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第2話 通常業務で手一杯な時にイレギュラーなことが起こるとイラっとするのは仕方ないよね


「中隊長ぉー!!」


 朝礼を終えてそれぞれの勤務に就いた頃、適度に雲がある晴れの空を切り裂く悲痛な声が砦に響き渡った。


 声の主は中隊の最年少、アラン・ハウラー(23)だ。

 悲鳴に近いそれは執務室にいるルクシアにどんどん近づいてきた。


 走らせていたペンを止め、ルクシアは顔を上げる。

 同じ机の上でハンコが乾くよう、書類をパタパタさせていたシンディも手を止めてドアを振り向いた。


 執務室のドアをノックとほぼ同時に開け放ったのは予想通りアラン。走ってきたせいで自慢の深い赤の髪が乱れている。


 肩で息をしながらアランはルクシアの机に一枚の書類を置いた。

 一歩下がって背筋を正す彼の顔は真っ青だ。いつもは快活な笑みを浮かべる顔には似つかわしくない。


 その様子を見たルクシアは手元にあった書類を横にどけて、アランが持ってきた紙を手に取った。文面に素早く目を通す。


 シンディも手にしていた書類を置いてのぞき込んだ。


 内容が頭に入った途端、ルクシアはぐしゃりと紙を握りつぶす。


 アランは小さく悲鳴をあげた。紫色の瞳を強張らせながら中隊長の言葉を待つ。


《御主人! まだ読み終わってないの!》


 シンディはルクシアの手を軽く叩いた。ルクシアは机の上に置いて紙のしわを伸ばした。シンディは続きを読み始める。


 ニンゲンの文字を読み書きできる従魔は少なく、シンディのように事務仕事を手伝う従魔など滅多にいない。

 シンディを見た従魔師テイマーが同じボルトスパイダーを従魔にして文字を覚えさせようとしたが上手くいった試しはなかった。


 なぜなら彼女は女性の片手に納まるサイズの頃からルクシアの従魔をしており、ニンゲンに接している時間が長い。


 そして何より、美味しいお酒が飲みたいという欲求が強かった。


 ニンゲンの文字を覚えて自分で店員とやり取り出来るまでになったのは一重に彼女自身の努力の賜物。ルクシアに強制されて覚えたわけではない。


 生き物の本能「食欲」が種族の垣根を超えたのだ。


 ルクシアはアランを見上げ、苦いとも渋いとも表現しがたい顔をした。


「どうしましょうか」

「こっちのセリフっす、それ」


 アランも眉毛を八の字にして答える。今にも泣きだしそうなくらい情けない顔だ。ルクシアも露骨なため息を漏らす。


 すると、アランの悲鳴を聞きつけた面々が執務室にやってきた。


「中隊長、どうしました?」

「アラン、中隊長を困らせんなよ」

「何事だ? 朝から騒々しい」


 ぞろぞろ入ってきたのは長身の男性三人だった。


 決して広くはないこの執務室に身長180cmオーバーが三人は圧迫感がある。成人男性だが、160cm半ばのアランが可愛らしく思えてくる。


 暑苦しいですわ、と思ったがルクシアは声にも顔にも出さなかった。伯爵令嬢ですもの、それくらいのポーカーフェイスはできます。


 最初に入ってきたのはルクシアの副官を務めるジェラルド。その手には書庫から持ってきたのであろう資料があった。


 ジェラルドに続いたのは日に焼けた肌とその巨躯が特徴的なマクシムだ。

 一見すると筋骨隆々で豪快そうな彼だが、まだ若者が多い隊員たちのことを常に気に掛ける優しさを持っていた。討伐班のまとめ役を担っており、平民出身も貴族出身も裏表のない彼を慕っている。


 最後に顔を出したのは、目の下の隈がうっすら消えない強面だった。ただでさえ色白なので隈が際立っている。

 中隊の医師を務めているラルフだ。夜勤明けで今から寝ようとしていたところを妨害されたらしい。いつも以上に不機嫌だ。


 顔立ちは整っているのにこういう顔をするからご近所さんに怖がられるんだよな、とアランは常々思っていた。


 だけど言わない。言えない。怖いから。


 ルクシアは椅子から立ち上がり、シンディが読み終えた書類を三人に突き出した。


 しわしわになったそれを真ん中にいたマクシムが受け取り、両脇からジェラルドとラルフが覗き込む。おっさん三人がギュッとなる図はシュールだ。


 そしてほぼ同時に三人は顔をしかめた。書類にはこう記されていた。



「合同演習のお知らせ」と。



 ルクシアを目の敵にする第五師団大隊長のひとり、バルド・ハーゲン(通称:あの上官(クズ))が自身の隊とオルディアーノ中隊の合同演習を実施すると言ってきたのだ。


 しかも、メラルの町周辺で。

 演習場所はこちらに任せると丸投げしてくるあたり腹立たしい。


「なんて面倒な……」


 思わずジェラルドの口から本音が漏れた。マクシムも同じようなことを思ったようだ。


「こいつら実戦経験ほぼないだろ。大丈夫なのか?」

「そのための演習、だそうですわ」


 ルクシアは答えてため息をついた。オルディアーノ中隊はかなり規模の小さい中隊だ。

 故に、仕事は常にカツカツ。ルクシアとジェラルドはもちろん、マクシムのような年長者が若手を気にかけてなんとか回している。


 さらにオルディアーノ中隊が駐在しているメラルの町は何故か野獣の変異種が発生しやすい場所であり、戦闘力も求められる。


 新人をほとんど受け入れない理由はそこだった。新人の頃からオルディアーノ中隊に配属され、今なお隊にいるのはアランくらいだ。他は辞めるか、すぐ異動させた。


 そんな状態の中隊でロケハンに行く余裕がある者などいない。


 ジェラルドの眉間に海溝の如きしわが刻まれる。

 そこへ一つの提案があった。ニヤリと意地悪く笑うのは我らが強面美形医師だ。


「だったら早々にケガさせて俺のところに連れてこい。適当に手当てしてベッドから出られなくしてやるよ」


 本当にベッドから出さないであろうことは容易く想像できる。


 アランは「その手があったか」と言わんばかりに目を見開き、中隊長に顔を向けた。


「中隊長、その方向で工作していいですか?」

「おやめなさい。貴方ではまだ痕が残ります。チヨにも言ってはいけませんよ」


 ルクシアは首を横に振った。そんな事するなと言わないあたり、彼女もそうしたいのは山々のようだ。


 それから工作班の班長には内密にするよう口止めも忘れない。効果がどれほどあるかはわからないが。


「となると、シリウスは隠れてもらっていたほうがいいですわね」

《あの上官(クズ)、シリウスを見る目つきが嫌らしいの!》

「それは同感だ」


 ルクシアの言葉に、シンディとラルフが答える。ジェラルドも仕方がないとばかりに頷いた。


 アランは彼らの同意の意味が分からないらしく、きょとんとしていた。それに気づいたマクシムが彼の肩を叩く。


「あのオヤジ、娘がノワールウルフが欲しいっていうもんだからシリウスに目ぇつけてんだよ」


 アランは「うえ」と顔を露骨にしかめた。


「いや、無理っしょ」

「従魔契約を正しく理解していない貴族は多い。俺も中隊長やシンディから詳しく聞くまでは知らないに等しかった。授業で得られるものはごく一部の知識でしかないのだと思ったよ」


 ジェラルドが諭すように言った。彼らは同じ学園を卒業している。在学期間は重なっていないが先輩後輩だ。

 アランは先輩の言葉に頷く。事実、彼はここに配属されてから知らないことだらけだったと実感した。


 マクシムはため息をついてもう一度、書面に目を落とす。


「しっかし、何がしたいんだろうなぁ、あのオヤジ。俺たちと自分の隊で演習。しかもこっちで」


 ジェラルドは手にしていた資料をルクシアの机に置きながら鼻で笑った。


「難癖つけたいだけだろう。女性が高い地位に就くのがお嫌いのようだ」

「手前ェよか、うちの中隊長のほうがよっぽど優秀だっての」


 アランは吐き捨てるように言った。バルドは経験が少ないアランでも、態度や言葉の使い方などから信用に足らないと判断できる人物だ。騎士団内でも貴族の社交界でも評判はかなり悪い。


 対してルクシアは闇の精霊の加護と武具の女神の祝福を持つ実力者であり、指揮官としての実力も徐々に評価されている。


 社交界では行き遅れだの、変わり者だのと言われて、ルクシアは変な見合い話にウンザリしていた。

 本人の耳に入る前に母や兄が断わった数を入れればかなりの数になる。


 そこへ家族の他に、ルクシアを妹のように可愛がっている帝国騎士団第五師団長クラウス・ファーレンハイトまで加わるものだから最近はようやく沈静化してきたところだ。


 ルクシアは話を前に進めようと、パンと手を叩いた。


「とにかく、ちょっとピクニックでもすれば満足する輩です。野営地はクアオ川の近くの草地で良いのでは?」

「確かにあの辺りはこの時期、ジュエルタートルがぽつぽつ現れるからな。お貴族様たちにはちょうどいい相手か」

「宝石狩りでもさせりゃ、満足して帰るだろ」


 ニヤリと笑ったのはマクシムとラルフだった。自分の考えが通じて満足だったのか、ルクシアもニッコリ微笑んでいる。


 ジュエルタートルは背中の甲羅が結晶化して宝石のようになっている亀型の野獣だ。

 食べたものが身体の中で長期間蓄積されてようやく体表に現れるため、人工的に飼育してその宝石を大量生産するのは不可能である。


 しかし、結晶が大きくなりすぎると、自重で動けなくなってしまい最終的に死んでしまうこともある。

 その宝石のような甲羅は植物の育成に必要な栄養素が含まれており、砕けいて撒けば肥料になる。


 メラルの町では年間の数を決めて討伐を行っていた。ちなみに、宝石としての価値は無いに等しい。


「あいつらの甲羅、めっちゃ硬いから『戦った』感は半端ないっすよね」


 アランも賛成するように頷いた。


「っていうか、倒せるんですかね? あっちの隊の奴ら」と、アランは首を傾げた。


 オルディアーノ中隊もいるとはいえ、野獣と戦い慣れていない者には荷が重い相手だ。


 事実、アランには入隊して間もない頃、新人たちだけでジュエルタートルに挑んで惨敗した記憶がある。戦績は半日かけて甲羅がいくらか砕けたのみ。宿舎の片隅にある小さな家庭菜園分の肥料にしかならない量だった。


 対峙したジュエルタートルは背中がスッキリして満足気に帰っていった。


 自分たちの全力の攻撃がジュエルタートルにとってはマッサージ程度だったことにショックを覚え、より一層、鍛錬に励んだのはアランだけだ。

 だから、ルクシアは彼を隊に残したのだ。


「そこが我々の腕の見せ所だ」


 遂にジェラルドまでもがニヤリと笑った。


 その笑顔と怪しく光る眼鏡に恐怖を感じたのか、アランは小さな悲鳴をあげてマクシムの背中に隠れる。マクシムは「慣れろ」と苦笑いだ。


「奴らが倒したようにみせかける。そうですよね?」


 ジェラルドが確認するようにルクシアを振り向く。中隊長はニッコリと満面の笑みを浮かべていた。


「では、方向性が定まったところで各班への伝達をお願いします」


 中隊長の言葉に、一同は敬礼をして応えた。


 皆が部屋を出ていくと、ルクシアはドサッとだらしない格好で椅子に身体を預けた。


「ほんっっっとにやってられませんわー。何で他の隊の面倒まで見なければなりませんの?」


 もう彼女の口からはため息と愚痴しか出てこない。


《あいつ、噛み砕いていいか?》


 シリウスが低く唸りながら机の影から顔を出す。あいつ、とは大隊長のことだ。


 ルクシアは優しくその頭をポンポンと叩いた。


「その時が来れば、腕の一本や二本は噛み砕いてよろしくてよ」

《そんな重労働するより私が吊るし上げてやるの!》


 シンディは足を二本振り上げて地団駄を踏む。彼女も大隊長のことは嫌いのようだ。


「わたくしがぶん殴った後ならよろしいですよ。大事な従魔を虫けら扱いするような輩など、すり潰してやりたいくらいですわ」


 ギリッとルクシアの拳が強く握られる。その威力は見た目以上だ。体術が得意な兄に鍛えられて、素手でもある程度は戦える。


 いや、結構戦える部類だろう。

 二人とも酔っぱらっていたとはいえ、重量級のマクシムを綺麗に投げ飛ばしたことは未だに隊の中で語り継がれている。


 そしてこう言ったと伝えられている。


「お兄様はもっとお強くてよ」


 おほほほほ、と貴族令嬢らしくお淑やかに笑って見せたが、行動と言葉がお淑やかではなかった。


 天才を超えてもはや「規格外人類」のひとりに数えられているルクシアの兄を知らぬ者はいない。

 国内最高峰の従魔師(テイマー)である。ただ、従える規模が動物園をはるかに超えており、本人も何匹と契約したかもう覚えていないらしい。


 従魔契約は命名と承諾によって交わされえる。本人同士の合意のもと、契約解除もできるが、契約した従魔が主にふさわしくないと思えば逆に襲われることもある。


 その点、ルクシアとシンディ、シリウスの関係は固い信頼で結ばれていた。


 野獣は一人の人間としか従魔契約を結べない。故に、大隊長バルドはシリウスを手に入れるためルクシアが邪魔なのであった。


『ルクシア、物騒な話はそれくらいにして早く書類終わらせようよ』


 ふわりとデスクの前に現れたのは長身の黒髪の青年だった。ルクシアに加護を与えた闇の精霊。個人名はファントムだ。


「あら、聞いていましたの?」と、目を丸くするルクシア。

『うん。ちょうどこっちに来たら話し込んでたから待ってたんだ』

「部屋に入ってくる分には構いませんのに」


 ちょっと気弱な言い分にルクシアは困った顔をする。

 彼の欠点はちょっと消極的で押しに弱いところだ。

 濃い紫色のローブから出ている白い手が面目なさそうに頭をかく。


「まあ、ちょっと人数が多かったですものね」

『うん……僕まで来たら狭いなって』


 彼の良いところはこういうちょっとした気遣いができるところ。と、ルクシアは思っている。


 ただでさえむさ苦しい状況にラルフに並ぶ長身のファントムまで登場したら部屋の面積がさらに狭くなったことだろう。

 あと、ファントムは人見知りなので未だに隊のみんながいる場所には出たがらない。


『ところで、大丈夫? あの人、嫌みしか言わないし、指揮が執れるとは思えないんだけど』


 ファントムが不安そうに尋ねる。


「無理でしょう」

《無理なの》

《無理だな》


 同じ答えが三つ返ってきた。ファントムは苦笑いを浮かべる以外の反応ができない。


「袖の下で大隊長の地位を手に入れたようなものです。戦闘能力はもちろん、指揮官としての能力などないに等しいお方ですわ」


 肩を落としながらルクシアが付け加える。


 袖の下、つまり金にものを言わせて大隊長の地位に就いたのだ。

 その無能といっても過言ではない上官とその部下を面倒見るなど重労働以外の何物でもない。


 特別手当が欲しいくらいだ。


「あー。さっさと終わらせて今日は休みますわ」

『それがいいと思うよ』


 ルクシアの「お疲れ具合」を察していたファントムは彼女の決定を肯定した。シンディもすぐに事務作業のお手伝いを再開する。シリウスは机の影に戻っていった。


 ファントムは執務室の端にある長いソファにゴロンと寝ころんだ。


「あなたこそオツカレなのではなくって? 何かありましたか?」


 ファントムに目は向けずにルクシアが訪ねた。彼は少し考えるそぶりを見せて口を開く。


『んー、種族会合があって、ちょっと疲れただけだから大丈夫』


 同族だろうとなんだろうと、他人と長時間接するのが苦手な彼には会合などというたくさんの人が集まる場は苦手なのである。


「精霊王は大変ですわねぇ」

『いらないじゃん。精霊王のあいさつとかさ。どこかの種族と争っているわけでもないんだから言うこと何もないよ。精霊界は平和なんだから』


 うじうじと愚痴をこぼすのは紛れもない闇の精霊王の姿であった。


 つづく

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