53 嘘つきと嘘つき
しばらくは体調の悪い日が続いていたが、一週間経った今ではもう、すっかりよくなっていた。
ルナ様はあのときおっしゃっていたように私が寝ている間に私の魔力を解放していっているようで、目が覚めたら魔力が増えている、という状況にはまだ少し慣れないが、慣れないだけで特に問題はない。
姉様の誕生日から三日後には普通に起き上がることができるようになったので学院に来たら、テランス君にめちゃくちゃ心配された。とはいえ、わかりやすい心配ではなかったのだが。「体調管理も俺様の友人の仕事のうちだろう」なんて、不機嫌そうな顔で言われたのだ。
そんな顔でそんなことを言われたら、「心配してくださってありがとうございます」としか返せなかった。……たぶんこの顔、私が思っている以上に心配させてしまったんだなぁ、と思ったから。言葉にも冷たさはなく、むしろ温かいくらいだった。テランス君はわかりにくいようでいて、その実とてもわかりやすいんだよね。友人である私相手だからかもしれないが。
お礼を言われた理由がわからなかったのか、テランス君は更に眉をひそめてちょっと黙ると、これからは気をつけるように、と続けた。
……正直このひと可愛いな、と思ったけど、口には出さなかった。せっかく気遣ってくれた人を怒らせたくはなかったので。
「もう体調は大丈夫そうね、よかったわ」
「ご心配おかけしてすみません……ありがとうございます」
ほっとした顔のヘルガに、小さく苦笑いしながらお礼を言う。
今日のお昼は、珍しくヘルガと二人だけで食べていた。
元は姉様も一緒の予定だったのだが、お弁当を広げた直後、「あっ、ごめん、他の人と約束してたの忘れてた!?」と慌ててお弁当を持って走って行ってしまったのだ。教室を出るまで何度もこっちを見ながら謝っていたので、ドアにちょっと肩をぶつけて自分でびっくりしていたのが可愛かった。
それにしても、約束って誰としてたんだろう。いつも必ずヘルガと食べていると思っていたのだが、私が知らないだけで、他の人ともよく食べてたりするんだろうか。……それにしては、ヘルガ以外の友達の話をあんまり聞かないけどなぁ?
内心首をかしげる私に、ヘルガが話しかけてくる。
「でもまだ、ちょっとだけ顔色は良くないのよね。……わたしのにんじん食べる?」
「え、もしかして今日のヘルガのおかずがにんじんだけなの、私にくれるためだったんですか?」
「別にそういうわけじゃないわ。たまたまよ」
そう言いつつ視線を逸らすヘルガは、こちらにお弁当箱を差し出してくる。ヘルガのお弁当は日の丸弁当が多いが、たまにおかずも入っている。今日のおかずはにんじんのきんぴらだった。
ありがたく一口分だけもらって、おいしさに頬を緩める。にんじんの甘みと歯ごたえ、ゴマの風味が絶妙だった。お礼に私もミニハンバーグを一口あげる。
そんな感じにのんびりとお昼を食べていたら、急にヘルガの表情が硬くなった。どうしたんですか、と訊く前に、私の後ろから声が聞こえてくる。
「やっほー、ヘルガちゃん、セレネちゃん。オレも一緒に弁当食べていい?」
にこにこと笑ったフェリクスさんが、隣の席に座ってきた。こうしてお昼を一緒に食べてもいいか訊かれたのは、ヘルガの誕生日ぶりだ。つまりは、それから二ヶ月以上経っていることになる。
「私は構いませんが……」
ちらりとヘルガを見やる。あのときは、これからもあなたと一緒に食べる気はない、ととりつく島もない返答をしていたが、少しは心境に変化があっただろうか。
あからさまに顔をしかめたヘルガは、「わたしは嫌よ」と即答した。フェリクスさんはそっかー、と残念そうにしつつも、そのまま隣の席でお弁当を広げた。
「……わたしは嫌だって言ったつもりだったけど、聞こえなかったのかしら」
「だから机くっつけてないじゃん?」
なるほど、そういう理論か。前々から思っていたけど、フェリクスさんメンタル強いな……。
普通に納得してしまった私とは違い、ヘルガは更に顔をしかめる。
「せめてもう一個隣行って。近いわ」
「もう弁当広げちゃったからごめんね? ここで食べまーす」
「図々しい……」
「そう言いながら、結局おしゃべりしてくれるヘルガちゃんは優しいなぁ?」
「無視していいなら最初から言ってくれたらよかったのに。じゃあ、今日はもう話しかけられても無視するわ」
「……くっ、くく、はは、今日だけ? やっさしぃ」
無視すると宣言した手前、言い返すのも悔しいのだろう。ヘルガはむっとフェリクスさんを睨みつけてから、お弁当を食べ進める。
……その様子を見ていて、つい吹き出してしまった。
「ふふ、随分と仲良くなったんですね?」
ヘルガがツンツンしているのは相変わらずだが、それでもなんというか、雰囲気が変わった気がした。私も毎日Cクラスに来るわけではないから、ヘルガとフェリクスさんが同じクラス内でどう過ごしているのかはわからないが、この様子を見る感じだと、やっぱりあまり心配しなくてもよさそうだ。
私の言葉にヘルガは「誰と誰がよ」と嫌そうな顔をし、フェリクスさんは「そう見える?」と嬉しそうに笑った。対照的な反応に、ますます笑いがこみ上げる。
ヘルガのほうが素直になれば、この二人がちゃんと『誰から見ても仲良し』になるのはすぐだと思うんだけどなぁ。そこがまだ難しいのか。
「仲良くなんてないわよ」
「オレはヘルガちゃんと仲良くなれたら嬉しいけどなー」
「……セレネ。フェリクス・カアンって人に、私は仲良くなりたくないって伝えてくれる?」
「セレネちゃん、聞こえてるから言わなくていーよ」
笑いながら、はーいと返事をしておく。
苦々しい顔をしていたヘルガが、ふとはっと、何かに疑問を覚えたように目を瞬いた。口元に手を当て、徐々に蒼白になっていく彼女は、縋るように私を見る。
「……ヘルガ? どうしたんですか」
その視線の意味がわからなくて戸惑うと、ヘルガは「何でもないわ」と首を振る。そして覚悟を決めたように、フェリクスさんをまっすぐに見つめた。
空気が変わる。
視線を向けられたフェリクスさんは、緊張したように背筋を正した。
「フェリクス・カアン」
「……なに、ヘルガちゃん」
わたしは、と。ヘルガは声を潜めて、どこかつらそうに、悲しそうに、言葉を紡ぐ。
「――わたしは、あなたの母親と同じ、嘘つきよ」
ひゅ、と息を呑む音が聞こえた。フェリクスさんが目を見開いて、呆然とヘルガを見つめ返す。
「……なんで、ヘルガちゃんがそれ知ってんの?」
「だからあなたは、わたしと仲良くなんてしちゃ駄目」
「っなんでって、訊いてるんだけど!」
「何も言うことはないわ。わたしはただ、元から知ってただけよ」
淡々と話すヘルガに、フェリクスさんの顔が歪む。
……元から知ってた、とは? 二人はいったい、何の話をしているんだろう。
フェリクスさんが声を荒げたせいで、周囲の人の視線が集まる。ヘルガもフェリクスさんも、しばらく何も言葉を発さなかった。誰からも見られなくなってから、ようやくヘルガが口を開く。
「わたしはあなたが母親にされたことを知ってる。あなたが、嘘が大嫌いだということも知ってる」
嘘、嘘。その単語が何か引っかかる。……なんだろう、何があった?
記憶を探る。滅多に耳にしない単語というわけではないから、引っかかるのだとしたら、いつかそれをヘルガかフェリクスさんから聞いていたということだ。それも、違和感のある形で。
……いつ? どういうふうに? どっちから?
考えている間に、ヘルガは続ける。
「知っていても、わたしはあなたにずっと嘘をついてきた。その意味がわかる? ――わたしが本当に、あなたのことが嫌いってことよ」
それこそが嘘だ、というのは、私にでさえわかった。直接言葉を向けられたフェリクスさんは、余計そう感じただろう。
フェリクスさんは目をつむって、ゆっくりと深呼吸する。ヘルガが怯えるように、身をこわばらせた。ただ二人の会話を見守っているだけの私も、思わずごくりと唾を呑んでしまう。
「今、それを言ったのはなんで?」
フェリクスさんが静かに問いかける。彼の顔に、表情はなかった。
「……わたしは、卑怯だから」
泣きそうな声で、ヘルガは答える。
「一対一でこんなこと、言えなかった。でもディアナにも聞かせたくなかったの。今が一番、タイミング的にも、気持ち的にも言いやすかった。……ずっと、言おうとは思ってたのよ。あなたの母親のことにふれるのが一番、わたしの気持ちが伝わりやすいと思ってた」
『……何をすれば嫌われるかは知ってるのに。どうしても、できないのよね』
以前彼女がつぶやいていた言葉が、耳によみがえる。
きっと、それがこの方法だったのだ。フェリクスさんがお母さんと何があったのかは知らないが、おそらくそれは、他人には踏み込まれたくないことで。
そこにヘルガが、無理やり踏み込んだ。
……どうしてもできない、と言っていたはずの彼女に踏み込ませてしまったのは、私か。
私がこの場にいて、偶然、姉様がいなかった。そのせいで、ヘルガにこんなことを言う覚悟を決めさせてしまったのだ。
ヘルガは、もうそれを実行しないものだと勝手に思っていた。……だからさっき、二人を見てあまり心配しなくてもよさそうだ、と思ったんだけど。
そっと二人の顔を見比べる。彼らの表情に変化はない……いや、フェリクスさんだけ、変化した。貼り付けたような、嘘っぽい笑み。笑っていないその目を見て、ああ、とやっと思い出した。
確かあれは……四月か、五月か。四月だっただろうか。とにかく、かなり最初の頃だったのだけは間違いない。姉様離れを試みている最中のことだった。まだマリーちゃんたちとも友達になっていなかったから、一人で中庭でお昼を食べようとしたらフェリクスさんがいて、一緒に食べることになったのだ。
……うん、思い出した。
あのとき、確かにフェリクスさんは『嘘』という単語に過剰な反応を示していた……気がする。
とはいっても、今のような表情をして、必要じゃない嘘ってどんな嘘? みたいなことを訊いてきただけだったが、それが恐ろしかったことは覚えている。
「そっか。ヘルガちゃん、ほんっとにオレのこと嫌いだったんだ? やー、気づかなくてごめんね?」
傷ついたように目を伏せるヘルガを、フェリクスさんが無感動に見る。
……本当なら、私は口を出してはいけないのだろう。それでもヘルガのこんな表情を見たら、黙っていられるわけがなかった。
「フェ、フェリクスさん、あの! ……ヘルガはあなたのことが嫌いじゃない、と、思いますよ!」
おそるおそるそう訴えると、二人の目が一気にこちらを向いた。ひっ……。
「巻き込んでおいて申し訳ないんだけど、ごめんね、セレネ。……何も言わないでくれるかしら」
「ヘルガちゃんに嫌われてないのは知ってるからだいじょーぶだよ」
へ、と思うのと、「は?」とヘルガが低い声を出したのはほぼ同時だった。
「……どういうこと」
「そのまんまの意味。『わたしの気持ち』って言ったけどさー、そんなウソついておきながら、全然オレのこと嫌ってるように思えないんだけど?」
「嫌いに決まってるでしょう。じゃなかったら、こんな無神経なことわざわざ言わないわよ」
「オレのことが嫌いってよりは、オレに嫌いになってほしいんじゃないの、ヘルガちゃんは」
今度はヘルガが息を呑む番だった。そのまま気まずそうにうつむくのを見て、「やっぱそうなんだ」とフェリクスさんは納得したようにうなずく。
……まあ、わかるよなぁ。ヘルガは自分では気づいていないようだが、結構わかりやすい。フェリクスさんに嫌われたがっている、と私がわかったのは彼女の直接的な言葉があったからだったが、それがなくたって、たぶん今、気づいていただろう。
どうも先ほどの表情は演技だったらしく、今のフェリクスさんの顔には、困ったような感情がにじんでいた。そして少しの、悲しみ。
「……理由は、どうしても言ってくれないんだ?」
「……あなたのことが嫌いだからよ」
「嘘つき」
「そうよ、嘘つきよ。さっきも言ったでしょう」
「だから嫌いになれって?」
少しの沈黙の後、ヘルガはまた「そうよ」と言った。フェリクスさんの視線が、ちらりと私のほうを向く。彼女がどうしてここまで頑ななのか、私ならわかるかもしれないとでも思ったのだろうか。
眉を下げて首を振れば、諦めたようにヘルガのほうに向き直った。
「……うん、わかった。ちょっとだけ距離置こっか」
「元から近い距離でもなかったわよ」
「そうだけど、オレから話しかけるのを少なくするってコト。でも、ちょっとだけ、だよ。ヘルガちゃんが落ち着いてきたなって思ったら、遠慮なくがんがん話しかけてくから」
じゃあそーゆうことで、と自分のお弁当をまとめたフェリクスさんは、ヘルガの返事も待たずに自分の席に戻っていった。
残されたヘルガと私は、しばらく何も話さず、お弁当を食べることもしなかった。
五分ほどが経ってから、ようやくヘルガが口を開く。
「……さっきも言ったけど、巻き込んじゃってごめんなさい」
「い、いえ……ヘルガはいつも、姉様と一緒にいますもんね。姉様に険悪な会話を聞かせたくない、という気持ちはわかるので、今を選んだヘルガは正しかったと思います」
「……いつも、一緒」
何が駄目だったのか、そこに反応したヘルガがまた泣きそうな声を出す。
……えっ、ヘルガって姉様のこと嫌いなわけじゃないよね? 嫌いだったらあんなにいつも一緒にいられるわけがないし、姉様と話しているときに楽しそうなのも演技ではない、はずだ。きっと、ヘルガは嘘が下手くそだから。
「何かおかしいことを言いましたか……?」
「ううん。何もおかしくないわ。わたしとディアナは、親友だもの。そんな不安そうな顔しなくたって大丈夫、ディアナのことは大好きよ」
「そう、ですか」
だったら、どうしてそんなことを言うんだろう。そう思ったものの、口には出さないようにぐっと堪えた。
「変な雰囲気になっちゃったわね……本当に、ごめんね。急に変なこと言い出して、びっくりしたでしょう」
「びっくり、というか、私が聞いていていい話なのか困惑した、というか」
「核心的なことは何も言ってないから平気よ」
確かに、フェリクスさんがお母さんと何か確執がある、ということしかわからなかったが……それ自体、本来なら何の関係もない私が知っていいことではなかったはずだ。
「……そもそも、どうしてヘルガはフェリクスさんの事情を知っていたんですか?」
首をかしげて尋ねれば、「どうしてだと思う?」と訊き返されてしまった。……正しい答えが返ってくることを、まったく期待していない顔で。
固まる私に、ヘルガは慌てて謝ってきた。
「ごめん、意地悪な質問だったわ! そうね……内緒、と言うしかないわね。少なくとも、今は誰にも言うつもりはないわ」
「……わかりました。ですが、ヘルガ」
余計なお世話でも、これだけは言っておきたかった。
「自分の気持ちに正直になったほうが、いいと思います」
「あなたに言われたくないわ」
即座にそう返してきたヘルガは、はっとした顔でまた謝る。
「ごっ、ごめんなさい、ちょっと今気が立っていて。きつい言い方してごめんなさい」
「……いえ、そう言われて当たり前ですから」
きっとヘルガも、私のことを見透かしているわけではない。ヘルガが言っていることは、せいぜいエリクのことについてだろう。
だけどなんだか、彼女の言葉がぐさりと胸に刺さった。
それを隠すために、苦笑いを浮かべて「こちらこそすみません」と謝罪を口にする。
自分の気持ちに正直に……自分の気持ちに、正直に。
それなら、私は。
「――私は、姉様を幸せにできさえすればいいんです」
どこか呆然と、ヘルガは「え?」と小さく声を漏らした。
……私は今、何を言ってしまった?
口を押さえる。
姉様を幸せにできさえすればいい……それは、紛れもなく私の本心だった。けれどおそらく、きっと。誰にも、言ってはいけない本心だった。
「すみません、今のは忘れてください」
「忘れろって……」
「ふふ、私、姉様のことが大好きですから。姉様には幸せになっていただきたいなぁって、それだけです」
無理やり微笑む。ほんの少しこわばっているかもしれないが、どうかヘルガが見逃してくれますように。
「……さっきのってまるで、他の人の幸せはどうでもいいって言ってるみたいだったわ」
ぎくりとする内心を、押し隠す。
「そんなことありませんよ。エリクの幸せやマリーちゃんたちの幸せ、もちろんヘルガの幸せだって願っています」
それだって本心だ。
私の一番は、揺るぎようもなく姉様だけど。でも今の私には、大切な人がいっぱいいる。私の大切な人が皆幸せになってくれたら、私はそれだけで嬉しい。それだけで嬉しい、なんて贅沢な話なのだろうけど。
微笑んでいた口角が下がりそうになる。それをなんとか押しとどめていると、「じゃあ」とヘルガが真剣な表情で私を見つめた。
「あなたの幸せは?」
小さなつぶやきに、私はただ、笑みを深めた。
「――皆が幸せなら、私は幸せなんです」




