45 炎の龍と桜の魔法
体育祭とは違い、魔法コンクールの開会式はいたってシンプルだった。開会の言葉と学院長のお話、それだけ。……まあ体育祭みたいな派手な魔法使われたら、生徒たちの魔法が薄れちゃうしね。考えてみれば納得の話だ。
それに、生徒たちは体育祭よりも明らかに気合が入っている。あんな派手な魔法がなくても、士気は十分なのだ。
アナウンスに従ってそれぞれの席に向かう人たちを見て、はー、と長い息を吐く。
一年Aクラスから出席番号順に始まるため、私はうさ俺様の次、つまり全体のなかでも二番目に魔法を披露することになっている。十番目までの人たちは席につかず、直接控え場所に向かわなくてはならない。まあ控え場所と言っても特に部屋なんかがあるわけじゃなく、すぐにアリーナの中央に向かえるところに椅子が並べられているだけだ。
アリーナ、というより闘技場といったほうが伝わりやすいだろうか? 訓練場は観客席がないためか、魔法コンクールは学院内のアリーナで行うことになっている。アリーナは魔法コンクールか対人戦闘訓練の授業以外では使わないのだが、対人戦闘訓練の授業が始まるのは二年生からなので、私たちにはまだ縁がない場所だった。
開会式では、生徒全員がアリーナ中央のフィールド部分にいた。最初の十人である私たちは、一番移動距離が短い。全員が観客席に着くまでは、用意された椅子に座って待つことになる。
「頑張ろう、ルーナさん」
「はい、頑張りましょう」
出席番号七番のマリーちゃんとお互い激励し合って、そのまま少し離れて歩く。マリーちゃんの表情は硬く、緊張しているのが窺えた。
私は深呼吸を繰り返した。
……私も、めっちゃくちゃ緊張している。単に二番手だからというだけではなく、うさ俺様の次だから、というのが大きい。だって絶対、素晴らしい魔法を使ってくるじゃないか。
対して私は、未だ完全には成功したことのない魔法を使う。
今日は、生徒一人一人にとある魔道具が配られていて、身につけておくことが義務付けられている。魔力の暴走を感知したら、すぐにその魔力を吸い取るためのものだ。基本的に誰もが難易度の高い魔法を使ううえ、この緊張感、人数。魔力の暴走が起こった場合の危険度も増すため、きちんとした対策が必要なのである。
もちろん、魔力をすべて吸い取るようなものじゃない。暴走した魔法が消える程度の魔力を吸うように、魔道具が自動的に調整してくれる。……全員に配るくらいあるなら普段から身につけさせればいいのに、と思うかもしれないが、魔力暴走をどう治めるかの技量も魔法使いには求められるからね。それにこの魔道具があるからと油断してしまっては元も子もない。
あと現実問題として、この種類の魔道具は高いのだ。
と、話が逸れた。
……とにかく私は、まだ今日のために練習してきた魔法を完全に成功させたことがない。一度くらいは成功させてから本番に臨みたかったのだが、本番で奇跡的に成功することを祈るしかないな。祈る、というか頑張る、だけど。
ちらちらと周囲の人たちを見る。クラスは学力で分けられているとはいえ、その中の上位十人となると魔法も優秀な人が多い。一番の大敵は、やはりうさ俺様だ。
そうっとうさ俺様のほうに目をやると、偶然にも目が合ってしまった。彼の眉がひそめられる。
「……なんだ」
「す、すみません。少し緊張してしまって、つい周りをきょろきょろと……」
申し訳なくて身を縮ませる。態度にも表情にも出ていないが、うさ俺様もきっと緊張しているはずだ。なんせ一番手なのだから。それなのにこんなふうに不躾に見られたら、余計に集中できないだろう。そ、そういう作戦なわけじゃないんです……。
少しどころでなく緊張している様子の私に、うさ俺様は呆れ顔である。
「それで俺の相手が務まるのか」
「……務まるよう、精一杯やらせていただきます」
正直に言って彼に勝てる自信はまったくない。が、わざわざそう言ってがっかりさせたくなかった。それにそんなことを言うのは、保険をかけるようで嫌だった。
魔法学の授業では、構成が決まった生徒から順に、先生に一対一で指導していただけた。そしてその指導を受けたら、違う場所に移って他の生徒に見られないように練習。
つまり私はうさ俺様がどんな魔法を使うか知らないし、逆もまたしかり、だ。
先ほどのような偶然ではなく、今度はしっかりと目を合わせる。
「今日はよろしくお願いしますね」
ああ、とうさ俺様はうなずく。
……よし、ほんのちょっとだけ緊張が和らいだ。うさ俺様との勝負だ、無様なところは見せられない。もし魔法が失敗するにしても、それを演出の一部のように見せるくらいはしなくては。
杖を握りしめる。新しい杖はまだなんとなく手に馴染んでいなかった。でもいける、やるしかない。頑張ろう。
九つの椅子のうち、一番右端に置いてあったものに座って、座らずにそのままフィールドの真ん中へ向かううさ俺様を見送る。彼のこげ茶の耳としっぽは、心なしか普段よりピンとして見えた。……やっぱり緊張、してるんだろうな。
観客席をぐるりと見回す。姉様とエリクは……うーん、見つからない。まだ全員は座れていないようだし、いないのかなぁ。割と距離があるので、いたとしても見つけられる自信はあまりないのだけど。
あ、でも狐は発見。あの辺りが三年Aクラスの席なのかな。たぶんこっちには気づいているだろうし、一応会釈だけしておこう、とぺこりとすると、向こうも会釈を返してくれた。
しばらくして、アリーナ内が静かになる。どうやら全員が席に着いたらしい。
アナウンスでうさ俺様の――フィーランドさんの名前が呼ばれ、彼は杖を構えた。制限時間は一分。あちこちの空中に数字が浮かび、点滅している。タイマーみたいなものだ。
私は椅子にしっかりと座り直した。……さて、まずどんな魔法が飛び出すのだろうか。
たった一度の瞬きで、視界は赤に支配された。そして感じる、熱。周囲の生徒に影響を及ぼさない大きさのそれは、せいぜい体長十メートルほど。
体長、と表したのは、それが生き物の形を模していたからだ。
「ドラゴン……?」
「……龍、に見えます」
近くの誰かがつぶやいた言葉にそう返して、呆然とそれを見上げる。
炎でできた龍。それが、空を悠々と飛んでいる。身体をうねらせ、長いひげをたなびかせ。そして龍は口を開ける。牙まで炎で表現されたそこから漏れるのは、大気を震わせる声。……っ、この声どうやって出してるんだ!?
そして龍は、空に向けて炎を吐き出す。その跡に沿うようにぐるぐるとゆっくり回りながら上昇していくと、いきなり弾けた。落ちてくる火花は、途中で黄色い光へと変わる。晴天の下でもその光ははっきりと、しかし眩しすぎずに輝いていた。……上手い、と唸り声を上げてしまう。
すべての光が地面に落ちる、と思いきやまた空へ。途中で赤い光に……いや、これはまた火、だろうか。
一つに集まった火は、だんだんと大きくなっていく。さっきの龍みたいにまた弾ける? いや、時間的に次がフィニッシュだ。同じようなことはしないはず……ううん、同じようなことをしても構成的に綺麗だが、フィーランドさんはなんとなく違うことをしそうな気がした。
――今度は水で作られた龍が、空を泳ぐようにして火に向かっていった。そして大きな火をぱくんと一呑みにして。蒸気さえも、水の中に閉じ込めて消し去って。
水の龍は、火の龍と同じように弾けた。
水が雨のように降りそそぐ。
現れる、大きな虹。
見惚れるしかなかった。そういえば虹は、朝は大きくてはっきりしたものが出るんだっけ、なんてぼんやり思う。一番手は一番虹が綺麗に見える時間、というわけだ。
フィーランドさんの魔法が終わると、一瞬辺りがしんと静まり返った。
最初に聞こえたのは、三年生の辺りからの拍手。その拍手は徐々に範囲を広げていって、全員が拍手をするころには一年生からは歓声が聞こえてきた。その中にはいわゆる黄色い歓声も混ざっている。
……え、うわ、えええ、待って。この魔法の後に、この空気の中、私の番がくるの? 初っ端からこの完成度でこられて、え、う、どうしよう、予想以上だった。
フィーランドさんが退場していくのを呆然と見つめ、それからはっと姉様の姿を探す。今すっごく姉様を見たい。姉様に応援されたい。そうじゃないとこの緊張に耐えられない……!
しかし見つからず、仕方なく今日の朝「頑張ろうね!」と両手をぐっと握って微笑んだ姉様のことを思い浮かべる。……うん、可愛かった。癒された。でも緊張したままだ! 姉様に起こりそうなイベントも把握できていないし、今日は不安が多すぎる。
心臓の音がうるさい。アナウンスで、私の名が呼ばれた。ほとんど反射的に立ち上がり、フィールドの中央へと歩いていく。
……これは、負ける、かな。いや、最初から勝負を諦めるのはフィーランドさんに失礼だ。落ち着け、落ち着こう。こんなんじゃ成功する魔法も成功しない。
「――セレネー!」
聞こえてきた声に、無意識に下を向いていた顔をはっと上げる。聞き間違えるはずもない、姉様の声。再び探してみても、どこにいるのかわからなかった。
「がんばれー!!」
しかし確かに、姉様の声援が届いてくる。
ふっと肩の力が抜けるのがわかった。……まだ緊張はしている。だけどこれは、いい緊張感だ。心の中で姉様にお礼を言いながら、後でちゃんと面と向かって伝えようと決める。
ありがとうございます、姉様。
「頑張ります」
小声でつぶやき、フィールドの中央で立ち止まる。ちら、と空中に浮かぶ数字に目を向ける。これは私の最初の魔法が発動した時点で動き出す。
すっと息を吸い、細く長く吐き出す。
……さあ、やろうか。ここから先は魔法のこと以外を考える余裕はない。
用意していた桜の種を三つ、魔法で掘った土に等間隔にまく。種は必ず育つわけではないから、念のため三つ。フィーランドさんとは違う地味な始まり方に、期待外れな雰囲気のざわめきが聞こえる。
「種さん、私の話を聞いて」
魔法の始まりはささやくように。
「黄色い光、緑の光、桜の光」
ぽう、と三色のかすかな光が土から漏れる。これで水魔法のターゲットがわかりやすくなった。けれど今回、水への詠唱は行わない。
詠唱はあくまで、魔法を支えるだけ。
「どうか彼らと一緒に大きくなって?」
種に対して、そのお願いを表す詠唱を口にすると、光が大きくなるとともに芽吹いていく。みるみるうちに大きくなって、二本の木に。……一本駄目だったか。
「今は春、いっぱいの花が咲く!」
ふわり、花の匂いが香る。
つぼみが徐々に開いていく。ただの木が、薄い紅色に色づいていく。私が好きなのは八分咲きと散り始め。だからそこの時間を、他よりも長く取る。
ここから夏、秋、冬、と時間を速めて、最後は春で固定する予定だった。
「風さん、ほら見て、なんて綺麗な花! 皆にもっと見せてあげて」
満開になった桜の花びらを、風がくるくるひらひらと運んでいく。思わず手を伸ばす観客をからかうように。小さな歓声は、運よくつかむことができた人のものだろうか。懐かしいなぁ。私も昔、落ちてくる桜の花びらをつかまえようと必死になったことがあった。友達と一緒なら、その単純な遊びが何時間でも楽しめたのだ。
昔――そう、昔。
あ、と声が漏れた。
ほんの少しの魔力の乱れ。それがこの魔法においては致命的だった。時間を速めすぎ、水や養分が足りなくなった桜は急速に枯れていく。なんとか夏にまで時間を進めていたが、ここで枯れるのは不自然だ。周囲から聞こえる怪訝そうな声が、確実にこのミスがばれていることを示していた。
さっと視線だけを動かす。残り時間、十九秒。
とりあえず空白の時間を作ってはならない、と色んなところに落ちていた花びらを風魔法で慌てて回収し、また撒き散らし、そして最後に枯れた二本の木に降らせる。どうする、どうする、考えてる時間はない。ここからどう巻き返せる。
必死に頭を働かせて、一つ思いつく。しかしできる保障はない。詠唱だって考えていないのだから、成功率は下がる、が。
ぶっつけ本番で、やってみるか。
魔法に一番大切なのは、イメージだ。
ぐっと目を見開いて、二本の木のうちの一本に意識を集中させる。
戻って、お願い。さっきみたいな元気な姿を見せて。立派な根、幹、日差しを照り返す青々とした葉。夏。戻れ、戻って。まだ君は枯れてない、枯れてないんだよ。
ゆっくりと、その木は再生し始める。再生、というよりは、その場の時が戻っていく、と言ったほうが正しい。
イメージする。さっきまでの、堂々と立つ緑の木を。更に戻して、花が咲き誇る桜色の木を。
幹や枝が元気を取り戻し、葉が茂る。そしてその葉が引っ込んでいったと思えば、周りの花びらが枝に吸い込まれるようにして元の場所へ収まり、あっという間に満開の桜へ。
残り時間、ゼロ。
聞こえてきた拍手に、ふー、と息を長く吐き出す。足ががくがくしてる。今一歩でも動こうものなら転ぶ。
何度も深呼吸をしてなんとか足の震えを止め、退場する。真顔を保てている、と思いたい。実際は焦りすぎて汗びっしょりだし、心臓だってまだばくばくいっていた。
なんとかそれっぽくはできたが、失敗したことは十中八九多くの人にばれてしまっている。フィーランドさんの完璧な魔法の後だったから余計に。
時魔法を扱うのは元々難しいが、時を進めるより、時を戻るほうが難易度は高い。時を進めるのは、言ってしまえば、“そうなる結果”を先取りしてしまうだけ、というか。本来そうなるはずのものを、そのとおりにしていくだけだから。
しかし、時は不可逆だ。それを戻すのだから、本当にただ強くイメージするしかない。上手くいったかどうかは別として、先ほどなんとか成功させることができたのは奇跡に近い。イメージと、そして魔力量に救われたのかもしれない。
「お疲れさまー、セレネちゃん」
「お疲れ様」
席に行くと、ベラちゃんとナタリーちゃんが笑顔で迎えてくれた。ありがとうございます、とこちらも笑顔で返しながら、へたりこむように座る。
「……やっぱりあれ、演出じゃなかったんだねー」
「あー、そうよね。木が枯れてから、ちょっと間があったし。まあ、だとしてもすごかったわよ! 最後のとかアドリブでしょ? それで木の時間戻すとか、ウチだったら無理」
「うんうん! すごかったよ、セレネちゃん!」
はは、と乾いた笑みを漏らして、もう一度お礼を言う。その賞賛を素直に受け止められないのがちょっと悔しい。
宣戦布告を受けておいて、恥ずかしいところを見せてしまった。
じっと視線を感じ、おそるおそるそちらを向く。ほんの少しだけ眉をひそめたフィーランドさんと目が合った。ひっ、と声が出そうになった。
そのまま何も言われず、目が逸らされる。……たぶんだが、失望されたわけではない。満足しているようにも見えないが。
これはあとで二人で話したいなぁ、とこっそり苦笑いする。間違いなく、一年Aクラスの一位はフィーランドさんだ。でも彼が宣戦布告までしたのは私だけだろうし、話しかける権利くらいはあるだろう。
案の定というべきか、Aクラスの一位はフィーランドさんだった。
Bクラスの知り合いはルカ君だけだが、Cクラスはよく行くため、顔はほとんど皆知っている。だからというわけでもないが、自分の番が終わった後は楽しく観賞することができた。BクラスとCクラスの一位は、残念ながら知らない人だった。姉様は火魔法、エリクは水魔法を主に使って綺麗な魔法を見せてくれたのだが、一位には一歩届かなかった。
結局魔力の暴走も、イベントのようなものも起きなかった。……この先何かあるとは思えないんだけど、何かあるんだろうか。それともすでに起きていて、私が関われていないだけだったり?
Cクラスの投票結果が出たところで、今日はもうおしまいだ。少しずつ人が解散し始める。魔法コンクール中は、最終日以外はホームルームなどもなくそのまま解散なのだ。
「フィーランドさん」
ざわざわと賑やかな雰囲気の中、帰ってしまう前にと急いで名前を呼ぶ。マリーちゃんたちには、先に帰るよう伝えてあった。
歩き出そうとしていた彼は、少し面倒そうな顔で振り向いた。
「今日の魔法、素晴らしかったです」
「当然だ。……お前の魔法も、よくできていた」
へ、と固まってしまう。
フィ、フィーランドさんに褒められた!? お世辞、とは考えられないし、かといって本心だとも思えない。どう見たって、私の魔法は失敗だった。そりゃあ、それでもかなり上手かったほうだという自信はあるが、それにしたって彼に褒められるほどではない。
まじまじと見つめる私に、フィーランドさんは眉をひそめた。
「なんだその顔は」
「あ、いえ! その、私がミスをしたことには気づいてらっしゃいますよね……?」
「ああ。その対応を含めて、よくできていたと言っているんだ。俺様には遠く及ばなかったがな」
ぐっ。……自慢げにぴんと立つフィーランドさんの耳を見ていると、今更悔しくなってきた。純粋な感嘆の気持ちが大きかったはずなのになぁ。
私はもしかしたら、優勝したいというよりもフィーランドさんに勝ちたい、いい勝負をしたいと思って、魔法コンクールに臨んでいたのかもしれない。
「来年こそは、貴方に匹敵するくらいの魔法を見せて差し上げます!」
「ふん、期待しているぞ」
「はい、期待していてください」
言いながら、あれ、と思った。
――ゲームは、学年が上がる前には終わる。なのに私は今、何気なく来年の話をしていた。……来年の今頃、私は何を考え、何をしているんだろう。
ちゃんとこの世界で生きているんだろうか、とまで思ってしまって、ゆっくりと息を吐く。
急に黙った私に、フィーランドさんは怪訝そうな目を向けてくる。咄嗟に笑顔を作った。
「……今日はありがとうございました」
無言でうなずくフィーランドさんに、笑顔は苦笑に変わった。お礼を返されるとは思っていなかったが、それでも無言はちょっぴり寂しい。
それでは、と別れようとして、思いついたことがあって立ち止まる。
「フィーランドさん」
もう一度、名前を呼んだ。
「お友達に、なりませんか」
「……は?」
ぽかんと目を見開いたフィーランドさんは、なんとなく普段よりも幼く見えた。仏頂面が基本だったから気づいていなかったが、よく見れば、フィーランドさんはやや童顔だった。うわぁ、なんだか大発見をした気分。
「……俺が、お前と?」
「ええ。私が、貴方とです。結構前から、仲良くなりたいなぁと思っていたんです。どうでしょうか?」
最近は少しずつ話すようになってきたが、それでもクラスメイトの域を出ない。このくらいの距離感でも別にいいんだけど……友達になりたい、と思ってしまった。ぶっきらぼうだし、プライドが高いから話すときに気を遣わなくてはいけないし、と、まあ。ちょっとだけ、友達になったらなったで面倒そうだな、と思う部分もあるのだけど。
だけどもう、仲良くなりたい、じゃなくて、友達になりたい、と思うのだ。
お友達になりませんか、なんて、普通は口に出さないことだろう。わざわざ言わなくたって、気づいたらなっているものだ。けれどフィーランドさんには、こう言わなければ駄目な気がした。
フィーランドさんは戸惑っているようだった。私だってたぶん、いきなりこんなことを言われたら戸惑ってしまう。異性からなら尚更だ。
断られてしまうかな、と心配していたのだが……どうやら杞憂らしい。フィーランドさんなら、嫌なことはすぐに嫌だと言うだろう。そうではないということは、きっとただ困惑しているだけなのだ。
数十秒、フィーランドさんは何も言わなかった。急かしたりせずに、答えを待つ。
「…………わかった。お前の友人になってやろう」
ぽつりと言って、フィーランドさんはうなずいた。しぶしぶ、といった体を装っているが、耳を見ればご機嫌なことは明らかだった。今日は随分耳に出てるなぁ。思わず吹き出しそうになってしまうのを、頑張って耐える。
「では改めて、よろしくお願いします――テランス君」
微笑む私に、彼はあっけにとられたような顔をした。……これからも癖でフィーランドさんやうさ俺様と呼びかけてしまうことはあるだろうが、できるだけテランス君と呼べるように意識しよう。友達になったのなら、やっぱり呼び名は重要だと思うのだ。
しかし、いきなり距離を詰めすぎただろうか。
勝負の後ということで、ちょっとだけ気分が高揚していたのかもしれない。ついつい強気でいってしまったが、不快に思われてないかな……。友達になること自体は喜んでいるみたいだけど、呼び方のほうは図々しすぎたかもしれない。
「……友人になったからといって、特に態度を変えるつもりはないからな。だが、好きなときに話しかけてくるといい。許可する」
そんな不安は、ふっと笑ったうさ俺様、じゃなかった、テランス君を見て吹っ飛んだ。こんなふうに笑うのは初めて見たけど、なんともまあ、意外なほどに無邪気な笑顔だ。
いつも不機嫌そうな顔をしているのは、もしかして童顔気味なのを気にしてのことなんだろうか。なんて、勝手なことを想像してしまう。
まあ、それはもっと仲良くなったときにでも訊いてみよう。
「私は今までも、好きなときに話しかけてしまっていましたけどね」
「そうだったか? セレネのほうから話しかけてくることはそれほどなかっただろう」
「……そうでした?」
あっさり名前呼びを返され、めちゃくちゃびっくりしてしまった。……なるほど、そういえばテランス君は負けず嫌いだった。
いつもの不機嫌そうな顔に戻ってしまったテランス君に、笑いながら「それではまた明日」と別れる。姉様とエリクをあまり待たせてしまうわけにもいかない。
帰り道で、友達が増えたんですよ、と言ったら姉様はどんな反応をするだろうか。絶対喜ぶだろうし、相手がテランス君だと知ったら、「まだ友達じゃなかったの?」と不思議そうに首を傾げるだろう。
それを想像して、私は一人でちょっと笑ってしまった。




