エピローグ 私と姉様の幸せのために
それから卒業式まであっという間だった。二年生は全員参加だが、一年生は希望者のみ。とはいえ親しい知り合いの中で不参加を選んだのはルカ君くらいだった。そう、つまりはテランス君まで参加する。
姉様が参加するなら私とエリクとヘルガ、ヘルガが参加するならフェリクスさんも参加するだろう、ということは予想していた。そして生徒会長であるシャルル先輩の答辞があるから、マリーちゃんたちは当然来るだろうとは思っていたのだが、テランス君まで来るとは予想外だった。……あんまり三年の先輩と付き合いがあったようには見えなかったんだけど。
「テランス君が今日参加することにしたのって、私が参加するからだったりしますか?」
講堂に向かう最中にこそっと冗談交じりに訊いてみれば、「そんなわけないだろう」と鼻で笑われた。うん、まあそうだろうな。気分を害した様子はなかったので、私が冗談として訊いたのも伝わっていたようだ。……テランス君とこういうやりとりをするたびに、初めの頃を思い出してちょっと感動してしまうのをどうにかしたい。
つい笑ってしまいそうになるのをこらえて、テランス君の話を聞く。
「ただの下調べのようなものだ」
「……ああ、次期生徒会ですもんね」
「何を他人事のように言っている。セレネもあれだけ長く休んでさえいなければ、そうなったはずだろう」
「はは、そうですね……」
あまり興味がなかったから意識していなかったのだが、この学院は生徒会選挙が三月の初めにある。……いや、選挙というのは正しくないか。立候補制ではなく、基本的に前生徒会からの推薦制だから。一応信任投票という形で決は採るものの、推薦を受ければ生徒会入りは確実なのだ。生徒会長だけは、次に三年生になる学年の中から生徒全員の投票で決めるみたいだけど。
テランス君は二月の初め辺りに話を受けたらしい。全体的な成績と魔法コンクールでの活躍、その他諸々から見て選ばれたのだとか。そして三月初めの選挙で見事生徒会副会長になったらしい。……二月初めから三月初めって、その時期ちょうど、私まるまる休んでたんだよね……。それがなければ私も推薦を受けていた可能性が高い。
「その節は申し訳ありませんでした……」
「まったくだ」
たぶんテランス君は、私と一緒に生徒会に入りたかったんだろう。少し思い上がりが激しいかもしれないが、あながち間違ってもいないと思うのだ。魔法コンクール以降、それだけ親しくなれた自信がある。
……ヘルガ曰く、今の私のテランス君との関係は、『テランスルート』の友情エンドに近いものらしい。
しかしもう、そんなことは知ったことではなかった。もう世界に振り回されてやる気はさらさらないと昂然と言えば、ヘルガには「この前までのあなたとは別人ね」と笑われた。
なおヘルガも「まあわたしも同意見だけど」と言っていたので同類である。そう言うなら早くフェリクスさんの気持ちに気づいてあげてほしい、とは言わないでおいた。
そして本当に転生者仲間だったサーラちゃんはといえば、「モブがでしゃばってごめんなさい……」となぜか落ち込んでいた。もう少し仲良くなりたいのだが、私にもヘルガにも遠慮しっぱなしでちょっぴり困っていたりする。
講堂に着いて、並べられた椅子に座った。二年生はすでに入場していて、一年生はAクラスから順に入場する。最後の入場が三年生になるのだが、それまでは普通に喋っていてもよく、それなりに賑やかな雰囲気だった。
これならきょろきょろしても怪しまれないだろう、と後ろを向いて講堂の扉をじーっと見る。一年生の参加者は多くもないが少なくもない、ほどほど、といったところだ。それなりにすぐCクラスの人が入ってきたので、目が合った姉様、ヘルガ、フェリクスさん……それからエリクに、小さく手を振った。あ、皆振り返してくれた。
ふふ、と笑ってから前に向き直れば、すぐ隣からも小さな笑い声が聞こえた。
「……テランス君、今のはエリクに振ったわけではなく、姉様たち皆に対してで」
「何も言っていないが?」
「うっ……」
エリクと恋人になったことは、テランス君やマリーちゃんたちにはすぐ報告した。おかげでこうして、ちょっとしたからかいを受けるようになってしまった。
……笑い声は聞こえないけどもしかして、とおそるおそるマリーちゃんたちの方に視線をやれば、三人揃ってにやにやとこちらを見ていた。あ、後で言い訳しておこう……!
熱くなった顔を隠すように、ちょっとうつむく。
テランス君とマリーちゃんたちにはそれぞれ別のときに報告したのだが、四人ともすごく喜んでくれた。特にマリーちゃんたちはこちらが恥ずかしくなるくらいにはしゃいでしまって……今思い出しても、嬉しいけど恥ずかしいな。
もちろん、私が一番に報告したのは姉様だったけれど。
あの夜エリクと別れてから、私はその足で姉様の部屋に向かった。姉様は私の顔を見た途端、「よかったぁ……」と泣き出してしまって、私までもらい泣きしてしまったのだった。
「……あ、始まりますね」
管弦楽のチューニングの音に、辺りが一斉に静まる。
そしてどこか懐かしい音楽が響き始め、卒業生たちが入場してくるのとともに拍手を始める。シャルル先輩は主席なので、その先頭にいた。
私たちの傍を通るときに目が合い、ふっと微笑まれる。……び、びっくりしたぁ。答辞を読むという大仕事が待っているというのに、先輩は緊張している様子がまったくなかった。さすが生徒会長。
『一同起立、礼』
入場が終わると、号令がかかった。
開式の言葉とともに、卒業式が始まる。石月千湖が経験した卒業式は小学校と中学校のものだけだが、あまり流れは変わらない気がした。まあ、ほぼ覚えていないから、気がした、程度なのだけど。
国歌斉唱、卒業証書と新しい三角帽子の授与、学院長の式辞、在校生代表の送辞、シャルル先輩の答辞――シャルル先輩は堂々と見事に話してみせて、卒業生にも在校生にも、そこかしこに泣いている人が見受けられた。私も雰囲気に飲まれて少し泣きそうになってしまった。
『――最後になりましたが、支えてくださった方々に、改めて心からの感謝を申し上げるとともに、この魔法学院がこれからもすばらしい歴史を刻んでゆかれますことをお祈りし、答辞の言葉とさせていただきます』
シャルル先輩がそう締めると同時に、講堂の中にキラキラした光が振りまかれる。
雪のように舞い落ちるもの、美しい軌跡を描くもの、流れ星のようにきらめいてすぐに消えてしまうもの……一瞬それらすべてが学院の演出なのかとも思ったが、先生方も把握していなかったらしいことは反応を見ればわかった。
つまりはシャルル先輩の魔法、シャルル先輩の独断。
わあっと巻き起こった歓声の中でもはっきりと聞こえる声で、最後に自分の名前と年月日を宣言し、先輩は礼をして舞台を降りた。……かっこいいなぁ、と素直に思った。
その後は学院歌を歌い、先生の閉式の言葉を聞いて、卒業式は終わった。退場していく卒業生を、入場のときと同じように拍手をして見送る。
またシャルル先輩と目が合ったので、今度はこちらから微笑んでおいた。私がさっきびっくりしたように、向こうもびっくりしたらしい。わずかに目を見張った後、小さく会釈をしてくださった。
「……二年後には、テランス君があそこに立つんですね」
「そうだな」
当然のようにうなずいたテランス君に、ちょっと笑ってしまう。テランス君の中で、生徒会長になるのはもう決定事項なんだろうな。負けず嫌いだし。
……張り切りすぎて、最後に派手すぎる魔法を使ったりしないかな。そこだけが心配だけど、二年後の卒業式が楽しみになった。
全員の退場が終わると、講堂は出入り自由になる。基本皆講堂に戻ることになるので、退場する意味はあるのか? とも思うが、まあそこは形式重視、ということなんだろう。
三年生との学院での最後の会話――になるので、姉様やエリクと一緒にシャルル先輩のところへ行こうとした、のだが。……シャルル先輩の人気はすさまじかった。知っていたつもりだったが、想像以上の人気だ。
どれくらい本気の人がいるのかはわからないが、おそらく告白のためであろう列ができていて、その長さに姉様たちと顔を見合わせてしまった。告白のためじゃない人も混ざってるんだろうけど……き、狐ってここまで人気あるんだ、と思わず以前までの呼び名でそう思ってしまった。
これはしばらく待っていたほうがいいだろう。二言三言交わしているだけのようだし、長蛇の列とはいってもそこまで長い時間はかからない、はずだ。
対応しているシャルル先輩は、嫌そうな雰囲気を出してはいるものの、一応丁寧に返事をしているようだった。
「あれも、セレネのおかげかなぁ」
一緒に来ていたマリーちゃんがぽつりとつぶやくと、ナタリーちゃんとベラちゃんまで同意し始めた。
「そうかもしれないわね。ディアナのおかげもあるかもしれないけど」
「セレネちゃん、このー、このこのー」
「え、どういうことですか?」
「前までのシャルル様なら、ああいうのはいちいち返事したりしないってこと」
……確かにシャルル先輩の印象は、この一年で大分変わったけど。それは私の認識が変わっただけ、だと思っていたのだが、三人の反応からすると違うんだろうか。
私が困惑している間に、ナタリーちゃんとベラちゃんがマリーちゃんのことをせっつく。
「マリーはあそこに並ばなくていいの?」
「そうだよ、最後のチャンスだよー」
「あはは、するわけないじゃん。だってシャルル様だよ? 二人もわかるでしょ」
ないない、と笑って首を振ったマリーちゃんは、空元気のようには見えなかった。それどころかどこかすっきりとした雰囲気で、シャルル先輩のほうを眩しそうに眺める。
「……うん、やっぱりあたしはいいや」
「ま、あんたがいいならいいけどね」
「確かに、ファンクラブ会長としては応援できないしな~」
「ちょっと待ってベラ、ファンクラブ会長はウチなんだけど」
「それ言うならマリーちゃんだよ! ファンクラブやめちゃったけどねぇ」
「うっ、そ、それはごめんだけど、あー、そもそもファンクラブも非公式だし!」
「へぇ、そういうこと言うのね」
三人で盛り上がってきたので、私は少し苦笑い気味に身を引いた。シャルル先輩についてなら、私が会話に入る隙はない。いつもなら私のことも気にしてくれるけど、今日は三人ともそこまで気を回す余裕はないだろう。
姉様とエリクの近くに寄ると、姉様がくすくす笑っていた。
「やっぱり楽しいお友達だよね」
「……そうですね、仲良くなれて本当に良かったです」
姉様離れを持ちかけられ、早く友達を作らなくちゃ姉様成分が足りない! と焦っていたあのときはどうなることかと思ったけど。結果、こうして三人と仲良くなれたのだ。成績順のクラス替えなら来年もたぶん同じになれるだろうし、もっと仲良くなれたら嬉しいな、と思う。
そのままシャルル先輩の列が短くなるのを待っていたら、姉様が「あ」と声を出した。
「ちょ、ちょっと、その、行ってくるね……!」
そうはにかんで、私とエリクの返事も聞かずに走って行ってしまった。向かう先にいるのは、セルジュ先生。
……今日は卒業式で忙しく、あまりお話しできなかったんだろうな。見かけたら話しにいきたいのも当然だろう、と微笑ましく見送った。
――さて。姉様の告白はどうなったのか?
当然と言えば当然かもしれないが、見事成功した。
とはいえ、セルジュ先生は一度断りかけたらしい。自らの気持ちを告白したうえで、姉様の告白を受け入れられない理由まで丁寧に説明して。……そこで姉様も、無理強いはできないと引き下がりかけたらしいのだけど。
最後にぽろっと、セルジュ先生が私との会話を少し零したのだという。私がセルジュ先生を応援するような言葉をかけた、とわかった姉様が、そのまま引き下がるわけがなかった。
『すごい困らせちゃったんだけど……でも、恋人になってくれるって』
幸せいっぱいの笑顔で、姉様からはそう報告を受けた。
というわけで姉様とセルジュ先生は恋人になったのだが、在学中はキスもなし、周りにばれてもいけない健全なお付き合いである。今後についてはすでに父様も交えてお話ししたようなので、私としては安心だ。
……いや、安心といってもやっぱり複雑なんだけどね? そこはもう仕方ない。いつかセルジュ先生のことをお義兄さまと呼ぶことになる可能性を考えると、すごくすごく血の涙を流したいような気持ちだけど! ……仕方ない!
前の世界の常識から考えると、女子高生と付き合う二十四歳って……と思ってしまうが、この世界ではそれほどおかしい話でもないのだ。先生ご本人は気にしていたようだけど、問題はない。
姉様をあれだけ好いてくださっているし、尊敬できる先生だし、何より姉様がセルジュ先生のことを好きなのだ。だからどうか、これからずっとその関係が続けばいいな、とは願っている。
……いつか純粋な気持ちで二人を祝福できればいいな。
「…………そ、そういえばヘルガとかフェリクスさんはどこ行ったのかな」
姉様が行ってしまえば、私はエリクと二人残されることになる。ぎこちなく適当な話題を出せば、「自分たちがお世話になった先輩のところじゃないかな」ともっともな答えを返された。ですよね。知ってる。
知ってるけど、どうにもなんだか気まずくて、そんな下手な話題しか出せなかった。恋人の距離感、というものを測りかねている。主に私が。……エリクは自然体だから、なおさらどうすればいいのかわからないのだ。
「ええっと、えっと、ヘルガとフェリクスさんも早く恋人になってほしいね……」
「そうだね。……無理に話そうとしなくて平気だよ? 普通にして、って言っても今はできないだろうし」
よくおわかりで!
うぅ、と呻き声を上げれば、エリクが笑った。
「いつまでだって待てるから、焦らないでね」
「……なんでそんなに余裕あんの!?」
「そう見えるようにしてるだけだよ」
にこにこ言われたって信用ならない。
……でも確かに、と私に告白をしてくれたときを思い出す。あのときのエリクは照れてる様子も緊張している様子も見せなかったのに、実際は手が震えてしまうほどに緊張していた。
だからそれを考えれば、今だって本当は余裕なんてないのかもしれない。
……ちょっと気になって、エリクの右手を両手で軽く握ってみた。うーん……震えはなさそうだし、体温もふつ……う?
熱くなってきた手に、そろっと視線を上げてみれば。少し顔を赤くしたエリクと、目が合った。
「……それをやって照れないのがわからないなぁ」
「てっ、あ、いや、手、手が! 震えてないかなって! ほんとは緊張してたりしないかなって!?」
「うん、それを確かめてるんだろうなっていうのはわかるけどね? どうぞ存分にお確かめください。さすがにもう震えるレベルで緊張したりしないよ」
苦笑いされ、いたたまれなくなった。慌てて手を放してエリクから少し距離を取る。……離れる必要まではなかっただろうけど、その、なんとなく。
そのまま無言で数分が経つと、シャルル先輩の列がなくなるより先に姉様が戻ってきた。
「お話はできましたか?」
「うん!」
「……よかったですね」
相槌にトゲが混ざってしまったか、と少しひやりとしたが、ご機嫌な姉様は気づかなかったようだった。助かった……。
それから周りの人たちをぼんやり眺めながら、十数分。全員の対応を終えたシャルル先輩が、私たちのほうに向かってきた。どうやら私たちの位置は把握していたらしい。
「ご卒業おめでとうございます、シャルル先輩」
私たちの挨拶に、先輩は「ありがとうございます」と表情を和らげた。先ほどまでは辟易としていたようだが、私たちとの会話は苦にはならないらしい。……まあ、そうじゃないと向こうから来たりしないか。ちょっと嬉しいような、照れるような。
ちなみにシャルル先輩には、エリクとのことを話してはいなかったのだが、この前の最後の魔法実技の授業でばれた。たぶん私の態度がぎこちなかったせいだろう。
先輩は私とエリクを見比べて、どこか面白がるような表情で口を開いた。
「エリクに愛想を尽かされないように気をつけてくださいね?」
「……ご心配いただかなくて結構です!」
反射的に言い返してから、これはかなり恥ずかしいことだったのでは、とはっとする。エリクに愛想を尽かされることなんてありません、という意味に取られても仕方ない。
エリクはまた苦笑いしていて、シャルル先輩の表情にもなぜか苦みが加わった。
「……ミミルもまとめて、と思いましたが、彼はいないようですね。まあ仕方ありません」
そういえば、と辺りを見回す。シャルル先輩の仰るとおり、ミミル先輩の姿は見当たらなかった。……卒業式にはいたはずなんだけど。卒業式は強制だから参加した、というだけだったのかもしれない。やっぱり不思議な人だよなぁ、と思うとともに、来年も親しくできたらいいな、と思う。
シャルル先輩に視線を戻せば、それを待っていたかのようにエリクに向けて話し始める。
「エリク、君は最初から戦闘のセンスも魔法のセンスも優れていました。この二人のこととなると冷静さを失うこともありましたが、それさえなければ完璧といってもいいでしょう。この一年間、君にはとても助けられました。ありがとうございました」
「……いいえ、そんな、もったいないお言葉です。こちらこそありがとうございました。シャルル先輩と一緒に戦うことができて、僕も勉強になりました」
次に先輩が声をかけたのは、姉様。
「ディアナさん。最初は正直、他の三人と比べるとどうにも甘さや弱さが目立ちましたが……貴女の成長は目覚ましかったです。そしておそらく、これからも成長を続けていくのでしょうね。陰ながら応援していますよ。貴女も、一年間ありがとうございました」
「わ、私こそありがとうございました!」
シャルル先輩にこんなに褒められるなんてことは今までなかったからか、姉様が感動したように目を輝かせる。……最初は正直、のくだり必要だった? 褒めるなら本当に褒めるだけでよくないですかね?
少々むっとしながら、私に向けられる言葉を待つ。私にだけ何も言わない、ということはさすがにないだろう。
予想通り、シャルル先輩は私に視線を移した。
「――セレネさん」
シャルル先輩に、これほど優しい声で名前を呼ばれたのは初めてだった。
……うん? あれ? というか、名前を呼ばれること自体これが初めて……? いやいや、そんなはず、そんなはずないよね? 忘れてるだけでたぶんある、はずだ。思い出せないけど。
まあ今は関係ないことだ、と頭から振り払って続く言葉を聞く。
「どうかお元気で。それから、幸せに、なってください。そのためにはカレンと共に、力を貸しましょう。いつでも言ってください」
「え、っと……? は、はい、ありがとうございます」
他二人とは毛色の違うことを言われ、しかもシャルル先輩がまた微笑んでいたものだから戸惑ってしまう。……どういうことだ?
シャルル先輩はそんな私の耳元に顔を寄せると、小さく囁いた。
「――不本意ながら、私は貴女のことが好きだったようですから」
「…………え」
「ああ、返事は不要です。それでは、また」
ぽかん、としている間に、シャルル先輩は行ってしまった。囁き声は小さかったが、近くにいた姉様とエリクにだけは聞こえていたらしい。姉様は驚きつつもおかしそうに笑いをこらえていて、エリクは思いきり顔をしかめていた。
「……やっぱりシャルル先輩、要注意だな」
「え、え?」
あ、え、え……ええ、えええええっ!?
相当遅れて、今何が起こったのかを理解した。途端に顔に熱が上ってくる。遠ざかった先輩の背中をあわあわと見ても、振り返ってくれることはなかった。
す、好きって、いつの間に!? なんで!? 本気でなんで!? 私先輩に何したっけ!? いがみ合ってた記憶ばっかりなんだけど!! はっ、カレン様もしかして先輩の気持ち察してたりした!? だからあんなこと仰ったの!?
後輩として好き、という意味じゃないのは、返事は不要という言葉からわかる。さっきのはつまるところ、愛の告白、というやつで。
……待って、返事は不要? わ、私はこれからどうすればいいの? エリクと付き合ってるのは先輩も知ってるんだし、だから不要だって言ったんだろうけど……だからってちゃんと断らないわけにはいかない、よな。次会えたときにでも返事しなきゃ、だよ、ね? あっ、マ、マリーちゃんになんて言えばいいんだろう、どうしよう、ナタリーちゃんとベラちゃんに相談するべき!? それともヘルガかな……!
……っていうか。
「エ、エリク、やっぱりってどういうこと……!?」
「んー、さあ」
「さあって何!?」
「ふふ、やきもちだよ、セレネ」
こう見えてエリクってちょっと嫉妬深いんだよ、と姉様がくすくす笑う。
しっと。……エリクが、嫉妬深い。え、全然繋がらない……エリクが嫉妬……?
目を白黒させていれば、エリクが姉様に向けて困ったように小首をかしげる。
「それ言っちゃうの?」
「もうこういうの我慢する必要ないでしょ?」
「……え、ええ?」
「よかった。やっぱりその様子だと、今まで一回も僕の嫉妬に気づいてなかったんだ?」
「…………ええええ?」
いつ、いつされてたんだ……。エリクが私のことだけは好きにならない、って思い込んでたから仕方ないんだけど、嫉妬してくれてたのに気づいてなかったなんて、もったいないことをした気分だ。
悔しさに拳を握り、「そっ、それなら!」と反撃を開始する。
「エリクだって私の嫉妬に気づいてなかったんじゃない!?」
「え。……あれ、あー、そっか、あー……たまーに、家族が取られそうな気でもしてるのかなぁ、って嫉妬っぽいのは感じてはいたんだけど……あれって、ああ……うん……気づいて、なかったね……」
「ほらやっぱり!」
軽く手で顔を覆ったエリクに、得意顔で胸を張る。……いや、胸を張れることじゃないけどね。今までいっぱい嫉妬してたんだよ、というただの恥ずかしい暴露だ。
ちょっと頭が冷えてしまったので、得意顔も胸を張るのもやめる。今のは完全に自爆だった。頭がいっぱいいっぱいになってたからって馬鹿すぎる!
「私から見たら、二人ともすごくわかりやすかったけどなー」
そう言ってにこにこ笑う姉様が最強、というわけだった。
私はエリクと顔を見合わせて――それから、同時に吹き出した。
……こうやって大好きな人たちと笑い合えるってすごい幸せだな、なんて思う。そう思うと、小さな笑いが止まらなくなってしまった。
そんなふうに、笑っている私を見て。
にこにこしていた姉様は、更に幸せそうな笑顔を浮かべたのだった。
* * *
心配性で、優しくて、綺麗で、可愛くて、天然で、単純で、その単純さで人を救ってしまう。でも本当はそんな単純なんかじゃなくて、自分のことも他人のこともよく見ていて……誰よりも私の幸せを願ってくれている。
それが、私の大好きな姉様。たった一人の、大事なお姉ちゃん。
姉様の幸せのためなら、私なんてどうなってもいいと思っていた。この世界に不要な、私自身が幸せになる意味など何もないのだと、そう思っていた。
だけど、違ったのだ。
姉様の幸せのためには、まず私が幸せにならなきゃと思うのは、きっと……ううん、絶対、自惚れではないから。
だから私は、セレネ・ヴィヴァーシェ・ムーンとして――私として、私のために生きていく。
そして毎日、伝えよう。ありったけの感謝をこめて。
「姉様、大好きです!」
これにて完結となります。
長い間連載を続けてこられたのは、これまで読んでくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。




