46 黒いもふもふとラウナ先生の告白
二日目三日目も、大きな問題が起きることなく順調に過ぎていった。何人か魔力が暴走しかけたが、それも魔道具のおかげで怪我人も出ることなく終わった。
二日目は二年生、三日目は三年生が魔法を披露したわけだが……二年Cクラスからは不思議さん、三年Aクラスからは狐が一位に選ばれていた。これで九人中三人、つまり三分の一が知り合いということになる。魔法コンクール四日目を迎えた今日、すごく楽しんで観戦できそうだな、と実は結構わくわくしている。
四日目はクラス関係なく、好きな席で観戦できる。マリーちゃんたちにも誘われて迷ったのだが、結局私は姉様たちと見ることにした。四日間何もイベントが起こらないとは思えない。だとしたら、できるだけ姉様の傍にいたかった。
姉様とエリクと一緒に、アリーナの入り口でヘルガを待つ。初日以外は開会式がないので、開始時間までに席に着いておくように、という緩い感じなのだ。
「それにしても、三人も知ってる人が出るなんてすごいよね!」
昨日から何度も話題にしていることを、姉様はまた嬉しそうに言う。……そういえば姉様はうさ俺様……じゃない、テランス君のことを随分前から『テランス君』と呼んでいたし、不思議さんのように知らない間に仲良くなったりしているんだろうか。
姉様の知らない部分が増えていくのは、なんというか、寂しいなぁ、と思ってしまう。入学前はほとんどの時間を一緒に過ごしていて、同じことを経験していたから。
でも姉様が嬉しそうに笑っているのを見るのは、私も嬉しい。だから私も笑って、昨日と似たような言葉を返す。
「テランス君とシャルル先輩は当然だと思っていましたが、ミミル先輩は少しびっくりですよね」
え、と姉様とエリクは同時に目を瞬いた。
「……テランス君?」
エリクの声は、普段よりもわずかに低く聞こえた。
「友達になったのは知ってたけど、そんなに仲良くなってたんだね!」
「……そういえば昨日話したときは、まだフィーランドさんって呼んでいましたっけ?」
笑顔の姉様に対してとぼけてみせたが、昨日のそれは自覚的にやっていたことだった。
い、今のは失敗したな……いや、別に悪いことではないんだろうけど、なんとなくその、エリクの前で男の子を名前で君付けっていうのが、一方的に気まずさを覚えてしまう。
シャルル先輩、ミミル先輩は先輩だからまあいい。でも同い年の男の子となると、たとえ本当に友達だとしても、なんか、ね? エリクは気にしないと思うんだけど、気にされないは気にされないでちょっとショックだし。(面倒臭くてごめんなさい)
それに……気にするかもしれない、とも思ったから。
昨日、テランス君と友達になったと話したとき、姉様は予想どおりとても喜んでくれた。エリクもよかったねと言ってくれたが、一瞬だけ微妙な顔をしたのだ。どんな感情が含まれていたかまではわからない。嫌そう、というのは私の願望が見せた幻覚だろうし。
とにかく、だから昨日は、フィーランドさんという呼び名のままで話したのだ。
「そうだったよー。慣れない呼び方が恥ずかしかった?」
「あー、そう、ですね? 今まで男の子の友達なんて、エリクしかいませんでしたし」
誤魔化すように笑いながら、ちら、とエリクを見る。
あ、また、昨日みたいな顔。
それもまた、昨日のように一瞬だったけど、昨日の表情が気のせいではなかったと確信するには十分だった。――やっぱり最近、エリクはどこか変だ。いつもと違う。それははっきりわかるのに、どこが変なのか、どうして変なのかがわからなくてもやもやする。
もやもやというよりたぶん、不安、と言ったほうが正しいんだろう。姉様もエリクも、私の知らない、わからないことが増えていく。置いていかれるような寂しさ、焦燥感のようなものを覚えてしまうのだ。
それを悟られないよう、耳に意識を持っていって動かさないようにし、できるだけ自然に辺りを見回す。ヘルガが来れば、この話題も終わりになるはずだ。
そして幸いにも、タイミングよくヘルガがやってくるのが見えた。よかった、と胸をなでおろし、「来たみたいですね」と姉様に言う。
私たちと合流したヘルガは、少し申し訳なさそうに謝った。
「ごめんなさい、待たせちゃったわね」
「ううん、待ってないよ! 私たちも今来たところだし」
「……うん。待ち合わせ時間より早いしね」
何食わぬ顔で会話に加わったエリクを、ついじっと見てしまう。……なんなんだろうなぁ。
とにかく今は、席に向かおう。一年Aクラスの代表から順に戦っていくので、初戦がテランス君だ。その開始時刻まではまだ余裕があるといっても、万に一つも遅れたくはない。
四人で移動し、観客席に入った――そのとき。
ぼふん、と姉様の頭の上に、何か黒いものが落ちてきた。
「ひゃ!?」と悲鳴を上げた姉様に一瞬硬直する。真っ先に行動したのはエリクだった。もふもふとしたそれを手で持ち上げようとするも、「いたたたた、髪が!」と更に悲鳴が大きくなる。どうも姉様の頭の上で踏ん張っているらしい。
険しい顔でエリクが短剣を抜いたのを、ヘルガが止めた。
「待って、この子は無害よ」
黒いもふもふの正体を知っているかのような口ぶりだった。
「そうなの……?」
痛みのせいだろう、姉様はちょっぴり涙目になっていた。
ええ、とヘルガが自信たっぷりにうなずいたので、ひとまずはその言葉を信じることにする。エリクはまだ短剣を握ったままだったが、「大丈夫」とヘルガに更に言われ、しぶしぶとしまう。
「これ、魔物の赤ちゃん、ですか?」
黒いもふもふを見つめる。まん丸な青い目が二つ、こちらを見返した。……あれ、この子、可愛い、ぞ?
黒いそれは、猫のような見た目をしていた。ただしそれにしては、体が小さくて頭が大きい。たぶん二頭身なんじゃないだろうか。頭と体がそれぞれ私の握り拳一つ分よりやや大きいくらいの大きさだった。手足は短いがしっぽは異様に長く、ぎざぎざな形のそれは姉様の胸元まで垂れている。三角形の耳は、こちらに興味津々、といった様子でぴくぴく動いていた。耳の中の毛だけがわずかに灰色なのも可愛らしい。
頭と胴体の間(首と呼んでいいのかわからない)には、細くて赤い首輪がはまっていて、黒い毛によく映えていた。
「赤ちゃん? 可愛いの?」
思わず頬を緩めた私に、姉様が期待で輝いた目を向ける。はい、と答えてしまった私とは対照的に、エリクはまだ警戒しているようだった。
早めに来たおかげで、周囲に人は少ない。あまり大事にしないほうがいいわ、というヘルガの意見に従い、観客席の外に出る。これからどんどん人が増えていくだろうから、完全にアリーナの外に出たほうがいいんだろうか。
こそこそと移動して、通路と通路の間の狭いスペースを見つけた。ここなら、一直線に観客席に向かう生徒からは気づかれないだろう。通路の床は足音がよく響くし、誰かが近づいてきてもすぐわかる。
それで、とエリクが切り出した。綺麗な碧眼が鋭く細められる。
「アウアーさん。説明はしてくれるんだよね?」
「……とはいっても、わたしもそこまで説明できるわけじゃないんだけど」
少し困ったように笑って、ヘルガは説明してくれた。
この魔物は、シャノールという名前らしい。穏やかな気性で、こちらから攻撃しなければ襲ってこない。けれどとてもすばしっこく、大きく裂ける口で、しかも鋭い牙で攻撃されたらなかなか避けることは難しい。この子はまだ赤ちゃんだからこんな大きさだが、成体になると三メートルほどの大きさになるらしく、人間だって丸呑みにできるそうだ。
ヘルガが無害だと言い切ったのは、この子が小さいせいだ。シャノールの攻撃手段は口で、この大きさの口だとせいぜい小さく噛むことしかできないし、牙も発達していないため、猫に甘噛みされた程度のダメージにしかならないらしい。
そこまで説明できるわけじゃない、と言った割に、すごく詳しい気がする。魔物学の授業で習った覚えはないし、クラスによる進行度の違いかとも思ったが、姉様とエリクの顔を見るにそれも違う。
「この前読んだ本にちょうど出てきたのよ」
さらっと、けれどちょっとだけ自慢そうにヘルガは言った。確かにヘルガは、結構な読書家な面があるしなぁ。
うーん、私ももっと魔物が出てくるような本を読んだほうがいいかな。魔法実技の授業で、知らない魔物に出くわす可能性も考慮に入れて。シャノールなんて魔物、私は知らなかったし、魔物学の授業だけではやっぱり知識的に不十分なんだろう。
「ねえねえ、どういう子なの?」
しっぽしか見えない、としょんぼりとする姉様に見せてあげたくて、今なら外せるんじゃ、と試してみる。しかし姉様の頭を気に入ってしまったのか、短い爪を髪の毛に引っ掛けて抵抗した。そうっとやったので今度は姉様も痛くはなかったようだが、これ以上は無理だろう。
……というか今更だけど、このシャノールはいったいどこから来たのかな。普通に考えれば、今日の魔法コンクールで使う魔物の子どもなんだろうけど。すばしっこいと言っていたし、この大きさなら逃げ出すのも簡単だろう。
「……いくら小さいから無害っていっても、先生たちも不注意だな。魔物は魔物なのに」
エリクの表情は未だに険しかった。シャノールに警戒して、というよりは、この子が逃げ出すのを許した先生方、学院への怒りのせいなのかもしれない。
と、そこでアナウンスがかかった。これこれこういう特徴の魔物の子どもが逃げ出したため、見つけ次第教師に報告する、または職員室に連れてくるように、とのことだった。無害だから不安になる必要はない、とも。
それを聞き、エリクの眉間に深い皺ができる。それでも美少女顔であることに変わりはないのだが、だからこそいっそう迫力があった。
「そうね……。どうしたのかしらね」
エリクのつぶやきに心なしか早口でそう答え、ヘルガは「とにかく職員室に行きましょう」と私たちをせかした。……ヘルガ?
不自然に感じたのは私だけではなかったらしい。
「ヘルガ、どうしたの? もしかして、何か知ってる?」
頭の上のシャノールに、姉様はそっと両手で触った。シャノールは拒む様子もなく、むしろ気持ち良さそうに目を細めた。きゅるん、と可愛い鳴き声も小さく聞こえた。
「……知ってる、わけではないわ。想像がつくだけ」
「どんな?」
今度はエリクが尋ねる。
「えっと……まあどうせ、わかることだしいいかしら。たぶんこの子、ラウナ先生の魔物なのよ。で、ラウナ先生って、可愛いものに弱い、というか甘くて、ね? この子が色んなものに興味津々なものだから、しょっちゅうゲージから出しちゃうのよね。普通の猫みたいなものだし、その首輪をつけている限り学院の外には出られないから、学院側も許可しているみたい」
そんな首輪だったのか、と赤いそれに目をやる。と、シャノールと目が合ってしまった。じいっと見つめてくるまん丸な目に、つい相好が崩れる。可愛い。そうっと手をその頭に伸ばしてみれば、指先をかぷりと甘噛みされた。ご、ごめんね……。痛くはないけどちょっぴりショックだ。
「この前魔法実技の授業で怪我をして、保健室に行ったらね。ラウナ先生が、その子相手にでれでれしていたのを見ちゃって。あの先生ったら、大慌てで説明してきたのよ」
あっけらかんと言ったヘルガに、その状況を想像してつい吹き出してしまった。すごく簡単に想像がつく。可愛いものに弱い、というのも、あの格好良くて可愛い先生なら納得だ。
ヘルガがシャノールについて詳しく知っていたのも、そういうわけなのだろう。おそらく、保健室で見かけて気になったから、図書室で調べたのだ。
「あ、一応ラウナ先生の名誉を守るために言うけれど、見たのは保健室の中じゃないわよ。その横の、生徒相談室」
確かに小動物が動き回るのは、体調が悪い人にとってはよくない。そこは流石に、ラウナ先生も理解してやっているのだろう。生徒相談室なら、まあ……アニマルセラピーとしてわからなくもない。この世界は獣人が普通にいるし、動物アレルギーの人間は日常生活に支障が出ないよう、それ用に安価で売られている魔道具を持ち歩いているのだ。
そういえばラウナ先生は、相談室の先生でもあるんだっけ。普段は他の先生がいるけれど、確か週に一回くらい、ラウナ先生が担当している日があった気がする。
「……あれ、でも、それなら今のアナウンスって? この子が危なくないなら、わざわざアナウンスしなくてもいいんじゃない?」
「今日は魔法コンクールでしょ。この子のこと知ってる生徒も少ないし、アナウンスで先に知らせておいたほうが、余計な混乱を招かないってことじゃないかしら」
「だろうね。……もうあんまり時間もないし、職員室に行こうか」
近くに時計がないからわからないが、エリクの言うとおりテランス君の戦闘までもう時間がない。さっさと職員室に預けにいこう、と歩き出したところで、誰かが走る音が聞こえてきた。
四人で顔を見合わせる。まあ、あのアナウンスがあったし、シャノールを隠す必要もない。
「……いた!」
黒髪の長いポニーテールが揺れる。現れたのは、息を切らしたラウナ先生だった。
ラウナ先生は、姉様の頭の上のシャノールを見て心底ほっとしたように息を吐いた。
「よかった、お前たちが保護していてくれたのか……ありがとう、感謝する」
「ええ。丁度職員室に預けにいこうとしていたところでした。そろそろ第一戦が始まってしまいますし、ラウナ先生に預けてもいいでしょうか?」
エリクの言葉に、ラウナ先生は「ああ、もちろんだ」と大きくうなずく。そしてためらいなくシャノールを持ち上げようとして……再び、姉様が「いたっ」と悲鳴を上げた。
「す、すまない、大丈夫か?」
「だいじょうぶ、です……」
「ラウナ先生。この子姉様の頭の上を気に入ってしまったようで……。私も何度か試してみたのですが、姉様の頭から離れようとしないんです」
「そうなのか……参ったな。この状態で観戦してもらってもいいんだが、もしこいつが動き出してしまったら、生徒たちの集中を妨げることになるし」
眉を下げるラウナ先生は、つん、つん、とシャノールの額を突いた。きゃるる、と鳴いてその指をがじがじかじるシャノールに、ラウナ先生はでれっと顔を崩し、すぐにはっとしたように引き締めた。
「申し訳ないが、ディアナ・ルーナ、生徒相談室まで一緒に来てくれないか? 好きなおやつで釣れば、こいつもディアナ・ルーナの頭から降りると思うんだ。第一戦は途中からの観戦になってしまうだろうが……」
「それなら僕も一緒に行きます」
「私も行きます!」
姉様よりもエリクと私が先に返事をしたせいか、ラウナ先生がおかしそうに笑った。しかしすぐにしゅんとして、「本当にすまない」ともう一度謝る。
……最悪、テランス君の戦闘が見れないことは覚悟しなくては。ああ、友達になったばかりだというのに、ごめんなさいテランス君。
「でもセレネ、テランス君と友達になったんでしょ? だったら私についてくるより、テランス君を観てあげたほうがいいよ」
「え、ですが」
「友達?」
私と姉様の会話に、ヘルガが勢いよく私に顔を向けた。へっ、何?
「……セレネ、貴女、テランスと友達になったの?」
「は、はい……。つい昨日のことですが」
「……そう。そうなったのね」
どこか含みのある言い方に、私は首をかしげてしまった。そうなった、とはどういうことだろう。なんとなくここで使う言葉としては違和感を覚える。
しかしヘルガは、そのまま普段の調子で言葉を続けた。
「友達になったなら、テランスを観てあげたほうがやっぱりいいんじゃないかしら。もしディアナが心配なら、わたしもついていくし」
「そう、ですね……」
うなずきながらも、どうにか姉様についていけないものか考える。……テランス君の応援をしたい気持ちももちろんあるが、それよりも、姉様の傍にいたいという気持ちのほうが強い。きっとこれは、何かしらのイベントの一部だろうから。
そこで、またアナウンスがかかる。そろそろ第一戦が始まるため、席に着くようにとのことだった。
「ね、セレネ。一人で観るのは寂しいかもしれないけど、私たちもできるだけ早く戻るから」
言い聞かせるような姉様に、それでも了承の言葉を返せなかった。数秒、辛抱強く私の返事を待ってくれた姉様に、私は結局首を横に振った。
「やっぱり、私も行かせてください」
「……そっか。じゃあ早くこの子を置いてきて、テランス君のこと観てあげないとね!」
私に意志を曲げる気がないのを察して、姉様は笑ってわがままを許してくれた。
アリーナは校舎とは少し離れている。先生と共に早足で相談室へ行き、先生がごそごそとシャノール用のおやつを棚から取り出すのを待った。……いや、待ってはいないな。先生がおやつの袋を取り出すよりも先に、シャノールがぽふっと姉様の頭からあっさり飛び降りて、先生の足元に甘えるように擦り寄ったから。
「か、かわいい~! うわあ、かわいいね! こんなかわいい子だったんだ……!」
そこでようやく初めてシャノールの姿を見た姉様が、瞳をキラキラと輝かせる。そっと近づき、シャノールの頭に手を伸ばす姉様。おやつのほうに気を取られているのか、シャノールは抵抗せずに手を受け入れ、そのまま先生に甘えていた。幸せそうなにこにこ顔で、姉様は優しくシャノールの頭をなでる。
……姉様と小動物の組み合わせ。
「……可愛いです」
「ねっ、すっごいかわいいよね!」
姉様を含めて、というかむしろ姉様がとてもとても可愛いです。しかし変な声が出そうになるのを堪えるために、ただうなずきを返すことしかできなかった。
くすりと笑われた気配にそちらを向くと、エリクが微笑ましそうに私を見ていた。
「……な、何?」
「ううん、なんでもないよ」
首を横に振ってくすくす笑うエリクはいつも通りの彼で、なんだかほっとしてしまった。よくわからない、いやなんで笑われてるのかは流石にわかるけど、ともかくエリクがいつもみたいになってくれてよかった。
シャノールは専用らしいお皿におやつを入れてもらって、ご機嫌な様子でカリカリ音を立てて食べ始める。すごく癒される光景だ。
ほっこりしたところで、そろそろお暇することにする。今からならまだテランス君を観れるはず……と思ったのだが、ラウナ先生が姉様を呼び止めた。きょとんと振り返った姉様に、先生は微笑む。
「最近はなかなかお前とちゃんと話せる時間がなかったからな。会えたら伝えようと思っていたんだ」
一番最近に姉様が保健室に来たのは姉様の魔力が暴走した日だが、そのときは他にも怪我人が多かったからゆっくり話せる時間はなかった。その前となると、おそらく魔法実技の授業でグラニアが出てきた日。あれは、三ヶ月くらい前?
あの日ラウナ先生は、姉様に何かを訊こうとして、しかし結局やめたのだ。『自分の気持ちは、自分で整理をつけるよ』と、そんなことを言っていたはず。
今浮かべている微笑は、整理がついたから、なんだろうか。
「お前の気持ちがどうあれ、私は気にしないことにした。こういうことは別に言う必要もないと思ったんだが……まあ、な。なんとなく、お前には言っておいたほうがいいと思ったんだ」
変だよな、とラウナ先生はつぶやく。
「他の生徒があいつを好きだと聞いても、焦燥感も何もない。複雑な気持ちになるのは確かだが、それだけだ。……だが、お前がそうかもしれないと思うだけで、私はなぜか焦ってしまっていた」
ラウナ先生の言うあいつとは、セルジュ先生のことだろう。何の話かを明確にしていないのはきっとわざとなのだ。姉様がセルジュ先生のことを好きで、なおかつそれを自覚していないという可能性を考えて。
姉様は何を言われているのかいまいちよくわからないようで、困惑げにわずかに眉を下げる。それでもラウナ先生の話を遮ったりはせず、最後まで聞く姿勢をとっている。
「焦るのはもう、終わりにした。焦ったところで私に得などないわけだしな。……行動できるかは別として、私は私の好きなようにする。今まで変な態度を取ってすまなかったな」
「い、いえ、謝らないでください! なんだかよくわからないんですけど……ええっと、ラウナ先生は私のことを気にしないから、安心していいっていう感じの話であってますか?」
自信がなさそうにおずおずと訊く姉様に、ラウナ先生は深くうなずいた。
……ラウナ先生が今言ったことは。もしかして、姉様がこの世界の『主人公』であるせいなんだろうか。セルジュ先生はあの容姿と性格だから、女子生徒からの人気が高い。ラウナ先生自身も言っていたように、ラウナ先生が姉様のことだけを気にしてしまっていたのは変だ。しかも、そうかもしれないと思うだけで、なんて。
そんなふうに考え込んでしまった私の横で、ヘルガが一歩、ラウナ先生に近づいた。
「先生、あいつって誰のことですか?」
釣り目がちのハシバミ色の瞳が、先生のことを刺すように見つめる。
「そこをはっきり言わないことも『好きなようにする』のうちに入るなら、それはそれでいいんですが……失礼ながら、ラウナ先生らしくないな、と思ってしまいます」
ヘルガの言葉に、ラウナ先生は呆気に取られたように彼女を見つめ返す。
そして数瞬後、ふっと苦笑した。
「そうだな、卑怯だった。すまない、ディアナ・ルーナ」
「え、え……?」
「私は、その……ああそうだ、これを人前で言うのは初めてだったか。緊張してしまうな」
苦笑は照れるようなはにかみへと変わる。
「――私は、セルジュのことが好きなんだ」
「……へ?」
姉様が大きく目を見開いた。
「情けないことに、ディアナ・ルーナがセルジュと仲良くしているのを見ると、どうにも嫉妬してしまってな。こんな年下に対して自分でも大人気ないと思うかもしれないが……お前が本当に綺麗で可愛いから、だろう。だがまあ、私は私で頑張るさ」
……なるほど、そういう線もあった。姉様が主人公だから、ではなく、可愛すぎるからか。うーん、そうだといいなぁ。『ゲームでそうだった』からそうなった、としか思えないことが今までいくつかあって、でもやっぱり、そうだとは思いたくないのだ。
うん。きっとラウナ先生が姉様にだけ嫉妬を覚えたのは、姉様が可愛すぎるせいだ。そう自分に言い聞かせて納得することにした。
「え、ええ、ええっと、えっと、ま、待ってください」
ぐるぐると困惑に瞳を染めて、姉様が口を開く。
「ラ、ラウナ先生がセルジュ先生のことを好きなのはわかったんですけど、なんで私に言ったんですか……?」
「……お前がセルジュに惹かれているように見えて、だな。あれだ、セルジュのことが好きな女の勘、というやつだ」
さらりと言った先生の顔は、しかし徐々に赤くなっていった。今更恥ずかしくなってきたらしい。……やっぱり可愛くて、格好いい先生だなぁ。
姉様は「私が、セルジュ先生に」とぽつりと復唱する。ヘルガやエリク、そして私も、姉様に対して何度かそういうことを訊いてみたりはしていたが、おそらく姉様はからかわれているだけだと思っていたんだろう。なのに今、ラウナ先生という家族でも友人でもない人からの言葉を受けてしまって、動揺している。
……さて、事態はどういう方向に向かうだろうか。
「引き止めて悪かった。お詫びに……そうだな、これはどうだ。他の生徒には内緒だぞ。こっそり食べるように」
そう言ってラウナ先生がくださったのは、可愛いクッキーだった。クマの形をしていて、手にはナッツやチョコを持っている。一人に二枚ずつ、白いクマと黒いクマをそのまま渡して、先生は口元に人差し指を当てる。
お礼を言って受け取り、湿気たり崩れたりしないうちにと口に入れると、さくっとした食感にほのかな甘み、胡桃の風味が絶妙だった。もう一枚のほうも、こり、と少し硬めのチョコが美味しかった。
どこかぼんやりとした姉様に食べるよう促し、全員が食べたところで相談室を出てアリーナに戻る。
案の定というか、テランス君の戦闘は終わっていた。今は一年Bクラスの代表が、大きなサソリ型の魔物とたたかっているところだった。
姉様を優先したことに後悔はないが、それでもがっくりしてしまう。
「残念だったわね」
「はい……」
「まあ、あいつも訳を話せば不機嫌になったりはしないだろうし」
「そういう問題じゃないよ!」
ヘルガには素直にうなずいたが、エリクにはむっとしてそう返す。テランス君の戦いが観れなかったことがショックなのであって、彼が不機嫌になるかどうかは関係……なくもない、けど。
でもエリクの言うとおり、事情を話せばわかってくれるだろう。閉会式のときにでも話そうかなぁ。
未だぼんやりしている姉様に、ちらりと視線を向ける。その手をそっと握ってさしあげたいけど、今はたぶん、邪魔をしてはいけない。――私は、そこに関わるべきじゃない。
どの代表の戦闘も、観ていてすごく勉強になった。その魔法のそんな活用方法が、という新しい発見もあり、勉強になるだけではなく楽しかった。
不思議さんは蹴り技と魔法の組み合わせがいつにも増して冴えていて、狐も洗練された魔法で戦っていて、魅せる戦闘だった。二人の戦闘が素晴らしかっただけに、やっぱりテランス君を観れなかったことが心残りだ。すみません、テランス君……。
閉会式の前にテランス君に事情を説明して謝り、本人からどんな戦闘だったのか教えてもらった。テランス君の相手はホエンコというクジラ型の空飛ぶ魔物で、幻覚を見せる雲を吐いてくるのが厄介だったらしい。時間内に倒すところまではいかなかったようで、少し悔しそうに話していた。
閉会式が始まると、まず発表されたのは優勝者の名前。狐の名前が呼ばれ、あちこちから当然だよなぁという雰囲気が流れる。私も優勝は狐だろうと思っていたから驚きはなかったが、特に嬉しそうな顔も見せずに表彰楯を受け取ったのには苦笑してしまった。少し笑うくらいはしてもいいと思うんだけどなぁ。
そんなふうにして、四日間の魔法コンクールは幕を閉じたのだった。




