第七話:【冥府】―黒い牢獄と、狂愛のハデス―
「ねえ、頼斗。今日の放課後、生徒会室の残党が君に果たし状を出そうとしていたの、知ってる?」
講堂での戦いから数日後。夕闇に包まれた誰もいない教室で、葵は頼斗のデスクに腰掛け、優しく微笑んでいた。
「えっ……果たし状? ううん、ボクは何も受けてないよ……?」
頼斗が首を傾げると、葵は愛おしそうに頼斗の髪に指を絡め、頬をそっと撫でた。
その手つきはどこか重く、頼斗の身体を縛りつけるかのような強固な執着が籠もっている。
「うん、知らなくていいんだよ。ボクがね、『処理』しておいたから」
「え……? 処理って――」
頼斗の背筋に、冷たい汗が伝わる。
葵の手元にある漆黒の端末――Aランク『ファントム』。その画面には、いつものポップなUIではなく、おどろおどろしい黒と紫の紋章が浮かび上がっていた。
[ SYSTEM: H.A.D.E.S. ACTIVE ]
[ Hypnotic Area Dominating Execution System ]
「みんな、頼斗を利用しようとしたり、頼斗の『Z.E.U.S.』を奪おうとしたり、傷つけようとするゴミばかり。……だからね、ボクがみんな『忘れて』もらったの」
「忘れる……? 葵ちゃん、一体何をしたの……!?」
頼斗が思わず立ち上がろうとした瞬間、葵の目がすっと細められた。
次の瞬間、頼斗の足元を中心に、歪んだ紫黒色の領域が教室全体へと急速に展開する。
きぃぃぃん――。
重低音のノイズが響き、教室の壁や窓ガラスが、まるで黒い水滴が滲むように暗闇へと呑み込まれていく。
(っ……!? 身体が……動かない……!?)
頼斗は目を見開いた。
『Z.E.U.S.』の思考直結(Zero-delay)を発動させようと意識を研ぎ澄まそうとする。しかし――
[ WARNING: BRAIN WAVE HYPNOTIZED ]
[ ERROR: CANNOT FORMULATE INTENT ]
(思考が……作れない!? 『消せ』とも『弾け』とも、頭の中で思わせてもらえない……!?)
「無駄だよ、頼斗」
葵はゆっくりとデスクから降りると、動けない頼斗の胸元にそっと身体を寄せてきた。
その瞳は、深海のように光を失っており、底知れぬ狂おしいほどの愛しさだけが揺らめいている。
「『H.A.D.E.S.』はね、領域内の人間の『意思そのもの』を催眠・支配(Hypnotic)するシステムなの。頼斗の『Z.E.U.S.』が思考を現象に変える神なら……ボクの『H.A.D.E.S.』は、その思考の芽生えすら摘み取る冥府の牢獄なんだよ」
「葵、ちゃん……やめて……っ」
「やめないよ。ボクは頼斗を守りたいだけなんだもの」
葵は愛おしそうに頼斗の首に腕を回し、耳元で甘く熱い息を吹きかける。
「生徒会も、学園の大人たちも、みんな頼斗を狙ってる。頼斗が凄くなればなるほど、遠くへ行っちゃう気がして……ボク、怖くてたまらなかったんだ」
葵の指先が頼斗の頬を強くなぞる。その力強さは、もはや「保護」ではなく「所有」の領域に達していた。
「でも、分かったの。頼斗を害する奴らをボクが全部『H.A.D.E.S.』で精神的に破壊して、動けなくしてあげればいいんだって。……さっきの生徒会役員たちもね、いま頃、自分の名前すら思い出せない状態で病院に運ばれてるよ」
「そんな……! 葵ちゃん、そんなのダメだよ……っ!」
「ダメじゃないよ。頼斗のためだもの」
葵の瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。それは頼斗を愛するあまり狂気に囚われた少女の、純粋で歪んだ本気だった。
「ねえ、頼斗。世界中が君の敵になっても、ボクだけは君の味方で、君の飼い主(保護者)でいてあげる。君の『Z.E.U.S.』も、その可愛い声も、その震える身体も……全部ボクのものにしてあげるね」
ビキッ――!
頼斗のポケットの中で、バキバキのスマホ――『Z.E.U.S.』が、葵の催眠領域を破ろうと激しい赤ノイズを散らす。
だが、葵はそれすら冷酷な笑みで見下ろした。
「ふふ、まだ抗うんだ。『Z.E.U.S.』も可愛いね。……でも、覚えておいてね、頼斗」
葵は頼斗の唇のすぐ目の前まで顔を近づけ、歪んだ笑みを深めた。
「君がどれだけ『思考』で世界を打ち破っても……ボクの『絶対支配』からは、絶対に逃げられないんだから」
黒い領域が消え去り、夕暮れの教室に静寂が戻る。
自由を取り戻した頼斗は、膝から崩れ落ち、激しく呼吸を乱しながら、目の前に立つ幼馴染の姿に恐怖で震えるのだった。
最強の相棒であり、頼斗を誰よりも愛する存在――白波葵が、ついに『最大の敵』としての牙を剥いた瞬間だった。




