた。
人垣を避けて歩くのは一組の男女。
燕尾服のラルフと深い緑のドレスを着たルクシアだ。二人、特にルクシアに気づいた者たちがチラチラと彼らを見る。
「なんか見られてんな」
「わたくしがドレスを着て殿方を連れているのが珍しいんでしょう」
ラルフが小さく言うと、ルクシアも小声で返した。彼女が家族以外の男性と共に夜会に出席したことはない。
「ルクシア様だわ」
「一緒にいる殿方が羨ましい」
「騎士団の正装姿も凛々しいですけど、ドレス姿も美しいですわ」
若い令嬢たちがコソコソと顔を見合わせて盛り上がっている。本人に気づかれぬよう精一杯の小声で話をしているが、何やら盛り上がっている雰囲気は感じ取られていた。
ルクシアがちらりとそちらに視線を送ると、そのうちの一人と目が合った。すぐに反らすのもバツが悪いのでニコッと笑顔を向ける。
笑顔を向けられた令嬢は口元を手で押さえて歓声を口の中だけに留めた。
「お前、何したんだよ」
ラルフが肘で小突いた。ルクシアは変なことはしていない、と言いたげな声色で答える。
「笑いかけただけですわ」
会場の奥の方で、主催者のベルトラン伯爵と夫人を見つけた。二人は歩み寄り、声をかける。
「ベルトラン伯爵、この度はお招きいただきありがとうございます」
ラルフが頭を下げると、ルクシアも同時にお辞儀をした。
ベルトラン伯爵は、はて? と目の前にいる二人を見た。一度も招待したことがなかったラルフと着飾ったルクシアは記憶にないのだろう。
「ラルフ・ベルガーです」
「ルクシア・オルディアーノですわ。お久しぶりです。ベルトラン伯爵」
名乗られて初めて分かったらしい。だが、その視線はルクシアにのみ向けられている。
「ルクシア嬢、先日は大変だったそうだな」
「いえ、優秀な部下たちのおかげで被害は最小限に抑えられました」
ベルトラン伯爵は何かもっと聞きたそうにしているが、ルクシアは細かいことは話そうとしない。下手に尾ひれがついて大きな話にされても困る。
「変異種に襲われたんですって?」
今度はベルトラン伯爵夫人が声をかけてきた。
「はい。ですが、メラルの町周辺では変異種が頻繁に発生しますので珍しいことではございません」
ルクシアは落ち着いた声で返した。変異種多発地域であることは事実だ。
「行方不明になったと聞きましたが、ご無事で何よりですわ」
「ありがとう存じます。ご心配をおかけしました」
ベルトラン伯爵夫人は詳しい話を期待したようだが、ルクシアはお礼を言うだけに留める。
まだ何か聞きたそうに夫人が口を開けた。それより早くルクシアは先手を打った。
「他にもお二人に挨拶をしたい方がいるようなので、わたくしたちはこれにて失礼します」
ルクシアの言葉を合図にして、ラルフとルクシアは一礼してその場を離れた。
「絶対に俺のこと覚えてなかったろ、あの二人」
「そういうお方ですわ」
招待者くらい覚えてろ、とラルフが悪態をつく。ルクシアはため息交じりに答えた。
「あ! 中隊長、ラルフ先生」
ひと段落着いたと思った二人に、聞き覚えのある声がかかった。アランだ。隣には婚約者のキャリル・ストラスバーグの姿がある。金色の髪を綺麗にまとめ上げている。正装に身を包んだ二人は本来の年齢より大人びて見えた。
「アラン様、ここは騎士団ではありませんよ」
「あ……申し訳ありません。つい、癖で」
キャリルの指摘にアランは頭をかく。ルクシアはクスクスと小さく笑った。
「仕方ありませんわ。騎士団として一緒にいる時のほうが長いんですもの」
アランはアハハとはにかむ。ルクシアはキャリルに目を向けた。
「お久しぶりです。キャリル様」
「こちらこそ。アラン様がいつもお世話になっております」
レディ二人が優雅に挨拶を交わす。
その様子を見て、ラルフはキャリルの淑女としての教育が行き届いていることがわかった。丁寧だが淀みのない所作が美しい。
ルクシアもきちんとしているが、比べてしまうとキャリルのほうが場馴れしていないのがわかってしまう。ずっと騎士団の正装で参加していたならそうなるのも致し方ない。
「お二人とも、明日の午前中にお時間を頂きたいのですがよろしいですか?」
ルクシアが尋ねると、アランとキャリルは顔を見合わせた。
「大丈夫、ですが……どうしたんですか?」
アランが聞き返すと、ルクシアは楽しそうに微笑んだ。
「お二人に会わせたい方がいるのです。ハウラー家とストラスバーグ家のどちらに行くといいでしょう?」
「ストラスバーグ家にいらしてください。アラン様も我が家にお泊りですので」
今度はキャリルが答えた。ルクシアはやはり楽しそうに頷く。ラルフは直感的に何か企んでるな、と感じた。だが、聞いても答えてくれないだろう。
そこで会話を切り上げ、それぞれ別の方へ歩いていった。
「さ、挨拶するべき人にはしました。おやつを食べなければ」
ルクシアはそう言って、人のいない軽食やデザートが置かれているテーブルへ足を向けた。ラルフもそれに続く。
色とりどりの小さなケーキがいくつも並べられている。これだけでもお腹いっぱいになりそうだ。
ルクシアは目を輝かせてどれにしようか考える。ドレスでお腹がきついので、数個しか入らないだろう。その厳選が難しい。
ラルフはその間に、給仕から飲み物を受け取っていた。
ルクシアが厳選した三つのケーキに舌鼓を打つ。ベルトラン家の料理人のデザートはやはり美味しい。幸せそうに頬が緩む。
「間抜け面になっているぞ」
ラルフの指摘にルクシアは表情を引き締めた。どこで誰が見ているかわからない。しかし、ルクシアを観察していた御令嬢たちには見られてしまったようだ。
「ケーキを食べて幸せそうなルクシア様、可愛いです」
「可愛さを忘れない大人になりたいですわね」
ラルフと違って間抜け面とは思わなかったらしい。
ルクシアがケーキを食べ終えてお皿を返した時、突然、大広間の一角が騒がしくなった。
「キャリル様! どうか私と結婚してください! こんな男より私が幸せにして見せます!」
仰々しい大声は大広間中に響き渡った。
キャリルの名前を聞いたルクシアは慌てて声のした方へ急ぐ。ラルフも足早についていった。
そこにはキャリルの前で跪いて求婚する淡い金髪の男性と、戸惑うキャリルとアランの姿があった。求婚する男性の後ろには淡い黄色のドレスを着た女性もいる。
「何をおっしゃっているのです? あなたにはセレナ様という素晴らしい婚約者様がいるではないですか」
拒絶の色を含んだ声色でキャリルが言う。淡い黄色のドレスを着た女性がセレナなのだろう。
しかし、男性はフンと鼻を鳴らす。
「このような仕事ばかりの可愛げのない婚約者など私には不要です。婚約は解消します。ですから、どうか私と――」
男性の言葉にセレナがショックを受ける中、アランがキャリルの前に立ちはだかった。
ルクシアとラルフは「お、やるな」と感心した視線を送る。
「カデル様、貴方は何をしているのかわかっているのですか?」
硬い声でアランが言った。いつもの明るさや朗らかさはなく、相手を非難する声だった。
「わかっているさ。お前よりこの私、カデル・ノーマンのほうがキャリル様に相応しい!」
(いや、そういうことじゃないんだけど)
アランは心の中で反論した。婚約者のいるキャリルに求婚するのもそうだが、何より自分の婚約者を大勢の目の前で蔑ろにしていることが問題なのだと言いたい。しかも、この場はベルトラン伯爵が主催の場だ。主催者に迷惑がかかると考えなかったのか。
どう言えば伝わるのか。アランもキャリルも言葉を選ぶ。
その間の沈黙が反論できないと感じたのか、カデルは勝利を確信したような顔になる。
「そうだな、何もせずに相応しいと証明するのは難しい。ならば、次の新人大会で勝ったほうが改めてキャリル様に求婚することにしようじゃないか」
それを聞いたアランは新人大会なんてあったのか、とキョトンとする。そんなお知らせをみたこともなければ、先輩たちから聞いたこともない。
「よろしい。では、我が中隊も今年は参加するよう手続きしましょう」
ルクシアが進み出てそう言った。カデルはニヤリと笑う。
「中隊長!」
アランが驚きの声を上げる。周囲はさらにざわついた。
不意に、荒い呼吸が聞こえてきた。セレナが苦しそうに胸を押さえてうずくまる。ルクシアと二人の令嬢が慌てて彼女に駆け寄る。ルクシアが声をかけるより早く、ラルフも駆け寄った。
ゼェゼェと苦しそうな呼吸に友人らしき令嬢たちは心配そうに背中を撫でている。
その様子を鬱陶しそうにカデルが見下ろした。
「やかましい女だ。そんなに私の気を引きたいのか? ベルトラン伯爵、私はこれで失礼する」
それだけ言うと、カデルは悠々と大広間を後にした。周囲のざわめきなど一切気に留めない姿はいっそ清々しい。
「だ、誰か医者を……」
「騒ぐな! ただの過呼吸だ。安静にしていれば治まる」
ベルトラン伯爵が使用人に声をかけようとしたのをラルフが制した。
「ベルトラン伯爵、どこか休める部屋をお借りできませんか」
ルクシアの申し出にベルトラン伯爵は頷いて、使用人に案内するよう指示を出す。メイドの一人が駆け寄り、こちらへと促した。
すると、ルクシアはひょいとセレナを抱え上げた。「おお」と周囲から歓声が上がる。
「あなた方も、セレナ様についていてもらえますか?」
「も、もちろんです」
セレナの友人たちに声をかけ、メイドに続く。彼女たちがいなくなった後も会場のざわめきは消えなかった。
「あのー、ラルフ先生」
アランがラルフに声をかけてきた。ラルフは「ん?」と振り返る。
「新人大会って、何ですか?」
「入隊して三年目までの奴らが集まって試合すんだよ。内容は毎年違うけど」
新人大会の内容を聞いたアランは固まる。
「え、でも、うちの隊で三年目までって、俺しかいないですよね」
「そうだな」
「俺だけ、出るんですか?」
「だろうな」
まさかの宣言にアランはガクッと膝をつく。聞き耳を立てていたギャラリーが同情の視線を向けた。
「アラン様、しっかり!」
キャリルが慌てて駆け寄る。絶望に打ちひしがれているアランにラルフが尋ねた。
「お前な、よく考えてみろ。十頭のノワールウルフと十人の人間の新人。どっちを相手にするほうがマシだ?」
「あ、人間で」
アランは即答した。ノワールウルフというかシリウスが十頭いるほうが怖い。人間より野獣のほうがよっぽど怖い。なんか頑張れる気がしてきたアランであった。
一方、客室を借りて息を整えているセレナはまだ苦しそうだった。
「ゆっくり息を吐く気持ちで。できなくても大丈夫です。そう心がけて」
ルクシアは冷たくなったセレナの手を握りながら声をかける。友人たちも不安そうにしながらセレナの隣に座っていた。
そのまま十分ほどが経過し、ようやくセレナの息が整ってきた。
「ありがとうございます。ルクシア様」
セレナはゆっくりと息をしながらルクシアを見た。表情はまだ苦しそうだが、呼吸は安定してきたようだ。ルクシアは微笑んだ。
「とんでもございません。あの場であんなことを言われては、仕方ありませんわ」
「そうよ! いきなり大勢の前で婚約破棄を宣言するなんて、信じられない!」
友人の一人が憤った。もう一人も大きく頷いている。憤っているのはルクシアも同じだった。否、あの場にいた女性全員を敵に回したようなものだ。
ベルトラン伯爵夫人もその一人だったようだ。心配してセレナの様子を見にやってきた。
「セレナ嬢、大丈夫ですか?」
「はい。お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
セレナが申し訳なさそうに頭を下げると、ベルトラン伯爵夫人は首を横に振る。
「見苦しいのはノーマン伯爵令息ですわ。女性を何だと思っているのでしょう。ハモンド家に使いを出しました。まもなくお迎えもくるでしょう」
ベルトラン伯爵夫人もご立腹のようだ。
未婚の男女の出会いの場としている会場で婚約破棄と横恋慕を堂々と行うとはさすがに看過できない。
セレナはもう一度静かに頭を下げた。
「セレナ様、お兄様があなたのことを褒めていましたわ」
「え?」
ルクシアの言葉にセレナは驚いて顔を上げた。
「覚えが早くて、何よりやる気がある若手がいると助かる、と。あなたの仕事は必ず誰かが見てくれています。ご自身の仕事に、自信を持ってください」
優しくルクシアが言うと、セレナの目に涙が浮かんだ。セレナは城で文官を務めている。カデルにはその仕事を否定されたが、きちんと見てくれている人がいる。セレナは頷きながら涙を拭った。
そこへドアがノックされた。ルクシアが駆け足でドアへ駆け寄り、開けるとラルフが立っていた。セレナの様子が気になったのだろう。
「どうだ?」
「大丈夫、落ち着きましたわ」
ルクシアは頷いて半身を開いて中の様子を見せる。ラルフがセレナの呼吸が安定しているのを見て頷いた。
「あ、あの、ありがとうございました」
セレナが慌てて礼を言う。彼女がラルフのことを知らないと思い、ルクシアは紹介した。
「彼はラルフ・ベルガー。わたくしの隊で医師を務めております。顔は怖いですけど腕は確かですよ」
「おい、顔は関係ないだろ」
「あら、子供たちに避けて通られるくらいには強面でしょう」
ルクシアの発言をラルフが咎めるが、彼女はクスクスと笑って反省していない。
その様子をベルトラン伯爵夫人は微笑ましく見えている。あの異性を寄せ付けなかったルクシアが穏やかに微笑んでいる。良い男性が見つかったのだと嬉しく思った。
セレナの友人たちも二人のやり取りで緊張がほぐれたのか、顔を見合わせて笑っている。
「こちらでございます」
執事が一人の男性を連れて来た。セレナの父親だと気づいたルクシアはドアを大きく開いて彼を部屋に迎え入れた。
「お久しぶりです、ハモンド男爵」
「……おお、ルクシア嬢か。それで、セレナは?」
ハモンド男爵は部屋の中を見回した。部屋の奥にあるソファに座る娘を見つけ、急いで駆け寄る。
「大丈夫か?」
「はい、ご心配をおかけしました」
父の問いにセレナは頷く。ハモンド男爵はベルトラン伯爵夫人に頭を下げた。
「ベルトラン伯爵夫人、申し訳ない。このようなことになって」
「何をおっしゃいます。非があるのはノーマン伯爵令息ですわ。ねえ、皆さん」
ベルトラン伯爵夫人は周りの女性陣を見回して言った。全員が一様に首を縦に振る。
「あの……新人大会で勝ったほうがキャリル様に求婚すると言っていましたが、大丈夫なのですか?」
恐る恐るといった様子でセレナがルクシアに聞いた。
「御心配には及びません。一対一の決闘と言わない腰抜けに、うちのアランは負けませんわ」
ルクシアの笑顔の奥に、般若が見えた。その場にいた誰もがそう思った。
つづく




